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【現地取材】富岡製糸場の観光と見学所要時間&歴史ガイド

2017/03/04

富岡製糸場を初めて訪ねる際には、観光すべき場所、見学所要時間、歴史の下調べが必要です。この記事で全て解決できます。すべて現地取材による情報です。

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筆者:国内旅行年100日

(結論)富岡製糸場の観光・歴史・見学所要時間

  • 富岡製糸場の観光ポイントとして、絶対に見るべきは正門すぐの東置繭(おきまゆ)所と正門左手の繰糸場(そうしじょ)の2か所の国宝です。次に見るべきは検査人館・女工館・首長館の重要文化財。駆け足で見るなら時間は合計30〜40分程度です。
  • 東置繭(まゆ)所に設置された、解説資料をよく読む人は+10分。解説ビデオを見るなら+20分。
  • リピートはないという感想も目立ちますが、理由は予習不足で、歴史的な価値を理解できなかったから。東置繭(おきまゆ)所のビデオが敬遠され、ガイドツアー(200円)、有料ガイド機(200円)、スマホ(QRコード読み取りアプリが必要)の音声ガイドの利用率も決して高くありません。この記事で、予習は終わります。

(基本情報)富岡製糸場へのアクセスと備考

アクセス

  • 電車で富岡製糸場へ向かう場合、高崎駅から「上信電鉄」に乗り上州富岡駅で降り徒歩15分。歩き方は駅前に地図や観光マップ置き場があるので簡単。
  • クルマの場合冨岡ICから10分。駐車場案内

備考(その他の見どころ)

  • 西置繭所 … 国宝(平成31年度まで工事中)
  • 給水塔、蒸気釜所、煉瓦積み排水溝 … 重要文化財(非公開)
  • 鉄製煙突基部、旧候門所(記念碑のみ残存) … 重要文化財の附(つけたり)指定

30秒で分かる富岡製糸場の見学コース

  1. 正門つき当たりの東置繭(おきまゆ)所で、まず資料展示を見る人が大半。
  2. つぎに中に入れない検査人館・女工館を左手に見て、繰糸場(そうしじょ)首長館とまわるコースがおすすめ。

富岡製糸場 3分で分かる、20分の解説ビデオ

「東置繭(おきまゆ)所」の20分間の観光・見どころビデオを3分にまとめました(多少知識を足してあります)。これを移動中に読んでおくと、富岡製糸場で時間を取られずに楽しむことができます。

富岡製糸場は、明治5年(1872年)に操業を開始した、世界最大級の製糸場です。

明治維新直後、日本は、生糸(=蚕のまゆの成分。絹糸の原料)の輸出に力を入れていました。しかし、技術力が低く、海外での評判は良くありませんでした。そこで政府は、横浜で生糸の検査官をしていた、フランス人のポール・ブリューナ氏にモデル工場の建設を依頼します。

ポール・ブリューナ氏は、東京の多摩地区、群馬県、長野県などを回り、モデルとなる国営製糸場にふさわしい場所を探しました。なぜ、不便な冨岡が選ばれたのでしょうか?

冨岡が選ばれたのは、周辺で養蚕が盛んであり、土地が十分に空いていること、さらに動力源となる石炭が豊富に産出したことなどが理由でした。

富岡製糸場は、現在も保存状態が良いため、日本の近代化の象徴として世界遺産に選ばれました。

上の写真は東置繭(おきまゆ)所」です。ガの一種であるカイコが、まゆを作るのは年に1度きりのため、大規模な貯蔵庫が必要なのです(2階に保管、1階は作業場)。

カイコは野生では生きることができず、唯一の家畜化された昆虫として知られています。

富岡製糸場は、レンガで作られた大規模建造物で唯一現存しているものです。

ポール・ブリューナ氏は、日本の大工の腕と、西洋の技術を折衷させる方法として木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)を導入しました。木で枠組みを作り、間にレンガを積む工法です。

長い柱を支える「礎石」は、冨岡の建物の固い地盤に食い込み、今でも寸分のズレなく建物を支えています。冨岡の強固な地盤と、日本の丁寧な建築技術が、建物を長期に渡り生かし続けているのです。

富岡製糸場のレンガは、縦、横を交互に積むフランス積みが基本です(一部例外あり)。

※東京駅は、ステーションギャラリーで見学できる内部構造が、イギリス積み(縦積みのだけ層、横積みのだけ層を繰り返す)。外から見える、化粧レンガはもっぱら小さな面が見える小口積みです。

  • 地図:●印 富岡製糸場
  • 地図:印 レンガは甘楽町(かんらまち)福島産。瓦職人が、製造を請け負いました。
  • 地図:印 レンガの目地は、下仁田(青倉・栗山)産。原料は石灰石。
  • 地図:印 柱を支える礎石は、甘楽町小幡産。砂岩を用いています。

写真:内部が写真になることの多い、国宝・繰糸場(そうしじょ)の外観

明治5年(1872年)に操業を開始した富岡製糸場が、なぜ現在も破損することなくしているのでしょうか?

富岡製糸場以外の製糸工場は、技術の進歩や機械の大型化に合わせ、何度か建て直されています。富岡製糸場は、民間に払い下げられたあとも建て直しはありませんでした。

写真:国宝・繰糸場(そうしじょ)の内部

冨岡製糸場が建て直しをまぬかれたのは、柱のない「トラス構造」によります。トラス構造とは鉄橋のように、三角形を使って強度を保つ構造です。ブリューナ氏がヨーロッパから導入しました。

広大な柱のない空間を持つ、富岡製糸場の繰糸場(そうしじょ)=写真は、機械の大型化があっても取り壊す必要はありませんでした。

繰糸場(そうしじょ)はじめ、富岡製糸場の建物が、非常に横に長いのはなぜでしょうか

これは石油ランプがようやく普及し始めたばかりで、大がかりな照明設備が難しい日本の状況に合わせ、少しでも自然光を取り入れようとの工夫です。日本人の体格に合わせ作業台も低めに設計されました。

なお、建物に利用されたガラスも当時としては珍しいものでしす。

出典:http://es.ipcdigital.com/

ブリューナ氏は富岡製糸場を建てる前に、日本の手作業の製糸技術を見学しています。そのときに気づいたのが1度巻いた生糸を2度巻きする工程です(揚げ返し)。なぜ当時、このような一見無駄な工程が存在したのでしょうか?

これは湿り気への対策でした。日本の湿潤な気候では、良い生糸を作るために、この揚げ直しが必要不可欠だったのです。ブリューナ氏はヨーロッパの機械をそのまま取り入れるのではなく、改良することにしました。

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出典:筆不精者の雑彙

明治初期の工場には、下水設備がないことが当たり前でした。しかし、富岡製糸場は、強度を高めるために、壁をセメント天井をレンガによるアーチ形とした下水を完備していました。

これによって、下水をため込むことのない衛生的な工場が誕生したのです(下水道は非公開)。

富岡製糸場は、元祖ブラック企業だったのか

出典:楽天(クリックできます)

冨岡製糸場が世界遺産に決まったとき、「元祖ブラック企業では?」という声がネット上に出ました。しかし、富岡製糸場は当時としては画期的な日曜定休で、年間の休日も保証されており、主に良家のお嬢様が働きに来ていました。

高山から野麦峠を越え、岡谷・諏訪まで歩いた「あゝ野麦峠」のイメージと混同があったようです。岡谷で働いた女工たちも、高山の農家よりは楽という声も多かったようで、先入観で物事を見てはいけないということでしょう。

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出典:http://bokukoui.exblog.jp/

製糸場は大量の水を使用します。開業当初、水槽はレンガとセメントで作られていました(非公開)。その後、水漏れが起こり、水槽は当時珍しい鉄製となりました。造船技術のリベット打ちの技術を転用して、作られています。

※なお、水槽の近くにある鉄製煙突の基部には、今では利用が減った四角のボルトが使われています。

写真は、富岡製糸場の指導者ブリュナ氏が住んでいたブリュナ館です。明治4年、役目を果たしたブリュナ氏は、富岡の地を去りました。

ブリュナ氏が去った後も富岡製糸場が長く日本人に守られてきたのは、なぜだったのでしょうか? それは、ブリュナ氏が、日本人の技術や風土をよく観察、理解し、ヨーロッパの技術をそのまま持ち込むのではなく、日本の良さを生かそうとしたところに要因があります。

冨岡製糸場は日本の近代化を知る機会となるだけでなく、どのように国と国、人と人が良い関係を築けるかの良い手本になっています。いまもブリュナ氏が日本人に慕われていることは、「理解してから理解される」という人間関係の原則の正しさを証明しているようにも見えます。

以上をご覧の上で「富岡製糸場」を訪ねれば、面白くない、一度見れば十分とはならないはずです。ランチやカフェも良く探せば当たりがあります。詳しくは下の記事で。

富岡製糸場 ランチ・カフェの全て


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