【ブラタモリ大宮】タモリ推奨の大宮の歴史・地形・観光ルートまとめ #77

NHK番組のブラタモリ大宮編で、タモリさん推奨の大宮の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ大宮編推奨のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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ブラタモリ
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埼玉でブラタモリ内容
😎現地取材 行田(#242)タモリさんが、旅のお題「埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?」を探ります。
😎現地取材 深谷(#177)渋沢栄一関係の遺構など、たくさんの見どころがある隠れ名所です。
😎現地取材 長瀞(#80)長瀞の地形は、南洋から押し寄せるプレートが地表に飛び出したもの! 地球の窓とも呼ばれます。
😎現地取材 秩父(#79)秩父と言えば、石灰岩の武甲山。なぜ海のない埼玉県の秩父で、サンゴ由来の石灰岩がとれるのでしょうか?
😎現地取材 大宮(#77)1度は発展に取り残された大宮。森鴎外、正岡子規、夏目漱石ら、著名人が訪ねたある場所が起爆剤になった?
😎現地取材 小江戸・川越(#9)川越の蔵の町並みは、江戸時代の江戸の町並みと瓜二つ。なぜ江戸と同じ建築が川越に広がったのでしょうか?

※実際にお出かけの場合は、さいたま新都心駅で降り、宿場町、参道を経て、氷川神社に至るコースが効率的です(記事内で案内)。

大宮とは

大宮駅には、巨大な告知が登場!

埼玉県の大宮は、もとは大宮市。2001年に県庁所在地の浦和市などと合併し、さいたま市になりました。のちに政令指定都市。

ブラタモリは、大宮駅からスタート。テーマは、なぜ大宮は鉄道の町になったのかです。

大宮駅は、新幹線6系統、在来線7系統が停車する大ターミナル駅。線路の数は、実に19本。大宮駅北側の大栄橋からの見学がおすすめです。

大宮は、鉄道博物館やJRの整備工場もある鉄道の町です。

氷川神社から大宮の地形を知る:ブラタモリ大宮

ブラタモリは、氷川神社を訪ねます。

氷川神社へのアクセス

  • 大宮駅東口から徒歩15分
  • さいたま新都心駅東口から、ブラタモリのコースに沿って、宿場町や参道を見学しながら徒歩60分
  • 鉄道博物館からタクシーで5分

大宮は、もともと氷川神社の町として発展しました。氷川神社は、天皇陛下が元旦に行う四方拝の対象となっている、国内屈指の大きな神社です。年間200万人が参拝。大宮の地名は、大いなる宮居(=神社)を由来としています。

氷川神社の名前に、地形を探るヒントがあります。

タモリさんは、名前からすぐに湧き水の可能性を指摘。鳥居を入ると、橋の右手に神池があります。氷川神社では、神池を時計回りに巡るのが、ブラタモリのコースとなります。

氷川神社の本殿。

神池を時計回りに巡ると、わずかながら高低差が感じられます。地図を見ると、氷川神社は、大宮台地のへりに位置しています。

※ブラタモリでは、このあと埼玉新都心駅付近の宿場町に移動しますが、隣接の大宮公園に後から戻ってきます。神池から大宮公園へは、ひょうたん池の先の日本庭園を通り抜けられます。

さいたま新都心駅東の参道入口を見る:ブラタモリ大宮

さいたま新都心駅の東口を出て、大通りを左へ進みます。(旧)中山道です。江戸時代には、京都まで結ぶ大動脈として、宿場町が点在し、大変栄えました。

(参考)中山道の近隣の宿場:日本橋ー板橋ー蕨ー浦和ー(大宮)ー上尾ー桶川ー鴻巣ー熊谷ー深谷ー本庄

ブラタモリは、中山道から東北方向に分岐する、参道の入口に移動します。ここから氷川神社境内まで徒歩30分、2キロもの長さになります。

泊りがけで行く場合のおすすめ宿泊先

さいたま新都心駅近くの、(旧)中山道沿いにあり便利です。少し高め。

西川口駅ですが、大浴場や共有リビングがある新ホテル。安いです(部屋はアウトバス)。

大宮に駅ができなかったのはなぜ?:ブラタモリ大宮

ブラタモリは、参道には入らず、そのまま中山道を北進し、宿場町だった場所を歩きます。

ブラタモリは、中山道から東に渡される、参道への脇道を見学。古地図を見ると、中山道から参道への脇道が多数あります。

場所:お弁当じゃぱん亭と、与野日本語学院の間の路地。

間口が狭く細長いガソリンスタンドは、江戸時代の町割りの名残りです。ガソリンスタンド店名の蝋燭屋は、かつての屋号です。

※江戸時代は、間口の長さで税が決まったため、間口の狭い商家が多い。

タモリさんは、さらに宿場町を歩きます。すると、中山道からの脇道が、互い違いに接し、十字路がないことに気づきます。

なぜ、十字路がないのでしょうか?

江戸時代には、早馬が駆け巡っていたため、出会い頭の衝突事故を防ぐために十字路を作らなかったのです。

※場所:塩地蔵尊が目印

写真は、脇本陣のあった場所。

古地図には、参勤交代で大名の家来が宿泊する脇本陣が9軒もありその数は日本一。しかし、旅籠(=旅館)は、25軒と少なめ。参勤交代に特化した武士のための宿場町だった大宮は、商人に利用され続けた浦和や鴻巣に比べ、大きく遅れをとり、非常に寂れました。お金持ち相手の施設が、バブルがはじけて寂れたようなもの。

結果的に、高崎線にあたる日本鉄道の路線には、駅が作られませんでした(当時は、浦和駅の次は上尾駅でした)。

大宮駅誘致と大宮公園:ブラタモリ大宮

大宮はどのように、駅を誘致したのでしょうか?

ブラタモリは、氷川神社に隣接する大宮公園、NACK5スタジアム大宮を訪ねます。

大宮公園

  • 大宮駅東口から徒歩20分
  • 氷川神社境内から、ひょうたん池のそばを歩き、日本庭園を抜けてすぐ。

NACK5スタジアム大宮の階段付近からの景色を見ると、ここが大宮台地のへりであることがよくわかります。

大宮台地のへり

  • 大宮駅からスタジアムに来た場合、階段を上がってすぐ。
  • 氷川神社境内から近道をした場合、道路へ降りる階段付近。

ブラタモリは、大宮公園に入ります。庭石のように見える石があります。古地図を見ると、「がんすいえん」とあります。この一帯には、大宮へ人を集めようと、料亭が作られていたのです。

大宮は、眺めの良い場所に料亭などがある、一大リゾート地として開発され、森鴎外、正岡子規、夏目漱石、樋口一葉、田山花袋ら、著名人も多く訪ねています。田山花袋は『東京近郊 一日の行楽』で、大宮に触れています。

現在の大宮公園には、当時の松が残っています。

これらの努力から、ようやく大宮駅が開設されました。

分岐点としての大宮駅:ブラタモリ大宮

写真:白い車体は高崎線へ行く特急草津

ブラタモリは、大宮駅の北の住宅地を歩きます。ある住宅から、高崎線と東北線(宇都宮線)の分岐が見えます。一般に、鉄道の分岐点になることは、町の発展に大きく影響します。

写真:大栄橋から見た高崎線と東北線(宇都宮線)の分岐

高崎線、東北線の分岐

  • ブラタモリが訪ねた場所は、Y字分岐の内部にあり、アクセスに時間がかかります。
  • 氷川神社、大宮公園から大宮駅に歩くときに、線路沿いのタイムズ大宮宮町付近の路地を入ると、側面から見ることができます(写真上)。
  • 最も無難なのは、大宮駅北側の大栄橋からの見学(大宮総合車両センターも同時に見学できます)。

明治時代に、私鉄の日本鉄道は、現在の高崎線に当たる区間をまず完成させました。しかし、東北方面への分岐点が決まっていませんでした。

東北方面への分岐点として、浦和、大宮、熊谷の3つの案がありました。当初は浦和が有力でしたが、東北線予定地の沿線住民(岩槻)が煙害を警戒し猛反対。

写真:OH MIYA HISTORYより(鉄道博物館で販売)

熊谷との対決になりましたが、建設費の安さから、大宮駅のすぐ北で分岐することが決まりました。

これにより、駅がなかった大宮の地に駅ができただけでなく、分岐点として、非常に重要な役目を担ったのです。

写真:大正3年の大宮駅(さいたま市アーカイブスセンター利用許諾済)

開業した大宮駅の前には、当時家は2つしかなく、畑が広がっていました。ここから大躍進を遂げていったのです。

鉄道工場:ブラタモリ大宮

明治30年ごろの大宮鉄道工場(さいたま市アーカイブスセンター利用許諾済)

大宮には、国鉄を代表する大宮鉄道工場が置かれていました。現在は、大宮総合車両センターに改称されましたが、その技術が受け継がれています。

現在の大宮総合車両センター(大栄橋より)

現在の大宮総合車両センター

かつては畑だった場所に、広大な敷地がとられました。工場の上に、あとから新幹線の高架が建設されました。

鉄道博物館:ブラタモリ大宮

ブラタモリでも言及のあった、鉄道博物館の映像です。

鉄道博物館

  • 大宮駅からモノレールで1駅。駅舎直結。
  • 氷川神社からタクシー(徒歩40分)

鉄道博物館には、かつて高崎線の工事や営業運転に使われた、蒸気機関車である善光号が展示されています。

写真:OH MIYA HISTORYより(鉄道博物館で販売)

絵図の手前が上野駅、川向こうが川口方面です。

展示は、大正期の車両から始まります。

大きな転車台を境に、大正(右手)から昭和期(左手)に移ります。転車台は、12時、15時に、回転の実演が行われ、汽笛も鳴らされます。

昭和期に移ります。ブルートレインのあさかぜ号。

ブルートレインの3段式ベッドの客車。現在はもう走っていません。

かつての東海道新幹線の車内です。

かつて新幹線に存在した、紙コップ式の冷却飲料水サービス。

鉄道車両の下に入り、構造を見学できる場合もあります。


ロゴマークは、JRではなく、JNR(国鉄)です。

ブラタモリ東京駅で紹介された、高度な技術を必要とする覆輪目地も展示されています。

関連記事  ブラタモリ東京駅編

(まとめ) 【大宮】ブラタモリおすすめスポット

なぜ大宮は鉄道の町になったのか。

  • 武蔵の国を代表する氷川神社や、中山道の宿場町という下地があった。
  • 明治になり、宿場町は衰えたが、氷川神社の自然や景観を活用した料亭など、一大リゾート開発が行われ、大宮駅ができた。
  • 大宮駅は、高崎線から東北線(宇都宮線)の分岐点に選ばれ、繁栄が始まった(当時は日本鉄道)。
  • 国鉄を代表する大宮鉄道工場が設置され、鉄道の町としても発展した。鉄道博物館も、大宮に移設された。

ブラタモリ大宮  おすすめの回り方

  • さいたま新都心駅東口を出て、中山道を北へ。氷川神社への参道へは入らず宿場町を見学(所要30分)。
  • 見学後、東(右)へ移動し、参道へ合流。氷川神社へ(所要30分)。
  • 氷川神社と大宮公園を見学(所要30分)。
  • 見学後、鉄道博物館(タクシー)または大宮駅北側の大栄橋へ(徒歩15分)。
埼玉でブラタモリ

大宮に行ったら訪ねたい店

大宮駅西口 ランチおすすめは「うどん屋さんのハンバーグ」

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