トラベルジャーナ

現地取材の旅行サイト! 関東・甲信越・静岡の旅行&ブラタモリ情報

チェーン店・その他

【ブラタモリ小樽】タモリ推奨の小樽の歴史・地形・観光ルートまとめ #23

2018/01/18

NHK番組のブラタモリ小樽編で、タモリさん推奨の小樽の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ小樽編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

関連記事

広告

かつては札幌より栄えていた小樽:ブラタモリ小樽

小樽は、札幌の北西に位置します。札幌駅からJR線の快速に乗ると、30~40分で小樽駅に着きます。

小樽

小樽港は、明治時代に、ニシンの取り扱いにはじまり、石炭の扱いや日露貿易の拠点を経て発展しました。最盛期には、札幌を上回る人口を保っていました。

しかし、戦後はそれらの産業が衰退したことに加え、本州に近い苫小牧港の開港により、一気に寂れてしまいました。日本銀行を含む大手銀行が支社を構え、北のウォール街と呼ばれたのが、嘘のようです。しかし現在は、観光スポットとして復活し、年間750万人が訪れる町に生まれ変わっています。

広告

小樽はなぜ衰退から復活したのか:ブラタモリ小樽

小樽

ブラタモリは、小樽運河からスタートします。

小樽運河は、JR小樽駅を背に徒歩10分ほど。中央橋、浅草橋をめぐる中心部だけなら、30分ほどで回ることも可能です。ブラタモリは、浅草橋の橋上からスタートしました。

小樽運河は、現在は美しい観光スポットですが、1970年代の小樽運河の写真を見ると、荒廃し汚れが蓄積し、町の恥部と言われたこともありました。1984年の博覧会に招かれ来訪したタモリさんが、博覧会のくせに、な~んもないところ、と発言した記録がありました……。タモリさんは、小樽を訪ねたことすら忘れていました……。

ブラタモリのテーマは、観光地・小樽 発展の秘密は「衰退」にあり、です。

小樽の第1の最盛期 石炭が運んできた繁栄:ブラタモリ小樽

明治のはじめ、人口3000名余り、ニシン漁で持つ小さな村だった小樽。どのように、第1の最盛期を迎えたのでしょうか?

メルヘン交差点

現在の小樽の観光名所、メルヘン交差点付近。

メルヘン交差点にある蒸気時計は、蒸気を動力とした、世界的にも極めて珍しい時計です。かつては、石炭輸送の町だった小樽のシンボルの1つで、15分おきに汽笛が鳴り、白煙が立ち昇ります。

メルヘン交差点付近の道が大きく曲がっているのは、旧海岸線の跡です。活用できる土地の狭い小樽には、埋めたて地が多くあります。

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/pajero4900_omiya/14485660.html

小樽の埋め立ての背景には、石炭産業の発達がありました。石炭のほか、ニシン漁や日露貿易で栄え、港町として発展した小樽の埋立地には、多くの倉庫が立ち並びました(現在も多く残存しています)。

倉庫に使われているのは、札幌軟石。ブラタモリ札幌編で紹介された、北大の農学部にも使われているように、小樽・札幌周辺で多用されています。

札幌軟石は、耐火性に富んでおり、小樽の大火から荷物を守ったことから、産業界から信頼を集めました。それが、小樽港の人気につながっていました。倉庫内には、トロッコのレールが残っているところがあります(北一硝子 三号館)。

小樽の倉庫は石造りに見えますが、建築上の分類は木造。木骨石造と呼ばれ、内部は木造となっています。これは工期と費用を削減し、効率の良さを追求した結果です。小樽が繁栄していた時期には、ラムネやモナカの皮などの生活物資も、小樽から道内に供給されていました。

小樽には、海食崖(=波などの侵食によってできた切り立ったがけ)が見られます。高い土地には、明治時代、全国各地から大手の商人が集まり、高級住宅街を形成していました。海がよく見えます。

現在は船は少なめですが、古い絵を見ると、船がびっしりと停泊しています。最盛期には小樽に行けば何とかなると、多くの人が職を求め押し寄せてきました。

小樽の第1の最盛期 どのように狭い土地を広げたか:ブラタモリ小樽

小樽駅、南小樽駅の中間地点にある水天宮付近を歩くと、参道が2つあります。付近の様相が変わり新しい町ができたたため、参道や鳥居を付け替えた名残りです。町づくりのさなかの写真には、高さ10mもある削られた崖が写っています。水天宮の近くにある花園地区は、尾根を削って造成されたのです。

当時は非常に急な造成が行われたため、一部、尾根の上に家を立ててしまった場所があります。削り残しです。盛り土の地質は、流紋岩質凝灰岩。小樽が海底にあった時代に、海底火山の噴火により形成されたものです

小樽の衰退期:ブラタモリ小樽

小樽郵便局付近に移動します。付近のホテル(ホテル・ヴィブラント・オタル)は北海道拓殖銀行の跡を利用しています。三菱銀行、第一銀行、そして日本銀行の支店まで近くにあり、日本のウォール街と呼ばれました。

※ブラタモリ放送後、ホテル・ヴィブラント・オタルは営業を取りやめ、ニトリ小樽芸術村の一部となっています。

ブラタモリは、旧三井銀行小樽支店に移動します。非公開ですが、所有者の許可で中に入ります。内装は銀行の面影を残し、多くの銀行の古い看板が保存されています。小樽では、石炭産業やニシン漁の衰退、日露関係の冷え込みによる衰退があまりに急だったため、何かに転用されることもなく、多くの建物がそのまま残されました。

出典:小樽市博物館

昭和40年(1965年)には、無用の長物とされた、運河を埋め立てる計画が持ち上がりました。しかし、市民から反対運動が起き、昭和58年(1983年)に、半分だけ埋め立てるという折衷案が採用されました。その結果、遊歩道ができることになりましたが、のちに人気の散歩道となりました。

タモリさんがやって来て、博覧会のくせに、な~んもないところと表現した時期は昭和59年。まさに小樽がこれから復興しようという、な〜んもない時代だったのです。

【まとめ】ブラタモリ小樽 タモリ推奨の小樽の歴史・地形・観光ルート

  • 石炭産業などによる小樽港の隆盛により、1度大々的に発展し、町が広げられ、運河や倉庫が多く作られた。
  • 産業構造が変化し、物流の中心が苫小牧などに移る動きがあまりに急だったため、何かに転用される間もなく、運河や倉庫がそのまま放置された。それがのちの観光名所となった。
  • タモリさんの結論「どうせ衰退するなら急速冷凍のほうが良い」。
国内旅行で損をしない

トラベルジャーナでは、記事に関連した情報をお待ちしています。
コメント欄をご利用ください。

関連記事(一部広告を含む)

-チェーン店・その他