【ブラタモリ富士山麓】タモリ推奨の富士吉田の歴史・地形・観光ルートまとめ #52 - トラベルジャーナ

【ブラタモリ富士山麓】タモリ推奨の富士吉田の歴史・地形・観光ルートまとめ #52


NHK番組のブラタモリ富士山麓(富士吉田)編で、タモリさん推奨の富士吉田の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ富士山麓(富士吉田)編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

内容は、もくじからご覧ください。

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ブラタモリ富士山編は、3系統あります

富士山麓(富士吉田)とは?

  • 富士山の山梨県側の登山ルートが、富士吉田ルートです。
  • 富士吉田ルートは、江戸時代以降、最も人気のあるルートです。江戸時代の古絵図には、富士吉田ルートに殺到する登山者が描かれていました。現在も、約6割が利用しています。
  • 最古の富士宮ルートは、ブラタモリ富士山編で紹介されました。

忍野八海|ブラタモリ富士山麓(富士吉田)

ブラタモリが最初に訪れたのは、忍野八海おしのはっかいです。富士山の北東側にある湧水池で、富士急・富士山駅からバスで向かいます。

忍野八海

忍野八海は、世界遺産富士山の構成資産の一部です。富士講(=富士山を崇拝し、登山をめざす集まり)の人々が、みそぎをした8つの池です。

御師(おし)は富士登山の案内人|ブラタモリ富士山麓(富士吉田)

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写真:富士山駅駅ビル展望台から

ブラタモリは、忍野村から、富士吉田市に移動します。中心駅は、富士山駅です。

参考 以前は「富士吉田駅」でしたが、2011年に改称。市民の反対もありましたが、運賃が高い富士急は観光利用が多く、市民は並走する高速道路の利用がメイン。富士急は、観光需要を優先したということかもしれません。

写真:金鳥居(矢印をクリックして鳥居をくぐると、富士みちを登っていきます)

富士吉田は、登山者が最初にめざす町です。現在はバスで5合目まで向かいますが、それ以前は、富士山駅のそばの金鳥居かなどりいをくぐる、富士みちがメインストリートでした。

江戸時代の絵図には、当時の地名、上吉田が掲載され、富士みちに沿って多くの宿場やお店が並んでいたことが分かります。現在は、住宅地になっており、富士みちを見学する観光客は少なくなっています。

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出典:http://wadaphoto.jp/maturi/yosida1.htm

吉田は、宿場町でしたが、神職である御師おしが住む町でもありました。御師は、富士登山の案内人であり、旅行会社と現地のコンシェルジュを兼ねるような存在です。ブラタモリでは、伊勢神宮の回で御師の仕事ぶりが詳しく紹介されています。

富士みちでは、灯篭とうろうが御師宅の目印です。御師宅は、数多くの富士登山者が宿泊できるよう、通りから離れた場所に広い敷地を求めるケースが大半でした。江戸時代には、80軒以上の御師宅がありました。

ブラタモリ
ブラタモリ

旧御師宅の庭先には、33度の石碑があります。これは何を意味するのでしょうか?

これは、お得意先の富士講のメンバーが、33回の富士山登頂に成功した記念の石碑です。御師にとっても名誉なことでした。

富士みちには、現役の御師宅も残っています。45回、あるいは55回の石碑もある御師の上文司さんは、北口本宮富士浅間神社の宮司を兼ねる大規模な御師です。ブラタモリでは、写真の富士講宅(上文司さん)を許可を取って訪ねています。

敷地内には小さな滝があります。富士講の人々が、登山の前に身を清めるために利用していました。

かつては、富士みちの真ん中と裏に水路があり、高低差を利用して、御師宅に滝が作られていたのです。富士講のメンバーは、御師による踊りで歓待され、浅間神社で奉納額(=名前の入った木札を額に収めたもの)を納めました。御師は、登山当日には、弁当や衣装を準備していました。

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出典:http://wadaphoto.jp/maturi/yosida1.htm

ブラタモリが取材した、御師の上文司さん宅には、サイズが大きな版木が保存されています。タモリさんが墨を塗り版画を刷ってみます。版画は、中国の道教に仏教、神道などが融合した庚申信仰こうしんしんこうを表現するものでした。

西暦1860年の庚申の年には、女人禁制を取りやめたことも相乗効果を生み、特に多くの信心深い富士講の登山者が訪れ、どの御師宅も大盛況になりました。

雪代と下吉田のまちの関係

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出典:同上

富士登山のスタート地点は北口本宮冨士浅間大社です。しかし、上吉田の冨士みちはまっすぐ浅間大社に向かっていません。これはなぜなのでしょうか?

御師はじめ上吉田の人々は、もとは古吉田と呼ばれる北口本宮冨士浅間大社の近くに住んでいたのです。1572年ごろから、土石流災害にあいやすい古吉田から順次移転をしたのです。

下吉田の町並みはなぜ雪代に?

さて、冨士みち(冨士道)を中心とする下吉田の町並みは、富士山から降りてくる雪代(=春に起こる土砂崩れを伴う雪崩)の通り道の間に開かれました。なぜ雪代の通り道付近に町を作ったのでしょうか?

富士山麓の基本的な土壌は溶岩です。しかし、雪代の通り道の付近では、雪が溶ければ土砂が残り堆積してゆくため、耕作などが可能になったのです。

下吉田の人々と水の確保

一方、水はけの良い土砂と目が粗い溶岩は、雨水をため込むことができず、用水が必要となりました。下吉田の人々が目をつけたのが忍野八海に湧き出る、富士山の伏流水でした。

しかし、難問がありました。上の地図の東側に忍野八海、西側に下吉田があります。ところが、地図の付近に溶岩層があり、用水を容易には敷設できなかったのです。

そこで、溶岩の下にある、雪代による古い土砂の層にトンネルを掘り用水を敷設したのです。トンネルの名残りが印の場所に見られます。

アクセスは富士吉田駅からバスで15分富士見公園前(印)下車。印の地点では、忍野八海から流れ込む水が、滝となっている場所が見えます。

溶岩の下をくぐった、用水用のトンネルの名残りです。

富士見公園

参考 ブラタモリでは紹介しませんでしたが、近隣の富士散策公園からは、美しい富士山を見ることができます。富士見公園前バス停からすぐ(トンネルとは逆の方向です)。この公園は、すいていることが多い穴場です。

用水トンネルの跡や富士見公園を見学する場合は、ホテルベル鐘山がおすすめです(筆者常連)。用水トンネル跡まですぐ、富士見公園まで徒歩5分程度です。ホテルベル鐘山は、1名での宿泊でも、富士山駅から送迎してくれます。

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筆者年に50泊100日の取材旅行を続け、旅行ブログを書き続けています。
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