ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ名古屋】タモリ推奨の名古屋・熱田神宮の歴史・地形・観光ルートまとめ #75 76 90

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NHK番組のブラタモリ名古屋編で、タモリさん推奨の名古屋・熱田神宮の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ名古屋編推奨のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

ブラタモリ全放送回のまとめ … ブラタモリ現シリーズの記事の一覧です。
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  • #75 名古屋(名古屋城)~尾張名古屋は 家康でもつ?~ 2017年6月10日(土)
  • #76 名古屋・熱田~尾張名古屋は 家康でもつ?~ 2017年6月17日(土)
  • #90 ものづくり名古屋 ~名古屋が生んだ“ものづくり日本”とは?~ 2017年11月18日

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【#75】名古屋は日本の中心だった?:ブラタモリ名古屋

東京、大阪とは異なる独自の文化・経済圏を持つ、一大地方都市名古屋。しかし歴史をひもとけば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ゆかりの土地であり、かつては日本の中心だった場所です。

  • 織田信長 … 尾張国の那古野城(名古屋市)にて出生【諸説あり】。中京各地を本拠とし、最後に安土城(滋賀県)へ。
  • 豊臣秀吉 … 尾張国の愛知郡中村郷(中村区)にて出生。関西の各地を経て、大阪城へ。伏見城(京都市)にて隠居。
  • 徳川家康 … 三河国の岡崎城(岡崎市)にて出生。駿府城(静岡市)などを経て江戸城へ。駿府城にて隠居。

伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつと言われました。それを意識した、ブラタモリのテーマは、尾張名古屋は徳川家康でもつ。しかし、徳川側家康は三河国の出身。どういうことなのでしょうか?

関が原の戦いの直後まで、尾張の中心は名古屋の北西、清洲城でした(東海道本線清洲駅より徒歩15分。天守閣は平成元年の再建)。1610年、荒れ地だった場所に名古屋を作ったのが、徳川家康です。人口230万人を抱える名古屋の町と城は、江戸時代に入り、徳川家康がゼロから作り上げたものだったのです。


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名古屋城本丸:ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、名古屋城の本丸(昭和20年再建)を訪ねます。延床面積は日本一です。

名古屋城は、2022年冬頃の完成を目指し、コンクリート製から木造への復元を予定しています。2018年4月現在、天守閣は入れました。

2018年5月7日から、工事のため入場できなくなります。

名古屋城天守閣から、北側を望みます。台地が終わり、低湿地が広がっています。

名古屋の地形

名古屋の地形は、舌をイメージすると分かりやすいです。舌は台地です。

  • 舌の付け根に名古屋城があります。すぐ北は平地です。
  • 舌先に熱田神宮があります。
  • 舌の左側(西側)ギリギリに流れるのが堀川です。

名古屋城の象徴的存在、金のシャチホコは、過去に、ウロコを盗み出す事件が起きています。

  • 江戸中期 … 大凧に体をくくりつけて、ウロコを奪ったという「伝説」。
  • 明治4年(1871年)… 地上に金シャチを降ろした際に番兵(警備員)がくすねた。
  • 昭和12年(1937年)… 閉館後、隠れていた40歳の男がウロコを大量盗難。自宅で溶かし、金の延べ棒として貴金属店に持ち込み、逮捕。

搦手馬出:ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、本丸すぐ東の、搦手馬出(からめてうまだし)に移動します。上の空撮地図で、堀に突き出るような、長方形の部分です(現在工事中。非公開)。

2018年4月現在、工事中ですが、東側から見ることができます。馬出(うまだし)とは、敵に人馬の出入りを悟られないよう、城門の前に築いた空間です。

搦手馬出は、まず門の防衛に優れた効果を発揮します。図のように多くの敵兵()が攻めてきた場合でも、狭い入口を通らざるをえないため、2方向から挟み撃ちの攻撃が可能です。

搦手馬出は、出陣にも優れた効果を発揮します。図のように多くの敵兵()に出鼻を狙われた場合でも、塀が人馬をガードし、さらに城門の内部から、援護が可能です。搦手馬出を含む名古屋城の築城は、徳川家康による、豊臣秀吉の大坂城に対する包囲網の一環です。

ブラタモリは、搦手馬出付近の内堀に入ります(一般非公開)。同じ堀の中ですが、左右で使われている石が異なります。西側は砂岩、東側は花崗岩・花王閃緑岩です。なぜ2種類の岩石があるのでしょうか?

これは、石垣を担当する大名が異なっていたためです(例えば、生駒左近大輔と松平筑前守)。

徳川家康が全国の大名に土木工事を担当させた天下普請(てんかぶしん)は、諸大名の忠誠心を測る、監視下に置く、競わせる、費用負担させ蓄財を防ぐなど、様々な意図があったと言われます。家康は、名古屋城を、あえて豊臣秀吉に近い諸大名に作らせました。

本丸→搦手馬出→空堀の内部(非公開)→水堀の付近(工事中)

搦手馬出の南側の空堀(付近)に対し、北側は水堀(付近)になっています。なぜ空堀と、水堀を使い分けているのでしょうか?

名古屋城は熱田大地の北東の隅にあります。そのため台地には空堀、低湿地には水堀となったのです。

名古屋城は、屈強な石垣を作るためには通常避ける、盛り土が多く施されています。これは、搦手馬出をより広くするためです。名古屋城は、戦いの時代が終わったあとの、平和利用(災害の避難所など)を見据えて、広く作られているのです。

(参考)名古屋城の石垣は、四隅を除き、乱積が基本です。一方、横の列が通る布積みも見られます。

 

名古屋城の城下町:ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、名古屋城の南にあるかつての城下町に移動します(丸の内USビルのある区画を1周)。名古屋の町割は、碁盤の目を特徴としたまちづくりが、現在もそのまま残っています。

丸の内USビル

  • 地下鉄桜通線、久屋大通駅から徒歩8分
  • 地下鉄鶴舞線、丸の内駅から徒歩8分

碁盤割の1辺は、100mとなっています。この規模の碁盤割をベースとする町は、名古屋が初めてです。名古屋城は、城のすぐ南に町人が住む、珍しい配置です。

丸の内USビル北側には、魚ノ棚通が東西に通じています。

魚ノ棚通を歩くと、通りに面した建物の間口が狭く、南北に奥行きがあることが分かります。これは、1つの通りに所狭しとお店が並ぶことで、町の活気を演出する方法です。

ブラタモリ大阪編で紹介された、大阪の町並みも同じ仕組みです。

名古屋城の城下町には、南北方向の通りに面した間口を持つ建物もあります。このことで、呉服町通のような南北の通りが閑散とすることがなくなります。この町割りは、名古屋の城下町の発展につながりました。

南北に通ずる呉服町通に面した建物の跡です。細長い駐車場となっています。

碁盤割の真ん中には、寺や神社が置かれたり、空き地(共有地)として使われていました。現在では、ビル型の駐車場も多く建てられ、かつての町割りはクルマ社会の名古屋に生かされています。

丸の内USビルの南側です。碁盤割の真ん中は、立体駐車場(クリーム色の建物)として利用されています。

なお、周囲の地名は、例えば七間(しちけん)町など、清洲城時代の地名が利用されています。

名古屋の中心部の名物的存在である、100mの幅を持つ久屋大通は、碁盤割を縦につなぎ、道路にしたものなのです。

【#76】ブラタモリ名古屋 熱田編

ブラタモリは熱田神宮からスタート(名鉄神宮前駅、JR熱田駅からすぐ)。敷地の北側に位置する、本殿を訪ねます。熱田神宮は、北端に名古屋城が立地する、台地の南端に位置します。

ブラタモリは、本殿の南、神社敷地の中央に立地する宝物殿を訪ねます。宝物館で、熱田神宮に宛てられた、3通の古い書状を見学します。送り主は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長です(2017年6月27日まで公開)。熱田神宮が、3代の権力者に、重要視されていたことが分かります。

台地の南端と七里の渡し:ブラタモリ名古屋・熱田編

ブラタモリは、熱田神宮南側の正門(地図:印)に向かいます。熱田神宮は、神宮前・熱田の両駅に近い、東門からの参拝が多くなりますが、正式には南にある門が正門となります。

ブラタモリは、正門(南門)付近から南側を見ます。3方向に下り坂となっており、台地の先端が舌状になっていることが確認できます。

台地の北のヘリ名古屋城から、南のヘリまで移動したことになります。

ブラタモリは、かつての表参道をさらに南へ進みます。古い道標(地図:印)に、「東 江戸街道(=東海道)」「南 京いせ(=伊勢)」とあります。東海道が突き当り、南側へ曲がるです。南方向には何があるのでしょうか?

ブラタモリは、途中、行列のできている、明治6年創業のあつた蓬莱軒 を目にします。ブラタモリが特定の飲食店に言及するのは珍しいケース。

あつた蓬莱軒のひつまぶしです。ひつまぶしの名称は、あつた蓬莱軒の登録商標となっています。

ひつまぶしは、そのまま、薬味、だし茶漬けの3つの味を楽しめます。

  • あつた蓬莱軒本店 … 熱田神宮から七里の渡しの渡し場跡へ向かう途中。
  • あつた蓬莱軒神宮店 … 熱田神宮南門前。平日に訪問しましたが、開店30分前の11時に20名の行列。12時には40分待ちとなっていました。早く並ぶと、ベンチに座れたり、待合室に案内されたりします。休日なら開店1時間前がおすすめです。

ブラタモリが、道標を頼りに南へ向かうと、七里の渡しの渡し場跡がありました(地図:印)。太平洋沿いを西へ向かう東海道は、熱田・桑名間に限っては、船(七里の渡し)で結んでいたのです。

七里の渡しは、川幅がそれぞれ数百メートルもある木曽三川を渡るよりも効率が良い経路でした。

※木曽三川は、なぜ濃尾平野の西に寄るように流れているのでしょうか? これは、養老断層により、土地が低くなっているからです。

かつて240軒の旅籠(旅館)を抱えた熱田宿は、ほとんど面影を残していません。七里の渡しの渡し場跡近くにある旧旅籠の丹羽家住宅は、貴重な文化遺産です。

ブラタモリ紹介の丹羽家住宅のほかにも、明治29年に建てられた町屋造の建物も名古屋市の有形文化財です。

ブラタモリは、七里の渡しの船着き場周辺を歩きます。火防(ひよけ)の神である秋葉神社(地図:印)があり、間口の狭い家が、詰まっている場所(写真、地図:●印)があります。

タモリさんは、高低差の存在(地図:印)に気づきます。この高低差(お寺の白い塀の切れ目の先)は、何を意味しているのでしょうか?

高低差は、旅籠などを建てるための土地が不足し、海を埋め立てた名残りです。熱田宿(宮宿)が、東海道の要所として賑わった名残りとなります。

堀川:ブラタモリ名古屋・熱田編

このように、熱田は、徳川家康の町づくりの、一大拠点だったのです。熱田は、名古屋城から7キロの距離がある点にハンデがありました。徳川家康は、それをどのように克服したのでしょうか?

ブラタモリは、名古屋駅の東、名古屋城の南西にある、四間通・しけみち(地図:A地点)に移動します。

  • 四間通:名古屋駅から東へ徒歩約20分。地下鉄丸の内駅から徒歩6分。

四間道は台地の西のヘリに当たる場所です。江戸時代の初めに造られた、商人が住む城下町の一部です。清洲城の城下町から移転した町です。

タモリさんは、民家に、中京地区特有の屋根神を発見します(2階部分に見える、神棚のような作り)。

四間道の東には、堀川と呼ばれる、運河が流れています。堀川は、名古屋城と熱田の港を結ぶために、徳川家康が、掘らせたものです。堀川は、台地のヘリよりも少しだけ高いところに掘られています。なぜでしょうか?

これは、台地のヘリの低湿地に川を作ると、海の高潮などの影響を受けやすいからです。堀川でも、多少の塩分が検出されます。

堀川の東側には、荷揚げ場のスペースと石垣があります(地図:B地点/一般非公開)。荷揚げ場に主に置かれていたのは、木材です。木材は、どこから運んできたのでしょうか?

これは、木曽山地から、木曽川を介して運ばれて来たものです。1級品の材木の提供が、名古屋の発展を支え続けてきたのです。

ブラタモリ名古屋編の散策に便利なホテル(高評価)

大浴場つき(高評価)

【#90】ものづくり名古屋:ブラタモリ名古屋

動画:名古屋パルコ 公式Twitterより

3度目のブラタモリ名古屋編を記念し、期間限定で、名古屋の象徴・テレビ塔がブラタモリバージョンになりました。

ブラタモリでは、2017年6月放送の、名古屋城編、熱田編に続き、3度目の名古屋編です。名古屋は、1977年から、自動車・航空機・電子機械など製造品の出荷で日本一の座をキープしています。

ブラタモリは、名古屋港にあるトヨタ自動車の積み込み基地を訪ねます。3回目のブラタモリ名古屋編のテーマは、名古屋が生んだものづくり日本とは?です。

  • トヨタ自動車名港センター:愛知県東海市(一般非公開)

製造品の生産高43・8兆円は、全都道府県でダントツの1位。なぜ名古屋は、ものづくりが盛んなのでしょうか? ブラタモリは、堀川の河口を訪ねます。河口周辺には、石垣が残っています。貯木場の水門の跡です。ブラタモリは、貯木場だった場所を訪ねます。

  • 貯水場と水門の跡:ハローワーク名古屋南付近。神宮西駅から西へ徒歩7分。熱田神宮から徒歩15分。

写真:堀川上流の材木店

最盛期には16万平方メートル(ナゴヤドーム3.3個分)の広さがありました。名古屋に木材が集まったことが、自動車産業にどのようにつながったのでしょうか?

案内人は、タモリさんにからくり人形を見せます。ゼンマイで動きお茶を運び、飲み終わると、湯呑みを下げに戻っていきます。お茶碗が重しになり、スイッチが入り、途中で方向を変える仕掛けが組み込まれています。

トヨタグループの創始者、豊田佐吉は木材を使い、織り機を開発しました。その開発は、素材が木材から金属製に変わり、自動車の製造機械につながっていると考えられます。

名古屋城外堀と鉄道:ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、名鉄瀬戸線の東大手駅付近を訪ねます。

ブラタモリのルート

  • 東大手駅から北へ。カーブした道路を観察。
  • 東大手駅から南へ。外堀を観察。
  • 印へ移動。

名鉄瀬戸線の東大手駅は地下にあり、ほぼ真上には、名古屋城の外堀があります。ブラタモリは、東大手駅から北へ歩き、外堀を左に見ながら、住宅地に入ります。

住宅地には、ゆるやかに曲がった道路があります。なぜこの場所にカーブがあるのでしょうか?

これは、鉄道の跡です。

現在は、すぐそばを走る名鉄瀬戸線に付け替えられていますが、かつては空堀である外堀のなかを走っていました。線路は、ここから瀬戸へ向かっていました。

名古屋城は熱田台地にあるため、瀬戸方面と高低差のない低い外堀に瀬戸電(瀬戸電気鉄道)の線路が引かれたのです。名古屋で絵付けされた陶磁器(瀬戸物)は、ヨーロッパへ輸出され、大変な人気を得ていました。名古屋では、かつて、海外へ輸出される陶器の7〜8割を製造していたのです。

ブラタモリは、東大手駅付近に戻り、外堀のなかを南へ向かいます(一般非公開。道路から外堀を見学できます)。

瀬戸電が、外堀の角の急カーブを曲がるときは、低速で慎重に運転していました。この急カーブは、お濠(ほり)電車と呼ばれて親しまれた瀬戸電の、ハイライトにあたります。ブラタモリでは、鉄道模型で、台車がきしむ様子を確かめます。

  • 外堀の急カーブ:外堀通り・市政資料館南信号付近(地図では南側のB地点)

ブラタモリは、外堀通り(名古屋高速都市環状線の高架下)を西へ向かい、かつての瀬戸電の終点・堀川駅だった場所を訪ねます。痕跡として石垣が残っています。堀川駅のすぐそばには、堀川が流れており、瀬戸物は、ここで水運に引き継がれました。

堀川と閘門(こうもん):ブラタモリ名古屋

水運が盛んだったころ、大動脈だった堀川は船で混雑します。どのように解決を図ったのでしょうか?  ヒントは、2つの水門(閘門)です。

  • 閘門(北側):山王駅近く、南北橋付近

堀川の西側には、バイパスである中川運河が作られたのです。水位を調節するために、北側(山王駅付近)と南側(名古屋港付近)に閘門(こうもん)が作られました。堀川は、海面の影響を受け、干潮時には水運が停止していましたが、中川運河により、潮の満ち引きに左右されない水運が実現しました。 ブラタモリは、チャーター船で南へ向かい、海側の閘門を訪ねます。閘門を出ると、名古屋港に出ます。

  • 閘門(南側):名古屋港、中川橋付近

閘門(こうもん)は、1つめの水門を船が通過したあとに水門を閉め、2つめの水門を開放し、本流から水を流し込むことで水位をそろえる仕組みです。

パナマ運河も、閘門の仕組みが用いられています。閘門は、全国に多数存在しており、大都市圏にもいくつか見られます。

  • 石井閘門(稼働中では最古) 、脇谷閘門 – 宮城県石巻市。
  • 見沼通船堀 – 埼玉県さいたま市。遺構。
  • 荒川ロックゲート – 東京都江戸川区小松川。2005年10月に供用開始。
  • 扇橋閘門 – 東京都江東区猿江。
  • 中島閘門、牛島閘門 – 富山県富山市。中島閘門は観光船が通行(冬季運休)。
  • 松重閘門 – 名古屋市中川区。遺構。
  • 船頭平閘門 – 愛知県愛西市立田町福原。観光船が通行(冬季運休)。
  • 三栖閘門 – 京都府京都市伏見区。遺構。
  • 毛馬閘門 -大阪府大阪市北区。
  • 尼崎閘門(尼ロック) – 兵庫県尼崎市西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。
  • 下関漁港閘門 – 山口県小門海峡。世界最小のパナマ運河式水門。
  • 三池港閘門 – 福岡県大牟田市。世界文化遺産。

東山動植物園:ブラタモリ名古屋

ブラタモリは、東山動物園を訪ねます。

東山動植物園では、陶器の破片が多く見つかります。東山動植物園周辺は、古墳時代から室町時代にかけて、陶器の一大産地だったのです。瀬戸、多治見、常滑といった現在有名な産地は、名古屋の東部丘陵地帯が、原点ではないかと考えられます。

  • 陶器が落ちていた場所:ライオン舎そばの池と、シマウマ舎の間の斜面。

常滑焼の上のデザインの壺は、愛知県の家庭でよく使われています。


(まとめ)ブラタモリ名古屋の歴史・地形が分かる旅行見どころのまとめ #75 76 89

(名古屋城)

  • 尾張のかつての中心は、清洲城。家康は、その南の荒れ地に、名古屋城を築城します。
  • 本丸すぐ東の、搦手馬出(からめてうまだし)では、大坂の陣に至る戦いへの備えと、平定後に備えた広いスペースの確保の両立が見られます。
  • 名古屋城南すぐの城下町では、工夫された町割りが、繁栄を呼びました。

(熱田神宮)

  • 熱田神宮は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長から書簡を納められた、重要な神社です。
  • 付近の東海道には行き止まりがあり、七里の渡しへと旅人を誘導します。
  • 熱田の港と名古屋城を結ぶ堀川は、台地のヘリの少し東を流れます。木曽からの材木は、名古屋の繁栄を支えました。

(ものづくり名古屋)

  • 製造品の出荷1位は愛知県。トヨタ自動車の原点は、堀川で運ばれた木材にあります。
  • 名古屋城の外堀には、電車が走っていました。瀬戸から瀬戸物を運んだ、名鉄瀬戸線の原点です。室町時代以前の陶器の生産の中心は、現在の東山動植物園周辺でした。
  • 繁栄でパンクした堀川のバイパス、中川運河は閘門(こうもん)により水位を保つことで、輸送量を確保しました。

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