NHK番組・ブラタモリ江戸の水編で、タモリさんが東京の水の原点である、玉川上水を紹介しました(11月6日)。このページでは、江戸東京博物館(両国)、羽村取水堰など、ブラタモリ江戸の水編のルート、内容、関連情報をくわしくご紹介します。(再放送・見逃し情報はこちら)
ハイライト まいまいず井戸とは?
ブラタモリのスタッフは、羽村駅前の五の神社を訪ねます。土地がすり鉢状に掘られ、底に井戸があります。まいまいず井戸と呼ばれ、通路がかたつむりのように見えます。当時は、深く井戸を掘る技術がなく、土地を掘り下げた上で、人が行き来する道が作られました。
武蔵野台地は多摩川によって形成された扇状地であり、武蔵野台地には脆い砂礫層の上に更に火山灰の層があるため、特に国分寺崖線から上は地表面から地下水脈までの距離が長い。従って武蔵野台地では他の地域よりも深い井戸を掘らなければ地下水脈に達しないにも拘らず、地層が脆いために地下水脈まで垂直な井戸を掘ることが出来ない時代が長かったのである。(Wikipedia)
江戸東京博物館|ブラタモリ江戸の水
ブラタモリは、東京・両国にある江戸東京博物館を訪ねます。年間150万人が訪ねる人気スポットです。
江戸東京博物館は、2022年3月末をもって休館に入ります。再開は、2025年が予定されています。3月末までの休館日はこちらから。
お訪ねのさいは、修学旅行等の時間と重ならないか、確認しておくと安心です。
江戸東京博物館のイメージ図です。江戸と明治の建物の姿が見えます。地下鉄両国駅、A4出口を出てすぐです。(JR両国駅から徒歩3分)
タモリさんが、日本橋を渡る場面から、番組はスタート。
館内は、日本橋(江戸時代、1810年前後、北側半分を再現)を境に、手前が江戸時代、向こう側が明治以降となっています。建物の再現が、圧巻です。
水との闘い|利根川東遷とは?
関ヶ原の戦いの頃、江戸には、日本屈指の大河川・利根川をはじめ、隅田川、渡良瀬川などいくつもの大河が流れ、氾濫・洪水がたびたび起こる、湿地帯の町でした。
埼玉県伊奈町の町名にも残る伊奈忠次は、織田信長の暗殺直後、上司を失い立場が危うくなった徳川家康の堺から三河への撤退(1582年、伊賀越え)に同行し、信頼を得ました。
堺などを見物目的で訪ねていた家康は、わずか30人余りの軍勢。家康を生涯最大のピンチの1つから救ったのです。
ブラタモリ伊賀忍者(伊賀の服部半蔵も、家康の撤収に協力しました)
その後、徳川家康は、上司にあたる豊臣秀吉から、小田原城の攻略を機に関東への国替えを命じられました。戦乱で荒れ果て、湿地帯だらけの江戸へ行くことに、家臣は猛反対。しかし、測量・土木に詳しい伊奈忠次は、関東への国替えを進言します。
伊奈忠次は、利根川の分流の閉鎖(1594年、会の川締め切り、遺構は川俣締切跡)から始め、氾濫・洪水の元凶、利根川を徐々に東へ移動させます(利根川の変遷図)。
忠次亡き後は、次男が事業を受け継ぎ、1654年、利根川の東遷に成功します。現在の利根川は、流量を管理されたうえで、千葉県銚子で海に注ぎます。
江戸の水の確保|ブラタモリ江戸の水
洪水・氾濫を制圧しても、江戸は、井戸を掘っても塩水しか出ない土地です。徳川家康は、 1594年に始まる利根川東遷と同時進行の形で、1590年に用水の建設を始めました。
江戸時代の町屋には、井戸のようなものが見られます(再現、江戸東京博物館)。江戸には、地下水は出ません。地下水に頼らず、どのように、水を確保していたのでしょうか?
水は、地下の水道管から組み上げられていました。江戸は世界一の水道都市だったのです。ブラタモリは、玉川上水の流路を確認します。江戸の人口の急増によって、作られたのが、40キロにも及ぶ玉川上水です。
多摩川の上流域。御嶽渓谷の様子です。
水質が良く、流量にも恵まれています。
羽村から中継。ブラタモリのスタッフが登場します。
東京都の西部にある、羽村取水堰です。1653年に完成。国立、福生に取水口を設けましたが相次いで失敗してしまい、現在の羽村地点となりました。
写真は多摩川本流となり、水しぶきは、右手より始まる「玉川上水」用として多過ぎた水を戻しています。
羽村取水堰の拡大写真。木を組んで作った板のようなものが見えます。投渡堰と呼ばれるもので、大雨で水量が増えすぎると、自然に外れて、濁流を本流に逃がします。
玉川上水完成から、140年後に書かれた史料しかなく、建設当時の様子はわからない点もあります。
こちらが、玉川上水の出発点です。
玉川上水の出発点からすぐの場所。
羽村取水堰の古地図。左が青梅(源流)側、右が江戸側です。右へ真っ直ぐ引かれたのが、玉川上水、右下へ進むのが玉川(多摩川)本流です。
玉川上水の羽村と四谷の高低差は、わずか92m。羽村から福生の間は、河岸段丘を2段乗り上げています。どのように、水が段丘を登ってゆくのでしょうか?
福生市のある地点で玉川上水を見ると、地表と水面の差はわずか。しかし、少し先には玉川上水が深くなっている場所があります。もう少し先にゆくと、また地表と水面の差は少なくなります。河岸段丘の高さがある場所は深く掘り、そうでないところは浅く掘られています。
河岸段丘の特徴を完全に見極めて、水路が掘られていたのです。では、このルートを考えたのは、誰だったのでしょうか?
※玉川上水流域図(中下流)はこちら。
玉川兄弟です。玉川兄弟は、多摩川沿いの農家であったとの説があります(商人説など諸説あります)。幕府から予算をつけられ、玉川上水の工事を指揮しました。功績を認められ、帯刀、名字を持つことを許されました。
なお、利根川東遷を担当した伊奈氏が、関与したと思わせる史料もあります。
玉川上水の流れの中流域、小金井橋付近の再現です(江戸東京博物館)。当時江戸を朝早く出て、日帰りでお花見が楽しめる距離の限界に位置し、多くの人が訪ねました。
玉川上水は、上中流域では、自然河川の姿をしていました。
ブラタモリ吉祥寺編で、玉川上水の中流域が登場しています!
四谷です。玉川上水は、ここから暗渠に入ります。
ブラタモリは、江戸東京博物館に再現された、井戸を見学します。
地下には、水道管が張り巡らされていたのです。
ブラタモリは、上水枡を見学します。砂などを沈澱させたり、(直線しか構成できない水道管同士を繋ぎ)流路を変えるのに用いられていました。上水枡は、手前と奥とで穴の高さが異なります。
江戸は、ほとんどが平坦でしたので、人工的に高低差を作っていたのです。
家屋を取り払って、地下の様子を再現したものです。
玉川上水は江戸の南部、神田上水は江戸の北部をうるおしましたが、神田上水には玉川上水の水も混ぜられていました。つまり、江戸全体に、玉川上水の水が流れていたと言えます。
ブラタモリのスタッフは、羽村駅前の五の神社を訪ねます。土地がすり鉢状に掘られ、底に井戸があります。まいまいず井戸と呼ばれ、通路がかたつむりのように見えます。当時は、深く井戸を掘る技術がなく、土地を掘り下げた上で、人が行き来する道が作られました。
武蔵野台地は多摩川によって形成された扇状地であり、武蔵野台地には脆い砂礫層の上に更に火山灰の層があるため、特に国分寺崖線から上は地表面から地下水脈までの距離が長い。従って武蔵野台地では他の地域よりも深い井戸を掘らなければ地下水脈に達しないにも拘らず、地層が脆いために地下水脈まで垂直な井戸を掘ることが出来ない時代が長かったのである。(Wikipedia)
玉川上水には、33もの分水が作られ、武蔵野台地を潤しました。東京が西へ拡大できたのは、玉川上水の力だったと言えます。現在も、東京の2割の水をになっています。
玉川上水散歩マップ 羽村取水堰→久我山
玉川上水散策マップ(財団法人東京公園協会)拡大
玉川上水散歩マップ(財団法人東京公園協会)拡大
井の頭公園南の玉川上水は、ブラタモリ吉祥寺編で登場しています!
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😎マークは、現地取材済みです。
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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