【ブラタモリ軽井沢への道】全ルートまとめ|碓氷峠越えの歴史を探る(鉄道文化むら) #24 | とらべるじゃーな!|エモ静ずらし旅

【ブラタモリ軽井沢への道】全ルートまとめ|碓氷峠越えの歴史を探る(鉄道文化むら) #24

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NHK番組のブラタモリ軽井沢への道編で、タモリさんが、坂本宿鉄道文化むらなどを訪ね碓氷峠越えの歴史を探りました。このページでは、ブラタモリ軽井沢への道編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。




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碓氷峠越えの工夫|ブラタモリ軽井沢への道

旧軽井沢
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現在は、東京から北陸新幹線で約1時間で到着する軽井沢。

ブラタモリは、軽井沢駅の旧軽井沢側からスタートします。群馬県側(横川)に向かう線路が途切れている部分が見えますが、なぜなのでしょうか? 

軽井沢の手前にある碓氷うすい峠は、江戸時代には、江戸から軽井沢を経由し京都へ向かう中山道で、最初の難所として知られていました。ブラタモリのテーマは、人はどう碓氷峠を超えてきたか、です。

ブラタモリは、碓氷峠にある、熊野皇大神社周辺に向かいます。上信国境くにざかいの石碑があり、飲食店(元祖力餅 しげの屋)には、国境(県境)を示す、赤いラインが引かれています。そのラインの先には、熊野皇大神社の参道が。山道が、国境(県境)になっていたのです。

参道にある、県境を示すもの。

  • アクセス 軽井沢駅からタクシー9分(2340円前後)

熊野皇大神社は、上信国境にあるため、江戸時代には、両国の神職が交代で管理をしていました。タモリさんは、軽井沢のある長野県側から群馬県側に峠道を歩き、かつての碓氷峠越えを体験します。

国境(県境)は実は最高地点ではなく、近くの道路上に最高地点があります。最高地点は、太平洋に流れる利根川水系と、日本海側に流れる水系の境目(分水嶺)となっているはずです。

タモリさんは、実際に水を流して、分水嶺の場所を割り出しました。水が、長野県側でも群馬県側でもなく、道路を横切るように流れる場所が分水嶺です。写真の個人宅の位置が、分水嶺(写真では左が群馬県側)となっていました。

うっひょっひょーの森より

地図で示した地点から道路に直角に線を引き交わるところ。地図で示した地点には、以前いづみやという茶屋があり、その奥に写真の看板がある。

ブラタモリは、徒歩で峠の見晴らし台へ向かいます。群馬県側の景色を、見渡すことができます。

群馬側に連なる山々は、関東平野を囲むように連なっており、どこかを超えなければ、碓氷峠を超すことはできません。

碓氷峠の高度そのものは、広大な高原であり標高が高い軽井沢一帯よりむしろ低く、標高差は200mほどしかありません。しかし、群馬県側の横川から軽井沢までは、800mもの高低差があります。

K1@k1transformedさんのツイートより

これは片峠と呼ばれます。横川(群馬県)から軽井沢(長野県)に登るのが非常に大変だったのです。

標高が高い場所に、広大な平地である軽井沢の高原ができた理由は、ブラタモリ軽井沢編で取り上げられています。

ブラタモリは、旧中仙道を歩き、碓氷峠を群馬県側に下ります。しかし、東洋随一の難所というには程遠い、まるでハイキング道のような、なだらかな道が目立ちます。それはなぜなのでしょうか?

なだらかな地形は、100万年前、峠の北側にある山が噴火したさいの溶岩流によるものです。中山道を敷設する際に、溶岩でならされた、なだらかな場所を選びとったのです。

ブラタモリは、坂本宿にある、旧坂本小学校前を訪ねます。

江戸時代、江戸から碓氷峠をめざす旅人は、写真の山(碓氷峠)を見て、かなりの山越えを覚悟したかもしれません。しかし、300mの急坂をクリアすれば、横川から軽井沢間への道は、溶岩流の効果で、予想よりもなだらか。また、軽井沢(長野県)に入ってしまえば、下ることはなく、平たんな道が続いていたのです。

ページは後半に続きます。

横川側に坂本宿が新設された理由は?|ブラタモリ軽井沢への道

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中山道の群馬側(横川駅側)の宿場町は、坂本宿。軽井沢より多い、40軒の宿屋がありました。

通りの家々には、宿屋だった時の名前がわかる、標識が見られます。ここ坂本宿にも、峠越えの工夫があります。

ブラタモリは、坂本宿の民家を訪ねます。タモリさんは、写真の車庫の右の細い道を入ります。約3分歩き続けると、最後は畑に。間口に対し、300mもの極めて長い奥行きがありました。

間口で税が決まった、江戸時代の町割りの名残です。坂本宿は街道の整備にあたって、原野に敷設された、計画的な宿場町だったのです。

坂本宿の手前(江戸の方向)にある碓氷関所は、取り調べが厳しいことで知られ、行程の遅れが頻発していました。そのため、夕方や夜になって行き場がなくならないよう、旅人の利便を図って作られた宿場町だったのです。

群馬でブラタモリ内容
現地取材草津温泉(#146)草津温泉のたっぷり、アツアツ、ピリピリのお湯は、なぜ生まれたのでしょうか?
浅間山(日本のポンペイ鎌原村)(#145)浅間山の噴火のなかでも、歴史に残る天明の大噴火。最後の1日は驚くべきことが続きました。
現地取材 沼田(#31)沼田はフランスの教科書にも載る典型的な「ある地形」。駅から町へは階段を登って向かいます。
軽井沢への道(横川・碓氷峠)編(#24)|長野県にも分類世紀の難所・碓氷峠ですが、意外になだらか? タモリさんはめがね橋、アプト式の遺産を見学。
現地取材軽井沢(#16)なぜ標高900mに広大な平地が出現し、またなぜ軽井沢は斜陽から復活を遂げたのでしょうか?
(注)浅間山は、群馬県と長野県にまたがります。

鉄道はどのように碓氷峠をこえたのか|ブラタモリ軽井沢への道

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ブラタモリは、明治時代の峠越えを探るために、碓氷峠の鉄道遺産であるめがね橋(碓氷第三橋梁)を訪ねます。日本最大のアーチのレンガ橋です。

明治25年碓氷峠に鉄道を通すための橋として、完成しました。富国強兵のため、東京から日本海側(直江津)を結ぶ鉄道の建設は、悲願だったのです。鉄道の開業(明治5年、1872年)からわずか20年後ことです。

ブラタモリ日本の鉄道スペシャル

めがね橋は、峠越えの道路からすぐの場所にあり、階段で上へ登ることができます。線路は撤去され、遊歩道として整備されています。高さが31mもあり、高所恐怖症のタモリさんは早々に退散!

続いて、めがね橋の北側にあるトンネル跡に入ります。

歩けばそれほどの傾斜を感じない66.7パーミルは、鉄道にとっては非常な急勾配(40パーミルでも相当な急勾配に分類されます)。高い技術を持つ現在のJRにもない急勾配です。

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ブラタモリは横川駅近くの鉄道路線跡に作られた、鉄道文化むらを訪ねます。横川から軽井沢への信越本線の廃線跡を利用しています。

明治時代の鉄道開通時に使用された、アプト式のラックレールが残されています。列車の歯車と線路の歯車を組み合わせ、急勾配を登る方式です。めがね橋の上にも、このラックレールが敷かれていたのです。

タモリさんと鉄道文化むらのスタッフが、あさま号を手で押しスペースを開けると、車庫からED42型が出てきます。

茶色の電気機関車が、アプト式のED42形です。

アプト式に対応した車体の下には歯車があります。電気機関車ED42形は、車体の歯車と線路の歯車を噛み合わせることで、横川・軽井沢間を48分かけ登っていました。

1934年から1948年までは、ED42形が使用されていましたが、日本が成長期に入り、アプト式のスピードの遅さが問題となります。機関車のつけ替えの間に売られていた駅弁が、峠の釜めしです。

そしてEF63E型が開発されました。横川軽井沢間は17分に短縮されました。

タモリさんは、実際にEF63E型の運転に臨みます!(申込制で、事前講習を受け体験運転が可能です。毎月最初の営業日の午前10時から、2ヶ月先の講習予約を電話にて先着5名募集)

警笛を鳴らし、おそるおそる5ノッチまでハンドル操作を進めると、列車は加速し、左手に碓氷峠が見えます。タモリさんは、在来線の信越本線から乗客として見たことがある景色に、深く感慨。800mの走行後、少しオーバーランしたものの、無事に停車させることができました。

群馬でブラタモリ内容
現地取材草津温泉(#146)草津温泉のたっぷり、アツアツ、ピリピリのお湯は、なぜ生まれたのでしょうか?
浅間山(日本のポンペイ鎌原村)(#145)浅間山の噴火のなかでも、歴史に残る天明の大噴火。最後の1日は驚くべきことが続きました。
現地取材 沼田(#31)沼田はフランスの教科書にも載る典型的な「ある地形」。駅から町へは階段を登って向かいます。
軽井沢への道(横川・碓氷峠)編(#24)|長野県にも分類世紀の難所・碓氷峠ですが、意外になだらか? タモリさんはめがね橋、アプト式の遺産を見学。
現地取材軽井沢(#16)なぜ標高900mに広大な平地が出現し、またなぜ軽井沢は斜陽から復活を遂げたのでしょうか?
(注)浅間山は、群馬県と長野県にまたがります。

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