「ブラタモリ鯖街道・京都へ」編で、タモリさんが、福井県小浜と京都を結ぶ鯖街道を紹介します。このページでは、「ブラタモリ鯖街道・京都へ」編の内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。
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福井でブラタモリ | 内容 |
鯖街道(#254) | |
敦賀(#253) | 新幹線という新たな「道」に沸く敦賀。しかし歴史を見ると「道」は、それだけではありません。タモリさんが、旅のお題「すべての道は敦賀に通ず?」を探ります。 |
福井(#124) | 福井のルーツは消えた都市に? 奥行き1.7キロに、推定1万人もの人が暮らしていた大都市がありました。 |
東尋坊(#120) | タモリさんは巨大な柱状節理に驚きます。なぜ東尋坊に誕生したのでしょうか? 三国港突堤も訪問。 |
鯖街道とは?
ブラタモリは、小浜市の小浜西組からスタート(地図)。
「小浜西組 重要伝統的建造物群保存地区」では、小浜が港町から城下町へと発展し、町のエリアが拡大する過程で整備された、江戸時代前期の町割りが残っています。
小浜西組の町を歩くと、小浜湾に出ます。2つの半島が東西から伸び、内海となっているため波も穏やかです。
今回のテーマとなる鯖街道は、若狭国(福井県南西部)の小浜城下から、京都(出町柳)までを結ぶ、約72kmの長さを持つ若狭街道のこと。
戦国時代から江戸時代にかけ、若狭の海でとれた鯖が運ばれたことから、「鯖街道」と呼ばれるようになりました。タモリさんが、旅のお題「鯖街道は何を運んだ?」を探ります。
サバにアマダイにアナゴ!いにしえより都人の食を支えた小浜の豊富な海の幸|ブラタモリ鯖街道
小浜市は、福井県西部にあり、西に小浜湾、東のに田烏の棚田という景勝地があります。福井県としては、穏やかな気候です。
小浜は、2つの半島が作った天然の良港として栄え、古くから日本海を隔て対岸諸国との交易が行われました。
陸揚げされたサバなどの物産は、鯖街道などを経て、京都や奈良へ運ばれました。飛鳥・奈良時代から朝廷に食材を献上しており、現在も小浜の魚は「若狭もん」と呼ばれ、京都の料亭でも一目置かれます。
小浜市には、サバ以外にも、グジ(主に日本海で獲れる赤甘鯛を京都や福井ではグジと呼ぶ)、カレイ、タコなどが豊富です。
小浜に水揚げされる主な魚介
サバ、グジ、カレイ、アジ、イワシ、タイ、ハマチ、カワハギ、タチウオ、アナゴ、ハモ、サザエ、タラ、イカ、タコ、ウニ
小浜の街中のちょっと広い道こそ鯖街道の起点。どうして?|ブラタモリ鯖街道
ブラタモリは、鯖街道の起点を訪ねます。
小浜の広い道(多くの馬車や人が行きかった名残り)を北に歩いたタモリさんは、市蛭子神社(地図)にたどり着きます。市場(上市場、下市場)の名残りです。
ブラタモリでは、市蛭子神社を中央に南北の道筋(市が開かれた一帯)を、鯖街道の起点と考えています。一方、小浜市鯖街道ミュージアム前の道路にも鯖街道起点の標識(地図)があります。この一帯が「起点」と考えてよさそうです。
かつて市場の西側には川が流れていました(現在は小浜湾の一部)。かつて流れていた川は、大型船が寄港できる広さや深さがありました。
ここには象が「水揚げ」されたこともあります。象は、1948年東南アジアからやってきました。象は足利将軍家への贈り物として、鯖街道を通り、京都へ向かいました。
街道で最大の宿場町・熊川の美しい町並み|ブラタモリ鯖街道
熊川宿は、鯖街道(若狭街道)最大の宿場町です(地図)。
熊川宿は、谷間を流れる川沿いにあり、馬や船が行きかう交易の拠点として発展を遂げました。
水路は、イモの皮むき(中に刃物がありイモを入れて30分くらい待つ)に使われたり、牛馬に水を与えたり、葛の葉のお茶を冷やしたり、様々な用途に使われていました。
現存する最古の建物である荻野家住宅の玄関には、馬を止める金具があります。「人馬継立」という商売は、人馬がリレー方式で荷物を運び、京都まで1日で到着することができました。
「駄持定帳」を見ると、能登いわし、山形の紅花(ブラタモリ山形で紹介、金の10倍の価格で取引)、津軽の煙草など、さまざまなものが運ばれたことが分かります。
宿場町の川筋から解き明かす!鯖街道が物流の大動脈になったワケ|ブラタモリ鯖街道
なぜ複数ある道のなかで、鯖街道が重用されたのでしょうか?
これは最短距離は険しい山道となり、谷筋を通り、起伏が少なく真っ直ぐの鯖街道は、荷物が運びやすい道でした。
ブラタモリは、白石神社を訪ねます(地図)。
タモリさんが神社の奥(徳川家康腰掛け松のさらに奥)の川を見学すると、曲がっている場所があります。断層があって、川筋がずれているようです。
上空から見ると、タモリさんが見た川を含め、複数の川がS字に曲がっています。横ずれ断層である熊川断層の影響で、複数の川がS字に曲がったのです。
断層は、地質がもろくなりやすいため、時間をかけて谷筋となり、自然とまっすぐな道(荷物が運びやすい道)ができたのです。
さて、小浜から一直線に琵琶湖方面へと伸びた道は、南に急カーブします。この急カーブは、別の断層が作った道へつないだことによります。東西の熊川断層のほか、南北の花折断層があったのです。同時にできたこれらの断層は、共役断層と呼ばれます。
共役断層
断層が発生するときに、一度に2方向のものが交わるようにできる断層のことを言います。この2方向の断層は、ずれの向きが互いに逆方向になるという特徴をもっています。(地質調査総合センター)
鯖街道に武家政権が!一体なぜ?|ブラタモリ鯖街道
ブラタモリは、高島市朽木(地名)の興聖寺を訪ねます(地図)。
境内の奥には土塁が見られます。山深いこの場所で、どのような人物が、守られていたのでしょうか?
タモリさんは、境内で「足利将軍義晴公之庭園」の石碑を発見します。
この場所は、1528年に室町幕府12代将軍足利義晴が、京都の兵乱を避け、約2年間滞在した地と伝わります。13代将軍義輝も、京から逃れ6年余り滞在しました。8年間に渡り、この朽木という場所で室町行政が行われ、約1万人の勤め人(公家や諸大名、奉行衆)が居住しました。(公益社団法人 びわ湖高島観光協会)
朽木は、京都から鯖街道でアクセスでき、万一の時にはやはり鯖街道で小浜へ逃れることができます。この8年間を、朽木幕府時代と呼ぶ学者も存在します。
また、織田信長が、朝倉義景・浅井長政に挟み撃ちにされた際、鯖街道を京都へ逃れ、その際に朽木氏が護衛しました。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース
タモリさんご満悦!京都祇園の老舗で味わう絶品鯖ずし|ブラタモリ鯖街道
京都の出町柳には、鯖街道口の道しるべがあります。
タモリさんは、京都祇園の老舗・いづうで絶品の鯖ずしを味わいます。
まっすぐの鯖街道により、傷みやすい鯖を速く運べることで、京都の鯖寿司が実現しました。
昆布は取り外して食べます。脂が乗った絶品の鯖寿司は、ほのかな甘さが特徴です。魚が苦手な子どもでも魚が好きになってしまうでしょう。
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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