【ブラタモリ前橋 全ロケ地】巨岩、古墳、消えた前橋城#227

とらべるじゃーな!
とらべるじゃーな!

ブラタモリ前橋編で、タモリさんが、群馬県前橋市を訪ね、巨岩や大きな古墳、消えた名城・前橋城の痕跡を巡りました。ロケ地、内容、関連情報をくわしくご紹介します。

草津温泉ではどのようにアツアツ、ピリピリの火山性の温泉が湧く? 浅間山噴火で埋まった村が現在でも見学できる? 沼田では、フランスの教科書に載る雄大な河岸段丘を訪ねます。

😎前橋(#227)😎草津温泉(#146)😎浅間山(日本のポンペイ鎌原村)(#145)
😎沼田(#31)軽井沢への道(横川・碓氷峠)編(#24)😎軽井沢(#16)

😎マークは、現地取材済みです。

前橋|ブラタモリ前橋

とらべるじゃーな!
とらべるじゃーな!

ブラタモリは、群馬県の県庁所在地の前橋を訪ねます。前橋市は、人口約33万人の地方都市です。

ブラタモリは、群馬県庁前からスタートします。

>>前橋駅からバスで5分。群馬県庁の最上階には展望室があります。(地図

群馬県の形は鶴に例えられ、地元ではおなじみの上毛かるたでも「つる舞う形の群馬県」とうたわれています。

県庁のすぐそばには、以前の県庁舎である昭和庁舎があります。

画像右上に櫓(やぐら)

この建物の場所には、櫓がある旧県庁舎が建っていました。これは江戸時代の前橋城の一部を再利用したものだったのです。

江戸時代には徳川家康も、前橋を重視し、関東の華と呼びました。旅のお題は「なぜ前橋は“関東の華”?」です。

おすすめルート

前橋駅🚌(5分)県庁前バス停・・・群馬県庁(前橋城本丸跡、展望台)・・・県庁の足元の土塁・・・前橋公園の土塁・・・風呂川をたどる…堀の遊園地・・臨江閣・・・前橋公園バス停🚌(10分)前橋駅🚋(JR3分)前橋大橋・・・(徒歩15分)・・・八幡山公園(古墳、台地と低地の段差)

※時間があれば前橋駅に戻り、岩神の飛石へ。なお、臨江閣から岩神の飛石(岩神稲荷神社)は徒歩20分。

高さ20mの巨岩が70km転がった!?ド迫力の前橋誕生物語

岩神の飛石

ブラタモリは、岩神の飛石を訪ねます。

>>前橋駅北口から路線バス各線で約10分。保育園入口・広瀬橋・昭和町三丁目・大渡橋通りなどで下車。各バス停から徒歩約5分(地図)/または臨江閣から徒歩20分。

ブラタモリ 岩神の飛石

境内には高さ10mの巨石。地下に10m埋まっており高さは約20mあります。タモリさんは、安山岩(火山性の岩石)と即答。

安山岩 マグマが非常に急に冷え固まったもの。水晶の成分がやや多い火山岩であり、プレートの沈み込みの上の火山に多い。

安山岩 マグマが非常に急に冷え固まったもの。水晶の成分がやや多い火山岩であり、プレートの沈み込みの上の火山に多い。

岩神の飛石

もともと赤城山の噴火による巨石と考えられていましたが、調査の結果、浅間山由来だと分かりました(2016年)。

周辺のボーリング調査の結果、約2万7千年前、70キロ先にある浅間山が噴火し山体崩壊し前橋泥流で運搬されたことも分かっています。

岩神の飛石は前橋台地上にあり、もとは浅間山からの土砂にうもれていましたが、のちに土砂が浸食され地上に顔を出します。

ブラタモリは、台地と低地を訪ね高低差を確認します(地図)。写真左手が広瀬川低地、右手が前橋台地です。まっすぐ進むとすぐに八幡山古墳です。

前橋周辺は、大きく言えば谷川連峰、奥利根などから流れてくる利根川の扇状地。これは前橋台地と呼ばれますが、浅間山などからの噴出物の影響も受けています。そして前橋市域には広瀬川が流れ、川沿いに低地を作っているのです。

台地と低地がキーワード!古墳時代に咲いた華とは?

八幡山古墳 

ブラタモリは、前橋市にある古墳の1つ、八幡山古墳を訪ねます。見晴らしの良い広瀬川低地に近い高台に古墳を作ることで、権力を誇示していました。

広瀬川は現在は大人し目の中規模河川に見えますが、以前はまさに広い瀬を持つ暴れ川で、前橋台地を下りながら、主に東岸を削って低地を作っていったのです。

アクセス JR前橋大島駅から徒歩14分(地図

八幡山古墳 ブラタモリ

現在の群馬県は、古墳時代、畿内から東国への入り口に当たる交通の要衝でもあり、畿内とのつながりが深く畿内同様の古墳が作られました。前橋には800基以上の古墳があったと考えられています。(八幡山古墳周辺の台地のへりには約200基)

八幡山古墳
八幡山古墳

八幡山古墳は前方後方墳。手前(グランド側)には、川や低地があり防衛にも水利にも恵まれた絶好の場所です。

関東七名城「前橋城」も台地を巧みに利用していた!

ブラタモリは前橋城の土塁跡を訪ねます。南側の県庁の足元にも土塁が残っています。県庁の場所に前橋城本丸がありました。

右手は利根川であり、利根川が作った微高地であることが分かります。

県庁(本丸)側から見ると左手は利根川の流域です。

上空(県庁展望所)から見ると前橋城本丸は、利根川と広瀬川が削った台地の先端にあることが分かります。防衛などの利点から、台地の先端は城の立地としては定番となります。

※正確には広域にわたる前橋台地のなかに、広瀬川低地や利根川の流れがあります。
※台地にある主な城(名古屋城、大坂城)はブラタモリ三英傑で紹介。

前橋城は室町時代前期に築城後、何度も増改築され、江戸時代には三層の天守が造営され、関東七名城の一つに数えられました。その後廃城となりますが、江戸幕府が最後に築城(再建)許可(1867年)を出したお城と言われています。

風呂川
写真は臨江閣の北側の風呂川

城や城下町の日常生活にはもちろん、万が一の籠城時にも水は不可欠。どのように水を確保したのでしょうか? ブラタモリは、古地図を頼りに風呂川(人工の水路)を訪ねます。

Googleマップを加工

ブラタモリでは、土塁から前橋公園の出口の1つに向かい、社会文化会館経由で風呂川をたどっています。なお点線部は遊歩道があると思いますが現地未確認です。徒歩10分足らずのルートです。

前橋城の用水 風呂川 ブラタモリ

風呂川に沿って歩いたブラタモリは、臨江閣の目の前にある掘を再利用した遊園地に到着します。

前橋城のある前橋台地は周囲の河川水面より高いため、下流側からの取水は困難でしたが、広瀬川低地の上流部にある比較的標高の高い地点から水を引くことで、自然流下による給水が可能となっていたのです。

哀れ!涙の前橋城“崩壊”物語

土塁と隣接する利根川の流域(左側)

前橋城はその立地から、数多くの武将が狙いを定めていました。徳川家康は重臣・酒井重忠に「なんじに関東の華をとらせる」と、城主を命じたと伝えられています。

酒井重忠は城の大改修を行い、3層3階の天守も作りました。

1710年の絵図を見ると、利根川の流れが変わり前橋城の敷地は削られてしまっています。さらに大切な水の供給源である風呂川が利根川に合流しそうになり、利根川の流れを変えようと試みましたがお城は徐々に削られます。

前橋城や城下町は、暴れ川・利根川の氾濫の被害をたびたび受け徐々に城は崩壊。1769年(田沼意次の頃)ついに自慢の三重櫓の天守閣が取り壊され、廃城となってしまいました。

しかしその後に岩倉具視は、前橋は日本の華なりという言葉を残しました。これはなぜなのでしょうか?

ブラタモリは臨江閣を訪ねます。前橋の商人がお金を出し合って建てた建物です。

北側から見た様子です。広瀬川低地(手前側)と、前橋城(県庁は本丸の位置)があった台地の境目になります。広瀬川低地から流れる風呂川は、臨江閣付近を通り、台地(標高は同じくらい)にある前橋城に向かいます。

正面(南側)の様子です。臨江閣は、明治期に迎賓館として建てられました。

臨江閣の入口
藩営前橋製糸所跡
藩営前橋製糸場跡(左は風呂川)

明治期の前橋では、生糸の生産が盛んになっていたのです。横浜開港の影響を受け、生糸貿易で好景気となった前橋に、前橋城再築の案が持ち上がります。江戸幕府は、江戸が外国によって攻撃されたさいに、利根川でつながる前橋城を要塞とする案が浮上し前橋城の再築が始まりました。

こうして、砲台も備えた近代的なお城として現在の価値で2000億円をかけ復活しました。しかし、城の完成から4年後に明治維新が起こると、役割を失い再び廃城となり、県庁舎に転用された本丸御殿を除き取り壊されてしまいました。前橋城の再興は幻に終わってしまったのです。

土塁と群馬県庁

群馬県庁(前橋城本丸跡)と土塁。

群馬県庁 ぐんまちゃん

草津温泉ではどのようにアツアツ、ピリピリの火山性の温泉が湧く? 浅間山噴火で埋まった村が現在でも見学できる? 沼田では、フランスの教科書に載る雄大な河岸段丘を訪ねます。

😎前橋(#227)😎草津温泉(#146)😎浅間山(日本のポンペイ鎌原村)(#145)
😎沼田(#31)軽井沢への道(横川・碓氷峠)編(#24)😎軽井沢(#16)

😎マークは、現地取材済みです。

コメントをどうぞ(情報ご提供、旅行相談など)

タイトルとURLをコピーしました