ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ・京都西陣編】全ルートを写真で紹介!~再放送と地形・穴場観光地~ #139

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NHK番組のブラタモリ・京都西陣編で、京都西陣の地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ京都西陣編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。


再放送、見逃し配信:【ブラタモリ見逃した?】再放送予定と時間帯、無料配信もあります

再放送は、翌火曜日の23時55分から(休止の場合あり)。再放送でなくすぐに見たい場合や、スマホから見たい場合は上のリンクをご利用ください。


西陣の機織り職人:ブラタモリ西陣

ブラタモリは、京都駅から北へ6キロ、西陣の町並みを見るために、上立売通りを本隆寺(地図)へ向かう場所からスタート。現在の西陣は、町家を中心とした普段着の京都が見られる町であり、西陣織の産地として有名です。

皇后・雅子様が結婚の儀で着た十二単は、西陣の職人が作ったものでした。赤坂の迎賓館の内装も西陣織です。ブラタモリのテーマは、 織物の町西陣は、どうしてできた? です。

ブラタモリ京都編のおさらい

新しい順記事へのリンク概要
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺編(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

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西陣織のミュージアム(織成館)と職人:ブラタモリ西陣

織成館公式サイトより

ブラタモリは、織成館を訪ねます。貴重な能衣装(写真)が展示されています。緯錦、ビロード、捩り織などさまざまな織り方があり、総称が西陣織です。

緯錦(ぬきにしき)立体的な模様。紀元前200年頃の中国がルーツとされる。
ビロード織田信長がほれ込んだ、ポルトガル生まれの織物。
捩り織(もじりおり)かつて滅びた織り方を復元したもの。
  • アクセス:市バスの今出川浄福寺または千本上立売から徒歩5分(地図

西陣の機織り職人:ブラタモリ西陣

ブラタモリは、西陣の機織り職人である森紗恵子さんの作業場を訪ねます。森さんは、西陣織りのなかでも綴織(つづれおり)の専門家です。白い経糸(たていと)に、色のついた緯糸(よこいと)を差し込み、織り機の筬(おさ)や、手持ちの櫛(くし)を使って手前に詰めてゆくと、布の形が見えてきます。

さらに、櫛でも対応できない細かいところは、爪に切れ目をつけて仕上げをしてゆきます。爪掻本綴織(つめがきほんつづれおり)呼ばれます。西陣織のなかでも、最も手間がかかり高級とされます。柄にもよりますが、多くて1日に5センチぐらいしか進みません。

織り機の筬(おさ)大きめの作業
櫛(くし)細かい作業
非常に細かい作業

※写真は森紗恵子さんのブログ

応仁の乱はご近所争い?:ブラタモリ西陣

ブラタモリは、小川児童公園の北側 (織成館から東へ徒歩6分) を訪ねます。一帯は、室町時代、京都を焼き尽くた、応仁の乱の最前線でした。山名宗全(西軍)、細川勝元(東軍)が争った応仁の乱の、西軍の陣であったことが、西陣の地名の由来です。応仁の乱は、現在は暗渠となっている川を境に繰り広げられました。

小川児童公園の北側を西へ向かうと、川の痕跡が見られます(物置手前の砂利)。また、物置のそばに橋の欄干の跡も見つかりました。絵図を見るとこの付近に、細川邸、つまり東軍の本陣があったことが分かります。

川筋を北上すると、川の中央で橋(百々橋)を支えていた、礎石(地図)が今も残っています。激戦地だった川のすぐそばに、東軍の本陣があったのはなぜなのでしょうか? 

応仁の乱は、ご近所同士の家督(相続)争いだったのです。百々橋あとのすぐ北清昌堂やました(茶道具販売)付近にある橋は、百々橋と同じ大きさです。約7mの橋を境に、戦いが繰り広げられていたのです。

応仁の乱から逃れた住民の一部は、疎開先の境(ブラタモリ境編)で織物を学びました。応仁の乱のあと、この地に戻り、織物が発展しました。ブラタモリは、西陣の地名発祥の地と言える、西軍の山名宗全邸跡(地図)も訪問しています。

船岡山と町のへり:ブラタモリ西陣

ブラタモリは、山名宗全邸跡(西軍本陣)の1キロ北西にある、船岡山(地図)をめざします。西軍本陣からかなり離れた場所ですが、ここも西陣と呼ばれます。船岡山からは、京都の町並みを見渡すことができます。

山中には、露頭(チャート)があり、よくよく見ると、仏様の形が彫られています。そばには、地蔵があります。船岡山は、京都の人にとってお墓であり、麓は、この世とあの世の境目だったのです。室町時代までは、手つかずの野原が広がっていたため、その後、西陣の町が北へ大きく拡大することができました。

千両ヶ辻と高級織物:ブラタモリ西陣

ブラタモリは、西陣の千両ヶ辻を訪ねます(地図)。今はマンションが並びますが、糸問屋、帯問屋が並び、千両(現在の約6千万円)の名前がつきました。

タモリさんは、江戸時代中期から280年続く帯問屋を訪ねます。見本切れ帳には、お得意先として、牡丹(五摂家筆頭の近衛家)、三つ葉葵(徳川家)、井桁に橘(井伊家)、下がり藤(佛光寺)など、名門の公家・武家の家紋の絵柄が管理されています。西陣織は、江戸時代のセレブに愛された高級織物だったのです。

西陣織の危機:ブラタモリ西陣

江戸への遷都で西陣織に危機が訪れます。お得意先を失ったばかりでなく、洋装化の波も押し寄せます。

ブラタモリは、明治時代と同じ技術を使った織り機を見学します。天井まで高く機器が積み重なっています。ジャカードという西洋の技術です。パンチカードが絵柄を指示することで、効率が4倍にアップします。庶民向けに安く西陣織を作れるようになり、西陣織は生き残ることができました。明治期には、さらに職人の数が増え、再度、興隆を迎えました。職人は、どこに住んだのでしょうか?

町屋の内部に私道(歩道)が引かれ、歩道に添い、たくさんの家屋がある場所が、京都には多くあります(ブラタモリ訪問地は写真。地図の付近。一般非公開)。大きな屋敷の敷地の中に私道を引き、たくさんの家を建てたのです。

ブラタモリ京都編のまとめ

新しい順記事へのリンク概要
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺編(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

ブラタモリ京都西陣の関連情報

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