【ブラタモリ善光寺】ロケ地一覧と再放送|タモリさんが知られざる秘密を探る#222

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ブラタモリ善光寺編で、タモリさんが善光寺を訪ね、歴史や御本尊、地形など、知られざる秘密を探りました。ロケ地、内容、関連情報をくわしくご紹介します。【再放送・見逃し情報はこちら

長野駅・善光寺 味で選んだおすすめそば!|近い順に特徴も説明

長野でブラタモリ内容
現地取材 安曇野(#223)わさびが育つ名水はじめ、安曇野の水の秘密を探りました。秘伝のタモリ流わさびアイスレシピも登場。
現地取材 善光寺(#222)
現地取材松本(#183)武田・豊臣・徳川の武将に愛された松本城。テーマは「国宝・松本城はなぜ愛された?」です。
現地取材諏訪(#182)テーマは、「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」。盆地と八ヶ岳の山裾の狭い範囲ですが、年間1200万人もの観光客が訪ねます。
現地取材軽井沢(#16)なぜ標高900mに広大な平地が出現したかなど、軽井沢繁栄の秘密を探ります。
碓氷峠、鉄道文化むら(#24) |群馬県にも分類碓氷峠越えは、想像よりは楽だった? 長野側の地形の秘密と、溶岩流の役割を探ります。

善光寺とは? 寺名の由来は一般庶民の本田さん!?

善光寺山門(江戸時代中期建立)
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ブラタモリは、長野市の善光寺を訪ねます。

善光寺では、2022年の御開帳には、わずか3カ月で636万人の参拝客が訪ねました(年間では1000万人)。御開帳のさいには、回向柱が立ちます。回向柱は、御本尊と綱で結ばれ、柱に触れるとご利益があるとされています。

タモリさんが、旅のお題「善光寺はなぜ多くの人を引きつける?」を探ります。

善光寺の本堂

ブラタモリは、本堂の外陣(玄関にあたる)を訪ねます。外陣は全体の3分の1を占め、多くの人を受け入れることができます。続いてタモリさんは、畳に上がり、内陣に。奥は聖域となります。

最寄りの長野駅は、2015年の北陸新幹線金沢開業に合わせ、善光寺口側駅舎のデザインが一新されました。

ご本尊は絶対秘仏…驚きの御開帳システムとは|ブラタモリ善光寺

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善光寺の御本尊は、一光三尊阿弥陀如来いっこうさんぞんあみだにょらい

一光三尊阿弥陀如来は、光り輝くひとつの御光(光背)の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)を配した、珍しい様式です。

本堂の左手の龍の幕の奥に、御本尊が安置されています。絶対秘仏とされ、住職も目にしたことがありません。となると、回向柱の綱は、どことつながっていたのでしょうか?

御本尊の分身である、前立本尊は見ることができ、回向柱と綱でつながるのです。

善光寺は飛鳥時代に創建されたとされます。約1400年の歴史を誇り、日本最古の仏像を本尊とし、時代を問わず、全国から多くの参拝者が訪ねています。

本田善光が開山したことから、善光寺と名づけられました。庶民が開山し、女人禁制の制度がなかったことも、多くの参拝者を集めた理由です。

衝撃の創建物語!聖徳太子が阿弥陀如来にフラれ、皇極天皇が地獄から救い出されて…|ブラタモリ善光寺

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善光寺の創建は、7世紀後半。

ブラタモリは、宿坊淵之坊を訪ねます。善光寺の始まりを説明した、善光寺縁起が保存されています。紙芝居のように構成されており、右下から、ストーリーが始まります。場面は、インド。「いまを去ること2500年昔の話 今の印度 当時毘舎利国 大林精舎にて 御年67歳のお釈迦様が ご説法をされております……」から、語られます。

その後、阿弥陀如来は、仏像の姿となり、日本に渡ったと説明されます。「一光三尊阿弥陀如来」は、仏教伝来と同時に、百済から日本へ伝えられた、日本最古の仏像とされます。新しい宗教の受け入れに否定的な人々により、難波に捨てられ、さらに鋳潰そうとされ、上手くいかず、再度難波に捨てられてしまいました! 

救おうとしたのは聖徳太子でした。しかし、阿弥陀如来は、聖徳太子に救いを求めず、本田善光よしみつを選びます。

阿弥陀如来は、夜も朝も、本田善光と心身一体。その後、本田善光の息子が亡くなりますが、地獄をさまよい皇極天皇と出会います。阿弥陀如来の導きで、現世に復活。皇極天皇は、信州の本田善光の自宅を寺院とするように、勅命しました。この話のありがたさは、全国に伝わり、多くの人を集めました。

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遠野、諏訪、金沢、飛騨高山、宮島など、行ってみたいあの場所のビールが、現地そのままの味で楽しめます。日本酒、ワイン好きにも選ばれています。

上杉、武田、織田、徳川、豊臣…名だたる武将に愛された数奇な運命|ブラタモリ善光寺

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ブラタモリは、水内大社を訪ねます(地図)。

境内に土塁があり、お城があったことがわかります。上杉謙信がここに陣取りました。

善光寺がよく見える場所です。以前に善光寺を加護した源頼朝が出世をしたため、武将は善光寺の加護に関心が高かったのです。

また、善光寺を間に置いて敵対関係にあったのが、武田氏。武田氏は、善光寺を挟んで反対側にある山城に、陣を敷きました。

甲斐善光寺

上杉謙信と武田信玄は、善光寺を巡って3カ月間にらみ合いを続けました。その後上杉謙信は、善光寺の威光を願って分身仏を、上越に持ち帰ります。

それを見た武田信玄は何とご本尊を、甲斐の国に持ち帰ります。これが甲斐善光寺です。このとき、お坊さんや職人、商人もご本尊に同行し、門前町が作られました。

その後の戦乱のなか、御本尊は、長男の武田信忠、織田信長(岐阜城、清州城)、次男の織田信雄、徳川家康(浜松城)、豊臣秀吉(京都)を巡り、最後に長野に戻りました。

そうそうたる有名武将の間を渡り歩いた、善光寺の御本尊。ご本尊の移動時には、お坊さんや職人、商人も同行し大行列ができ、善光寺の宣伝に一役買ったと思われます。

扇状地と断層が生んだ奇跡の立地とは?|ブラタモリ善光寺

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長野駅から善光寺へ向かう道は、緩やかな上り坂です。

善光寺は、どのような地形に立地しているのでしょうか?

ブラタモリは、善光寺仁王門のそばの、コヤマ薬局付近を訪ねます(地図)。善光寺周辺は、南東へ向けて下る坂が多く見られます。

善光寺平(長野市を中心とした盆地)には、2つの扇状地が重なり、善光寺は扇状地のなかでは、標高が高い場所に位置しています。

ブラタモリは、西宮神社(地図)の東側で、急坂を見つけます。なぜ比較的なだらかな扇状地に、急坂があるのでしょうか?

これは、タモリさんが指摘した通り、断層の場所でした。善光寺の場所は、断層の動きによって、もう一段高くなった場所に位置します。

善光寺平は、盆地に川が流れ込み、水害が多い場所ですが、善光寺はそれを免れる場所にありました。

ブラタモリは、西宮神社(地図)の西側に回ります。善光寺からは、善光寺街道(善光寺~洗馬)、北国街道(軽井沢~善光寺~高田)の2つの街道が延びています。これらの街道も、標高が高い位置を通っています。

北国街道には、能登屋があり、北陸(石川県)とのつながりの深さが分かります(地図)。さらに歩き続けると、七味唐辛子のお店・八幡屋磯五郎がありました。

善光寺名物・七味誕生秘話|ブラタモリ善光寺

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善光寺名物といえば、七味唐辛子。どのように誕生したのでしょうか?

ブラタモリは、七味唐辛子のお店・八幡屋磯五郎を訪ねます。七味を自由にブレンドできるショーケースを見ると陳皮(ミカンの皮)があります。陳皮は、関西から仕入れていたと考えられます。

七味唐辛子は、かつては薬のような存在でした。善光寺の御利益もあるとイメージされ、人気のお土産になりました。

タモリさんが、古い絵図を見ると、本堂はかなり北に移動しています。かつて本堂だった場所には、延命地蔵尊が建てられています(地図、写真左側の松屋旅館の場所)。火事の多発によって、本堂は移動することとなったのです。

本堂の移転には、莫大な費用がかかりましたが、出開帳(分身仏を伴って全国へ出向く)でまかないました。出開帳が行われた町は多くの人でにぎわい、善光寺の名を高めることにもつながりました。

長野でブラタモリ内容
現地取材 安曇野(#223)わさびが育つ名水はじめ、安曇野の水の秘密を探りました。秘伝のタモリ流わさびアイスレシピも登場。
現地取材 善光寺(#222)
現地取材松本(#183)武田・豊臣・徳川の武将に愛された松本城。テーマは「国宝・松本城はなぜ愛された?」です。
現地取材諏訪(#182)テーマは、「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」。盆地と八ヶ岳の山裾の狭い範囲ですが、年間1200万人もの観光客が訪ねます。
現地取材軽井沢(#16)なぜ標高900mに広大な平地が出現したかなど、軽井沢繁栄の秘密を探ります。
碓氷峠、鉄道文化むら(#24) |群馬県にも分類碓氷峠越えは、想像よりは楽だった? 長野側の地形の秘密と、溶岩流の役割を探ります。

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