【ブラタモリ出雲大社】全ルートをまとめ|タモリさんが地形と歴史を探る#15

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NHK番組のブラタモリ出雲編で、出雲大社の歴史や地形が紹介されました。訪問のさいにぜひご利用ください。このページでは、ブラタモリ出雲編のアクセスや関連情報を扱っています。

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ブラタモリ
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鳥根でブラタモリ概要
出雲大社(#15)ブラタモリ出雲大社のテーマは、出雲はなぜ日本有数の観光地になったのか。
松江(#14)松江一帯は、江戸時代初期の築城までは、宍道湖を中心とする低湿地の寒村でした。どのように、国宝にも指定された松江城ができたのでしょうか。

出雲大社の歴史を知る|ブラタモリ出雲大社

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出雲大社宇迦橋の大鳥居へ向かう道です。

ブラタモリは、出雲大社の勢溜せいだまりの大鳥居からスタートします。

縁結びの神、福の神として名高い出雲大社は、日本最古の歴史書である古事記に、その創建が記されています。ブラタモリ出雲(出雲大社)編のテーマは、出雲はなぜ日本有数の観光地になったのか、です。

ブラタモリは、勢溜の大鳥居をくぐり、下り坂を歩き、祓橋はらえのはし(または、はらいのはし)を渡り境内へ向かいます。下り坂は、勢溜の大鳥居の付近が、昔の砂丘だった名残だと思われます。広大な砂丘に面していた出雲大社が、いまの賑わいになったのは、江戸時代中期になってからのことです。

参道が松並木で3本に仕切られる場所があります。かつては真ん中は、神様が通るとされました。

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タモリさんは、出雲大社本殿に到着します。

出雲大社は、ブラタモリ放映時(2015年)は、60年ぶりの遷宮せんぐうの途中。そのときの本殿は、240年前に建てられたものでした。2019年3月、境内の整備などを含め、「平成の大遷宮」の全てを完了しています。

本殿(通常非公開)の天井には、八雲の図が描かれています。しかし、実際に雲の数を数えると、あえて完成を避け七つの雲しか描かれていません。ブラタモリ松江編では、松江城の天主も、まっすぐな直線に屋根を配置せず、未完成の部分を残したと解説されています。完成の後には、転落が待っているため、ゲンをかついだと解説されました。

「二礼四拍手一礼」が、出雲大社の作法。1度は明治政府の方針で全国統一の作法(二拝二拍手一拝)に合わせましたが、昭和期に自由化され、元来の作法に戻しました。

本殿前にある3つの円形は、この場所で2000年の春に、古い柱が発掘されたことを記念しています。

直径約1.35mもの巨木を3本組にした、鎌倉時代の巨大柱の痕跡でした。出雲大社は、かつては高さ48m(15階建てのビルに相当)の建築だったという説もあります。

出雲大社には、10月に全国の神が集まると言われています。写真の十九社は、そのときに神が宿泊する宿舎のような役目を果たします。

出雲大社に神々が集まる10月は、全国的には「神無月」と呼ばれます。しかし、10月は全国各地で祭りが多く、神がいないというのは、少々不自然かも知れません。漢字の「無」は「の」と読む場合もあり、神無(の)月=神の月であるという説も存在します。梅雨が水無月(=水の月)であることとの整合性もあり、「神無月」の伝説は、出雲大社の宣伝力に負うところも大きいのかも知れません。

読者様から写真の提供(上の3枚)を頂きました。

「ひさの乗り鉄ブログ」では、筆者の趣味である乗り鉄・鉄道旅行に関する記事を中心に掲載しています。

ひさの乗り鉄ブログより

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出雲大社の集客の工夫|ブラタモリ出雲大社

出雲大社本殿 出雲大社十九社

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ブラタモリは、大社町の杵築きつき地区を訪ねます(地図A地点)。出雲大社が江戸時代まで、杵築大社と呼ばれていた名残りです。

江戸時代には、出雲のメインストリートだった場所ということになります。

出雲大社が祭る神様は、大国様(大国主大神)。ご利益のある信仰の象徴として、御師(神職)が大国様をたずさえ、全国で布教を進めました。江戸時代の布教道具が残っているのが、現在はそば屋を営む荒木屋です(地図地点)。

  • 荒木屋 出雲大社前駅、出雲大社本殿からいずれも徒歩10分

荒木屋には、江戸時代の硯石すずりいしが保存されています。硯石には、「蕎麦預」という文字が見えます。江戸時代には、はるばる出雲大社まで参詣したおまけとして、印字した券を、蕎麦と引き換えができたのです。

御師は、様々なご利益を全国にもたらしましたが、一番好評だったのが、縁結び。江戸では、全国の神々が出雲に集まり、縁結びの相談をする絵も広まりました。

ブラタモリは、藤間家(個人宅、非公開)を訪ねます(地図印)。

古い富くじが保存してあります。出雲大社修繕に使うことで、幕府に発行の許可を得たものです。8日間の発売期間で、現在の価値で23億円の売り上げとなりました。富くじの抽選日は、祭礼の最終日に設定されていました。

現在のメインストリート大社駅|ブラタモリ出雲大社

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ブラタモリは、かつて参拝のメインストリートだった大社町の杵築地区から、新しいメインストリートに移動します。

最新のメインストリートは、一畑電車の出雲大社前駅からですが、1990年までは、出雲大社前駅の南に、JR大社線の大社駅がありました。大社駅の駅舎は、東京駅、門司港駅と並ぶ国の重要文化財。鉄道は廃止となり、駅舎は、残されています。

国鉄大社線は、1912年に開業し、出雲観光の大動脈となりました。

開業時、繁華街の反対で、大社駅は出雲大社から徒歩20分以上離れた場所に。その後、参拝客の便を考え、大社駅から出雲大社への太い参道が作られました。しかし、クルマの台頭で平成2年に大社線が廃止。観光の機運が落ち込み、参拝客は3分の2になってしまいます。

観光客の激減で、シャッター通りのようになった神門通りは、地元の事業として大改装されました。女性向けの、縁結びにちなんだスイーツ店を数多く誘致したのです。信仰をパワースポットと言いかえる全国的な流れにも乗り、観光客は年間800万人に回復しましした。

鳥根でブラタモリ概要
出雲大社(#15)ブラタモリ出雲大社のテーマは、出雲はなぜ日本有数の観光地になったのか。
松江(#14)松江一帯は、江戸時代初期の築城までは、宍道湖を中心とする低湿地の寒村でした。どのように、国宝にも指定された松江城ができたのでしょうか。

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