【ブラタモリ佐渡】ロケ地|タモリさんが佐渡金山の歴史を深掘り #46

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NHK番組のブラタモリ佐渡編で、タモリさんが、佐渡の歴史・地形を踏まえた隠れた名所を紹介しました。このページでは、ブラタモリ佐渡編のロケ地、ルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。





新潟でブラタモリ内容
現地取材 糸魚川(#191)フォッサマグナ編からつながる、ブラタモリの人気回。親不知などを訪ねています。
現地取材 フォッサマグナ(#190)日本列島の成り立ちを、糸静構造線やフォッサマグナから解き明かします。ブラタモリを象徴する回。
佐渡(#46)相川地区の道遊の割戸どうゆうのわりとは江戸期の最初の金山。幸運や工夫が佐渡の金山を長持ちさせます。
現地取材 新潟(#45)新潟市は、信濃川、阿賀野川が運んできた砂の町。どのように、田を作り町を作ってきたのでしょうか?

佐渡とは?

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佐渡島へは、新潟駅の北方にある佐渡汽船ターミナルから、船で2時間半。乗り場までは、新潟駅からバスで15分ほどです。

写真は、佐渡汽船出港の様子です。カーフェリーのため、クルマを積みこむ人もいます。出発のドラの音(録音)が印象的で、1度は乗ってみたい航路です。

特徴的なのが、カーペット敷の2等席。島民は、酒盛りをしながら島との間を行き来するのが普通です。床が硬いので、疲れやすい方は、専用ソファ形式の1等客室がおすすめ。

料金が高いものの、移動時間を大幅に節約できる、ジェットフォイル便もあります。なお、北陸新幹線開業に合わせ直江津航路(上越妙高駅下車)が強化されています。

佐渡島は、新潟港からの場合、東岸の両津港に船が着岸します。両津港では、巨大な佐渡おけさ人形が出迎えてくれます。

佐渡島観光の概要

  • 東岸 …新潟航路の両津港がある。周辺は干物屋さんや旅館、小さな歓楽街くらい。トキ保護センターが有名。のんびりとした加茂湖が穴場。
  • 西岸 …集落名は相川。尖閣湾は、佐渡随一の観光地。佐渡金山だけでなく、手前の北沢選鉱精錬所もおすすめ。夕景は、めおと岩が有名。
  • 南側 …直江津航路の小木港がある。たらい舟が人気。新スポットは歴史的保存集落の宿根木(規模は小さ目)。
  • 北側 … 二ツ亀、大野亀景勝地。大佐渡スカイラインは、島全体と海を見降ろすさわやかな自動車道。紅葉期には外せない場所。

南側のたらい舟からスタート|ブラタモリ佐渡

ブラタモリは、佐渡観光ではおなじみのたらい舟(南側の地区)からスタート。ブラタモリのテーマは、黄金の島・佐渡はキセキの島?

佐渡金山の歴史~道遊の割戸・露天掘りの時代~|ブラタモリ佐渡

手掘りで掘り進むうちに、山頂から裂け目が入った
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ブラタモリは、佐渡島西岸の相川地区を訪ねます。佐渡では、江戸時代から平成元年まで、金を取り続けていました。

まず、相川地区の名勝・道遊の割戸どうゆうのわりとを見学します。江戸時代初期、金鉱脈が発見された当初の採掘地です。手掘りで掘り進むうちに、山頂から裂け目が入る形になりました。裂け目の深さは、約74mです。

ブラタモリは、道遊の割戸のふもとに移動します。

石英 光を当てると、光を透過し輝く

金を採掘した巨大な穴に、タモリさんは驚きます。案内人によると、岩盤に見える白い筋が、金鉱脈のサイン。この正体は、石英です。石英は、地底の二酸化ケイ素 が上昇し、冷えて固まった岩石です。

金は白い石英に、黒く封じ込められます。佐渡の金山では、平均して1tに5gの金が入っています。

佐渡の地形は、山地からいくつかの河川が、海に流れ込む形状です。海に流れ去ってしまう金もありますが、曲がりくねった川のため、金鉱石が地上にも残されたのです。

佐渡金山の歴史~宗太夫鉱・初期の炭鉱~|ブラタモリ佐渡

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同遊の割戸周辺の掘りやすい場所の採掘が終わったあと、同遊の割戸の西側に、宗太夫鉱そうだゆうこうが掘られました(江戸時代)。

宗太夫鉱は、佐渡金山の「江戸金山絵巻コース」として見学できます。内部では、人形を使って採掘の様子が再現されています。タガネをペンチで挟む独自の掘り方です。タガネは、2日で1本がすり減ってなくなります。

トロッコの線路が敷かれた明治期の炭鉱の見学は、別料金です。

佐渡の金山は、固い岩盤が特徴なのです。金の採掘に労力を要する固い岩盤は、実は良い点もありました。それは何でしょうか?

岩盤が固いため、江戸時代の技術で縦横無尽に穴を掘り進めても、落盤や崩壊の危険が少なく非常に安全だったのです。この特徴を生かし、坑道は地下650mまで掘り進められました。坑道を全てつなげると400キロの長さになります。

佐渡島の成り立ち

佐渡島の岩盤が硬いのは、生まれた時期と関連しています。佐渡島は、日本列島の中でもかなり古い部類に入ります。佐渡の原点は、ユーラシア大陸の縁でした。3000万年に渡り、 形や位置を変えながら、いまの姿に至っているのです。そして、3000万年の間、自重等の圧力が加わり続け、非常に硬い地盤になりました

奇跡の石 球顆流紋岩|ブラタモリ佐渡

佐渡ジオパーク
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ブラタモリは、佐渡金山から、吹上海岸に移動します。吹上海岸に多く見られる特徴的な岩は、球顆流紋岩きゅうかりゅうもんがんです。

球顆流紋岩は、溶岩のなかに石英の固い丸い粒が入った、特徴的な石です。採掘した金鉱石を粉砕して金を取り出すために、なくてはならないものでした。球顆流紋岩がすぐ近くで手に入ったのは、佐渡の奇跡と言えます。

※球顆流紋岩を拾い集めることは、禁止されています。

佐渡金山で栄えた町|ブラタモリ佐渡

ブラタモリは、佐渡金山で働く人が住んだ、メインストリートの町へ移動します。タモリさんは、上の地図のA地点から海の方向へ下りました。

もとは15軒ほどの集落だった場所ですが、最盛期には周辺に5万人の人口を抱えました。

ブラタモリは、メインストリートを外れ、B地点付近の個人宅を訪ねます。住所表示は、大床屋町。床屋が集まっていたのでしょうか? 庭先には、使われなくなった石臼が、いくつか置いたままになっています。何に使っていたのでしょうか?

石臼は、実は球顆流紋岩で作られており、金鉱石を砕くのに使われていたものです。 火床(製錬)が、床屋の地名の由来です。

佐渡奉行所の役割と位置|ブラタモリ佐渡

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金鉱石から取り出された金は、製錬後、佐渡奉行所(=上の地図の●)に集められました。佐渡奉行所では、精錬された金から、小判を完成させていました。これは全国でも唯一です。

佐渡奉行所の海側には、ブラタモリ熱海編でおなじみとなった、海食崖となっており、海からの侵入は難しくなっています。陸側は川に囲まれ  奉行所の安全を守るための好立地でした。

佐渡金山の歴史~昭和編~|ブラタモリ佐渡

江戸時代初期に始まった佐渡金山ですが、1940年(昭和25年)ごろが、金の産出のピークでした。

この秘密が、球顆流紋岩が採取できる下戸海岸にあります。下戸海岸には、江戸時代に当時の技術では金を取り出せなかった白い金鉱石が大量に捨てられていたのです。

相川の加藤新ニ書店(佐渡市相川塩屋町16)付近には、古い写真と重ねて見なければ分かりませんが、トロッコが走っていた場所があります。海岸で、江戸時代に捨てられた金鉱石を運び、トロッコが登っていった場所には……。

トロッコは、相川地区の北沢浮遊選鉱場跡にたどり着きます。北沢浮遊選鉱場跡は、昭和期の優れた遺産です。

佐渡の金の通り道・出雲崎

佐渡で産出された金は、出雲崎を通り街道沿いに江戸へ向かいました。出雲崎は、隠れた名所です。下のボタンからどうぞ。

新潟でブラタモリ内容
現地取材 糸魚川(#191)フォッサマグナ編からつながる、ブラタモリの人気回。親不知などを訪ねています。
現地取材 フォッサマグナ(#190)日本列島の成り立ちを、糸静構造線やフォッサマグナから解き明かします。ブラタモリを象徴する回。
佐渡(#46)相川地区の道遊の割戸どうゆうのわりとは江戸期の最初の金山。幸運や工夫が佐渡の金山を長持ちさせます。
現地取材 新潟(#45)新潟市は、信濃川、阿賀野川が運んできた砂の町。どのように、田を作り町を作ってきたのでしょうか?

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