ブラタモリのまとめ

【名古屋城・熱田】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.6.10/17

2017/06/20

NHK番組のブラタモリで、名古屋(名古屋城・熱田)の歴史や地形を踏まえた観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。

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後編は、全編のあとに掲載しています。

名古屋は日本の中心だった?/ブラタモリ名古屋

東京、大阪とは異なる独自の文化・経済圏を持つ、一大地方都市名古屋。しかし歴史をひもとけば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ゆかりの土地であり、かつては日本の中心だった場所です。

  • 織田信長 … 尾張国の那古野城(名古屋市)にて出生【諸説あり】。中京各地を本拠とし、最後に安土城(滋賀県)へ。
  • 豊臣秀吉 … 尾張国の愛知郡中村郷(中村区)にて出生。関西の各地を経て、大阪城へ。伏見城(京都市)にて隠居。
  • 徳川家康 … 三河国の岡崎城(岡崎市)にて出生。駿府城(静岡市)などを経て江戸城へ。駿府城にて隠居。

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と言われました。それを意識した、ブラタモリのテーマは、「尾張名古屋は徳川家康でもつ」。しかし、徳川側家康は三河国の出身。どういうことなのでしょうか?

関が原の戦いの直後まで、尾張の中心は名古屋の北西、清洲城でした(東海道本線清洲駅より徒歩15分。天守閣は平成元年の再建)。1610年、荒れ地だった場所に名古屋を作ったのが、徳川家康です。人口230万人を抱える名古屋の町と城は、江戸時代に入り、徳川家康がゼロから作り上げたものだったのです。

名古屋城本丸/ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、名古屋城の本丸(昭和20年再建)を訪ねます。延床面積は日本一。

※現在はコンクリート造。2017年11月頃から、木造への復元工事が行われ、天守閣周辺は立入禁止に。完成は2022年冬頃を予定。

名古屋城の象徴的存在、金のシャチホコは、過去に、ウロコを盗み出す事件が起きています。

  • 江戸中期 … 大凧に体をくくりつけて、ウロコを奪ったという「伝説」。
  • 明治4年(1871年)… 地上に金シャチを降ろした際に番兵(警備員)がくすねた。
  • 昭和12年(1937年)… 閉館後、隠れていた40歳の男がウロコを大量盗難。自宅で溶かし、金の延べ棒として貴金属店に持ち込み、逮捕。

搦手馬出/ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、本丸すぐ東の、搦手馬出(からめてうまだし)に移動します。上の空撮地図で、堀に突き出るような、長方形の部分です(現在工事中。非公開)。

搦手馬出は、まず門の防衛に優れた効果を発揮します。図のように多くの敵兵()が攻めてきた場合でも、狭い入口を通らざるをえないため、2方向から攻撃が可能です。

搦手馬出は、出陣にも優れた効果を発揮します。図のように多くの敵兵()に出鼻を狙われた場合でも、塀が人馬をガードし、さらに城門の内部から、援護が可能です。搦手馬出を含む名古屋城の築城は、徳川家康による、豊臣秀吉の大坂城に対する包囲網の一環です。

ブラタモリは、搦手馬出を囲う空堀に入ります(一般非公開)。同じ堀の中ですが、左右で使われている石が異なります。具体的に見ると、花崗岩・花王閃緑岩の部分と、砂岩の部分があります。なぜ2種類の岩石があるのでしょうか?

これは、石垣を担当する大名が異なっていたためです(例えば生駒左近大輔と松平筑前守)。

徳川家康が全国の大名に土木工事を担当させた天下普請(てんかぶしん)は、諸大名の忠誠心を測る、監視下に置く、競わせる、費用負担させ蓄財を防ぐなど、様々な意図があったと言われます。家康は、名古屋城を、あえて豊臣秀吉に近い諸大名に作らせました。

本丸→搦手馬出→空堀の内部(非公開)→水堀の付近(工事中)

搦手馬出の南側の空堀(付近)に対し、北側は水堀(付近)になっています。なぜ空堀と、水堀を使い分けているのでしょうか?

名古屋城は熱田大地の北東の隅にあります。そのため台地には空堀、低湿地には水堀となったのです。

名古屋城は、屈強な石垣を作るためには通常避ける、盛り土が多く施されています。これは、搦手馬出をより広くするためです。名古屋城は、戦いの時代が終わったあとの、平和利用(災害の避難所など)を見据えて、広く作られているのです。

(参考)名古屋城の石垣は、四隅を除き、乱積が基本です。一方、横の列が通る布積みも見られます。

名古屋城の城下町/ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、名古屋城の南にあるかつての城下町に移動します(丸の内USビルのある区画を1周)。名古屋の町割は、碁盤の目を特徴としたまちづくりが、現在もそのまま残っています。

丸の内USビル

  • 地下鉄桜通線、久屋大通駅から徒歩8分
  • 地下鉄鶴舞線、丸の内駅から徒歩8分

碁盤割の1辺は、100mとなっています。この規模の碁盤割をベースとする町は、名古屋が初めてです。名古屋城は、城のすぐ南に町人が住む、珍しい配置です。

丸の内USビル付近を歩くと、東西方向の通りに面した建物の間口が狭く、南北に奥行きがあることが分かります。これは、1つの通りに所狭しとお店が並ぶことで、町の活気を演出する方法です。

ブラタモリ大阪編で紹介された、大阪の町並みも同じ仕組みです。

名古屋城の城下町には、南北方向の通りに間口を持つ建物もあります。このことで、南北の通りが閑散とすることがなくなります。この町割りは、名古屋の城下町の発展につながりました。

碁盤割の真ん中には、寺や神社が置かれたり、空き地の共有地として使われていました。現在では、ビル型の駐車場も多く建てられ、かつての町割りはクルマ社会の名古屋に生かされています。

なお、周囲の地名は、例えば七間(しちけん)町など、清洲城時代の地名が利用されています。

名古屋の中心部の名物的存在である、100mの幅を持つ久屋大通は、碁盤割を縦につなぎ、道路にしたのです。

ブラタモリ名古屋編(前半)のテーマは、「尾張名古屋は徳川家康でもつ」でした。

【後編】ブラタモリ名古屋 熱田編

ブラタモリは熱田神宮からスタート(名鉄神宮前駅、JR熱田駅からすぐ)。敷地の北側に位置する、本殿を訪ねます。熱田神宮は、北端に名古屋城が立地する、台地の南端に位置します。

ブラタモリは、本殿の南、神社敷地の中央に立地する宝物殿を訪ねます。宝物館で、熱田神宮に宛てられた、3通の古い書状を見学します。送り主は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長です(2017年6月27日まで公開)。熱田神宮が、3代の権力者に、重要視されていたことが分かります。

台地の南端と七里の渡し/ブラタモリ名古屋・熱田編

ブラタモリは、熱田神宮南側のの正門(地図:印)に向かいます。熱田神宮は、神宮前・熱田の両駅に近い、東門からの参拝が多くなりますが、正式には南にある門が正門となります。

ブラタモリは、正門(南門)付近から南側を見ると、台地の先端が舌状になっていることが確認できます。台地の北のヘリ名古屋城から、南のヘリまで移動したことになります。

ブラタモリは、かつての表参道をさらに南へ進みます。古い道標(地図:印)に、「東 江戸街道(=東海道)」「南 京いせ(=伊勢)」とあります。東海道が突き当り、南側へ曲がるです。南方向には何があるのでしょうか?

ブラタモリが、道標を頼りに南へ向かうと、七里の渡しの渡し場跡がありました(地図:印)。太平洋沿いを西へ向かう東海道は、熱田・桑名間に限っては、船(七里の渡し)で結んでいたのです。七里の渡しは、川幅がそれぞれ数百メートルもある木曽三川を渡るよりも効率が良い経路でした。

※ブラタモリは、途中、行列のできている、ひつまぶしのお店には寄らずに、七里の渡しの船着き場に着きました。ひつまぶしのお店の店名は、明治6年創業のあつた蓬莱軒 本店 です。ひつまぶしの名称は、あつた蓬莱軒の登録商標となっています。

※木曽三川は、なぜ濃尾平野の西に寄るように流れているのでしょうか? これは、養老断層により、土地が低くなっているからです。

かつて240軒の旅籠(旅館)を抱えた熱田宿は、ほとんど面影を残していません。七里の渡しの渡し場跡近くにある旧旅籠の丹羽家住宅は、貴重な文化遺産です。

ブラタモリは、七里の渡しの船着き場周辺を歩きます。火防(ひよけ)の神である秋葉神社(地図:印)があり、間口の狭い家が、詰まっている場所(地図:●印)です。タモリさんは、高低差の存在(地図:印)に気づきます。

高低差は、旅籠などを建てるための土地が不足し、海を埋め立てた名残りです。熱田宿(宮宿)が、東海道の要所として賑わった名残りとなります。

堀川/ブラタモリ名古屋・熱田編

このように、熱田は、徳川家康の町づくりの、一大拠点だったのです。熱田は、名古屋城から7キロの距離がある点にハンデがありました。徳川家康は、それをどのように克服したのでしょうか?

ブラタモリは、名古屋駅の東、名古屋城の南西にある、四間通[しけみち](地図:A地点)に移動します。

  • 四間通:名古屋駅から東へ徒歩約20分。地下鉄丸の内駅から徒歩6分。

四間道は台地の西のヘリに当たる場所です。タモリさんは、民家に、中京地区特有の屋根神を発見します(2階部分に見える、神棚のような作り)。四間道の東には、堀川と呼ばれる、運河が流れています。堀川は、名古屋城と熱田の港を結ぶために、徳川家康が、掘らせたものです。堀川は、台地のヘリよりも少しだけ高いところに掘られています。なぜでしょうか?

これは、台地のヘリの低湿地に川を作ると、海の高潮などの影響を受けやすいからです。堀川でも、多少の塩分が検出されます。

堀川の東側のは、荷揚げ場のスペースと石垣があります(地図:B地点/一般非公開)。荷揚げ場に主に置かれていたのは、木材です。木材は、どこから運んできたのでしょうか?

これは、木曽山地から、木曽川を介して運ばれて来たものです。1級品の材木の提供が、名古屋の発展を支え続けてきたのです。

(まとめ)【名古屋城・熱田】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポット

  • 尾張のかつての中心は、清洲城。家康は、その南の荒れ地に、名古屋城を築城します。
  • 本丸すぐ東の、搦手馬出(からめてうまだし)では、大坂の陣に至る戦いへの備えと、平定後に備えた広いスペースの確保の両立が見られます。
  • 名古屋城南すぐの城下町では、工夫された町割りが、繁栄を呼びました。
  • 熱田神宮は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長から書簡を納められた、重要な神社です。
  • 付近の東海道には行き止まりがあり、七里の渡しへと旅人を誘導します。
  • 熱田の港と名古屋城を結ぶ堀川は、台地のヘリの少し東を流れます。木曽からの材木は、名古屋の繁栄を支えました。

【伊勢神宮】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2016.6.4+6.11 最高視聴率更新!

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