ブラタモリ燕三条編で、タモリさんが、金物の一大産地として知られ、永遠のライバル関係でもおなじみの燕市、三条市を紹介します。このページでは、ブラタモリ燕三条編の、内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。
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新幹線の駅名でもある「燕三条市」?
ブラタモリは、上越新幹線の燕三条駅を訪ねます。
2023年、あるテレビ番組が誤って「燕三条市」と放送し、指摘が相次いだことがありました。燕三条駅があり、誤解もありますが、燕市、三条市は全く別のまち。旅行マニアの間では有名ですが、県外では意外に知られていません。
両市の市境にある新幹線駅が「燕三条駅」なら、高速道路のインターチェンジは「三条燕インターチェンジ」と、一歩も譲りません。
2002年、両市を含む合併話が持ち上がりましたが、燕市で合併の可否を問う住民投票が行われ、わずか721票差で否決。合併は実現しませんでした。
「燕三条」では、タモリさんが旅のお題「燕VS.三条 モノづくりの町 発展のカギとは?」を探ります。
燕三条駅構内に大きな展示スペースがあるように、両市は「金物の町」として知られます。燕市は洋食器の町。三条氏は刃物など鉄製品の町です。また、燕市は職人のまち、三条市は商人のまちとも言われ、江戸時代から競争意識があったとされます。
番組では、冒頭から燕市、三条市の案内人が登場。
洋食器に強いのが燕市。燕市の案内人は、ノーベル賞の晩餐会で用いられたカトラリー(山崎金属工業が担当)や、G7の関係者に配られたカトラリーを紹介。ユリゲラーが、唯一曲げられなかったスプーンも登場します。燕は洋食器の町です。
一方、刃物など鉄製品に強いのが三条。三条市の案内人は、北陸自動車道の三条燕インターが駅よりも先にできたこと、燕三条駅の駅長室は三条市にあることを強調します。三条氏は、刃物など鉄製品の町です。
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地形で分かる!三条でモノづくりが始まった理由|ブラタモリ燕三条
燕三条地区は、信濃川やその支流に囲まれ水害が多く、思うように農業が発達しませんでした。
ブラタモリは、三条市の信濃川沿いを訪ねます。信濃川は、かつて3年に1度、氾濫を起こしていました。あまりに氾濫が多いため、約1000年前を描いたとされる古い地図では、平野部は、まるで海のように表現されていました。平野にもかかわらず米作りが難しかったのです。
三条は、海のように描かれた場所のなかにある燕よりは、やや高い場所にあり、三条の方が先に発展しました。燕市がキラー・カーンを輩出すれば、三条市がジャイアント馬場を輩出と、一歩も譲りません。
ブラタモリは、信濃川の支流、五十嵐川を訪ねます(地図)。五十嵐川は、弥彦山が見える西側から、東へ流れ会津方面にもつながっていました。会津は江戸時代には、かなりの規模の城下町。三条は、会津を経て、江戸につながっていたのです。
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当時は、江戸の町づくりの真っ最中。三条には、五十嵐川から木炭、信濃川からは鉄を運ぶことができました。木炭を燃料に、鉄を和釘に加工し、江戸に供給しました。
サル切り包丁も。三条商人の営業ノウハウとは?|ブラタモリ燕三条
ブラタモリは、三条商人が住んでいた建物を訪ねます(地図)。
お住まいの方は、鎌の形を正確に書いた絵図を保存していました。水戸、上州など、全国の地名があります。これは、各地で求められている鎌の形を書き起こしたものです。
三条商人は、自ら全国各地を訪れて、鉄製品の製造や卸を視察。密接な関係を築き、最新の情報を取り入れたのです。三条市が商人の町と言われたゆえんです。
三条は、現在でも様々な用途に向けた刃物を製造しています。写真は漁師用の血抜き包丁、子取り包丁、網切り包丁(魚網やネットの切断作業)などです。
うなぎ用の包丁は、地域別。
サル切り包丁とは??(正解はこの下)
サル切り包丁とは、山形県米沢市の伝統工芸品である笹野一刀彫を彫るために使われる刃物です。
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世界の燕を生んだ大発見の痕跡が砂浜に?|ブラタモリ燕三条
ブラタモリは、佐渡島が見える、田ノ浦海水浴場(新潟市)を訪ねます(地図)。
三条に製品を安く買い叩かれていたという燕は、どのように独立するきっかけをつかんだのでしょう?
タモリさんは、海岸から銅の原石を発見します。
銅を産出したのは、燕市の北に堤防のように連なる弥彦山です。江戸時代中頃に発見され、弥彦山に開かれた銅山街では、1か月に50トンもの銅を採掘していました。
燕では、銅を常温で叩いて成型する、鎚起銅器の製造が始まりました。番組では、やかん、煙管、矢立て(携帯用筆記具)が紹介されました。
燕では、鎚起銅器の製造から、職人的な加工技術が発達しました。写真は、ステンレス製の茶筒に特殊な技法で着色した茶筒です。
燕では、第1次世界大戦期に、ナイフやフォークなどの大量の注文を受けたことが契機となり、金属洋食器の町として発達。日本有数の外貨獲得地域だった歴史(1985年の円安の頃まで)があります。
柄に鎚起銅器の製法、先端に現在の工法を使用した、燕の歴史が分かるカトラリーもあります。
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燕三条は、洪水をどう克服?|ブラタモリ燕三条
江戸時代にモノづくりがスタートした燕と三条ですが、洪水の問題をクリする必要がありました。
ブラタモリは、信濃川の5キロ西の、堤防のような高まりを訪ねます(地図)。この高まりは、約1.3キロの長さがあり、明治時代に作られたものです。
これは堤防ではなく、田んぼの土壌を改良するための盛り土。胸まで水につかるほどゆるい土に、山から来た土を混ぜ込んでゆきました。
信濃川の水を逃がす、分水路が明治3年に着工され、水を逃がした後、土壌改良が進められました。
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燕三条駅三条口|ブラタモリ燕三条
ブラタモリは、燕三条駅の三条口を訪ねます。弥彦線の線路が見えます。
弥彦線は、越後線と信越本線の間にある、洪水で線路を引けなった地帯を横断するように結びました。1916(大正5)年、越後鉄道がまず吉田~弥彦間を開通。終点弥彦には、弥彦神社があり、当時は参宮鉄道とも呼ばれました。
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由緒正しき神社の境内で遭遇!モノづくりの職人たちを支えたのは競輪場!?|ブラタモリ燕三条
ブラタモリは、2400年以上の歴史があるとされる彌彦神社に参拝します(地図)。かつて銅を産出していた弥彦山の麓にあります。
本堂は参道を進み、曲がった先にあります(元の本殿は曲がり角の場所にありました)。本殿が建て直されたのは、弥彦線が開業した大正5年。弥彦線は、参拝のために敷かれた路線でもあったのです。
ブラタモリは、神社の敷地内にある競輪場を訪ねます。本殿立て直しの400mトラックを、競輪ブームに合わせて改装したものです。
競輪場は、燕と三条の職人の息抜きの場所となっていました。
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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