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【ブラタモリ那覇】タモリ推奨の那覇の歴史・地形・観光ルートまとめ #33

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NHK番組のブラタモリ沖縄・那覇編で、タモリさん推奨の那覇の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ那覇編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。


那覇とは

沖縄県那覇市は、沖縄本島の南西に位置しています。

沖縄 国際通り

現在、観光地としての那覇の中心は国際通り(県道39号線、かつての映画館・国際劇場が由来)。しかし周辺は、戦前、湿地や畑が広がる大変さびしい場所でした。戦前の那覇の中心は海沿いにあったのです。


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海沿いの古い那覇:ブラタモリ那覇

  • ● ノッチへの入り口(ゆいレール「県庁前」から徒歩15分)
  • ● ノッチ
  • ● 波上宮参道入り口
  •  天尊廟と天妃宮(久米至聖廟内)

古い那覇の痕跡を求め、ブラタモリは、琉球石灰岩から成るノッチ(波食窪)を訪ねます。地形を観察すると、古い那覇は海中の浮島であったことが分かります。

つぎにノッチのそばにある波上宮を訪ねます。古い図屏風によると、波上宮はその立地から、入港時の目印だったと推測されます。波上宮の海を見下ろす裏手には信仰の対象となる御嶽(うたき)があります(非公開)。

ブラタモリは、波上宮と隣り合う久米至聖廟を訪ねます。天尊廟は道教の神、天妃宮は航海安全の守護神である媽祖を祀っています。これは中国からの移民が多く、大陸との間の航海が盛んだったことを示します。

明朝の命を受け、貿易や外交を進めるために沖縄に移り住んだ人々は、この浮島に居を構え、ここが久米村と呼ばれるようになります。首里城とは陸続きでないため、お互いに都合が良かったようです。

移住者は、久米三十六姓と呼ばれ、最先端の技術をから那覇で高い地位を得ました。その子孫1万人程度の子孫は、今でも力を持ち、仲井眞弘多県知事も末裔のひとりです。

ブラタモリは、御物(おもの)グスクの跡を訪ねます。

モノレール旭橋駅南の入り江には、米軍基地があり敷地内に、御物(おもの)グスクが残存しています(非公開。地図に331と記された明治橋、または対岸から撮影可能)。グスクは、おおまかに言えば城という意味で、首里城もグスクのひとつです。御物グスク内で、タモリさんは陶器の破片を発見します。琉球王国時代、貿易品を一時保管していた宝物庫だった痕跡です。

戦前まで、御物グスクには風月楼という料亭がありました。日中の貿易船を見る絶景の料亭だったと思われます。1944年の空襲で古い沖縄は全て破壊されてしまいました。その後沖縄の中心は、国際通り付近に移っていきます。

浮島(古い那覇)と首里城の交通路:ブラタモリ那覇

浮島であった古い那覇(久米島)は、首里城とどのように結ばれていたのでしょうか?

ヒントになるのは、ゆいレール美栄駅近く(国際通りの北東)の2つの小さな茂みです。これらは小島の痕跡です。

出典:『琉球風画帖 夢うつつ』ローゼル川田

かつては2つの小島付近の浅瀬を選んで、長虹堤が架けられていました。


出典:浮島(那覇)

地図の見方

  1. ノッチ(波食窪)、波上宮、久米至聖廟は、地図のbに当たります。中国大陸との玄関口であった古い那覇です。
  2. 御物(おもの)グスクは、御物域と書かれた島です。現在は埋め立てられ陸続きになりましたが、米軍基地を挟むため入ることはできません。
  3. 長虹堤は、右の地図の右上に示されています。ガーブ川は、新しい沖縄の中心になります。

なぜ戦後の那覇は、浮島から国際通りに中心を移したのか:ブラタモリ那覇

戦後の新しい那覇のスタートは、壺屋の町から始まります(ゆいレール牧志駅、安里駅から徒歩)。古い那覇の中心から外れていたため、大きな空襲を受けず、在も古い町並みが残存しています(地図の付近)。なぜ人々は海沿いの古い那覇の復興をあきらめたのでしょうか?

古い那覇の一帯は米軍の軍港となり周囲1.6キロが立入禁止になったため、住民はやむなく壺屋の町に移住したのです。

順次収容所から開放された住民は、米軍から食糧の配給を受けて生活していました。しかし、焦土となった町には食器すらなかったため、壺屋の町で食器作りが始まり次いで闇市が立ったのです。闇市は1948年に公設市場(第1牧志公設市場、地図の)に移され、徐々に島外からも人が集まるようになります。

国際通り

出典:沖縄街のたね通信(サイトは閉鎖されました)

写真は1956年、急速に発展を遂げる国際通り(地図■■■)の様子です。

国際通りから南下し第1牧志公設市場を通り、ガーブ川に至る市場中央通りは、当初は土手に密集した水上店舗でした。急速な発展のなか土地が不足したためでしたが、1964年に川を埋め立て商店街が形成されました(地図■■■はブラタモリ一行が歩いたルートで、南端にカーブ川が顔を出します。

2回の沖縄編の放映を経て、琉球王国に原点を持ち大陸との交流を支えた沖縄が、戦争の舞台となり徹底的に破壊されたことが分かります。首里城は軍の拠点として使われたため完全に破壊され、海沿いの古い沖縄の痕跡もわずかになっています。那覇の誇りのひとつである御物グスクは、米軍が占有し沖縄の人も立ち入ることができません。

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