NHK番組のブラタモリで、鎌倉の歴史や地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ推奨のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。
- #5 2015年5月9日 鎌倉 ~800年前の『まちづくり』とは?~
- #6 2015年5月23日 鎌倉 ~鎌倉が観光で発展し続ける理由は?~
#5に加え、#6(後編)も現地取材を行い、新たに写真・情報を加えました。
#6(後編)の写真撮影には、観光協会の一眼レフ無料貸し出しを利用しました。
詳細→ミラーレス一眼レフカメラを鎌倉で無料体験しました~EOS M100~(姉妹サイト)
更新告知 ブラタモリFacebook
□□内容を先にお伝えします!□□
鎌倉の基礎知識
鎌倉の地形は、東西南北を山と海に囲まれているのが、最大の特徴。敵の侵入路が限られる、優れた天然の要害のため、鎌倉幕府がこの地にひらかれました。
山地から鎌倉市街を望むと、市街が山と海に囲まれていることが分かります。ブラタモリ鎌倉(前編)のテーマは、鎌倉800年前のまちづくりとは。
※ブラタモリ鎌倉のルートは、レンタサイクルがおすすめです。
ブラタモリ鎌倉編
ブラタモリ鎌倉編(前編)は、鶴岡八幡宮からスタート。鎌倉駅から徒歩10分。平日でも、修学旅行生、外国人、敬老会の方で混雑します。
鎌倉駅から参拝のルート
- 海岸から鎌倉駅付近を通り、鶴岡八幡宮へ至る若宮大路(わかみやおおじ)。
- 若宮大路に並走する、小町通り。歩行者専用。お土産屋が並ぶ。
【前編ここから】山側の町づくりを知る:ブラタモリ鎌倉
鶴岡八幡宮から、穴場の浄光明寺に向かうルートです。
- ● 鶴岡八幡宮
- ● 岩窟不動尊 … 不動茶屋(ラーメン店)敷地内
- ● 浄光明寺
鎌倉時代、鎌倉の山に囲まれた範囲は、鎌倉中(ちゅう)と呼ばれ、現在の倍、約10万人の人口を抱えました。
小町通りの終点の手前を、JR線の方向に曲がると、ラーメン店不動茶屋があり、庭に岩窟不動尊が置かれます。谷(やつ)と呼ばれる、鎌倉の地形を肌で感じることができる、ブラタモリで紹介されてもおかしくなかった、山肌迫る小さなラーメン店です。
※谷(やつ) … 山に挟まれた細長い土地
岩窟不動尊(不動茶屋)付近、線路添い一帯の地名を、扇ガ谷(おうぎがやつ)と呼びます。ブラタモリは、扇ガ谷の、浄光明寺を訪ねました。もとは、武士の北条氏の屋敷であった場所です。
浄光明寺の裏手には、鎌倉石を切り出した跡があります。鎌倉石と呼ばれる、凝灰岩からなる地質です。柔らかく手掘りも可能なのが特徴で、30cm✕15cm✕90cmの直方体に加工され流通していました。現在は採掘が禁止され、石材のダイヤモンドと呼ばれることもあります。
山肌が迫る、狭小な地形のため、ほら穴のようなスペース(=やぐら)に、墓地やお堂が作られています。このほか、申し出れば見学できるのが、以下の3ヶ所です。
- 石切り場の跡
- 正和2年に鎌倉石を削って作られた網引地蔵
- 敷地の裏手にある石のトンネル
※やぐらは常に外から見学可。石切り場、網引地蔵、石のトンネルなどは、8月、年末年始、雨天日を除く木・土・日・祝日の16時までは見学可
海側の町づくりを知る:ブラタモリ鎌倉
鎌倉駅の北側(鶴岡八幡宮側)で、山側の町づくりを確かめたブラタモリは、海側の町づくりを確かめるために、材木座海岸に向かいます。
おすすめのルート
- ●印:ピッツェリアGGは、鎌倉で人気の安いピザ屋(ブラタモリ未紹介)。
- ●印:若宮大路の一の鳥居は、かつて砂丘の頂点だった場所。内と外の境界線。
- ●印:材木座海岸の材木座テラスは新スポット(ブラタモリ未紹介)。
- ●印:そば処土手。
- ●印:和賀江嶋(わかえじま/わかえのしま)
- ●印:穴場景勝地(ブラタモリ未紹介)。
若宮大路(海側)にある、一の鳥居です。ゆるやかな段差が感じられます。
一の鳥居は、和賀江嶋(わかえじま/わかえのしま)に、人工的な港が作られた影響で、海岸線の砂の流れが変わって形成された、由比ガ浜砂丘の頂点に立てられました。鎌倉時代、一の鳥居の南側(海側)は荒れ地となっており刑場も備え、死をもイメージさせる、町の周縁部だったのです。一の鳥居は、内と外、生と死の境界線とも言えます。
海水浴場として知られる材木座海岸では、鎌倉時代の素焼き、かわらけなど様々な陶器の破片を拾うことができます。遠浅のため、埋まっている破片が波打ち際に打ち上げられるのです。
※材木座には、海が見えるカフェなどを備える、材木座テラスがオープンし、人気を集めています。
海岸での破片拾い
- 流木、貝殻、サンゴ、石、空き瓶などを拾い集めることは、ビーチコーミングと名付けられ本格的に取り組んでいる人もいます。
- 材木座海岸は遠浅のため、ビーチーコーミングに向いているとされています。
ブラタモリは、材木座海岸から、少し内陸に入り、そば処土手を訪ねます(地図:●印)。土手という屋号は、旧由比ガ浜砂丘の名残りです。以前は、旅館を営んでいたとのこと。
そば処土手では、カレーせいろ(800円)が人気メニューです。カレーは、出汁がよく効いており上品。
そば処土手から徒歩5分ほどの光明寺は、格式高く、落ち着いた中規模のお寺です(ブラタモリ未紹介)。日本庭園が見学できます。
参考 アド街鎌倉材木座のベスト10 2010年8月21日
- 1位 材木座海岸
- 2位 寺社巡り … 光明寺も紹介されています。
- 3位 ウインドサーフィン
- 4位 和江島(嶋)
- 5位 魚梅商店&魚常商店 … 自家製アジの干物が地元民御用達。
- 6位 材木座海岸周辺に多い路地
- 7位 材木座海岸での宝探し(ビーチコーミング)
- 8位 オクダ・スタイル・サーフィング … 有名サーフィン店。
- 9位 アメリカヤ … 古い文具店
- 10位 材木座アーティスト … アトリエAKI(木製チャーム)、しげんど工房(陶芸)
※「そば処土手」は15位。
鎌倉時代、材木座海岸は、遠浅のため、船が入ってくることができませんでした。そのため、日本最古の築港(人口の港づくり)が行われました。干潮の時間帯に見ることができる、和賀江嶋(わかえじま/わかえのしま)はその名残です(地図:●印)。約1ヶ月で急造されました。
和賀江嶋へのアクセス
- 鎌倉駅からレンタサイクルがおすすめ(鎌倉駅→一の鳥居→材木座テラス→そば処土手→光明寺→和賀江嶋)
- または、鎌倉駅東口よりバス「鎌40」逗子行きで10分、光明寺下車。
※地図:●印の場所は、鎌倉の町と海岸を望む、穴場の景観地です。
【後編ここから】七里ガ浜海岸(稲村ケ崎駅):ブラタモリ鎌倉
山に囲まれた鎌倉中を、山側・海側に分けて見てきたブラタモリは、西へ向かい鎌倉中の外側へ向かいます。
EOS M100で撮影(この写真は、七里ヶ浜駅付近です)
ブラタモリ鎌倉編の後編は、稲村ケ崎駅付近、七里ガ浜海岸からスタートしました。砂鉄からできた黒い砂が混じる、珍しい砂浜です。テーマは、鎌倉が観光で発展し続ける理由。鎌倉には年間2300万人もの観光客が来訪しています。
EOS M100で撮影
鎌倉観光の原点 江の島から極楽寺切通しへ:ブラタモリ鎌倉
鎌倉が、観光地になったきっかけは、景勝地の江の島。江戸時代には茶屋が立ち並び、旅行者が大挙して訪れました。江の島から鎌倉へ至るルートの開発が、鎌倉に多くの人を集めました。
江ノ島から極楽寺へ向かう途中の、鎌倉高校駅は、国際的にも人気を集める撮影地です。平日でも、多くの外国人が撮影に来ています。
鎌倉時代の旅行者は、江の島を出ると極楽寺付近まで歩き、山(極楽寺切り通し)を越え長谷寺に入るルートを主に利用していました。
ブタラモリのルート
- ブラタモリは、極楽寺駅から、途中歩行者専用の脇道に入り、坂の頂上から鎌倉の町並みを望みます(地図:●印)。
- 続いて長谷寺への近道を示す石碑を見て、名物力餅を食べ左へ曲がります(地図:●印)。
- 長谷寺を参拝します(地図:●印)。
- 高徳院の鎌倉大仏を参拝します(地図:●印)。
EOS M100で撮影
極楽寺駅は、赤いポストが印象的な関東の駅100選です。
ブラタモリでは、極楽寺駅付近の検車区(極楽寺駅から藤沢方に約100m。非公開)で、タンコロ(江ノ島電鉄100形電車)の見学をしました。タンコロとは江ノ電の昭和期の電車で、末期はもっぱら1両編成で運転されたためそう呼ばれています。
極楽寺切通しは、江戸時代には急坂でしたが、徐々に工事が進み、現在の比較的なだらかな道になりました。当初は切り通しと言えど、山ひとつ登る程度の高さがありました。切り通しの痕跡をたどるには、右の階段を上がります。
EOS M100で撮影
切通しの、坂の頂上から鎌倉の町並みを望みます(地図:●印)。江の島から歩いてきた江戸時代の旅人が、ようやく鎌倉だと感慨を深めた場所です。
山を越えると茶屋があり、名物力餅を販売しています。
長谷観音(くわんのん)近道と書かれた石碑は、江戸時代から残るもので、長谷寺への近道はここを曲がることを示しています(地図:●印)。