猿島の写真。兵舎や弾薬庫の内部。
横須賀の軍要塞跡・猿島にある「発電所」。
- 煙突は敵から見えないよう低め。右手前から石炭を入れる。
- マンホールは「人」が入れる点検口。写真は「手」を入れて電線を点検するので、ハンドホールと呼ぶ。
- 地上に残る、電線を通したパイプ跡。
- 壁面に残る、電線を支えた工事の跡。
横須賀の軍要塞跡・猿島にある兵舎跡(ついでにトイレ跡)。
兵舎へと続く坂道には、敗戦時に、残兵を警戒したイギリス軍が撃ち込んだ、銃弾の跡が多数。
よく見ると、銃弾は(低い方から)斜めに撃ち込まれています。
専門家に兵舎の中を見せてもらいました。床には、ベッドを設置した跡。
レンガ作りを漆喰(しっくい)で塗り固めた構造で、少しだけレンガが見えています。
猿島の切り通しの風景。
山を切り開くことで、兵舎や弾薬庫が、島の外から見えない仕組みでした。
猿島は、海外の船舶から、東京湾を守る役割を担っていました。
軍要塞跡の横須賀・猿島。
これは弾薬庫。左側の小さな入口は何のためにあったのでしょうか?
弾薬庫内に灯りを置く、専用の出入口です。左側は空気が出入りする構造で火は消えません。
弾薬庫に火を持ち込み、引火しないようにする工夫です。
弾薬置き場の落書きは、自由に出入りできた時の名残り。
特別なツアーで弾薬庫の中に入ると、空が見える煙突状の何かが! これは、何に使われていたのでしょうか?
これは、弾薬を滑車で吊り上げて、砲台に運ぶためのもの。
外にある石の出っ張りも、弾薬を釣り上げる装置を固定するためのものでした。
要塞遺産・猿島のインスタ映えスポット、石の階段。実は、兵舎の兵士が、砲台へ上がっていった階段です。
この階段は、もちろん最近作られたものですが、この上で、敗戦後軍設備の爆破処理が行われました。下に落ちてきた残骸は、そのまま石垣のように積まれています。
猿島のレンガには、珍しい「フランス積」もあります。
レンガを、横縦横…と並べてゆき、その次の段は縦横縦の互い違いです。
美しさが特徴。
現存するフランス積は珍しく、他には富岡製糸場にあります。
猿島のあるレンガは、下はフランス積ですが、上は異なります。後から足されたとわかります。
猿島にあるこの石垣。
ブラタモリ館山編で扱った○○石を運んできたものです(ヒントは百尺観音)。
大きな切り方と、小さな切り方の場所がありますが、どちらが新しい時代のものでしょうか?
原則として、石は大きく切り出す方が難しく、そちらが新しいものです。
インスタ映えでもおなじみの、猿島のレンガのトンネル。
実は2階建て構造になっており、内部に階段があります。
猿島の三叉路近くのレンガ。
煉瓦の刻印は、通常は上下の煉瓦との接面になりますが、通常と異なる置き方、かつ出っ張っている場所があります。
「愛知名古屋東洋組」と書かれ、名古屋から運ばれてきたことがわかります。
ブラタモリでは深谷編でレンガの刻印を扱いました。
https://service-news.tokyo/buratamori-fukaya-39761
猿島から東を望むと、第一、第二海堡が見えます。猿島の砲台から届かないエリアをカバーし、東京湾を守りました。
第三海堡は、ブラタモリ横須賀(https://service-news.tokyo/buratamori-yokosuka-9640)で扱った大型船が行き交うエリア。海難事故があり撤去済み。
一方、展望台からは北側の横須賀基地や☀️なら富士山が見えます。
展望台では仮面ライダーの撮影(ゲルショッカー結成式)が行われました。(C)石森プロ・東映
外国船から東京湾を守る要塞が猿島。
5つの砲台があります。
5つ目の砲台の周囲には、コンクリートに貝殻が見えます。
コンクリートは通常川砂で作るもので、海の砂を使った突貫工事は珍しく、戦線が切迫していたのかも知れません。
猿島(神奈川)の砲台の近くに生息するキジョラン。
秋になると長い冠毛を持った種子が飛び出す姿が、取り乱した「鬼女」に似ていることが由来です。
「鬼女」の葉っぱを食べたのは誰?
アサギマダラ(資料写真)という蝶です。
海を渡る蝶として知られ、2000キロ先の台湾へ移動した記録もあります!
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