【ブラタモリ箱根 全ロケ地】タモリさんが箱根温泉の歴史や地形を探る#114,71,72

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NHK番組のブラタモリでは、箱根の温泉(#114)、箱根(#71)、箱根関所(#72)の都合3回に渡り、箱根の温泉や地形、歴史が紹介されました。このページでは、ブラタモリ箱根・全3編のロケ地やルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

このページでは、箱根の温泉編(#114)、箱根編(#71)、箱根関所編(#72)の順に、紹介地をまとめました。

😎鎌倉2024年版
(#260・261)幻の御所と2つの寺院
😎鎌倉2015年版
(#5,#6)鎌倉の地形を探る
横浜港・川崎
(#203)東京湾はどう発展?
葉山
(#143)御用邸と幻の鉄道計画
😎武蔵小杉
(#125)なぜ発達古い武蔵小杉
😎湘南
(#115)江戸時代の湘南は大磯!
箱根
(#71,#72,#114)七湯のしおりが箱根の原点
😎横須賀
(#42)なぜ横須賀は要港すか?
😎横浜
(#38)中心は神奈川駅だった
😎小田原
(#28)難攻不落・小田原城の守り
😎は現地取材
引用 ブラタモリ公式サイト

【箱根の温泉編(#114)】箱根七湯ー箱根の温泉の歴史とは?

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箱根が3回目となるブラタモリは、箱根湯本駅からスタート。箱根町の温泉を利用する人の数は、年間で553万人。全国1位の温泉です。

江戸時代の番付では、箱根湯本温泉は、前頭でしかありませんでした。どのように、全国一の地位に上りつめたのでしょうか?

ブラタモリのテーマは、箱根はなぜNo. 1の温泉に登りつめた?です。

江戸時代の温泉街の痕跡を残す「立ち寄り湯・和泉」|ブラタモリ箱根の温泉

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ブラタモリは、箱根湯本駅から、源泉のある立ち寄り湯「和泉」をめざし、箱根湯元の商店街を歩きます。

現在はおみやげ物屋が立ち並びますが、かつての箱根湯本温泉は、山あいの一角を占める小さな温泉地でした。

大きく右に曲がる道は、かつての水路の跡です。ブラタモリは、橋を渡り、江戸時代の箱根湯本温泉街に到着します。

立ち寄り湯・和泉の近くに、「箱根温泉発祥の地」の石碑があります。源泉は奈良時代に発見され、現在も同じ源泉が利用されています(現在の源泉は非公開です)。立ち寄り湯・和泉の建物内には、現在は使われていない、手掘りの源泉跡があります(番組では未紹介)。

江戸時代の箱根湯元には源泉が1つしかなく、宿が数軒ある、小さな温泉地に過ぎなかったのです。

重要文化財の宿「萬翠楼 福住ばんすいろうふくずみ」と箱根七湯|ブラタモリ箱根の温泉

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ブラタモリは、国から重要文化財に指定された老舗の宿、「萬翠楼 福住ばんすいろうふくずみ」を訪ねます。

  • アクセス 箱根湯本駅から徒歩7分。立ち寄り湯・和泉の手前。

かつての箱根の旅館には、「七湯の枝折しおり」という7つの巻物が置かれており、萬翠楼 福住ばんすいろうふくずみに保存されています(非公開)。

それによると、七湯は以下の通りでした。

  1. 湯本
  2. 塔ノ沢
  3. 堂ヶ島
  4. 宮ノ下
  5. 底倉
  6. 木賀きが
  7. 芦ノ湯

湯治のルールブックだったこのしおりは、当時の混浴の様子や、底倉温泉での痔の治療風景など、興味深い絵が載っています。ところが、意外な使われ方をされるようになります。

ガイドブックとして、江戸に流通するようになったのです。1つ1つの温泉は寂しい箱根でしたが、7つの巻物がセットとして扱われ、七湯めぐりのイメージが好感を持たれ、徐々に知名度を上げていきました。

箱根登山鉄道|ブラタモリ箱根の温泉

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箱根登山鉄道は、大正8年に、箱根七湯のうち6つを結ぶ路線として計画されました。

  1. 湯本 … 箱根湯本駅
  2. 塔ノ沢 … 塔ノ沢駅
  3. 堂ヶ島 … 宮ノ下駅
  4. 宮ノ下 … 宮ノ下駅
  5. 底倉 … 宮ノ下駅
  6. 木賀(きが) … 宮ノ下駅
  7. 芦ノ湯

ブラタモリは、箱根登山鉄道で強羅駅をめざします。箱根登山鉄道は、全長9キロ、高低差445mを登ります。

ブラタモリが紹介した箱根登山鉄道の見どころ

出山鉄橋
  • 箱根湯本駅を出発直後、左側の80パーミル勾配標識(80パーミルの勾配は、4.1キロ、全体の半分を占める)。
  • 塔ノ沢駅の先の出山鉄橋は、長さ70m、水面からの高さ43m。1万本の木材を使用した、箱根登山鉄道で最大の難工事。川の温泉がある側に渡るため、避けられない工事だった。
  • 箱根登山鉄道最大の難所。3か所のスイッチバック。出山信号場(塔ノ沢~大平台間)、大平台駅、上大平台信号場(大平台~宮ノ下間)。
春の大平台駅

箱根登山鉄道は、山が谷底へ落ちる斜面を走っています。駅があるのは、火山堆積物が積もって平らになった土地の中で、川が削り残した狭い場所です。

強羅公園と強羅温泉|ブラタモリ箱根の温泉

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ブラタモリは、強羅駅に到着します。強羅は箱根七湯に含まれません。箱根七湯を結ぶ箱根登山鉄道が、なぜ強羅にやって来たのでしょうか?

タモリさんは、強羅は「石がゴロゴロしていたこと」が地名の由来であったことを思い出します。

強羅は、現在は温泉地ですが、かつては巨大な石が広がる、荒れ地だった場所です。強羅は、山体崩壊や、その後の火山活動の影響を受けていたのです。

どのようにして強羅駅周辺は、現在の繁栄を勝ち得たのでしょうか?

そのヒントは、強羅公園にあります。強羅公園は、日本初のフランス式庭園です。

  • アクセス 強羅駅から徒歩10分。またはケーブルカー公園下駅で下車。

強羅は、土地としては荒れていたものの、平らな場所が多く、別荘地の建設が計画されたのです。強羅公園や大文字焼(大正10年から)は、別荘のために準備されたものでした。

強羅公園は、3月下旬から4月上旬のつつじに人気があります。その後、5月下旬から6月上旬にはバラが咲き、7月にはあじさい、9月にはキレンゲショウマなどが咲きます。10月下旬から11月上旬は、バラのシーズンとなります。

温泉が出なかった強羅ですが、強羅公園の近くに温泉が流れている水路(一般非公開)があります。このお湯はどこから来たのでしょうか?

  • アクセス 「桐谷 箱根荘」の向かい

これは、ブラタモリ箱根編(このページでは、中盤#71で紹介しています)で扱った、大涌谷で作られた温泉です。江戸時代には、木管を使い、大涌谷から温泉を運んできました。

ブラタモリは、強羅に残る、600坪もの別荘(石雲山荘、非公開)を訪ねます。藤山雷太の別荘として建てられました。

  • アクセス 強羅公園を早雲山側に歩いてすぐ。箱根美術館近く。

広大な庭を通り、建物に到着すると。岩の上に食い込むように、建物が建てられています。岩を鑑賞できる窓があり、岩をそのまま削った階段もあります。もっとも眺めのよい上の間からは、大文字焼きが正面に見えます。

強羅には、このほか100軒にも及ぶ別荘が建てられました。

箱根登山ケーブルカー|ブラタモリ箱根の温泉

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ブラタモリは、強羅駅から、早雲山行きの箱根登山ケーブルカーに乗車します。日本で2番目に古いケーブルカーです。ケーブルカーには、短い期間に駅がいくつもあります。これはなぜなのでしょうか?

傾斜地にある、別荘地の利用者の、移動を考えたものでした。

ケーブルカーの終点は早雲山ですが、観光のために、大涌谷までロープウェイが作られました。大涌谷は、ブラタモリ箱根編(当ページではこのあと)で紹介されています。

【箱根編(#71)】箱根の地形ー箱根はどのようにできた?

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ブラタモリ箱根編(#71)は、箱根の名所・大涌谷からスタートします。タモリさんは、大涌谷は初めて。箱根には、年に2000万人もの観光客が訪れます。

大涌谷では、寿命が7年伸びると言われる、黒卵が名物です。

温泉の中の「硫化水素」と「鉄分」が結合して、酸化鉄を生成したもの。ブラタモリ箱根編のテーマは、箱根の地獄が極楽を生んだです。

大涌谷は、2015年に噴火を起こしました。火山灰の量は100トンであり、人で言うと、くしゃみまで行かない程度の、小規模の噴火でした。

大涌谷には、亜硫酸ガス、硫化水素ガスなど、有害な火山ガスが立ち込め、古くは「大地獄」と呼ばれていました。1873年、明治天皇の来訪の機会に、大涌谷と改称されました。

箱根という山はある?|ブラタモリ箱根

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箱根はさまざまな山々の総称です。山々は外輪山を形成し、その内部のくぼみはカルデラと呼ばれます。

箱根のカルデラは、およそ3000年前に大崩壊を起こしています。カルデラとは、火山の火口と似ていますが、直径が2キロ以上のものをそう呼びます。

箱根のカルデラは、「陥没カルデラ」に分類されますが、成り立ちは非常に複雑です。複数の火山からなる4つのカルデラが、合体したり点在したりする、複合カルデラとなります。

宮ノ下温泉と富士屋ホテル|ブラタモリ箱根

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ブラタモリは、宮ノ下駅周辺に移動します。

宮ノ下駅周辺は、箱根でも有数の温泉です。箱根七湯のうちの4つの温泉場(宮ノ下・底倉・木賀・堂ヶ島)があるだけでなく、明治11年創業の「富士屋ホテル」には、多くの外国人が訪ねてきました。チャップリンが宿泊したことでも知られます。

  • アクセス 箱根登山鉄道、宮ノ下駅から徒歩。

ブラタモリは、底倉地区にある源泉(地図印)を訪ねます。崖のすき間から70度の温泉が湧き出す、自然湧泉です。付近にある太閤の滝のそばには、小田原攻めのさい、豊臣秀吉が入った温泉(太閤石風呂)もあります。

豊臣秀吉の小田原攻め

豊臣秀吉は、戦国時代から北条氏が守っていた難攻不落の小田原城を、苦心して攻め落とします。底倉温泉は、豊臣秀吉の勢力に占領されましたが、住民に無礼があってはならないと、大切に守られた歴史があります。

関連 【ブラタモリ小田原編】歴史・地形・観光ルートまとめ #28

底倉の谷沿いからは、1日1000トンものお湯が湧き出します。宮ノ下温泉は、「熱、泉質、泉量」の3要素を備えた、名泉なのです。宮ノ下は、マグマだまりの上の温泉のかたまりに、地表が乗っているような形で、足元は「地獄」とも言えます。

長尾峠から神山と火山性扇状地を見る|ブラタモリ箱根

Σ64氏撮影による(Wikipedia)
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ブラタモリは、長尾峠に移動します。

長尾峠から見おろす、芦ノ湖の左手に見えるのは、箱根の最高峰「神山」です。約3000年前に、北側が大きく崩壊し、カルデラを形成しました。現在の大涌谷です。

そのときに、崩壊物が火山性扇状地を形成しました。さらに、古い小さな芦ノ湖がせき止められ、いまの大きな芦ノ湖が出現したのです。芦ノ湖は、せき止め湖に分類されます。

  • 長尾峠へのアクセス 東名高速道路裾野ICからクルマで20分(バス便なし)

九頭龍神社の神様は、「毒竜」として大暴れしていた? |ブラタモリ箱根

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ブラタモリは、芦ノ湖の九頭龍神社(本宮)に移動します。

箱根九頭龍神社(本宮)へのアクセス

  • 小田原駅東口から、伊豆箱根バスで箱根園へ(80分)。箱根園のザ・プリンス 箱根芦ノ湖(楽天トラベル)わきの道を徒歩25分程度。
  • 箱根園・元箱根・箱根・湖尻から貸切モーターボート。箱根園からが安く、1名1500円で往復(参拝時間あり)。

※箱根園からは、箱根神社・箱根九頭龍神社(本宮)の双方をまわる貸切ボートもあり。1名3000円。箱根神社境内には、箱根九頭龍神社(新宮)があります。

芦ノ湖の九頭龍神社(本宮)は、縁結びの神様として知られ、近年多くの人が訪ねるようになりました。

ブラタモリ
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九頭龍は、現在は神様ですが、もとは「毒竜」として暴れまわっていたと伝えられます。その痕跡が、芦ノ湖の湖底にあると説明されますが、どういうことでしょうか。

ブラタモリは、芦ノ湖に船で出て、魚群探知機を利用します。湖底には、高さ20m、直径1mの長いものが立っているのが発見されます。この正体は、何なのでしょうか?

正体は、湖底の大木でした。

地滑りによって、樹木ごと湖底に沈んだ現象です。地滑りは、津波を引き起こし、かつては人々に恐れられました。湖底に沈んだ樹木は、神代木じんだいぼくと呼ばれます。暴れまわっていた毒竜は、箱根神社の上人に、この神代木にくくりつけられ、悔い改め神様になったと言い伝えられます。

温泉旅館山田屋 寄せ木細工と硫黄泉|ブラタモリ箱根

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温泉旅館・山田屋にある、大浴場の壁の寄木細工の黒い部分は神代木から作られています。

露天風呂からは、神代木を生んだ、外輪山を見ることができます。

  • アクセス 箱根登山ケーブルカーの早雲山駅を利用

タモリさんは、宮ノ下(塩化物泉)と異なる、白濁した硫黄泉が気に入ります。白濁湯は、箱根の北部を中心に、箱根全体の3分の1のお風呂で楽しむことができる、箱根を代表する泉質です。

箱根カントリー倶楽部と温泉の不思議な関係|ブラタモリ箱根

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ブラタモリは、箱根にあるゴルフ場。箱根カントリー倶楽部を訪ねます。

アクセス(バスの最新の運行状況はご確認ください)

  • 小田原駅・箱根湯本駅から湖尻行バス利用。箱根カントリー入り口下車。
  • バスタ新宿から、箱根小田急山のホテル行き高速バス利用。箱根カントリー入り口下車。

ゴルフ場には、大きな池があります。火山性扇状地を流れる水が湧いたものです。この水は、温泉ではなく単なる地下水です。

地獄谷周辺は、イメージとは裏腹に、天然温泉がほとんど沸きません。そこで昭和初期に、箱根温泉供給株式会社が設立されます。箱根温泉供給株式会社は、大涌谷くろたまご館の関連企業です。

  1. 箱根カントリー倶楽部周辺のイタリ湿原に湧く井戸水を、ゴルフ場内のイタリ池に貯水。
  2. 浄水後、ポンプの動力で、高低差約350m、総延長約3000mの配管を経て、大涌谷に汲み上げ。
  3. 大涌谷で、蒸気(火山性ガス)と用水を混ぜ、大涌谷に自噴する温泉水と混合(作業員は防毒マスク着用)。
  4. 温泉旅館に供給(供給先は7館ありますが、口コミが良い2館を下に掲載)。

大涌谷まで水をくみ上げ、成分と熱を加えて作る「天然温泉」。

これは、地下水をマグマが温める、宮ノ下温泉の成り立ちとほぼ同じであり、天然温泉と認められています。タモリさんは、大涌谷で、できたての温泉水の香りや温度を確かめます。どこからどう見ても、本物の温泉でした。

ブラタモリ箱根編(#71)のまとめ

ブラタモリ
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箱根は、地下に大きなマグマ溜まりがあり、火山活動が活発。噴火による、山体の崩壊が起きた、地獄のような場所でしたが……。

  • 大地獄と呼ばれた一帯は、大涌谷と改称され、多くの観光客を迎えてきた。
  • 箱根七湯のうち4湯を持つ宮ノ下温泉は、豊臣秀吉も訪ねた伝統的な温泉地。マグマが地下水を加熱してできた。
  • 芦ノ湖は、山体崩壊で誕生したせき止め湖。山体崩壊を象徴する「毒竜」は、箱根神社の上人の手で改心。縁結びの神様になった。
  • 地滑りにより、地盤ごと湖底に沈んだ木々は、黒い神代木となり、寄木細工の黒として、人の目を楽しませている。
  • 箱根カントリー倶楽部周辺に湧いた井戸水は、大涌谷で温泉に生まれ変わり、旅館の湯船に供給される。

(参考)崩壊した山体の巨大な破片である岩の塊は、流れ山と呼びます。船見岩、金太郎岩、望湖石など。流れ山は、ブラタモリフォサマグナ編でくわしく紹介されています。

【箱根関所編(#72)】箱根関所をタモリさんがわかりやすく解説

ブラタモリ箱根関所編は、箱根関所前からスタート。ブラタモリのテーマは、箱根の関所はなぜ破れないのかです。

江戸と京都を結ぶ東海道の要所、箱根の関所は、鉄壁の守りだったと伝えられます。「一夫関に当たれば、万夫も開くなし」(一人が関所を守れば一万人がかかっても通れない)と言われたように、人の手に頼らず、立地などの諸条件から、不正な通過が困難だったのです。

箱根関所はなぜ鉄壁なのか:ブラタモリ箱根関所

ブラタモリは、京都側から、全長38mの関所に入ります。関所入口では、足軽が24時間監視をしていました。旅人は、まず係から検閲を受けます。そばには、火縄銃や弓が大量に備え付けられており、旅人にプレッシャーを与えます。

  • 小田原駅より箱根町行バス55分、箱根関所跡下車2分
  • 箱根湯本駅より箱根町行バス40分、箱根関所跡下車2分

江戸時代の箱根関所には、最長400mの柵(さく)が、山の頂上から芦ノ湖のあいだに、いくつか作られていました。

高台(地図:印)から、箱根関所を見ると、山と湖との間の土地はわずか猫の額ほどです。よく観察すると、断層が作った崖と芦ノ湖の間の狭小地に、箱根関所が作られていることがわかります。箱根関所は、地形的に要害にあたり、鉄壁の守りを誇ったのです。

箱根関所は、丹那断層の北に接続する箱根町断層のそばに立地しています。箱根町断層は、伊豆半島の丹那断層の北に接続しています。箱根町断層は、横ずれ断層です。縦ずれ断層と異なり、崖を生成することは通常はありません。なぜ箱根関所付近には、崖が生まれたのでしょうか?

箱根町断層には、並行する平山断層が存在します。長方形の長辺が、2つの断層に引っ張られるような形となり、挟まれた四角の地帯が陥没したのです。その低くなった土地に、芦ノ湖、箱根関所が位置しています。

箱根関所は女性に厳しい?:ブラタモリ箱根関所

ブラタモリは、江戸方面から、箱根関所を訪ねてみます。

すると、関所の係員に扮した演者に、同行者のうち女性だけが、取り調べを受けます。関所では、女性は、幕府発行の証文(手形)を見せ、本人確認を受けます。証文には、髪の毛や灸の跡など、身体的な特徴が記され、すり替わらないように工夫されています。

※関所の演者はNHKが手配したもので、普段はおりません。

江戸から箱根関所に入ると、なぜ女性だけが、取り締まりを受けるのでしょうか?

それは、江戸で謀反を起こそうとする者は、事前に、人質となっている妻や家族を江戸から逃がすということが、多く見られたためです。当時の規則を確認すると、女性だけが証文(手形)を求められたことが分かります。

かつての東海道五十三次のすごろくには、「手形を忘れ江戸に戻る」のマスがありました。遊びを通して、関所のルールを浸透させていたのです。

箱根八里とは:ブラタモリ箱根関所

ブラタモリは、小田原橋に移動します。なぜ箱根に、小田原橋が存在するのでしょうか?

箱根宿は、小田原と三島の人が移住して作られたため、小田原の地名が残っているのです。移住は、箱根の険しい山道に宿場が必要だと考えた、幕府の命により行われました。

ブラタモリは、現在の箱根湯本駅と箱根関所(箱根宿)の中間付近に位置する、畑宿の畑の茶屋付近を訪ねます。畑宿は、江戸時代に、街道を外れて歩く不審者を監視する「守り村」に位置づけられており、寄木細工が盛んです。

  • 箱根湯本駅より箱根登山バス・箱根旧街道線にて15分。畑宿バス停下車。

畑宿は、東海道の難所「箱根八里」に位置します。箱根八里とは、東海道の小田原宿から箱根宿までの四里、箱根宿から三島宿までの四里をあわせた区間です。

畑宿付近の箱根八里は、尾根筋に道がありました。しかし、江戸時代に幕府により、谷道に付け替えられます。幕府は、抜け道がなく、またぬかるみやすく歩くのに時間を要する谷の道をわざわざ敷設させたのです。石畳の道は、よく観察すると、水はけを良くするための、側溝の跡があります。畑の茶屋付近から谷道に入り、国道1号に近づくと、厩舎が急になり最大の難所を迎えます。

箱根寄木細工:ブラタモリ箱根関所

ブラタモリは畑宿に戻ります。畑宿では、箱根寄木細工の看板が多く見られます。寄木細工は、200年の歴史があります。タモリさんは、寄木細工浜松屋の7代目の職人に話を聞きます。

寄木細工は、細長い木片を、決められた手順で組み、幾何学的な模様材を作ります。その後、特殊な大型のかんなで薄く剥がすと、シート状となり、様々な容器に貼ることができます。

寄木細工を作っていた畑宿は、箱根関所を鉄壁にするために、重要な役割を担っていました。不審な旅行者を幕府に通報する役目です。畑宿のような集落は、守り村(関所守り村)と呼ばれます。守り村は、箱根関所だけでなく、脇の街道にも点在していました。

以上、NHK番組のブラタモリが紹介した、箱根関所の歴史や地形を踏まえた観光スポットやアクセス方法を紹介しました。

関連する回は、【ブラタモリ小田原編】歴史・地形・観光ルートまとめ #28となります。

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