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【ブラタモリ札幌】タモリ推奨の札幌の歴史・地形・観光ルートまとめ #22

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NHK番組のブラタモリ札幌編で、タモリさん推奨の札幌の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ札幌編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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なぜ札幌は200万都市になったのか?:ブラタモリ札幌

ブラタモリは、札幌駅の南にある大通公園からスタート。テレビ塔へ向かいます。「札幌は194万人の都市です」とエレベーターガール。タモリさんは、テレビ塔から札幌の景色を眺めます。ブラタモリ札幌編のテーマは、札幌はなぜ200万都市になったのかです。


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開拓の道筋を探る:ブラタモリ札幌

明治2年に開拓が始まるまで、札幌は寒さが厳しい原野であり、豊平川沿いに2戸(7人)の住民しかいませんでした。古地図を見ると、鉄道を思わせる、モハ・鉄一? よく見るとモハさんでなく、モ八(もはち)さん。隣の鉄一さんとあわせ、わずか2軒の住宅が地図に載っています。

札幌駅近くには、北海道庁旧庁舎があります。明治2年、この付近に開拓使という役所が置かれました。現在は、碁盤の目のイメージが強い札幌。北海道庁旧庁舎に近い、北2西8交差点付近から北大植物園沿いの道路を見ると、なぜか道が少しだけ道が曲がっています。なぜでしょうか?

地図では北海道丁と書いてある辺りです。道が曲がっているため、マンションも曲面状に作られています。そこにはかつて、タモリさんが予測したとおり、池と川があったのです。

北大植物園内には、メムと飛ばれる湧き水の泉が残されています。

出典:街のみどりづくりへの提案

町の発展には、平らな広い土地が不可欠です。札幌が、そのような土地になったのは、石狩川の支流である豊平川が、扇状地を形づくったからです。豊平川は、札幌の北東から市の中心部へ流れ込んでいます。扇状地の南端は、札幌駅や函館本線の線路付近。扇状地の末端に湧くのが、メムと呼ばれる湧き水の泉なのです。

扇状地は地盤が強く、ほぼ平地になるため、新しい町づくりには最適。しかし、札幌の扇状地は面積が限られ、扇状地周辺の泥炭地や湿地を、どう攻略するのが開発のカギになります。

ブラタモリは、北大植物園の北にある函館本線沿いなどに、川の痕跡を探します。川の跡を辿り、扇状地と低湿地の境目を探し出すのが目的です。

出典:暗渠さんぽ(http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2012/05/post-5e6f.html)

坂道(高低差)をたよりに川筋を追うと、地図に快楽園とある場所にたどり着きます。かつてはメムがあった場所です。かつてはここで川の水量がさらに増えたのでしょう。さらに歩くと北大(北海道大学)構内に辿りつきます。

北大構内にはかつての川の流れが再現されています。小川をたどると、少年よ、大志を抱けで知られる、クラーク像にたどり着きます。クラーク博士が見ている目線の先が、低湿地と扇状地の境界線です。

かつて低湿地だったエリアを歩くと、北大の農場が見つかります。低湿地では、耕作に不向きな泥炭を農地に変えるために、新しい排水技術を用いて土壌改良が行われました。畑の下にパイプを複数埋め、水を抜いていったのです。さらに日本海まで、10キロの長さを持つ新川という人工河川で、水を排出してゆきました。

明治初期、札幌全域でこういった土地改良が進み、農地が広がりました。この農地は開拓民の生計を支え、町が広がるにつれ宅地化され、町の発展の土台となったのです。

すすきの:ブラタモリ札幌

ブラタモリは、北大を離れて線路を渡り、大通公園の南側に移動します。

出典:千秋庵本店HP

ブラタモリは、扇状地の伏流水を生かしたお菓子屋さんを訪ねます。この付近は、丸顔のタウン誌編集の和田哲(さとる)さんが案内します。和田哲さんは札幌の地形に造詣が深く、番組では扱いませんでしたが、大正期の札幌温泉や温泉電車の計画など、詳しく研究し「ブラサトル」というブログに書かれています。

ブラタモリは、すすきの付近に到着。すると、道が不自然に曲がっている場所があります。なぜなのでしょうか? ここにはかつて塀があったのです。塀は、薄野(すすきの)遊郭を囲むものだったのです。

※札幌遊郭、白石遊郭でも通ずる。

出典:札幌繁栄図録(高崎龍太郎・財界さっぽろ)

古い写真によると、薄野遊郭の周辺はまだ原っぱです。その環境のなか、大規模な遊郭が、札幌開拓が始まってわずか2年で完成していたのです。

薄野遊郭には、30軒前後の妓楼(ぎろう)が存在しました。これは、冬に男性が本島に帰ってしまうため、役所である開拓使が作らせたものでした(ゼロから作らせたわけではなく、無秩序に開業した「飲食店」を統合して管理するところから始めています)。遊郭には壁があるように、悲しい歴史がつきものですが、ある意味では札幌の発展に必要不可欠のものだったのです。

現在のすすきのは、札幌市民200万人の遊び場であり、歌舞伎町(新宿区)、中洲(福岡県福岡市)と合わせ、日本3大歓楽街と呼ばれることもあります。

ブラタモリは、市電が走る道路に、異物がないにも関わらず曲がりくねった部分を発見します。なぜなのでしょうか?

ここは、開拓使の作った町の中心部の際(きわ)と、山鼻村の接点なのです。山鼻村は、和歌山県から開拓のために移転してきた、農家2戸から始まっています。2つの町の接点はジグソーパズルのように接しており、道路の接続などでずれが発生しています。

当時札幌周辺には、山鼻村以外にも20近くの農村が同時に開拓されており、町の拡大とともに、多少無理のある接続がされています。多くの農村が点在して発展してきた背景には、道内の炭鉱の閉山があります。多くの人が、働き口を求めて札幌に出てきたのです。

このように、多くの村が合体しながら札幌の市域は拡大を続け、ひとつの札幌市を形成するに至ったのです。


【まとめ】なぜ札幌は200万都市になったのか?:ブラタモリ札幌

  • 石狩川の支流、豊平川が、平らで地盤の固い扇状地を形成した。
  • 扇状地の周辺の泥炭地や低湿地が、当時の最新技術により耕地に改良され、農家が移り住み、のちに住宅地として開発された。
  • 薄野遊郭は、厳しい気候のなか、開拓民を留め置くのに貢献した面がある。
  • 道内の鉱山の衰退は過疎を招いたが、その分札幌に人口が集中した。

【おまけ】札幌の北東を流れる伏龍川

地図:伏龍川が暗渠(あんきょ:地下水路)に入る部分

平地が多い札幌にあって、途中より暗渠となる伏龍川周辺は、わずかに小高くなっています。これは自然堤防と呼ばれる地形です川幅が広がりを見せ流れが遅くなり、上流から運んできた土砂を運びきれなくなるため、土砂が蓄積された地形です。

札幌を歩かれる場合は『歩こう!札幌の地形と地質』(前田寿嗣)がおすすめです。

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