【ブラタモリ熊本城/水の国熊本 全ロケ地】タモリさんが震災前の熊本城を訪ねた回#34 35

とらべるじゃーな!
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このページでは、ブラタモリ水の国熊本城編、熊本城編のルートを、写真・アクセスなどの情報とともに紹介します。

記事前半が「水の国熊本編」(#35)です。後半は「熊本城編」(#34)です。

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【水の国熊本】火の国であり、水の国でもある熊本

阿蘇山がある熊本県(肥後の国)は「火の国」と呼ばれます。肥前(おもに佐賀・長崎県)もあわせ、火国ひのくに=肥国と呼ばれた時代もあります。

一方、熊本県が水の国でもあるというのは、どういうことでしょうか?

(参考)火の国の名称の由来は、阿蘇山、不知火しらぬい(海上に発つ蜃気楼)、火君ひのきみ(豪族)など諸説あります。

熊本城の南で見るaso4とは?

ブラタモリは、台地の南にある熊本城からスタート。オープニングのあと、その京町台地の南端にある熊本第一高校を訪ねます(地図)。熊本城が見える場所です。

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高校の北側にはガケがあります(一般非公開)。熊本城が立つ台地の地質が露頭しており、目で確かめることができる貴重な場所です。どのような地質なのでしょうか?

タモリさんは、火砕流ですね!と即答。軽石が火砕流の特徴です。

阿蘇山は、過去に4度の巨大噴火を起こしています。熊本第一高校の露頭は、約9万年前に起きた4回目の噴火Aso-4と呼ばれる火砕流です。軽石は水を通すのが特徴。熊本の市街地は、高さ40mものAso-4で覆われています。

水前寺成趣園とaso4の関係は?

ブラタモリは水前寺公園電停北側の小川を訪ねます。タモリさんは、市街地にも関わらず川底が見える澄んだ水に驚きます。(地図|マークしたタイムズ水前寺公園の東側の橋付近)

藻器堀川しょうけぼりがわでは、川岸からの湧水が多数見られます。タモリさんは、水神様を見学したあと水前寺成趣園を訪ねます。

  • アクセス 熊本城や熊本第一高校の北側を見学したあと、熊本城・市役所前電停から熊本市電で、水前寺公園電停に移動(所要約15分)。

水前寺成趣園

ブラタモリは、天下の名園・水前寺成趣園(地図)を訪ねます。

観光写真の印象以上の大庭園にタモリさんは大感動! 水前寺成趣園は、細川護熙元首相でおなじみの肥後細川家初代が、鷹狩のさいにこの地を気に入り整備したものです。

熊本の市街地にある藻器堀川しょうけぼりがわや水前寺成趣園になぜ水が湧くのでしょうか?

ブラタモリ
ブラタモリ

高所に降った雨が火砕流のなかを流れ、低いところで湧くことはよくありますね……!

熊本第一高校で見たガケの露頭に、ヒントがあります。タモリさんが、水前寺成趣園の北側の市街を確認すると坂道になっていました。坂の上の方が阿蘇山です。

熊本城や水前寺成趣園周辺は、台地のきわ(末端)にあります。阿蘇山一帯は年間を通じて降水量が多め。阿蘇山一帯に降った雨水が、阿蘇山の4回目の大噴火の火砕流であるAso‐4に浸透し、地中を水平に流れ、台地のきわで地表に出たものなのです。

熊本には、同様の湧水地は約1000もあります。

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健軍水源地はaso4の水ではない?

ブラタモリは火砕流の地層Aso‐4からの湧水を見学したあと、熊本市上下水道局が管理する、健軍水源地に移動します。「水源」という地名もある地域です。

  • アクセス:水前寺公園で火砕流の地層Aso‐4からの湧水を見学したあと、熊本市電で動植物園前電停に移動します(所要約10分)。

熊本市上下水道局が管理する健軍水源地(地図印が入り口。公開は予約制)には、多くの井戸があります。

※健軍の由来は健軍神社(※諸説あり)。

井戸から湧く水は、Aso‐4?

引用 健軍水源地施設の見学について

井戸はくみ上げ式でなく、珍しい自噴式です。自噴式はタモリさんも初めてで大興奮! 日本最大級の5号せい(地図印)は、約6万人の生活用水をまかなう水量です。

これらの井戸は水前寺成趣園と場所も近く、Aso‐4からの湧水のようにも感じられますが、どうなのでしょうか?

ブラタモリ
ブラタモリ

水前寺成趣園とは湧く量が圧倒的に違う。この井戸の下にはAso‐4ではない別の何かがあるような気がする…

実際には、Aso‐4よりも大深度の地下にあるAso‐3~1(第2帯水源)から取水しているのです。

引用 阿蘇地下水財団

阿蘇山に降った雨は、2つに分かれます。
・地表近くのAso‐4を通って湧水するもの
・大深度地下のAso‐3~1を通り、井戸から噴出するもの

健軍水源地の井戸は、大深度地下のAso‐3~1によるものだったのです。自噴する井戸は、全部で113本あります。

加藤清正の治水「白川の付けかえ」

肥後熊本藩初代藩主・加藤清正は、豊かな水をどのように生かしたのでしょうか? ブラタモリは、熊本城付近の白川周辺で加藤清正の治水の痕跡を探ります。

  • アクセス:熊本城・市役所前電停から徒歩5分(地図

熊本城の東方から南方へ流れる白川は、本来は蛇行が目立ちます。しかし、熊本城付近では蛇行がゆるやかになります。流れを直線にし洪水の発生を抑えるためです。土木治水の神様と呼ばれた加藤清正がこの工事を指揮しました。

地図の■■■では、かつての白川の跡に沿って商店街がカーブを描いています (地図) 。

かつては、熊本城に沿う坪井川が白川に合流していましたが、防衛や城下町の土地を広げる狙いから、2つの川は別々に分けられました。

加藤清正の治水「渡鹿堰」(番組未紹介)

出典:熊本城と坪井川

渡鹿堰とろくぜきは、土木治水の神様・加藤清正が、取水のために作ったせきです。写真は昭和28年に、原形を生かして復旧されたもの。川に向かって斜めに堰を作るのは珍しいことです。

  • アクセス:JR東海学園前駅から北東へ徒歩10分(地図

取込口から3つの開水路に分水し、築造当時は熊本平野1083haに水を行きわたらせ、農地を潤しました。洪水時には、川水が農業用水に流入しないように工夫されています。

加藤清正の治水「鼻ぐり井手公園」

引用 熊本県観光サイト

ブラタモリは、鼻ぐり井手公園へ移動します。

「井出」は農業用水路、「鼻ぐり」は牛の鼻輪を意味します。清正が作った全長12キロに渡る用水のうち400mが鼻ぐり井出と呼ばれます。周囲の火砕流はAso-2です。

  • アクセス:JR原水駅から南へ徒歩30分(地図

用水を遮るように見える壁には鼻ぐりのようにアーチ型の穴が開いており、水を少しずつ通しています。なぜこのような構造を取っているのでしょうか?

普通の形の用水路では、熊本では火山灰が沈殿しすぐに流れが悪くなってしまいます。そのためわざと流れをさえぎるように、穴の開いた立て板を立ててあります。穴を通れなかった流水が跳ね返され渦をまくため、火山灰の沈殿を防ぐことができます。

鼻ぐりは80カ所ありましたがなぜ存在するのか判然としない役人が壊してしまい、現在(放送当時)では24か所しか残っていません。

加藤清正が指揮した鼻ぐりを駆使した農業用水の効果で、多くの畑が田んぼに転換されました。火砕流に覆われた熊本の田んぼは、ザル田と言われ雨水を多く取り込みます。水の循環が進み、熊本の地下水はさらに潤沢になりました。

(参考)阿蘇山の南側にある「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅は、日本一長い駅名です。

【熊本城】加藤清正と熊本城|ブラタモリ熊本城

熊本城は、日本三大名城。加藤清正が設計し、1607年に完成しました。薩摩の軍勢1万3~4千名による攻撃を、50日間耐えきった経歴がある、難攻不落の要塞です。

  • 加藤清正:肥後熊本藩初代藩主

加藤清正は、勇猛果敢なイメージがありますが、実は神経質で心配性だったという説も有力です。ブラタモリのテーマは「熊本城はやり過ぎ城」

熊本城は南からの守りが強固?

ブラタモリは、熊本城の南側を訪ねます。熊本城は、城の守りが良くわかる、南からの見学ルートがおすすめです。

  • アクセス:熊本駅前から市電に乗車し、熊本城・市役所前電停で降り、櫨方門はぜかたもんへ向かいます。

熊本城の入口付近には、あらゆる方向に壁がある、クランク(舛形ますがた)の形状です。これはどのような狙いなのでしょうか?

このクランク形状は、三方から弓矢などで敵兵を狙うことを意図した構造です。加藤清正の守りを重んじる慎重な性格が表れています。

熊本城

熊本城には、天守を守るためにかつては66のやぐらが建てられていました(櫓門を含む。数は諸説あり)。侵入者はあらゆる方向から監視される仕組みです。

通路は分岐が多く、敵を追い込むための袋小路も準備されています。石段はわざと間隔がバラバラに調整してありますので、侵入者は足を取られやすくなります。

熊本城に見られる、6連続の曲がり角(舛形)は全国の城にあまり例がありません。

ブラタモリは、熊本城の石垣を見学します。

熊本城の石垣は非常に背が高く、侵入者がよじ登ると徐々に直角に近づき武者返しと呼ばれています。初めから直角にしないのは、登れそうだと錯覚させて転落を招いたり、時間を取らせたりする狙いです。

闇り御門くらがりごもんを入ると、闇りくらがり通路があります。熊本城は1610年の改装の際に、大天守と小天守を支える2つの石垣をまたいで本丸御殿が建設され、この地下通路が正規の本丸への参道の1つとなる、防衛を兼ねた珍しい設計です。

(参考)大天守と小天守を結ぶ通路には、空中せっちん(お手洗い)があります。空中にある理由は分かっていません。

熊本城の北側では、石垣に石門と呼ばれる小さな入り口が掘られ、全長10メートルのトンネルにつながります。南側から攻められたさいの脱出経路です。

このほか、戦に備え120以上の井戸が掘られています。さらに、籠城中の食糧を確保するために銀杏ぎんなんの木を多く植え、土塀にはかんぴょう、畳には芋茎ずいきが埋め込まれていました(※井戸は史実。ほかは伝承要素あり)。

熊本城は、南側に位置する薩摩の島津氏に対する防衛を重視しているのです。

熊本城の城郭と城下町の守り

ブラタモリは、洗馬橋電停近くの洗馬橋せんばばしを訪ねます。洗馬橋には狸の像があります。これは、有名な童謡に登場するものです。

あんた方何処(どこ)さ 肥後さ
肥後何処さ 熊本さ
熊本何処さ せんば
せんば山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲(てっぽ)で打ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で チョッとかぶせ

せんば山は現在の熊本には存在しません。薩長連合軍が駐屯した、川越の仙波山を指すという説もありますがそれは誤り。熊本に痕跡が残っています。

ブラタモリは、新町電停の西にあるJR線の高架下付近を訪ねます。

  • 新町電停:JR線の高架下、細田時計店わきの道を入る。(地図

公園とそれに沿う道が外堀の跡です。掘り起こした土は、すぐそばで土塁に使われていました。高さは3~4mあり木が植えられていたため、せんば山と呼ばれていました。

土塁のあった場所から南西に移動すると古町に出ます。熊本城下の街並みは、碁盤の目で見通しが良くなっています。これは防衛に不利な面もありますが、兵が隠れ敵を待ち伏せる心光寺のような場所が仕掛けられています。

  • 心光寺:新町または呉服町電停下車(地図

加藤清正は、あえて熊本城内(二の丸)に、豊前街道(熊本~小倉)を通しました。

街道からは、幅30メートルの空堀(水を張らない状態の堀)を見ることができ、街道にもクランク(舛形)、やぐらが配されます。島津氏一行が参勤交代のさいにここを通るときに、強固な防衛を見せ、攻勢を諦めさせる狙いがあったようです。

引用 とくとみぶろぐ

タモリさんが東急沿線に住んでいた頃走っていた、東急5000系(愛称はアオガエル)。熊本電気鉄道に「異動」して活躍していましたが2016年2月14日に最後の務めを終えました。

(参考)熊本城は難攻不落でない?

ブラタモリでは熊本城を難攻不落と紹介しましたが、次のようなご意見もありました。

案内人は「難攻不落」であり、西南戦争でも防御した、と言ってましたが、前年の「神風連の乱」では、熊本鎮台の砲兵営を簡単に占拠された事には触れないんですね。簡単に落ちたからこそ、桐野利秋が「熊本鎮台なんぞ青竹で一叩きだ」と言わしめたと思います。

熊本地震による熊本城の被害状況

熊本城の熊本地震による被害状況をまとめました。震災直後の情報です。

クランクの特異な形状が紹介された、馬具櫓付近の石垣が崩れています。

屈指の高さを誇る石垣の武者返しは、崩れた場所もあります。

天守閣は、屋根瓦としゃちほこが落下。しゃちほこは行き先が不明です(熊本地震直後の情報)。

水前寺成趣園付近の神社鳥居が倒壊。健軍水源地は無事で2016年4月17日より給水再開しています。

再建が進む熊本城です。2019年10月には、天守閣が復元されています。

コメントをどうぞ(情報ご提供、旅行相談など)

  1. とらべるじゃーな! より:

    斎藤さま
    コメントありがとうございます。早速訂正いたしました。

  2. 斎藤 より:

    感心しながら見てもしばらく経つと忘れるものです。こんなサイトがあると簡単に復習できて、「そうそうそしうだった。」と思い出せ、とてもありがたいです。感謝!
    因みに、牛の「花輪」ではなく「鼻輪」ではないでしょうか。

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