【ブラタモリ福井 全ロケ地】タモリさんが消えた都市・一乗谷を訪ねる#120

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NHK番組のブラタモリ福井編で、福井や一乗谷の地形・歴史が紹介されました。このページでは、ブラタモリ福井編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。

鯖街道
(#254)小浜から京都への道
敦賀
(#253)すべての道は敦賀に通ず
😎福井
(#124)消えた都市を訪ねて
東尋坊
(#120)名所の地形の秘密
😎は現地取材

福井駅|ブラタモリ福井

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ブラタモリは、福井駅前からスタート。恐竜が出迎えます。恐竜は、想像よりもリアルなつくり込みで、ときどき動きます。

恐竜のオブジェは複数あり、いずれも十分なつくり込み。福井県の力の入れ方が伝わります。

ブラタモリのテーマは、福井のルーツは消えた都市にありです。

消えた都市とは、戦国大名・朝倉義景あさくらよしかげの城下町、一乗谷いちじょうだに。織田信長に焼き払われ、わずか100年でその姿を消しました。しかし発掘が進み、新発見が相次ぎ、国特別史跡に指定されました。

越美北線で鉄壁の門へ|ブラタモリ福井

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ブラタモリは、JR九頭竜線(越美北線)に乗り一乗谷駅へ向かいます。

車内では、ボックス席で福井銘菓・羽二重餅を試食。タモリさんが試食したのは、写真の「マエダセイカ、しろ 羽二重風呂敷(商品外観写真)」です。

羽二重餅は各社各種ありますが、これは、厚みがありモチモチ感が豊かで、自然な甘さながら止まらなくなる味わいです。

一乗谷駅は列車の本数が非常に少なく、ほとんどの観光客は、並走するバス便(福井~一乗谷復原町並などへ直通)を利用します、大変味のある駅で、時間が合えば片道は利用したいです。

一乗谷駅から、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館は徒歩すぐ。復原町並(朝倉やかた跡もあり)へは、徒歩30分です(バス便あり)。

目的地は、福井市の東方にある山奥の谷、一乗谷いちじょうだにです。足羽川に注ぐ支流が流れる、険しい山に囲まれた谷間。奥行き1.7キロに、推定1万人もの人が暮らしていた大都市です。

一乗谷の狭い入り口には、鉄壁の門が作られていました(下城戸跡)。戦国時代の切迫した時代背景を感じさせる、強固な守りです(地図)。

谷筋が狭くなるところに、土塁、水堀、石垣を完備。戦国時代の守りがその姿を留める貴重な場所ですが、遺跡博物館と復原町並の間にあるため、訪ねる人はほとんどいません。

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タモリさん一乗谷を歩く|ブラタモリ福井

一乗谷レストラント(文化財のため食事処に乏しい一乗谷の貴重なスポット)
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一乗谷に到着したタモリさんは、一乗谷の入口にある一乗谷レストラント付近から散策を開始します。地図のの順で歩きました。(駅は地図の上方です)

多くの観光客が、路線バスや貸し切りバス、乗用車で復原町並に直接向かうため、一乗谷レストラントや周辺の遺構に訪ねる人は少ないです(ただし、レストラントに団体客が入る場合あり)。

アクセス 出発点の一乗谷レストラントは、一乗谷駅から徒歩20分または、京福バス一乗谷レストラント前。

町屋、寺院などの跡(地図の赤色)

一乗谷レストラント付近から奥(復原町並方面)へ進むと、水路や家の礎石の跡が見られます。戦国時代の寺院や町屋(町人、商人の住まい)の町並みが、そのまま発見されたエリアで、道路の幅や家の大きさもわかります。

どれが井戸なのかは分かりすらいですが、現地屋外設置の地図にいくつか井戸は図示され、写真はその1つ。

多数の井戸や、楕円形のトイレの跡も見学できます。庶民の邸宅にも、1つ1つに、井戸やトイレがあったことが分かっており、豊かな城下町だったことがうかがえます。

この一角(復原町並寄り)には大きな間口や坪庭の跡があり、中国の医療書の痕跡も出土しました。医者の邸宅の跡です。場所が分かりづらいですが、遺跡散策マップの16番です。

一乗谷は滅亡したあと、城下町が現在の福井市に移り、開発されることはありませんでした。その後、水田となり、奇しくも水で保護される形となり、遺構・遺物の保存状態は良好です。

武家屋敷の跡(地図の青色

朝倉館跡の向かい側には、城下町の武家屋敷の町並みが、復原されています。

ひときわ大きな区画は、朝倉氏に近い武士が住んでいた可能性があります。

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武家屋敷のなかに、数軒だけ町屋が紛れていました。これは、なぜなのでしょうか?

町屋が混在しているのは、戦国時代が進むと経済が発展し、商人の活動範囲が広がったからだと考えられます。

※町屋は基本的には、一乗谷レストラン周辺(赤い線の辺り)に寺院を囲むように立地していました。なお、一乗谷の入口の門(下城戸跡)の外にからも、町人や職人の住まい跡が発掘されています。

※上と同じ地図です

朝倉氏の館の跡(地図の緑色

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ブラタモリは、戦国大名・朝倉義景あさくらよしかげの館跡を訪ねます。

京都から室町幕府将軍の足利義昭を迎えたこともあります。

井戸からは、ベネチアングラスが出土しています(一乗谷朝倉氏遺跡博物館に展示あり、重要文化財)。一乗谷は、水運により現在の福井市を介して、世界とつながっていたのです。

一面に広がる礎石は、朝倉義景の住まいの跡です。

朝倉館の周囲には、土塁や堀が設けられています。

一乗谷の城下町は、織田信長に滅ぼされ、時代は移り変わります。一乗谷は風化し、近年まで田んぼになっていました。

福井城

写真 福井県によるパンフレット(PDF)より

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ブラタモリは、福井城跡に移動します。現在は、石垣や内堀、天守台などが残存しています。福井藩主が登城した「御廊下橋と山里口御門」(写真)も相次いで復原されました。

アクセス 福井駅から徒歩5分

山里口御門には、珍しい、石で作られた屋根瓦やねがわらが見られます。使われている笏谷石しゃくだにいしは、火山灰が固まった凝灰岩で、福井を代表する、美しい高級石材です。

一乗谷朝倉氏遺跡博物館に展示あり

笏谷石は、一乗谷でも、井戸、石灯籠などに使われていました。一乗谷には石を加工する技術が発達しており、福井城の石の瓦に受け継がれていると言えるのです。

笏谷石と福井

引用 福井県公式観光サイト

ブラタモリは、丹巌洞たんがんどう(料亭)を訪ねます(地図)。庭の建造物は、全て笏谷石でできています。笏谷石の巨大な塊を掘り出して、建造物を作ったのです。

丹巌洞は、福井城に近い、まるごと笏谷石でできた足羽山にある、石切り場の跡を再利用したものです。

ブラタモリは、丹巌洞の前に、カーブした道路を見つけます。足羽川が、かつて流れていた場所です。足羽山から切り出した石は、足羽川の水運を経て、三国港から全国へ運ばれていったのです。笏谷石は、福井に繁栄をもたらしました。

福井の商店街に残る一乗谷の面影

ブラタモリは、呉服町商店街を訪ねます。下一乗町は、かつて一乗谷に住んでいた人が、移り住んだ町です。

国島商店は、江戸時代の地図にも、組頭としてその名前(国島和三郎)が載っています。御用商人で、福井で最も古いお店です。現在は18代目。朝倉の家紋が入った着物が残されています(非公開)。

アクセス 呉服町商店街 福井駅から17分、福井城跡から13分

前編とも言える東尋坊編は下の一覧からご覧ください。

鯖街道
(#254)小浜から京都への道
敦賀
(#253)すべての道は敦賀に通ず
😎福井
(#124)消えた都市を訪ねて
東尋坊
(#120)名所の地形の秘密
😎は現地取材

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見逃した「ブラタモリ」を体験トライアルで見る方法

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😎過去回ロケ地 完全収録

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