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ブラタモリ紹介 沖縄「那覇」の歴史・地形観光スポット……2016.3.5

2016/03/07

沖縄・那覇は2つある?ブラタモリでは沖縄・那覇の歴史や地形が分かる観光スポットが紹介されました。一般の観光案内とは全く違う内容です。

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ブラタモリ紹介 沖縄「那覇」の歴史・地形観光スポット……2016.3.5

 

※当サイトの記事は現地取材を心がけていますが、ブラタモリ関連はやむを得ずキュレーションの手法を利用しています。地名や説明に誤りがあればご指摘いただけると幸甚です。

那覇とは

✔ 沖縄県那覇市は、沖縄本島の南西に位置しています。

沖縄 国際通り

✔ 現在、観光地としての那覇の中心は「国際通り」(県道39号線、かつての映画館・国際劇場が由来)。しかし周辺は戦前、湿地や畑が広がる大変さびしい場所でした。戦前の那覇の中心は海沿いにあったのです。

海沿いの古い那覇

● ノッチへの入り口(ゆいレール「県庁前」から徒歩15分)
● ノッチ
● 波上宮参道入り口
 天尊廟と天妃宮(久米至聖廟内)

✔ 古い那覇の痕跡を求めるブラタモリ一行は、琉球石灰岩から成るノッチ(波食窪)をまず訪ねます。地形を観察すると、古い那覇は海中の浮島であったことが分かります。

✔ つぎにノッチのそばにある波上宮を訪ねます。古い図屏風によると波上宮はその立地から入港時の目印だったと推測されます。波上宮の海を見下ろす裏手には信仰の対象となる御嶽(うたき)があります(非公開)。

✔ 波上宮と隣り合う久米至聖廟内。天尊廟は道教の神、天妃宮は航海安全の守護神である媽祖を祀っています。これは中国からの移民が多く、大陸との間の航海が盛んだったことを示します。

✔ 明朝の命を受け貿易や外交を進めるために沖縄に移り住んだ人々は、この浮島に居を構え「久米村」と呼ばれるようになります。首里城とは陸続きでないため、お互いに都合が良かったようです。

✔ 移住者は「久米三十六姓」と呼ばれ、最先端の技術をから那覇で高い地位を得ました。その子孫1万人程度の子孫は今でも力を持ち、仲井眞弘多県知事も末裔のひとりです。

✔ モノレール旭橋駅南の入り江には米軍基地があり敷地内に「御物(おもの)グスク」が残存しています(非公開、331と記された明治橋または対岸から撮影可能)。グスクは(おおまかに言えば)城という意味で、首里城もグスクのひとつです。御物グスク内でタモリさんは陶器の破片を発見します。琉球王国時代、貿易品を一時保管していた宝物庫だった痕跡です。

✔ 戦前まで、御物グスクには風月楼という料亭がありました。日中の貿易船を見る絶景の料亭だったと思われます。1944年の空襲で古い沖縄は全て破壊されてしまいました。その後沖縄の中心は、国際通り付近に移っていきます。

浮島(古い那覇)と首里城の交通路

✔ 浮島であった古い那覇(久米島)は首里城とどのように結ばれていたのでしょうか?

✔ ヒントになるのはゆいレール美栄駅近く(国際通りの北東)の2つの小さな茂みです。これらは小島の痕跡です。

長虹堤1

出典:夢うつつ [ ローゼル川田 ]

✔ かつては2つの小島付近の浅瀬を選んで「長虹堤」が架けられていました。
浮島(那覇)
出典:浮島(那覇)

地図の見方

①ノッチ(波食窪)、波上宮、久米至聖廟は、地図のbに当たります。中国大陸との玄関口であった古い那覇です。

②御物(おもの)グスクは「御物域」と書かれた島です。現在は埋め立てられ陸続きになりましたが、米軍基地を挟むため入ることはできません。

③長虹堤は、右の地図の右上に示されています。ガーブ川は新しい沖縄の中心になります。

なぜ戦後の那覇は浮島から国際通りに中心を移したのか

✔ 戦後の新しい那覇のスタートは壺屋の町から始まります(ゆいレール牧志駅、安里駅から徒歩)。古い那覇の中心から外れていたため大きな空襲を受けず現在も古い町並みが残存しています(地図の付近)。なぜ人々は海沿いの古い那覇の復興をあきらめたのでしょうか?

✔ 古い那覇の一帯は米軍の軍港となり周囲1.6キロが立入禁止になったため、住民はやむなく壺屋の町に移住したのです。

✔ 順次収容所から開放された住民は、米軍から食糧の配給を受けて生活していました。しかし焦土となった町には食器すらなかったため、壺屋の町で食器作りが始まり次いで闇市が立ったのです。闇市は1948年に公設市場(第1牧志公設市場、地図の)に移され、徐々に島外からも人が集まるようになります。

国際通り

出典:沖縄街のたね通信

✔ 写真は1956年、急速に発展を遂げる国際通り(地図■■■)の様子です。

✔ 国際通りから南下し第1牧志公設市場を通りガーブ川に至る市場中央通りは、当初は土手に密集した水上店舗でした。急速な発展のなか土地が不足したためでしたが、1964年に川を埋め立て商店街が形成されました(地図■■■はブラタモリ一行が歩いたルートで、南端にカーブ川が顔を出します)。

✔ 2回の沖縄編の放映を経て、琉球王国に原点を持ち大陸との交流を支えた沖縄が、理不尽にも戦争の舞台となり徹底的に破壊されたことが分かります。首里城は軍の拠点として使われたため完全に破壊され、海沿いの「古い沖縄」の痕跡もわずかになっています。那覇の誇りのひとつである御物グスクは米軍が占有し沖縄の人も立ち入ることができません。国を挙げて復元や返還に取り組み、償っていくことが必要でしょう。

ブラタモリ紹介 沖縄首里城の歴史・地形観光スポット……2016.2.27

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