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ブラタモリのまとめ

【高野山観光】ブラタモリおすすめスポットのまとめ~歴史・地形・穴場~#82 83 84

2017/09/24

NHK番組のブラタモリで、高野山の歴史や地形を踏まえた穴場観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。この記事では、高野山のブラタモリ紹介地へのアクセスや関連情報を扱っています。

#82・83・84 2017年9月9日・16日・23日 高野山~高野山は空海テーマパーク~

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前回の十和田湖編は、下をクリックしてください。

【十和田湖・奥入瀬観光】ブラタモリおすすめスポットのまとめ

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【第1週】高野山とは/ブラタモリ高野山

  • 難波駅から南海特急こうや号で90分。極楽橋駅からケーブルカー。

ブラタモリは、高野山のふもと、紀ノ川からスタートします。

大阪市の南側、和歌山市の東側。高野山は、紀伊山地に開発された標高800mの仏教都市です。年間の観光客数は約200万人(2015年)。

ブラタモリのテーマは、高野山は空海テーマパークです。高野山は、平安時代に空海が開きました。空海(弘法大師)は、密教を日本にもたらした高僧で、あらゆる学問に精通した天才と言われます。

讃岐うどんまでも、弘法大師がもたらしたと、四国では伝えられています。

【讃岐うどん】ブラタモリ紹介 香川の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.1.14

高野山への正式な参詣道/ブラタモリ高野山

  • 慈尊院:南海高野線「九度山」駅から徒歩20分

下乗の合図をした石碑

昭和30年までは、高野山の参詣道の始点には、船着場がありました(地図:印)。江戸時代の絵図にも残されています。絵図には、参詣者をいざなう石碑が描かれています。

石碑は、現在は、慈尊院の門の外側(地図:印)に移されています。現在は、石碑はの上の部分しか残っていません。乗り物を降りなさいという意味の、「下乗」の「下」文字だけが残っています。

下乗の石碑を見た後宇田上皇が、宿願(しゅくがん)がかなって涙を流し、草履に履き替えた記録が残っています。

後宇田上皇の遺した和歌

旅の心をよませ給うける(続千載858)

いづくをか家路とわきて頼むべき なべて此の世を旅と思へば

(口語役)ようやく旅も終わり家路につくなどと言うが、あてにできるものだろうか。そもそも、私たちの人生そのものが、終わりのない旅なのだから。

百八十町の石碑

ブラタモリは、慈尊院の境内で、百八十町と書かれた石碑を見つけます(地図:印)。

これは町石と呼ばれ、1町=109mを示します。高野山まで20kmの参詣道に180の町石が置かれています。弘法大師は、木の卒塔婆を建てながら、初めてここに参詣道を開きました。鎌倉時代に、信仰心から、高さ3mの五輪卒塔婆形の町石に置き換えられたのです。

参道を歩く人々は、罪を滅ぼし極楽浄土へ行くために、1つ1つの町石に熱心な祈念を捧げました。当時の感覚では、前世の宿縁(しゅくえん)など、罪の意識を抱えていることが普通だったのです。

百七九町の石碑

ブラタモリは、百七九町の町石に到着します(地図:印)。それぞれの町石は、宇宙の成り立ち(空風火水地)を示す仏塔・五輪塔の様式で作られ、1つ1つが信仰の対象でした。写真はこちらから

※ブラタモリは、地図:●印まで歩いたあと、車で移動。参道を歩き通すと、6時間ほどかかります。

いよいよ高野山・壇上伽藍へ/ブラタモリ高野山

ブラタモリは、七町の石碑を見学し、大門に到着します。高野山の総門です。歩いて参詣した人は、6時間かけてようやく、境内へ到着します。

  • 大門:高野山駅からバスで20分

高野山の境内は、東西4キロに渡ります。高野山は、山を表すのではなく、山上の都市を示す言葉です。最大2000のお寺がありました。

大門を入った場所より先は、女人禁制。女性は高野山をのぞき見し、周りを1周することは、許されていました(明治5年に解禁)。大門を後にすると、五町〜一町の町石がありました。

一町の町石の先には、空海が初めて開いた修行の場所、壇上伽藍がありました。ブラタモリは、階段を登り、壇上伽藍に入り、まず(高野山の総本堂)を見学します。

  • 壇上伽藍 … 根本大塔、金堂など19の建造物が並ぶ修行の中心。
  • 奥之院 … 弘法大使の霊をまつるみたまやである、弘法大師御廟などがあります。

ブラタモリは、壇上伽藍のシンボル的存在根本大塔(こんぽんだいとう)を見学します。高さ48.5mで、日本初の多宝塔と呼ばれる建築様式。町石のゼロ地点が、根本大塔です。

写真:密教法具・三鈷杵(楽天)

壇上伽藍の松の木は、唐から戻る弘法大使が投げた三鈷杵(さんこしょう)が刺さり、開山の場所が御仏から示されたと伝えられます。ここでは、3つの葉の松の葉が見つかることがあり、弘法大使の心を知ることができます。

三鈷杵:煩悩を打ち破る心を、古代インドの短剣に見立てて法具とした、金剛杵(こんごうしょ)の1種。

六角経堂には、持ち手のようなものがあります。何に使うのでしょうか?

持ち手を頼りに、経堂の一部を、時計回りに動かすことができます。1周動かすことで、たくさんのお経を全て唱えたことになります。タモリさんは、マニ車の仕組みに似ていると指摘しました。

写真:チベット密教 マニ車(楽天)

【第2週】金堂の両界曼荼羅/ブラタモリ高野山

動画:金堂(壇上伽藍)の両界曼荼羅

ブラタモリ高野山の第2週のテーマは、引き続き「高野山は空海テーマパーク」です。高野山は、壇上伽藍と奥の院に分かれています。

  • 壇上伽藍 … 根本大塔、金堂など19の建造物が並ぶ修行の中心。空海が中国大陸から持ち帰った密教を伝える場。
  • 奥之院 … 弘法大使の霊をまつるみたまやである、弘法大師御廟などがあります。

第2週は、前回のおさらいとして、壇上伽藍を振り返ったあと、祈りの中心である金堂(本堂)に改めて入ります。金堂では、仏教の世界を示す、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の両界曼荼羅を見学します(通常非公開)。

写真:産経新聞動画より

  • 胎蔵界曼荼羅  …  物質的なものを表す。中心部を周縁が取り囲む構図。例えば、太陽系、細胞の構造、原子の構造の様なものと考えてみても良い。
  • 金剛界曼荼羅  …  精神的なものを表す。右下から反時計周りに巡り、中心に至る。

両界曼荼羅だけでなく、高野山全体の配置が、胎蔵界と金剛界の分かりやすい比喩となっています。

場所 意味 分類
慈尊院(紀ノ川) 古い参道の始点 胎蔵界【物質世界】
参道の町石 胎蔵界の仏様を象徴 同上
壇上伽藍 現世の人の修行の場 同上
奥の院参道 歴史的人物のお墓が並ぶ 金剛界【精神世界】
奥の院 今も空海が住むと言われる 同上

紀ノ川の船着き場を経て、参道の町石を頼りに、壇上伽藍に向かう道のりでは、此岸(しがん)の物質世界を感じ取ることができます。奥の院参道に入ると、お墓が立ち並び雰囲気が一変。空海のもとに近づくにつれ、彼岸の精神世界を感じ取ることができます。

奥の院 空海のもとへ/ブラタモリ高野山

ブラタモリは、壇上伽藍を出て、奥の院に向かいます。改めて1つ目の町石があり、36の町石をたどり、奥の院へ到着することになります。

一の橋を過ぎると、約1.5キロに渡り、30万ものお墓や供養塔が並んでいます。

  • アクセス:一の橋は、壇上伽藍から徒歩17分。または、バス停一の橋下車。

よく注目されるお墓や供養塔は、おおまかに次の順番に並んでいます。ブラタモリ高野山で言及があったお墓は◎印を付しました。ブラタモリの関連回を併記。

パナソニック、クボタなど、企業墓も多くあります。

五輪塔形式のお墓は、積み重ねた石が地水火風空の五大を表し、大日如来(宇宙生命、真言密教の教主)を象徴しています。上杉家のお墓のように、廟の形式のものもあります。

これらのお墓や供養塔は、56億7千万年後と言われる、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の降臨に向けた場所取りとも言えます。降臨する3つ場所の1つが、高野山です。空海(弘法大使)が、通訳として同伴すると言われています。

  • 弥勒菩薩:次代にブッダとなる。釈迦入滅から56億7千万年後に、仏となってこの世にくだり、衆生を救済すると言われる。

お墓は、庶民のお墓である、小さな一石五輪塔も散見されます。一石五輪塔を含めると、100万級のお墓があるとも言えます。

奥の院 空海御廟/ブラタモリ高野山

奥の院の、御廟橋から、空海の居所である空海御廟までは、写真撮影が禁止されています。ブラタモリでも、撮影は行われませんでした。

奥の院の御廟橋手前にある御供所(ごくしょ、奥の建物)では、弘法大使に供える食事を毎日作っています。

御供所を背にして右側には、味見役の嘗試(あじみ)地蔵も置かれています。御膳は、2人がかりで御供所から空海御廟まで、1日2回お持ちします。精進料理のため、肉や魚は出しませんが、パスタや焼きそばは出されることがあります。

写真:霊宝館公式サイト

第2週の最後、ブラタモリは、壇上伽藍の霊宝館を訪ね、特別に国宝の書、聾瞽指帰(ろうこしいき)を見学します。

これは、弘法大師が中国大陸の唐へ渡る前、24歳で書いたです。聾(ろう)の文字があるように、仏教の教えに暗い人向けに書かれた啓蒙書であり、仏教などの内容を、複数の人物を登場させ、演劇風に分かりやすく説明しています。ストーリーもさることながら、空海の直筆は、達筆で集中力を感じさせます。24歳の若さで、命がけで唐へ向かう空海の、仏教に捧げる決意をタモリさんは読み取りました。

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【第3週】 高野山の町/ブラタモリ高野山

ブラタモリ高野山、第3週の記事です。第1・2週は、上にあります。

ブラタモリ高野山の第3週は、高野山の町を見学します。ブラタモリは、高野山の実務の中心、金剛峰寺からスタートします。今回のテーマは、高野山はなぜ山頂の仏教都市に?

タモリさんが自慢の腕時計で標高を測ると、金剛峰寺の高度は、約800m。タモリさんは、最近のブラタモリ収録では、必ずピンク色のプロトレックPRG-300-1A4JFを愛用しています。

高野山は、かつては麓から徒歩6時間もかかった山岳地帯。4×3キロもの街が栄えているのは、不思議な現象です。117のお寺と一体化したコンパクトシティです。

ブラタモリは、高野山の町のメインストリートを歩きます。

  • 高野山のメインストリート:地図A地点~地図B地点

高野山のメインストリートには、デザインを街に調和させた、コンビニエンスストアもあります。

道が、緩やかに傾斜し蛇行しています。タモリさんは、この地形はたいてい川、と指摘。江戸時代の地図を見ると、確かに川が流れています。現在は、暗渠になっているようです。

千手院橋交差点(地図:印)は、日本最高地点のスクランブル交差点。かつては川が流れ、橋があったことが分かります。さらに東へ進むと、開渠になっている場所(地図:印)がありました。一定の深さがあり、水量に恵まれていることがわかります。なぜ、水量が豊富なのでしょうか?

ブラタモリは、不動院(地図:印)を訪ねます。かつては、取り水と言われ、全ての生活用水を川の水で補っていたとのこと。

ブラタモリは、専門家の案内で、水源(地図:●印)に向かいます。高野山は、葉っぱを手の上で包んだような地形です。葉の葉脈にあたる川を伝わり水が流れていきます。山林のなかの小川を見ると、泥岩が多くあります。泥岩がお盆のような形で広がり、水が蓄えやすくなり、堆積物の上に町が広がっていたのです。

高野山の町と食料/ブラタモリ高野山

水の次に食べ物について考えます。山岳地帯のコンパクトシティで、食べ物はどのように調達していたのでしょうか?

ブラタモリは、改めて金剛峰寺に戻ります。廊下には三鈷杵(さんこしょう)が飾られ、上段の間(貴賓用の部屋)には金箔による装飾がなされています。金箔を使ったのは、貴賓の頭の上に、人が踏んだ土を使わないという配慮です。

台所に入ると大きな釜が複数あります。金剛峰寺では、二石の釜が2000合(約2000人分)の米を炊いていました。なぜ、コンスタントに貴重な食糧が集まってきたのでしょうか?

  • 1つ目に、高野山は年貢米を集めていたことがあります。石高は、21300石。町の数十倍の広さの田から、1人の大名並みのコメを集めていたのです。
  • 2つ目に、農家から、お大師さんへのお納めとして、野菜が届けられていたことがあります。農家は信仰の一環として、誇りをもって野菜を納めていました。

古い絵を見ると、白衣の僧が、分け隔てなく食事を楽しむ姿が描かれています。タモリさんは、当時の食事を再現してもらいます。高野豆腐です。高野豆腐は、寒く乾燥した厳しい土地に合う、工夫された保存食だったのです。

高野山の町と後継者/ブラタモリ高野山

高野山は、厳格な女人禁制のため、千年以上出生率がゼロ。どのように後継者を集めたのでしょうか?

ブラタモリが金剛峰寺の中を歩くと、学生のための寮があります。高野山には全国から仏教学生が集まり、会下(えか)と呼ばれる長屋に暮らします。学生に聞くと、寮費や食費は無料。金剛峰寺の仕事を手伝うことになっています。この条件で、全国から仏教学生を集めました。

  • 会下の1つ:金剛峰寺と渡り廊下でつながる。金剛峰寺に向かって右奥。

学生集めには、さらに工夫があります。ブラタモリは、千手院橋交差点(地図:印)を北へ向かいます。右手には、長屋形式の会下(えか)の1つが見られ、さらに織田家、浅田家など、諸大名の家紋が目につきます。

ブラタモリは、蓮華定院を訪ねます(地図はこちらから)。真田家の六文銭が見られます。古い書を見せてもらうと、大名に、藩から参拝があった場合に、このお寺を使うという宿泊の約束が書かれています。このつながりを生かし、仏教を志す若者が、コンスタントにお寺に送られてきました。

このようにして高野山は、水・食べ物・後継者の問題をクリアーしてきました。しかし、残された課題が1つあります。

高野山の町と火事/ブラタモリ高野山

ブラタモリは、再度壇上伽藍を訪ねます。

赤い根本大塔のそば、空海の肖像画を収める御影堂を訪ねると、隅の柱に焦げた跡があります(金堂の全焼による)。高野山は、何度も火事にあっているのです。失火もありますが、高地のため落雷が大きな脅威となってきました。また、高野山は冬の寒さから瓦を用いることができず、屋根はヒノキの皮からなる燃えやすい檜皮葺(ひわだぶき)の構造でした。

中門は、172年に渡り火事で存在しませんでしたが、近年再建されたばかりです。現在の壇上伽藍には全ての建物が揃っていますが、これは歴史上まれな現象です。

現在の高野山には地下に防火の秘密があります。地下に総延長8キロの防火水路が作られているのです。御影堂には、周囲の地中から水を吹き上げ、建物を火災から守る仕組みが備えられています。

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