ブラタモリのまとめ

【大阪】ブラタモリ紹介のスポットまとめ…2016.11.05

2016/11/12

ブラタモリ大阪編が紹介した、大阪の歴史や地形がわかるスポットをまとめました。旅行や教養のために是非ご覧ください。

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「大阪城」はこちらから。日曜に完成します。

【大阪城】ブラタモリ紹介のスポットまとめ…2016.11.12

あべのハルカスから、大阪の概観をつかむ

あべのハルカス

写真は、大阪の新しい象徴である、あべのハルカス。現在、大阪が迎える観光客は、年に1億人余りです。テーマは、大阪はなぜ日本一の商都に?

江戸時代の大阪に、武士は約2%、商人がもっとも目立つ町でした。古地図を見ても、武家地はごくわずかです。ブラタモリは、天王寺駅前を経て、あべのハルカスからスタートしました。

大阪城

あべのハルカス60階展望台展望台から、大阪の地形を見下ろします。大阪城の西に、大阪の中心地キタ(梅田、大阪駅)、ミナミ(難波、道頓堀)があります。大阪城より先は、もともと海の中でした。あべのハルカスは、半島のつけ根にあるようなイメージです。現在の、上町(うえまち)台地の周辺は海だったのです。

上町台地

大阪を知るキーワードは、上町台地

天満橋駅付近にある、北大江公園の北東側を歩くと、急な階段があります。これは上町台地の北端です。さらに、北大江公園の西側に回り、斜面を観察すると、この場所が上町台地の北西の端にあたることが、よくイメージできます。

上町台地を見た織田信長は、大阪を「日本一の場所」と評しました。なぜだったのでしょう?

上町台地は、3方向に崖があったため、織田信長は、防衛が容易な、天然の要害として高く評価したのです。さらに、瀬戸内海に面し、大陸からの海運の要所でもあった点も、大きなポイントでした。北大江公園の北西側にある、大川の船着き場には、瀬戸内海のほか、京都や奈良にも航路が通じていました。

織田信長の死後、跡を継いだ豊臣秀吉が、大阪城の築城を手がけました。当時、上町台地のふもとには、広大な湿地帯が広がっていました。なぜ大阪は、江戸時代に「天下の台所」と呼ばれるまでの発展を遂げたのでしょうか?

上町台地に、大阪城を築城

城下町の整備は、整備が困難な湿地帯を避け、台地の上から始められました。

江戸時代の町づくりは、土地の高さが身分の差に関連があったと、ブラタモリ三田・麻布の回で説明されました。

麻布十番の観光ならブラタモリのルートがおすすめ……2015.1.3sp

天満橋駅付近の、北大江公園から、南へ下ってきます。東の方角には、大阪城があります。ローソンストア100内平野店付近で、町の表示を確認します。

すると、南側が「内淡路町2丁目」、北側が「内平野町2丁目」となっています。ビルとビルのあいだの、中途半端な場所に、町の境界線があります。なぜでしょうか?

大阪 古地図

地図出典不明

古地図を見ると、東西に走る通りの両側が、同じ町になるように区切られています。通常は、通りによって町を分けますが、大阪では、両側町という、お向かいさん同士が同じ町になる町割りとしました。

町割り 大阪

おおよそ概念図のような町割りがされていたのです。これは、お向かいさんが、別の町になるよりも、コミュニティがうまくはたらくと考えられたことによるようです。

※古地図の赤の直線は、正確な町の境界ではありません。

背中合わせの町境の全てに、下水道が通され、衛生面に配慮した町づくりが行われていました。ローソンストア100内平野店を南に下った場所にある、南大江小学校付近に秀吉が作ったインフラ、太閤下水の痕跡が残っています。

古地図をよく観察すると、太閤下水には、不自然なカーブがあります。なぜでしょうか?

下水跡が曲がっているルートの途上にある、丁字路に移動します。案内人により、川の流れをうまく利用して、下水を建設していたことが分かります。

目印:いろは湯(大阪市中央区谷町5丁目3。地下鉄谷町六丁目駅から徒歩2分)。

さらに、いろは湯を北東へ進み、銅座公園の裏手の住宅地付近が、川の水源である谷頭(こくとう)ではないかと、推理します。土地の人によると、昔は金魚の池があったとのことです。

湿地帯を城下町として開発

上町台地の城下町が完成したあと、湿地帯を埋め立てて城下町を広げてゆきました。

肥後橋駅近くのトヨタレンタリース付近には、橋の跡があります。この付近にはかつて、西横堀と呼ばれる堀が流れていたのです。

下の古地図の◯印付近が目安。訪問する際の目印は、トヨタレンタリース淀屋橋店(地下鉄肥後橋駅から4分)。

ブラタモリ 大阪

一方、別の場所には、先に見た橋と直角の方向にかけられた、橋の跡があります。

上の古地図の◯印付近が目安。訪問する際の目印は、炭火焼鳥佳香 おかにわ(地下鉄肥後橋駅下車すぐ)。

上の2つのことから、湿地帯に整備された城下町には、南北、東西、両方向に堀が流れていたことが分かります。

ブラタモリ 大阪

さらに、丸印付近を流れる西横堀の西側の、縱橫に巡らされた堀の跡を観察すると、西横堀の東側に比べ、不規則なカーブが多いことが分かります。なぜなのでしょうか?

西横堀の西側は、江戸時代に町人が開発した町だったのです。東側は公の手によって整然と開発されましたが、西側はコツコツと手作りの開発が進み、多くの小さな、直線的でない堀が東西に流れていたのです。この堀には、特産品を積んだ船が入ってきました。

中之島

大阪の町を東西に流れる中洲である、中之島には、広島藩など130の蔵屋敷がありました。日本中の材が集まってきたのです。ブラタモリは、中之島の東の端にある、中之島公園で締めくくりました(地下鉄なにわ橋駅下車)。

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