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ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ彦根】タモリ推奨の彦根の歴史・地形・観光ルートまとめ #93

2018/03/22

NHK番組のブラタモリ彦根編で、タモリさん推奨の彦根の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ彦根編推奨のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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彦根でブラタモリ

ブラタモリは、琵琶湖畔からスタートします。番組のために、ひこにゃんが出迎えてくれました。ブラタモリ彦根編のテーマは、なぜ 家康は“彦根がイイ”と思った? です。琵琶湖からは、彦根城が見えています。

彦根城は、名古屋と京都の中間地点、JR彦根駅から徒歩15分の場所にあります。彦根城は、姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝に指定。彦根城のほか、2006年生まれのひこにゃんのキャラクターでも知られ、年間に約80万人が訪れます。

彦根の地は、徳川家康が注目した場所ですが、豊臣秀吉の家臣・石田三成も重視し、かつて佐和山城が築かれていた場所があります。

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彦根城:ブラタモリ彦根

彦根は、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、配下の井伊家に与えて守らせた土地です。なぜ、徳川家康にとって、彦根が重要だったのでしょうか?

地図:彦根観光協会 公式サイトの地図を加工

ブラタモリは、彦根城を訪ねます。3つある門のうち、大手門から入り、大手道を登ります。まず目につくのが、鐘の丸。四方を監視できる円形の陣地には、2段の石垣が設けられています。かつては櫓(やぐら)が立ち並んでいました。敷地が広く、多くの兵を配置することができました。

参考

織田信長が居城としたこともある岐阜城は、急峻な金華山に作られたにも関わらず、城の歴史のなかでは、5回の落城がありました。その理由として、各所に陣地を作るだけの、十分な広さがなかったからだとも言われています。

【ブラタモリ岐阜】タモリ推奨の岐阜の歴史・地形・観光ルートまとめ #92

堀に囲まれた彦根城の、3つのうち2つの門(大手門・表門)からの道が合流するのが、天秤櫓とかけ橋の付近です。四方を監視するように、2つの櫓(やぐら)が立てられ、かけ橋が設置されています。かけ橋がかかるのは、自然の地形を切り崩して作られた掘割です。

ブラタモリは、かけ橋の下の手前に出ます。この袋小路は、2つの櫓、かけ橋の左右の4か所から集中攻撃を受けます。彦根城に侵入しようとする敵を、壊滅状態に追い込む仕掛けでした。

ブラタモリは、階段を登りかけ橋を渡り、城内へと進みます。

天秤櫓は、かけ橋の下を通り、かけ橋を渡り侵入してくる敵を監視し、攻撃を加える機能を持っていました。

その後、曲がりくねった石段を経て、ようやく本丸手前の、太鼓門にたどり着きます。太鼓門をくぐると、いよいよ本丸です。

ブラタモリは、天守のさらに上部にある、隠し部屋に入ります(一般非公開)。壁には、鉄砲を撃つための穴が80以上あります。平和時は目立たないように、蓋がされていました。

彦根城天守閣からは、東側に山地、西側に琵琶湖(=写真)を望むことができます。

彦根城は、西側に琵琶湖、東側に山並みがある立地なのです。このことで、東西の守りが自然地形で成り立ちます。彦根は、中山道、北国街道が通る、交通の要所でもあり、経済のうえでも重要でした。

彦根城の城下町(北側):ブラタモリ彦根

ブラタモリは、彦根城の北側にある、松原という地域に向かいます(赤いラインを、湖畔から内陸へ)。

松原付近は、住宅地ですが、彦根城の場所よりは低くなっています。この場所は、以前は田んぼが広がっており、さらに昭和19年以前には、別のものがあったようです。何があったのでしょうか?

出典:彦根市教育委員会サイト

松原地区には、内湖と呼ばれる、天然の湖があったのです。東京ドーム15個分の広さがありました。ブラタモリは、かつて庄屋と水運を兼ねていたお宅を訪ねます。松原内湖を利用して、大量の米を運んでいた記録が残っています。戦国時代、近江の国は、全国2番目の石高に達していたのです。

彦根城の城下町(南側):ブラタモリ彦根

ブラタモリは、彦根城の南側を流れる、芹川(せりがわ)を訪ねます。芹川は、まっすぐ流れているのが特徴です。なぜまっすぐなのでしょうか?

古い絵図を見ると、不自然に曲がった、町割りが見られます。これは古い川の流れの跡です。もともと、複数の曲がった川が流れていたところ、まっすぐな1本の川に付け替えたのです。古地図を見ると、芹川への付け替えで、新たに生まれた場所には、小さな屋敷が立ち並んでいます。タモリさんが、実際に歩いて確認すると、足軽屋敷の痕跡が多数残っています。

足軽屋敷

写真:新潟・新発田城下の足軽屋敷

足軽とは、歩兵のことで、騎馬による個人戦の時代は補助的な兵力でしたが、鎌倉末期に集団戦が主体となると、戦力としての重要性を増してきました。

通常、足軽の住まいは長屋ですが、彦根の足軽は、個々に屋敷を与えられていました。彦根の足軽は、なぜ広い屋敷に住むことができたのでしょうか?

彦根藩は、京都の天皇を守る任務があったのです。琵琶湖を経由すれば、6時間で京都にたどり着くことができます。では、政情が安定してからは、足軽は、どのような暮らしをしていたのでしょうか?

地図印の場所には、ずれて交わった小さな交差点があり、建物が突き出たような形になり、のぞき窓があります。旧彦根藩足軽組辻番所跡です。交差点がずれていることで、地図で言うと左下方向、および右下方向を遠くまで見通すことができました。

周辺には現代の交番とも言える辻番所が、37か所存在したのではないかと考えられています。辻番所において、足軽は24時間の交代制で、城下への出入りを監視していたのです。

  • 旧彦根藩足軽組辻番所跡へのアクセス:彦根城大手門から南西へ、徒歩12分。

仏壇とサムライの関係:ブラタモリ彦根

ブラタモリは、芹川の流れをJR線の方向に歩きます。仏壇店が目立ちます。

彦根の仏壇は、武具の製造から変遷し、発展したと考えられます。タモリさんは、永楽屋本店で仏壇の金箔押し(貼り付けること)に挑戦します。金箔は、1万分の1ミリしかなく、想像以上に難しい作業でした。

彦根の口コミ評価が高いホテル

部屋や大浴場から彦根城が見える立地で、評価が高いホテル。ブラタモリ彦根編紹介地は、すべて徒歩圏です。街側の部屋なら、ビジネスホテル並みの料金。彦根城を望む共用のベランダがあります。

江戸時代からの町屋を改装した宿です。

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