ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ・大阪ミナミ編】全ルートを写真で紹介!~再放送と地形・穴場観光地~ #133

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NHK番組のブラタモリ・大阪ミナミ編で、大阪ミナミの地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタリ大阪ミナミ編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。


再放送、見逃し配信:【ブラタモリ見逃した?】再放送予定と時間帯、無料配信もあります

再放送は、翌火曜日の23時55分から(休止の場合あり)。再放送でなくすぐに見たい場合や、スマホから見たい場合は上のリンクをご利用ください。

ブラタモリ 過去の大阪編


戎橋(えびすばし):ブラタモリ大阪ミナミ

ブラタモリは、大阪・戎橋(えびすばし)からスタート(なんば駅から徒歩4分)。

道頓堀川にかかる、大阪ミナミの繁華街の象徴として知られ、1日に20万人以上が訪れます。食い倒れ、巨大看板、お笑いが有名。なぜミナミは、日本一のお笑いの街になったのか、がテーマです。

  • キタ(繁華街) … 大阪駅、梅田駅など
  • ミナミ(繁華街) … 心斎橋、道頓堀、難波などがある

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道頓堀川クルーズ:ブラタモリ大阪ミナミ

道頓堀川は、江戸時代に完成した人工的な川です。ブラタモリは、朝の時間帯に道頓堀川クルーズ(とんぼりリバークルーズ)に乗船し、戎橋から西の方向へ向かいます。飲食店が目立ち、朝ラーメンを食べている人もいます。船を進めると、普通の雑居ビルの裏側の景色になってきます。

(注)道頓堀完成は1615年。豊臣秀吉の指示で、安井道頓らによる。

タモリさんは、道頓堀川の川幅に注目します。川を下ると、川幅が急に広くなる場所があります(36m→61mに広がっています)。どういうことでしょうか?

この付近は、6千年前の縄文時代は、上町台地の西、海の中にあった場所です。その名残りから、江戸時代は、まだ湿地帯が広がっていました。道頓堀川は、土砂を掘った跡だったのです。湿地帯を埋めるための土砂は、下流の方が多く必要。そのため、下流の方が川幅が広くなったのです。

道頓堀のにぎわい:ブラタモリ大阪ミナミ

現在は非常な賑わいを見せる道頓堀ですが、江戸時代までは町はずれ。道頓堀川の南には田畑が広がっていました。なぜ道頓堀は、大きく変わったのでしょうか?

ブラタモリは、道頓堀の商店街を訪ねます(近鉄日本橋、日本橋駅から北へ3分)。

かに道楽 道頓堀東店ウェブサイトより

入口には、かに道楽の動く大きな看板がありますが、この周辺は田畑が広がっていたのです。

両側で間口の広さが異なる?

タモリさんは、商店街で不思議な点に気づきます(タモリさんは、WINS難波と、写真をスクローすると見える、向かいのすき屋を比較しています)。

  • 道頓堀(川)側の建物 … 間口が狭い(牛丼すき屋など)
  • 逆側の建物 … 間口が広い(JRAのWINS難波など)

川側の建物の間口が、狭くなっています。なぜなのでしょうか? 大半のお店に下る階段があり半地下となっています。

タモリさんが川側の建物(アルカブース)に入ると、階段を下ることができ、半地下となっています。

釣り堀が作られていた半地下の向こう側に回ると、川岸に出ることができます。つまり、逆に言うと、道頓堀側から階段を登り、商店街の向こうの大きな建物に登ってゆけるのです。

中座くいだおれビル

釣り堀があるアルカブースの向かい側には、中座くいだおれビルがあります。名前に、中座という名残りがあるように、芝居小屋が並んでいたのです。川側は、芝居の時間を待つお茶屋(芝居茶屋と呼ぶ)が並んでいました。

西筑後中芝居(中座)角芝居(角座)角丸豊竹竹田

江戸時代、約400mに6つの芝居小屋が並び、人形浄瑠璃、歌舞伎など格式高い演目が演じられていました。これが大きな間口の原点です。田畑が広がり土地が空いていたからこそ、大きな建物を作ることが可能だったのです。

巨大看板の由来は?:ブラタモリ大阪ミナミ

道頓堀には、カニ、ぎょうざ、タコ焼き 🐙 の派手な立体看板が見られます。大阪でも、ほかの場所には見られません。なぜなのでしょうか?

芝居小屋には、演目を示す、絵看板や人形看板があり、その名残りと考えても良いかもしれません。芝居町だったミナミは、どのようにお笑いのまちになったのでしょうか?

火屋とミナミ:ブラタモリ大阪ミナミ

古地図で、戎橋の南側を見ると、火屋(ひや)の文字があります。このエリアにお笑いの原点があったのです。現在、千日前と呼ばれるエリアです。

ブラタモリは、かに道楽・道頓堀中店から南へ向かう、千日前通り(歩行者専用)へ入ります。途中、法善寺横丁を右に見て、三津寺墓地をめざします。

ブラタモリは、三津寺墓地にたどり着きます(一般非公開)。火屋は、火葬場の意味でした。一帯は、火葬場、神社(榎神社)、墓地(東墓地、西墓地)などがそろう広大な墓所だったのです。

明治7年、東墓地以外は引っ越し、更地になりました。しかし、その土地を使いたがる人は少なく、興行で人を集めようとします。

  • 力士と外国人の異種格闘技(合併大相撲)
  • シンクロナイズドスイミング
  • お化け屋敷
  • 海女の水芸手踊り
  • アナトミ館 精巧人体解剖蝋型(ろうがた)

俗っぽいきわどいショーが大半で、格式高い芝居小屋とは、趣向を異にしていました。

喜劇の誕生

このなかに、喜劇のルーツとなるにわか(博多仁和加、ものまねや歌舞伎のパロディーなどの滑稽な即興寸劇)もありました。そして、ある歌舞伎役者が、芝居とにわかをミックスさせ喜劇を誕生させました。

ミナミを変えた大事件とは:ブラタモリ大阪ミナミ

ブラタモリは、千日前通り(歩行者専用)が頭上に阪神高速が走る大通りを横切る場所に注目します。正面にも、真後ろにも千日前の看板があります。なぜ、千日前通り(歩行者専用)は、2つに分断されてしまったのでしょうか?

明治45年に大火があり、木造の寄席や見世物小屋は全て燃えてしまったのです。しかし、この大火をきっかけに、千日前は、大きなモダンな建物に一新され、映画館、劇場、屋内遊園地がそろい、家族づれや女性も訪ねるようになりました。そして、新しいスタイルの演芸が誕生します。

ブラタモリが訪ねたのは、よしもとなんばグランド花月です。内部には、お笑いの歴史が写真で説明されています。

着物姿で、三味線や鼓(つづみ)などの演奏の合間に話芸を見せた音曲(おんぎょく)万才は、時代に合わず人気を失いつつありました。そこで、当時の先端ファッションだったスーツを着て、しゃべりを中心とした漫才を始めたのが、エンタツ・アチャコでした。

タモリさんは、レコードで早慶戦の漫才を聞きます(上の動画)。伝統をこわして、はじめて日常の言葉が用いられた、しゃべくり漫才の原点です。これが、漫才の広がりと漫才ブームの始まりだったのです。

町のへりに生まれたミナミは、さまざまな悪条件や逆境を乗り越えて、日本一のお笑いの町になったのです。

写真提供のお願い:関東甲信越を中心に、後日現地取材をしていますが、経費の関係で現地取材が難しい状況です。Twitterにて「#ブラタモリ写真提供」タグをお付けいただき、写真をお借り頂けると幸いです。

ブラタモリ大阪編

ブラタモリ

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