【ブラタモリ北海道・十勝 全ロケ地】#新51・52

とらべるじゃーな!
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NHK番組のブラタモリ北海道・十勝で、タモリさんが十勝地方を訪ねました。このページでは内容の要約やロケ地をお知らせします。
放送後に追記します。写真はまだ入っていません。

北海道でブラタモリ内容
函館五稜郭
利尻島(#248)絶景、絶品の利尻島はどうできた?を探ります。
稚内(#247)江戸時代の稚内は海外へ開かれた窓だった? お題「稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」を探ります。
苫小牧(#221)ホッキ貝など自然の恵みが豊かな苫小牧は、どのように日本有数の工業都市に上りつめた? 
登別温泉(#220)登別温泉を訪ね屈指の「いい湯だな」と言われる秘密を探ります。
サロマ湖(#168)8億のホタテがいる湖の謎を解き明かします。
網走(#167)網走刑務所がなぜ理想の刑務所なのか、なぜ網走に建てられたのかなどを扱います。
釧路湿原(#141)湿原は時間が経てば必ず、森林化してします。山手線がすっぽり収まる日本最大の釧路湿原は、なぜ湿原のままなのでしょうか?
旭川(#119)熊も出る大原野から、北海道第2の都市に登りつめた旭川。背景に、屯田兵や石狩川周辺の地質がありました。
富良野(#118)北海道の奥地にある丘陵に、開拓の波がたどり着くまでに30年。開拓途中には、十勝岳の噴火に襲われました。
室蘭(#91)天然の良港である室蘭は、火山のはたらきを背景に持ちます。名所・地球岬や砂鉄の存在から、謎を解きます。
洞爺湖(#89)中島が美しい洞爺湖は最大水深180m。一方で水深1m前後の場所があるのはなぜなのでしょうか?
知床(#55)ゴジラ岩や断崖絶壁で知られる知床半島を形づくったのは火山。ヒグマだらけの海岸線を、船で見てゆきます。
小樽(#23)札幌を超える規模を誇った小樽は、戦後に一気に衰退。タモリさん「どうせ衰退するなら急速冷凍のほうが良い」。
札幌(#22)明治2年まで、人口が7人だった札幌。どのようにして200万都市に発展したのでしょうか。
函館(#7,8)青函トンネル、懐かしの青函連絡船を経て、函館の夜景が美しい理由を解き明かします。

10月10日(土)と17日(土)の2週連続で、ブラタモリが北海道・十勝を訪ねます。小麦、じゃがいも、小豆、乳製品と、日本の食卓を支える農業王国です。

  • 始まりは「わずか30人」の挑戦
  • 移住者を襲った想像を絶する苦難
  • 「日本一の豆の国・十勝平野にカネが降る」と歌われた豆の大ブームと、その後の天国と地獄
  • 大ピンチを救ったのは、色とりどりのパッチワークの畑

日高山脈と扇状地が広大な平野をつくった

ブラタモリは帯広市の広大な畑の中からスタート。帯広を含むエリアが十勝です。

まず大根の畑を見学。大根は比較的新しく作付けされた作物です。収穫は大きな農業機械に、10人近い人が乗って手早く進みます。タモリさんが農家に話を聞くと、大根はギュッと植わっている訳ではなく、手で抜いても簡単に抜けます。収穫は1日3万本。1農家平均48ヘクタールの農地を持ちます。

なぜ十勝は農業王国になったのかがテーマです。アスパラ、ブロッコリー、あずき、小麦、じゃがいもなど。日本一の生産量を誇る作物も含みます。

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ブラタモリは、畑作地帯にある小高い公園を訪ねます。ずっと平らな景色が続きます。十勝の農業が始まったのはわずか140年前。誰が農業を始めたのでしょうか?

十勝平野は、日高山脈から流れ出る十勝川や札内川が、土砂を運んで平野をつくりました。土壌は火山灰と泥炭が混じり、肥沃とは言えません。冷涼で乾燥した内陸性の気候も、農業には厳しい条件です。この「恵まれない土地」という前提が、開拓者の苦難の伏線になります。

公式の「わずか30人の挑戦」は、明治16年(1883年)に帯広へ入った民間開拓団「晩成社」です。率いたのは依田勉三です。依田氏は移住前に2回下見に来ていますが、2回目には十勝と決めました。

ブラタモリは、住宅街を訪ねます。草むらに囲まれた、池のようにも見える川が流れます。十勝川とつながる小川は、当時船での移動に使われました。依田氏は船で3日かけ十勝川を上流し、この場所にたどり着きました。なぜ3日もかけてここへ来たのでしょう?

地図を見ると、開けて低くなっていることが分かります。大規模農業の中心に適した場所だったのです。

ブラタモリは、別の住宅地を訪ねます。晩成社の人々が暮らしていた場所です。よく見ると、小川の流れが途切れています。正体は湧水です。飲み水としても活用でき、開拓にうってつけだったのです。

古い写真を見ると、晩成社の人々の家は高台に軒を寄せ合い、すぐそばの低い場所に湧水が湧きます。当初はアイヌ人が住んでおり、彼らから学びながら農業を立ち上げたのです。

晩成社が最初の年に作った作物は、非常に多種多様。十勝の土地を試す実験だったようです。結果は大根は多く採れ、米や麦は上手くいきませんでした。野菜は採れたものの足が速く、保存が効かずお金を得るのが難しかったのです。

晩成社の歩みは、挫折の連続でした。逃亡者が出たます。ほかにも、霜や冷害、バッタの大発生、野ねずみの被害、厳しい寒さが、次々と襲います。

ブラタモリは、明治26年に道路が開通した場所に移動します。晩成社は崩壊寸前でしたが、道路開通で命をつなぎます。区画整理が行われましたが、1辺は約30ヘクタールの大きさ。政府が道路整備や区画整理を大規模に進めたのです。

政府が作った移住者向けのパンフレットには、キャベツ、メークイン、にんじん、とうもろこしなど、夢を感じるデザイン。寒さは府県の人の思うほどにはあらず、など誘い文句が続きます。決定打は、期間内に農地を広げれば、土地は自分のものいなるといううたい文句です。

続いて、ブラタモリは十勝の中心部から約17キロ南へ。越前神社の名前が見えます。十勝にいち早く移住してきたのは、越前つまり福井の人々だったのです。荒川鶴吉さんの子孫が今も住んでいます。タモリさんが荒川さんひ孫夫妻を訪ねると、代々伝わる資料がありました。「水難御見舞覚帳」とあり、水難の見舞い品の記録です。越前で水害に遭い、心機一転十勝へ移住したのです。荒川鶴吉さんが42歳の頃でした。福井県以外からも全国から移住してきた人がいました。

彼らを助けたのが晩成社。先駆者として教える立場になったのです。

家の裏側に向かうと、湧水が豊富に湧いていました(現在はポンプで汲んでいます)。太い木は土地が肥えている証拠。肥料をほとんど使わずに済んだ時期もありました。

荒川家は、息子や孫が30ヘクタールの畑を引き継いでいます。

福井から十勝へ移住してきたからこそ根付いたものが分かる場所が幸福駅の跡。NHK番組を機に全国で大ブームとなった駅です。幸福の福は、福井の福から来ていたのです。幸震村に福井をあわせ、幸福駅と名づけました。

十勝を幸福にした「豆」が不運を招いたとは?

第1回は、「農業には向かない土地」という評価を残して終わります。第2回への伏線となるでしょう。

以下内容の予想がありますのでご注意ください。

北海道でブラタモリ内容
函館五稜郭
利尻島(#248)絶景、絶品の利尻島はどうできた?を探ります。
稚内(#247)江戸時代の稚内は海外へ開かれた窓だった? お題「稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」を探ります。
苫小牧(#221)ホッキ貝など自然の恵みが豊かな苫小牧は、どのように日本有数の工業都市に上りつめた? 
登別温泉(#220)登別温泉を訪ね屈指の「いい湯だな」と言われる秘密を探ります。
サロマ湖(#168)8億のホタテがいる湖の謎を解き明かします。
網走(#167)網走刑務所がなぜ理想の刑務所なのか、なぜ網走に建てられたのかなどを扱います。
釧路湿原(#141)湿原は時間が経てば必ず、森林化してします。山手線がすっぽり収まる日本最大の釧路湿原は、なぜ湿原のままなのでしょうか?
旭川(#119)熊も出る大原野から、北海道第2の都市に登りつめた旭川。背景に、屯田兵や石狩川周辺の地質がありました。
富良野(#118)北海道の奥地にある丘陵に、開拓の波がたどり着くまでに30年。開拓途中には、十勝岳の噴火に襲われました。
室蘭(#91)天然の良港である室蘭は、火山のはたらきを背景に持ちます。名所・地球岬や砂鉄の存在から、謎を解きます。
洞爺湖(#89)中島が美しい洞爺湖は最大水深180m。一方で水深1m前後の場所があるのはなぜなのでしょうか?
知床(#55)ゴジラ岩や断崖絶壁で知られる知床半島を形づくったのは火山。ヒグマだらけの海岸線を、船で見てゆきます。
小樽(#23)札幌を超える規模を誇った小樽は、戦後に一気に衰退。タモリさん「どうせ衰退するなら急速冷凍のほうが良い」。
札幌(#22)明治2年まで、人口が7人だった札幌。どのようにして200万都市に発展したのでしょうか。
函館(#7,8)青函トンネル、懐かしの青函連絡船を経て、函館の夜景が美しい理由を解き明かします。

第2回(10月17日)天国から地獄、そして大逆転

「豆の唄」が歌う豆景気

第2回は、大正期の豆景気から始まると予想します。豆の相場が高騰し、豆成金が生まれた時代です。「十勝平野にカネが降る」という歌詞は、その熱狂を伝えています。

しかし相場は暴落し、天国は地獄に変わりました。冷害による凶作も重なります。一つの作物に頼る危うさを、十勝は痛い目に遭って学びました。

パッチワークの畑の正体は輪作

大逆転の鍵は、色とりどりのパッチワークの畑です。小麦、豆、じゃがいも、てんさいといった作物を、毎年順番に入れ替えて育てる「輪作」と予想します。

同じ作物を続けると、土の栄養が偏り、病気も出やすくなります。作物を回せば、土は休まり、価格が下がっても被害は分散されます。上空から見ると、作物ごとの色の違いが、パッチワークのように見えるのです。

展望スポットから畑を見渡し、実際の畑で土を確かめる場面が入るでしょう。土壌の改良や排水、品種改良など、先人の「知恵と執念」の具体例も紹介されます。

乳製品へ広がる十勝の食

畑作で土台を固めた十勝は、酪農でも産地になりました。公式の見出しにある乳製品は、この流れで登場すると予想します。チーズやバターなど、十勝産の食を味わう場面が、旅の締めくくりになりそうです。

最後は、タモリさんの「尊敬します」という言葉に重なります。挫折を重ねた先人の努力が、今のおいしさを支えているという結びです。

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