トラベルジャーナ

現地取材サイト! 関東・甲信越・静岡のおすすめ&穴場観光地。ブラタモリ情報も日本一。

ブラタモリのまとめ 東京都(ランチ・観光)

【金沢観光】ブラタモリおすすめスポットのまとめ~歴史・地形・穴場~#3・4

2017/06/28

NHK番組のブラタモリで、金沢の歴史や地形を踏まえた穴場観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。この記事では、紹介地へのアクセスや関連情報を扱っています。

  • #3 2015年4月25日 金沢 〜加賀百万石はどう守られた!?〜
  • #4  2015年5月2日 金沢の「美」 〜金沢は美のまち!?〜

更新告知:ブラタモリFacebook

金沢の基礎知識

【金沢の歴史】

  • 戦国時代の金沢には、寺社勢力が台頭。加賀一向一揆により、100年近い一向宗による支配が続き、寺町が形成されました。
  • その後、関が原の戦いをうまくしのぎ、江戸時代、加賀藩(前田家)は全国最大の100万石を超えるとなり、名古屋と並ぶ城下町に発展。文化、芸術も発達しました。
  • 加賀藩直属の庭園だった兼六園は、日本三名園。湿度が高いため漆塗りや金箔製造が盛ん。

【金沢の地理】

  • 金沢の南東には、最高度1644mの山地があり、3つの台地が市街に迫っています。3つの台地の間には川が流れています。
  • 3つの台地の1つ、小立野台地の端に、兼六園や金沢城があります。
  • 親不知が有名で急な高低差から世界ジオパークに指定された糸魚川とは異なり穏やかな高低差が特徴です。

楽天トラベル 金沢市のトップ評価はここ!

武家屋敷跡から惣構(外側)へ/ブラタモリ金沢

ブラタモリは金沢編は、金沢城の西、長町武家屋敷跡からスタート。テーマは、加賀百万石はどう守られた?

  • 長町武家屋敷跡:金沢駅より北鉄バス香林坊方面行10分、香林坊より徒歩7分

長町武家屋敷跡を後にしたブラタモリは、金沢城公園や日銀金澤支店の西にある、小川を訪ねます。山側にある城から海側に流れるのではなく、地形に逆らうような向きに流れています。なぜでしょうか?

小川は、金沢城の堀の跡です。小川沿いにある建物は、川より一段高くなっています。この堀と土塁を利用した防衛の仕組みを、惣構(そうがまえ)と呼びます。

金沢城は、自然河川の流れの変化よって作られた、河岸段丘上に立地します。

金沢城防衛のために、堀を作り、掘った土で土塁が作られました。金沢城は3重の惣構で守られています。なぜなのでしょうか?

金沢城当主前田家3代目は、家康に謀反の疑いをかけられたため、万一の備えとして3重の惣構を作らせたのです。しかし、同時に和睦への努力を進め、最終的には交戦や取り潰しは回避されています。

香林坊交差点付近(地図:印)の、香林坊東急スクエア入口前には、惣構内部へ渡されていた、当時からの橋の跡が残されています。

惣構(内側)を探る/ブラタモリ金沢

総構えの痕跡を発見したブラタモリは、さらに内側の総構えの痕跡を求めます。内側の総構えの痕跡は、地図上のA地点から、金沢の台所・近江町市場にある、スーパー・世界の食品ダイヤモンドを歩く道のりに見られます。

近江町市場の一部であるアーケード商店街は、惣構の内側の道の跡となります。近江町市場内のスーパー・世界の食品ダイヤモンド内には階段があり、惣構の高低差の名残りとなります。

参考

  • 戦時中、金沢は空襲が少なかったため、古くからの町並みが守られました。米国人への憎悪感情が少なく、終戦後は、金沢に住むアメリカ人も目立ちました。
  • 京都のおどいは、惣構の1種です(詳細:ブラタモリ京都)。

兼六園の水はどこから?/ブラタモリ金沢

タモリさんは金沢城跡・石川門から兼六園に向かいます。兼六園の徽軫灯籠(ことじとうろう)は兼六園のシンボル的存在で、写真にもよく登場します。

金沢城公園:金沢駅からバスで13分。兼六園下から徒歩2分。/近江町市場から徒歩13分。

ブラタモリは、徽軫灯籠(ことじとうろう)のそばから流れだす水路に注目します。スノコのような形状のふたがあり、その先はコンクリートでふたがされていることが分かります。水路の少し先には、石管があります(非公開)。これは辰巳用水の石管です。

金沢城(兼六園)は守りの関係から台地に立地するため、低地を流れる川から水を汲み上げるのは困難です。どのように金沢城に水を導いているのでしょうか?

ヒントは「サイフォン現象」です

2つの水槽間を管でつないだときに、管の中が水で満たされると、2つの水槽の水位が同じになろうとする現象。

金沢城は、サイフォン現象を利用し、兼六園から11キロほど台地を登った水源から取水してたのです(現在の辰巳ダム付近)。辰巳用水と呼ばれ、1631年の大火から金沢を守ったことでも知られています。

出典:金沢市キッズページ

辰巳用水は、兼六園付近(兼六園南東の「兼六坂上」信号付近から南東方向へ)では開渠ですが、ほとんどが地下水路です(ブラタモリでは、地下水路内も放映されましたが、一般非公開)。辰巳用水の地下水路は、多数の横穴から掘られました。古地図で横穴は、カマボコのような記号で表示されています。

※地下水路の高さは2m程度。長さは4kmほど。昔は壁のくぼみに火を灯していましたが、かなり暗い水路だったと想像されます。

ブラタモリは、辰巳ダムも訪問しています。辰巳ダムは、兼六園への水路・辰巳用水の取水口となります。

広告

【後編】金沢の新名所・21世紀美術館からスタート

ブラタモリ金沢の後編は、金沢城公園・兼六園)の南西にある21世紀美術館からスタートしました。後編のテーマは「金沢は美のまち」。

ブラタモリは、金沢の美を、前田家を城主とする金沢城で探します。金沢城は石垣の博物館といえるほど、バラエティに富んだ石垣があるのです。特に石垣にこだわったのは、以下の3大名です。

  • 初代前田利家
  • 3代前田利常
  • 5代前田綱紀

初代前田利家(戦国時代)の石垣は、丑寅櫓(うしとらやぐら)跡に残る、シンプルな野面(のづら)積みです。

野面積みは、石を加工せず積み上げたもののため、でこぼこしており登りやすく敵の攻略を受けやすいものでした。15mの当時全国最大級の高さで、欠点をカバーしたと思われます。なお、野面積みは、隙間が多いため排水に優れるメリットもあります。

  •  初代前田利家の石垣(野面積み)
  •  3代前田利常の石垣
  •  前田利常の刻印を伴った石垣
  •  5代前田綱紀の石垣(正方形)
  •  前田綱紀の石垣(色紙短冊積み)

3代前田利常の石垣(地図:印)は、関が原の戦いが終わった世情を反映し、芸術性が追求されたカラフルなものです。茶色や灰色の石を、バランスよく組み合わせてあります。

地図:印の付近では、卍や☆など様々な刻印が施された石垣が見られます。これも前田利常の石垣です。利常の頃、加賀藩は、全国有数の百万石の豊富な財源を、美術工芸にも投資し始めます。

芸術性がピークに達したのは、5代前田綱紀(つなのり)の時代です。幾何学的な長方形だけで作った石垣(地図:印)がそのひとつ。

芸術好きの5代前田綱紀は、独自のピエト・モンドリアン(=大小の四角形を組み合わせたカラフルなデザイン)風の石垣(地図:●印)も残しています。石材を縦に置くと落下につながる恐れがありますが、ここでは芸術性が優先されています。

綱紀は全国の工芸品を集め、百工比照(ひゃくこうひしょう)という、一大コレクションを完成させました。実物が手に入らない場合は職人に模造品や写本を作らせる凝りようでした(石川県立美術館に所蔵。不定期公開)。

ブラタモリ ふるさとコレクション(金沢の方言)

  • つるつるに入った … お酒をグラスになみなみと注ぐこと。
  • ねがねーがんねーがー … ネガはないわけではない。通称「ネガの3乗」。語尾を上げるとネガがないんじゃないの?の意味。
  • しましまにしまっしま … しま模様にしなさい。通称「しまの4乗」。

※ふるさとコレクションは、現在のブラタモリではなくなっています。

金沢の地名の由来と犀川/ブラタモリ金沢

金沢城(公園)は、平野に突き出した台地の先端にあります。ブラタモリは、その台地を根元までたどり、金沢学院大学の南東、日吉神社付近の犀川を訪ねます。犀川で、何を探すことができるのでしょうか?

金沢学院大学:金沢駅から北陸鉄道バス「金沢学院大学行き」乗車で約35分

答えは、砂金です。砂金は、金沢の名前のルーツになっています。過去には、金を1日で10万円分採った人もいます。タモリさんも挑戦し、比較的大きなものが見つかりましたが、価値は数円でした。

金沢では、日本の金箔の99%を生産しています。金に、少量の銀と銅を混ぜ合わせて作ります。金箔の厚さは、1万分の1ミリ。手では触れないため、人の息や竹の棒で動かしつつ加工します。その加減が少しでも強いと、金箔は裂けてしまいます。

動画は、現在の金沢での金箔作りの様子です。

伝統的な金箔の作り方は、溶かして整形した金を打ち紙にはさみ容器に入れ、金づちのようなものでたたき、熱を発生させ伸ばしていく方法です。手作業だと1日8時間作業しても、10日間以上かかります。金箔づくりはたびたび幕府からの禁止令(1696年ほか)が出ていますが、金沢人の熱意により密かに技術が守られてきました。

大正時代に、金箔づくりは金沢で発明された技術により機械化。ところが、大きな音が出るため、騒音問題となりました。金沢では、騒音を解決するためにある驚くべき工夫をしました。家屋を改装し全ての作業室を地下に移したのです。金沢人の熱意の表れでした。

広告

-ブラタモリのまとめ, 東京都(ランチ・観光)