【ブラタモリ金沢 全ロケ地】タモリさんが金沢城の守りや石垣、兼六園の水を紹介!#3・4

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NHK番組のブラタモリ金沢編で、金沢の歴史や地形を踏まえた独自の観光スポットが紹介されました。このページでは、ブラタモリ金沢編のロケ地、ルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

石川でブラタモリ内容
能登(#209)なぜ能登の風景は人の心を打つのか? 白米千枚田などを訪ねます。
金沢(#3,#4)金沢城は石垣がみどころ。三代前田利常の石垣は、関が原の戦いが終わり、芸術的でカラフル。

金沢とは?

金沢駅
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戦国時代、寺社(一向宗)による支配が続き、寺町が形成された金沢。江戸時代になると、加賀藩(前田家)は全国最大の100万石を超える藩となり、名古屋と並ぶ城下町に発展しました。

金沢の南東には、標高1644mの山地があり、3つの台地が市街に迫っています。3つの台地の間には川が流れています。3つの台地の1つ、小立野台地こだつのぐちの端に、兼六園や金沢城があります。

ブラタモリ江戸城編で「城は台地の端に建てるもの」というタモリさんの言葉が紹介されました。名古屋城も、台地の端にあります。

武家屋敷跡から惣構の痕跡へ|ブラタモリ金沢

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ブラタモリは金沢編は、金沢城の西、長町武家屋敷跡からスタートします。テーマは、加賀百万石はどう守られた?です。

  • 長町武家屋敷跡 金沢駅より北鉄バスで香林坊へ10分。香林坊より徒歩7分。
冬の長町武家屋敷跡

長町武家屋敷跡を後にしたブラタモリは、金沢城公園や日銀金澤支店の西にある、小川を訪ねます。山側から海側に流れるのではなく、山のある南東の向きに流れています。なぜでしょうか?

小川は、自然の川でなく、人の手で掘った金沢城の堀の跡だったのです。

小川沿いにある建物は、川より一段高くなっています。土塁があった、痕跡です。この堀と土塁(土居とも)を利用し、城や城下町をまるごと守る仕組みを、惣構そうがまえと呼びます。

ヒント 惣は、全てという意味です。

河岸段丘を生かした金沢の惣構
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金沢城は、自然河川の流れの変化よって作られた、河岸段丘上に立地します。

河岸段丘は、ブラタモリ沼田編で特に入念に扱っています。

金沢城防衛のために、堀を作り、掘った土で土塁が作られました。金沢城と城下町は、3重もの惣構で守られています。なぜなのでしょうか?

金沢城当主・前田家の3代目は、徳川家康に謀反の疑いをかけられたため、万一の備えとして3重の惣構を作らせたのです。しかし、同時に和睦への努力を進め、最終的には交戦や、取り潰しは回避されています。

香林坊交差点付近(地図印)の、香林坊東急スクエア入口前には、惣構内部へ渡されていた、当時からの橋の跡が残されています。

惣構(そうがまえ)の内側を探る|ブラタモリ金沢

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総構えの痕跡を発見したブラタモリは、より内側にあった総構えの痕跡を探します。

より内側にあった総構えの痕跡は、地図の上の方にあるA地点から、金沢の台所・近江町市場にある、スーパー・世界の食品ダイヤモンドを歩く道のりに見られます。

近江町市場の一部であるアーケード商店街は、より内側にあった惣構の跡だったのです。近江町市場内のスーパー・世界の食品ダイヤモンド内の階段こそ、惣構の高低差(土塁~堀)の痕跡です。

ヒント 京都のおどいは、惣構の1種です(ブラタモリ京都・おどい)。

兼六園の水はどこから?|ブラタモリ金沢

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タモリさんは金沢城跡・石川門から兼六園に向かいます。

兼六園の徽軫灯籠ことじとうろうは、兼六園のシンボル的存在で、写真にもよく登場します。

アクセス 金沢駅からバス13分、兼六園下下車。徒歩2分。または、近江町市場から徒歩13分。

ブラタモリは、徽軫灯籠のそばから流れだす水路に注目します。スノコのような形状のふたがあり、その先はコンクリートでふたがされていることが分かります。水路の少し先には、石管があります(非公開)。これは辰巳用水の石管です。

金沢城(兼六園)は守りの関係から、台地の先端に立地するため、低地を流れる川から水を汲み上げるのは困難です。どのように金沢城に水を導いているのでしょうか?

サイフォン現象は、2つのバケツを管でつないだときに、管の中が水で満たされると、2つのバケツの水位が同じになろうとする現象でした。

金沢城は、サイフォン現象を利用し、兼六園から11キロほど台地を登った水源から、取水してたのです(現在の辰巳ダム付近)。辰巳用水と呼ばれ、1631年の大火から、金沢を守ったことでも知られています。

引用 金沢市キッズページ

辰巳用水は、兼六園付近(兼六園南東の兼六坂上信号付近から南東方向へ)では開渠ですが、ほとんどが地下水路です。辰巳用水の地下水路は、多数の横穴から、掘られました。古地図で横穴は、カマボコのような記号で表示されています。

ブラタモリでは、地下水路内も放映されました(一般非公開)。地下水路の高さは約2m。長さは4kmほど。昔は壁のくぼみに火を灯していましたが、かなり暗い水路だったと想像されます。

引用 石川県

ブラタモリは、辰巳ダムも訪問しています。辰巳ダムは、兼六園への水路・辰巳用水の取水口となります。

後編は、金沢の新名所・21世紀美術館からスタート

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ブラタモリ金沢編の後編は、金沢城公園(兼六園)の南西にある、21世紀美術館からスタートしました。後編のテーマは「金沢は美のまち」です。

ブラタモリは、金沢の美を、前田家を城主とする、金沢城で探します。金沢城は、石垣の博物館といえるほど、バラエティに富んだ石垣があるのです。特に石垣にこだわったのは、以下の3大名です。

  • 初代・前田利家
  • 3代・前田利常
  • 5代・前田綱紀

  •  初代・前田利家の石垣(野面積み)
  •  3代・前田利常の石垣
  •  3代・前田利常の刻印を伴った石垣
  •  5代・前田綱紀の石垣(正方形)
  •  5代・前田綱紀の石垣(色紙短冊積み)
初代・前田利家のシンプルな石垣

初代・前田利家(戦国時代)の石垣は、丑寅櫓うしとらやぐら跡に残る、シンプルな野面のづら積みです。

野面積みは、石を加工せず積み上げたもののため、でこぼこしており登りやすく、敵の攻略を受けやすいものでした。15mという、当時全国最大レベルの高さで、欠点をカバーしたと思われます。なお、野面積みは、隙間が多いため排水に優れるメリットもあります。

3代・前田利常のカラフルな石垣

3代前田利常の石垣(地図印)は、関が原の戦いが終わった世情を反映し、芸術性が追求されたカラフルなものです。茶色や灰色の石を、バランスよく組み合わせてあります。

地図印の付近では、卍や☆など様々な刻印が施された石垣が見られます。これも、前田利常の石垣です。利常の頃、加賀藩は、全国有数の百万石の豊富な財源を、美術工芸にも投資し始めます。

5代・前田綱紀のこだわりの石垣


芸術性がピークに達したのは、5代・前田綱紀つなのりの時代です。幾何学的な長方形だけで作った石垣(地図印)がそのひとつ。

芸術好きの5代・前田綱紀は、独自のピエト・モンドリアン(大小の四角形を組み合わせたカラフルなデザイン)風の石垣(地図●印)も残しています。石材を縦に置くと、落下につながる恐れもありますが、ここでは芸術性が優先されています。

綱紀は全国の工芸品を集め、百工比照ひゃくこうひしょうという、一大コレクションを完成させました。実物が手に入らない場合は、職人に模造品や写本を作らせる凝りようでした(石川県立美術館に所蔵。不定期公開)。

ブラタモリ ふるさとコレクション(金沢の方言)
  • つるつるに入った お酒をグラスになみなみと注ぐこと。
  • ねがねーがんねーがー ネガはないわけではない。通称「ネガの3乗」。語尾を上げるとネガがないんじゃないの?の意味。
  • しましまにしまっしま しま模様にしなさい。通称「しまの4乗」。

※ふるさとコレクションは、現在のブラタモリではなくなっています。

金沢の地名の由来と犀川|ブラタモリ金沢

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金沢城は、平野に突き出した台地の先端に建てられました。ブラタモリは、その台地を根元までたどり、金沢学院大学の南東、日吉神社付近の犀川を訪ねます。

犀川で、何を探すことができるのでしょうか?

アクセス 金沢学院大学は、金沢駅から北陸鉄道バス・金沢学院大学行きで約35分。

答えは、砂金です。砂金は、金沢の名前のルーツです。過去には、金を1日で10万円分採った人もいます。タモリさんも挑戦し、比較的大きなものが見つかりましたが、価値は数円でした。

金沢では、日本の金箔の99%を生産しています。金箔は、金に少量の銀と銅を混ぜ合わせて作ります。金箔の厚さは、1万分の1ミリ。手では触れないため、人の息や、竹の棒で動かしつつ加工します。その加減が少しでも強いと、金箔は裂けてしまいます。

動画は、現在の金沢での金箔作りの様子です。

金箔は、溶かして整形した金を、打ち紙にはさみ、容器に入れ、金づちのようなものでたたき、熱を発生させ伸ばして作っていました。

手作業だと1日8時間作業しても、10日間以上かかります。金箔づくりは、たびたび幕府からの禁止令(1696年ほか)が出ていますが、金沢人の熱意により、密かに技術が守られてきました。

大正時代に、金箔づくりは、金沢で発明された技術により機械化。ところが、大きな音が出るため、騒音が問題となりました。金沢では、騒音を解決するために、家屋を改装し、全ての作業室を地下に移したのです。金沢人の熱意の表れでした。

石川でブラタモリ内容
能登(#209)なぜ能登の風景は人の心を打つのか? 白米千枚田などを訪ねます。
金沢(#3,#4)金沢城は石垣がみどころ。三代前田利常の石垣は、関が原の戦いが終わり、芸術的でカラフル。
鯖街道
(#254)小浜から京都への道
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(#253)すべての道は敦賀に通ず
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(#124)消えた都市を訪ねて
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