ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ大阪城・真田丸】タモリ推奨の大阪城の歴史・地形・観光ルートまとめ #54

2018/02/21


NHK番組のブラタモリ大阪城・真田丸編で、タモリさん推奨の大阪城・真田丸の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ大阪城・真田丸編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

ブラタモリ全放送回のまとめ … ブラタモリ現シリーズの記事の一覧です。
ブラタモリ(Facebook) … いいねすると、記事完成時に連絡が行きます。

(注)2016年12月9日に、民間団体「『真田丸』発掘推進協議会」が、真田丸の土塁の一部と思われる地層を発見しました。記事中にその場所や情報を追記済です。


大阪城とは

大阪城

築城にあたり、大阪は日本一の場所と言い残して他界した織田信長。その遺志を引き継いで、豊臣秀吉は天下統一の拠点として、大阪城を築きました。

大阪城は、周囲を湿地帯に囲まれた、上町台地に築かれました。周辺の地形については、ブラタモリ大阪編で詳しく取り上げられています。簡単にいうと、大阪駅の南東に大阪城があり、そこが上町台地の北端にあたります。

【ブラタモリ大阪】タモリ推奨の大阪の歴史・地形・観光ルートまとめ #53


ブラタモリ大阪城のテーマは、難攻不落

大阪城

ブラタモリのテーマは、大阪城はなぜ難攻不落。

築城当時、大阪城は、日本でもっとも難攻不落とされました。大坂冬の陣で豊臣秀吉は、自軍の2倍以上、20万の徳川の軍勢に取り囲まれたものの、落城を免れました。これには大阪城の、地形的な要因や、真田丸の大健闘が大きく関わっています。

地下に封印された豊臣大阪城の痕跡:ブラタモリ大阪城

最終的に豊臣家は滅亡し、現在残っている、大阪城の石垣や堀は、徳川家が作ったものです(天守閣は再建)。しかし、1ヶ所だけ、豊臣秀吉の痕跡が残されています。

天守閣が見える場所に、大きな井戸のようなものがあります。鍵を開けると、はしごで下ることができます。深さは7m以上。ブラタモリの取材カメラマンが下へ降りると、古い石垣があります。

豊臣大阪城の本丸は、苦い記憶を消すかのように、盛り土ですっぽり覆われていたのです。その上に、徳川の大阪城が建てられました。100年も経つとそのことは忘れられ、江戸時代の後半には、豊臣秀吉の遺産と考えられていました。その後、識者が徳川によるものと突き止めたあとも、豊臣びいきが多い、大阪の人には伏せられていました。

大坂冬の陣の激戦地:ブラタモリ大阪城

大阪城の北、現在の京橋駅の周辺には、大坂冬の陣の激戦地だった場所があります。徳川方は、大阪城の北東、京都方面から攻め入ってきました。

大阪環状線の京橋駅の西側には、よく観察すると、周囲より高い場所を走る道路があります。ここは、大阪城の北東に当たります。尾根状の、高い道路を降りると、昭和47年に埋め立てられた川の跡となる道路があります。

ブラタモリでは、京橋駅の西にあるA地点から尾根状の高い道路を歩き、階段を降り、川を埋め立てた道路上のB地点に出ました。川沿いの尾根上の高台といえば、自然堤防です。

自然堤防:河川の上流から運搬されてきた砂などが、河道の岸に沿って堆積して形成された微高地(地形学辞典)

大坂冬の陣のさいに、戦いに使える場所は、この自然堤防の上の部分だけでした。南に川、北に湿地帯です。自然堤防の上で、徳川方約1500、豊臣方約3000の兵が激突しましたが、この地形では勝敗はつきません。陣地を持たない、徳川方は引き下がらざるを得ず、大阪城を構える豊臣方が防衛に成功した形となりました。

以上が大阪城の、北側の守りです。

大坂城の南側の守りとは:ブラタモリ大阪城

ブラタモリ大阪編で取り上げられたように、大阪城は東、北、西の三方向が上町台地の崖となり、湿地帯に囲まれ、自然の地形の力で、強固に守られていました。南側はどうだったのでしょうか?

大阪城の南側、上町台地上の城下町には、大阪城へと向かう道路が整備されていました。

大阪城の南側、地下鉄谷町六丁目駅の南東に位置する上町中学校のすぐそば(南西側)にある道路です。台地上の平坦な場所にも関わらず、下り坂があります。なぜでしょうか?

ここは、深さ10m、幅30~40mの空堀(=水を流さない堀)の痕跡なのです。空堀に隣接し、土塁も設けられていました。これが大阪城の南側の守りです。自然の地形を使った東、北、西の守りに、南側の空洞を加え、全方向を守る、総構えです。この付近には、藤堂高虎らが布陣したと思われます。

空堀

出典:空堀散策5

空堀の跡はほとんどありませんが、ブラタモリは、住宅地に残る痕跡を紹介しました。

場所は、田島北ふれあい広場付近です。

さて、南にはこのように、巨大な空堀があったものの、空堀が直線的で、敵に攻略されやすい南東に弱点がありました。


真田丸の姿が明らかに!:ブラタモリ大阪城

大阪城を守る空堀に弱みがある、南東側の弱点を埋めたのが、出城である真田丸です。出城とは、本城の防衛や攻撃を補佐する、小規模の陣地のことです。1614年の大坂冬の陣では、真田信繁(幸村)の軍勢が控えた、真田丸の顕著なはたらきで、徳川の大群を撃退しています。

真田丸は、徳川勝利後、忌み嫌うように、完全に破壊されました。そのため史料がなく、絵図にあらわれる真田丸は、大まかに描かれていることが大半です。しかし、今年見つかった、松江歴史館所蔵の絵図は、非常に明確に真田丸が描かれており、画期的なものです。

真田丸

出典:「大坂 真田丸」絵図に描かれた新たな情報について

ブラタモリは、新たな絵図をもとに、出丸跡と思われる場所を探し当てます。玉造駅近くの、大阪明星学園の北側にあたります。

(追記)2016年12月9日に、真田丸の土塁の一部と思われる地層を発見した、民間団体「『真田丸』発掘推進協議会」(千田嘉博・奈良大教授ら)も、松江歴史館所蔵の絵図に見られる、四角い形状を想定して、発掘を進めていました。

上が、真田丸の出丸があった場所である可能性があります。

  •  出丸のあった場所?
  •  真田丸の空堀?(心眼寺と大阪明星学園の間の道)
  • ● 真田丸の東端付近?(心眼寺敷地内。段差になっている)
  • (追記)放送後に民間団体が土塁の痕跡と思われる地層を発掘した場所

真田信繁(幸村)らの冥福を祈るために、1622年に創建されたのが心眼寺です。この一帯には、真田丸の痕跡?が見られたものの、幅45mの堀があったはずの南側には見つかりませんでした。徳川方に、1万人の死傷者が出た場所です。それもあって、徳川が、痕跡が残らないほど破壊したと、考えることもできなくはありません。

【信州上田】ブラタモリおすすめの観光スポットまとめ……2016.1.02

ブラタモリ全放送回のまとめ … ブラタモリ現シリーズの記事の一覧です。
ブラタモリ(Facebook) … いいねすると、記事完成時に連絡が行きます。

夏に備えて

トラベルジャーナでは、記事に関連した情報をお待ちしています。
コメント欄をご利用ください。

関連記事(一部広告を含む)

-ブラタモリ全放送回まとめ