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世界遺産富岡製糸場 観光・歴史・見学所要時間オールガイド

2016/06/20

富岡製糸場を初めて訪ねる際には、どこを観光すればよいのか、どのような歴史を持つのか、見学見学所要時間はどれくらい必要なのかなど分からないことが多くあります。この記事で全て解決できます。すべて現地取材による情報です。

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(結論)富岡製糸場の観光・歴史・見学所要時間

富岡製糸場 レンガ

✔ 絶対に見るべきは正門すぐの「東置繭(おきまゆ)所」と正門左手の「繰糸場(そうしじょ)」の国宝。次に見るべきは「検査人館」「女工館」「首長館」の重要文化財。駆け足で見るなら時間は合計30〜40分程度。

✔ 「東置繭(まゆ)所」の解説資料をよく読む人は+10分。ビデオを見ると+20分。

✔ リピートはないという感想を言う人も多数いるが、理由は予習不足で歴史的な価値を理解できなかったから。「東置繭(おきまゆ)所」のビデオが20分かかるため敬遠され、ガイドツアー(200円)、有料ガイド機(200円)、スマホ(QRコード読み取りアプリが必要)の音声ガイドの利用率も決して高くありません。この記事で予習は終わります。

(基本情報)富岡製糸場へのアクセス

✔ 電車で富岡製糸場へ向かう場合、高崎駅から「上信電鉄」に乗り上州富岡駅で降り徒歩15分。歩き方は駅前に地図や観光マップ置き場があるので簡単。

✔ クルマの場合冨岡ICから10分。駐車場案内

✔ 東置繭(おきまゆ)所、繰糸場(そうしじょ)のほか西置繭所も国宝(工事中)。給水塔、蒸気釜所、煉瓦積み排水溝は重要文化財(いずれも非公開)。鉄製煙突基部、旧候門所(記念碑のみ残存)は重要文化財の附(つけたり)指定。

30秒で分かる富岡製糸場のまわり方

富岡製糸場 構内図

✔ 正門すぐの「東置繭(おきまゆ)所」で、まず資料展示を見る人が大半。

✔ つぎに中に入れない「検査人館」「女工館」を左手に見て、「繰糸場(そうしじょ)」または「首長館」へ行く人が大半。

20分のビデオを3分で分かるようにまとめました

「東置繭(おきまゆ)所」の20分間の観光・見どころビデオを3分にまとめました(少し豆知識を足してあります)。これを移動中に読んでおくと、時間を取られずに楽しむことができます。

✔ 富岡製糸場は明治5年(1872年)に操業を開始した世界最大級の製糸場です。

本庄市 観光

✔ 明治維新直後の日本は生糸の輸出に力を入れていました。しかし技術力が低く評判は落ちるばかり。そこで政府は横浜で生糸の検査官をしていたフランス人のポール・ブリューナ氏にモデル工場の建設を依頼します。

✔ ポール・ブリューナ氏は、東京の多摩地区、群馬県、長野県などを回りモデルとなる国営製糸場にふさわしい場所を探しました。なぜ不便な冨岡が選ばれたのでしょうか?

✔ 冨岡が選ばれたのは、養蚕が盛んで、土地が十分に空いており、動力源となる石炭が豊富に産出したことなどが理由でした。

富岡製糸場 東置繭所

✔ 富岡製糸場は現在も保存状態が良いため、日本の近代化の象徴として世界遺産に選ばれました。

✔ 上の写真は「東置繭(おきまゆ)所」です。ガの一種であるカイコがまゆを作るのは年に一度きりですので、大規模な貯蔵庫が必要なのです(2階に保管、1階は作業場)。

✔ カイコは野生では生きることができず、唯一の家畜化された昆虫として知られています。

富岡製糸場 レンガ

✔ 富岡製糸場はレンガで作られた大規模建造物で唯一現存しているものです。

 ポール・ブリューナ氏は、日本の大工さんの腕と西洋の技術を折衷させる方法として「木骨煉瓦造」をヨーロッパから導入しました。木で枠組みを作り、間にレンガを積む工法です。

富岡製糸場 礎石

✔ 長い柱を支える「礎石」は、冨岡の建物の固い地盤に食い込み、今でも寸分のズレなく建物を支えています。冨岡の強固な地盤と日本の丁寧な建築技術が建物を長期に渡り生かし続けているのです。

富岡製糸場 レンガ フランス式

✔ レンガは縦、横を交互に積む「フランス式」(一部例外あり)。

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出典:ツイッター@daijitk

✔ ちなみに東京駅は内部構造は縦積みの層、横積みの層を繰り返す「ドイツ式」。外から見える化粧レンガはもっぱら小さな面が見える「小口積み」です。

●赤色 レンガは甘楽町(かんらまち)福島産。瓦職人が製造を請け負いました。
●青色 レンガの目地は下仁田(青倉・栗山)産。原料は石灰石。
●黄色 礎石は甘楽町小幡産。砂岩を用いています。

富岡製糸場 操糸場

✔ 明治5年(1872年)に操業を開始した製糸場がなぜ現存しているのでしょうか?

✔ ほかの製糸工場は技術の進歩や機械の大型化に合わせ、何度か建て直されています。富岡製糸場は民間に払い下げられてからも建て直しはありませんでした。

富岡製糸場 操糸所

✔ 冨岡製糸場が建て直しをまぬかれたのは柱のない「トラス構造」によります。トラス構造とは鉄橋のように三角形を使って強度を保つ構造です。ブリューナ氏がヨーロッパから導入しました。

✔ 広大な柱のない空間を持つ富岡製糸場の「繰糸場(そうしじょ)」は、機械の大型化があっても取り壊す必要はありませんでした。

富岡製糸場 見どころ

✔ 「繰糸場(そうしじょ)」はじめ、富岡製糸場の建物が非常に横に長いのはなぜなのでしょうか?

✔ これは石油ランプがようやく普及し始めたばかりで、大がかりな照明設備が難しい日本の状況に合わせ、少しでも自然光を取り入れようとの工夫です。さらに日本人の体格に合わせ作業台も低めに設計されました。

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出典:http://es.ipcdigital.com/

✔ ブリューナ氏は富岡製糸場を建てる前に、日本の手作業の製糸技術を見学しています。そのときに気づいたのが一度巻いた生糸を二度巻きする工程です(揚げ返し)。なぜ当時、このような一見無駄な工程が存在したのでしょうか?

✔ これは湿度対策でした。日本の湿潤な気候では、良い生糸を作るためにこの揚げ直しが必要不可欠だったのです。ブリューナ氏はヨーロッパの機械をそのまま取り入れるのではなく、改良することにしました。

✔ 建物に利用されたガラスも当時としては珍しいものです。

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出典:筆不精者の雑彙

✔ 明治初期の工場では下水設備がないことが普通でした。しかし富岡製糸場は、壁をセメント、天井をレンガでアーチ形とし強度を出した下水を完備していました。

✔ これによって下水をため込むことのない衛生的な工場が誕生したのです(下水道は非公開)。

出典:楽天(クリック対応)

✔ 冨岡製糸場が世界遺産に決まったとき、元祖ブラック企業では?という声がネット上に出ました。しかし富岡製糸場は当時としては画期的な日曜定休。年間の休日も保証されており、良家のお嬢様も働きに来ていました。

✔ 国鉄高山線開通前に、高山から野麦峠を越え岡谷まで歩いた「あゝ野麦峠」のイメージと混同があったようです。岡谷で働いた女工たちも、高山の農家よりは楽という声も多かったようで、先入観で物事を見てはいけないということでしょう。

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出典:筆不精者の雑彙

✔ 製糸場は大量の水を使用します。開業当初、水槽(非公開)はレンガとセメントで作られていましたが、水漏れから当時珍しい鉄製となりました。造船技術のリベット打ちの技術を転用して作られました。

※なお、水槽の近くにある鉄製煙突の基部には今では利用が減った四角のボルトが使われています。

富岡製糸場 ブリュナ館

✔ 指導者ブリュナ氏が住んでいたブリュナ館です。明治4年にこの地を去りました。

✔ 彼が去った後も富岡製糸場が長く日本人に守られてきたのは、ブリュナ氏が日本人の技術や風土をよく観察、理解し、ヨーロッパの技術をそのまま持ち込むのではなく日本の良さを生かそうとしたところに大きな要因があります。

✔ 冨岡製糸場は日本の近代化を知る機会となるだけでなく、どのように国と国、人と人が良い関係を築けるかの大きな手本になっています。いまもブリュナ氏が日本人に慕われていることは、「理解してから理解される」という人間関係の原則の正しさを証明しているようにも見えます。

参考:7つの習慣(ビジネス書)第5の習慣「理解してから理解される」(外部サイト)

以上をご覧の上で「富岡製糸場」を訪ねれば、面白くない、一度見れば十分とはならないはずです。ランチやカフェも良く探せば当たりがあります。詳しくは下の記事で。

外国人も納得 富岡製糸場ランチ・食事・カフェのおすすめ


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