ブラタモリ富士山編で、富士山の地形や成り立ちが紹介されました(2015年)。宝永火口は、2023年11月のタモリステーション(テレビ朝日)で再度訪ねます。
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タモリさん宝永火口を再度訪問! 2023年11月のタモリステーション(テレビ朝日)の要旨
タモリステーション(2023年11月放映)では、ブラタモリ富士山編と同じ、富士宮口5合目からスタートしています。タモリさんは、学校では、富士山は死火山と習いましたが、その後休火山とされ、現在では活火山と定義されています。
富士山は大噴火を繰り返し、現在の形になりました。直近の噴火は、江戸時代、1707年の宝永の大噴火で、その後約300年間、噴火はありません。(コトバンク)
タモリさんが、富士宮ルートを外れ宝永山に向かうと、背が高くならないカラマツの姿。森林限界に近い高度です。
宝永火口に到着。近年の研究で、宝永山は、まさに宝永噴火の噴出物に覆われていることが分かりました。
四方に噴出物が飛び出したにも関わらず、南東側にだけ山(宝永山)ができたのは、斜面であることに加え、西風(偏西風)の影響を受けたからです。山を1つ造るほど、大量の噴出物が出たことが分かります。
タモリさんは、大きな火山弾を発見。火山弾は噴石とは異なり、溶岩の塊がもとになっています。冷え固まっていますが、もとは餅のように粘性があったようです。噴火では、火山弾(到達距離は5キロ程度、静岡大学)のほかに溶岩、火山灰、噴石が噴出します。
溶岩は、山の斜面一面を流れてくるイメージがありますが、上空から見ると、細く流れます。もし市街地に流れてきたとしても、平地では時速4キロ程度。溶岩の流れと垂直の側に逃げる、直交避難が富士山麓の町では推奨されています。
一方火山灰は、上空でキノコのように広がり被害エリアが拡大します。成層圏に達すると平らに流れ、偏西風にあおられるからです。宝永噴火では、約2時間で江戸に到達したと考えられます。
東口本宮 冨士浅間神社(静岡県駿東郡小山町)には、古地図をもとに作った富士山噴火の被害を示す絵図が残されています。
噴石は、溶岩からできた火山弾とは異なり、火口を埋めていた岩石や古い溶岩が、吹き飛ばされて落下してきたものを指します。絵図には、蹴鞠くらいの噴石が落ち、破裂して炎が出る様子が描かれています。街道に並ぶ住宅では、火災が起きています。
軽石なら、10キロ程度先まで、風で飛ぶ可能性があります。軽いため、家屋などへの打撃は限定的ですが、火災を起こす可能性があります。発掘調査の結果、焼けた家の柱がそのまま出土し、なべやすり鉢、急須も出土しています。
ブラタモリでは、日本のポンペイ(噴火で埋もれた町)と言われる、鎌原村を訪ねています。
【ブラタモリ浅間山・鎌原村】ロケ地|タモリさんが巨大噴火の痕跡を追う #145
富士吉田市が火口に?!富士宮市も可能性あり
富士山は、この5600年に180回余り噴火していると考えられ、これは30年に1度のペースです。
富士山は、宝永火口のように、山頂だけでなく山腹から噴火する可能性もあるのが特徴。近年の調査では、火口ができる可能性があるエリアは、富士吉田市や富士宮市の居住エリアも含まれるようになり、警戒が必要です。
火山の噴火には、爆発的噴火、溶岩流噴火などがありますが、富士山は噴火の形態の予測が難しい、噴火のデパートと呼ばれます。例えば、火砕流は時速100キロにも達し、海を渡って流れることもあります。
富士山の噴火は、南海トラフ地震と連動の可能性もあります。周辺地区では、噴火の危険レベルの警報が、音声等で伝えられるため、心構えが必要です。なお、タモリさんが試食した、発熱剤入りのの牛丼は、下の商品のようです。
ブラタモリ富士山編は、静岡県側と山梨県側の2系統あります
😎大井川 (#225)トロッコで湖上駅へ | 😎静岡市 (#224)駿府城は今川の痕跡も | 😎伊東 (#208)なぜ人気温泉地に? |
😎浜松 (#153)楽器の街と浜松城 | 😎浜名湖 (#152)なぜウナギがおいしい? | 😎下田 (#107)ペリーが残した和洋折衷 |
😎天城越え (#104,105)温泉から旧天城峠へ | 😎三保松原・久能山 (2018年新春SP)徳川家康ゆかり | 😎熱海 (#27)歴史を重ねた温泉街 |
富士山 (#19,20,21)宝永火口とは? |
😎マークは、現地取材済みです。
富士宮ルートと宝永火口|ブラタモリ富士山
富士山は活火山。大噴火を繰り返し現在の形になりました。直近の噴火は、1707年の宝永の大噴火で、その後約300年間、噴火はありません。(コトバンク)
1707年(宝永4年)には、現在の山頂ではなく、稜線の宝永山が噴火しました。江戸幕府の第5代将軍綱吉が引退した年のことです。
関東平野を中心に、最終的に、約17億㎥の火山灰等が堆積しました(内閣府防災情報)。
宝永山の西を通る富士宮ルートは、登山道としての歴史があり、地形・地質の変化にも富んでいます。なお、富士北麓の青木ケ原樹海を形成したのが、貞観の大噴火(864年~)です。
主な富士山の登山ルート
- 富士山の登山ルートで、もっとも登る時間が短いのが富士宮ルートです。登りに5時間半程度、下りに4時間弱程度かかり、剣ヶ峰(富士山頂)往復や山頂のお鉢巡りに2時間程度かかります。
- もっとも時間のかかる登山は御殿場ルートです。1972年の冬山で24名が遭難するなど、難度が高いルートです。
- 山梨県側から登る、富士吉田ルート、須走ルートは、その中間の難度です。
冨士山本宮浅間大社|ブラタモリ富士山
ブラタモリは、冨士山本宮浅間大社からスタート。寒く天気が良い日には、鳥居の右遠方に富士山が見えます。
- アクセス 身延線・富士宮駅から北西方向へ徒歩10分(地図)
ブラタモリのテーマは、富士山はなぜ美しい?です。
室町時代の『富士曼荼羅図』には、三保の松原、富士川、そして冨士山本宮浅間大社が名所として描かれています。山梨県側より早く、太平洋側の登山道が開けたのです。富士山は、南西方から見る姿が美しいことも分かります。
冨士山本宮浅間大社の本殿は、珍しい2階建て。
浅間大社は、織田信長の武田討伐のあおりで焼失。その後家康は、武田氏を倒した信長が、甲斐から安土へ凱旋する折に、接待を兼ね浅間大社を訪ねています(1582年)。
現在の本殿は、1604年、家康が造営し寄贈したものの1つです(富士山本宮浅間大社公式サイト)。
1階は寄せ棟造りと呼ばれ、富士山の形を模して作られています。2階は、富士山のさらに上にある聖なるものを象徴しています(諸説あり)。
信長は甲府を出ると初日は市内、翌日は本栖湖で泊り、3日目、現在の富士山本宮浅間大社へ。家康は豪華な宿舎を建てて信長をもてなしました(3日目泊)。
冨士山本宮浅間大社にある湧玉池は、古くは登山前のみそぎの場所でした。富士山の湧水が注ぎ込んでいる場所です。
湧水している場所をよく観察すると、水をよく通す性質がある、溶岩のよう。溶岩の下の地層に水を通しにくい地層があることが予測されます。富士山の湧水は、約15年前に山頂に降った雪が地底を通過してきたものだとされています。
● 交差点 ● 末端崖(私有地)
ブラタモリは、湧玉池すぐそばの交差点付近に移動します。すると交差点を境に傾斜が終わり、平坦になっていることが分かります。ここが富士山の溶岩の最終到達地点、すなわち裾野の末端です。
周辺には溶岩の末端である末端崖があります(私有地ですが、道路から見学可能)。富士山の山頂から20キロ程度。湧水が湧くのはこの末端崖に沿った場所となります。
一般に、火山の形や美しさは、溶岩の柔らかさと関係があります。
溶岩が固いと、昭和新山(左)のように、かたまりになります。溶岩がやわらかすぎると、キラウエア火山(右)のように、平らになりすぎてしまいます。
富士山の美しい裾野を作ったのは、溶岩の適度な硬さと粘り気だということになります。
【ブラタモリ洞爺湖編】洞爺湖、昭和新山、有珠山などロケ地まとめ #89
富士宮口5合目~6合目雲海荘|ブラタモリ富士山
ブラタモリは、バスで登ることができる上限、富士宮口5合目に到着します。
- アクセス 富士宮駅からバスで2時間。
ブラタモリは、6合目の雲海山荘を経て、1707年の宝永の大噴火の跡、富士山の山腹に位置する宝永火口を目指します。
5~6合目にある溶岩は、宝永の大噴火によるものです。遠くへ飛ぶ噴火の主要な噴出物であるスコリアとは異なり、遠くへは飛ばないガサガサした質感のスパターも見られます。すぐ近くに火口があったということを示します。
スパターが見られた地点から少し歩き、6合目の雲海荘に近づくと、谷間のような場所があります。これは、割れ目火山という細長い火口で、スパターを噴出した火口の1つです。
スパター
溶岩のしぶきのこと。火山の噴火は、瓶を振った炭酸水が飛び出す様子に似ています。高く天井まで飛び出す霧状の水分が「火山灰」にあたり、遠くまで到達します。その時、瓶の周囲に飛び散る炭酸水のしずくが「スパター」です。
時間が経ち瓶を傾けると、瓶の口から炭酸水が流れ出す。これが「溶岩流」です(気の抜けた炭酸水のようなもので、爆発的に移動するパワーはなく、流れるだけとなります)。
宝永火口に向かうタモリさんは、6合目の雲海荘で休憩を取りラムネを注文。雲海荘は、標高約2500mあり、高い木は見られなくなります。
- 富士宮口5合目(バス停)…(登山約30分)…6合目雲海荘
雲海荘を出て少し歩くと、雪解けの土砂が山肌を削ってできた、雪代が流れてできた谷間を発見します。雪解けの土砂は、山肌をギザギザにし富士山の美観を損なってゆきます。
なぜ雪代が多いにも関わらず、富士山の山肌は、滑らかさを保っているのでしょうか?
富士山は、割れ目火口が約100か所見られるように、噴火がひんぱんなため、雪代による引っかき傷が定期的に修復され美観を維持しているのです。ひんぱんな噴火は、富士山の化粧直しとも言えます。
タモリさん 念願の宝永火口に到着!
ブラタモリは、宝永火口に到着します。ちょうどガスが晴れ、タモリさん念願の宝永火口を見ることができました。
宝永火口は直径1000m以上あり、山頂火口の約700mを超える大きさです。
宝永火口は、富士宮口5合目から2時間弱です。ただし、宝永第一火口から宝永山馬の背は砂礫の多い難所となり、とくに夜間は道に迷いやすくなります。
- 富士宮口5合目(バス停)・・・(登山約30分)…6合目雲海荘…(登山約80分)…宝永火口
さて、1707年の宝永噴火は、16日間続き、御殿場では1~2mの灰が積もりました。すり鉢状の美しい火口ですが、よく見ると頂上に近い方から順に大中小の3つ火口が存在します。
宝永山火口付近の土の色が赤い部分は、古富士と呼ばれる、大昔の富士山の地層が姿をのぞかせたものです。(宝永火口は、古富士の文字の辺り)
およそ1万年前、噴火で新富士が誕生したとき、2つの富士はほぼ同じ高さを持ち、富士山はふたこぶラクダのような形状でした。古富士は時間が経つにつれ崩れてゆき、2900年前に大崩壊を起こしています。その結果が現在の富士山の形なのです。
古富士の大崩壊のあと、宝永噴火を含む度々の噴火により稜線は美しく整えられ、古富士がほんの少しだけ顔をのぞかせる形となっています。
ブラタモリは、宝永火山の底を目指します。中腹に巨人(ダイタラボッチ)の足跡のようなもの。これは何なのでしょうか?
足跡に見えたのは、雪代の残した痕跡でした。
案内人は、足元に白いペンキで塗ったような石を見つけます。白の正体は鉱物ですが、分析した結果、石英を含む、温泉の湯の花に近いものだと分かりました。
タモリさんが宝永火山のすり鉢状の壁をみると、貫入(マグマが岩肌を割り、地表に表出する現象)の跡があります。宝永火山の噴火で貫入が起き、その後、周囲の柔らかい土が侵食を受けて削り取られ、貫入した固い岩が表出したものです。
さて、宝永火口の壁にある岩脈は、全て山頂に向かっています。なぜなのでしょうか?
フィリピン海プレート上にある伊豆半島が本州に衝突し、今も押し続けている力学が背景にあります。
土地は、力が加わった方向に割れ目火口ができます(例えば、栗に器具で強い力を加えると、力が加わった方向に割けます)。富士山の美を生み出したのは、地球のプレートでもあったわけです。
このように、多くの奇跡が富士山の美しさを作り上げました。46億年の時の流れのなかで、富士山がもっとも美しい時期に我々が生きていることも、1つの奇跡と言えます。
富士宮ルート9.5合目(九合五勺)から富士山頂・剣ヶ峰へ|ブラタモリ富士山
ブラタモリ富士山編の3日目(#21)は、富士宮ルートの胸突き山荘・九合五勺からスタートしました。
九合五勺(9.5合目)は、3590mの高度です。雲海が広がり、ここからは急な上り坂になります。
古い絵図を見ると、松明を持った、白装束の登山者が描かれています。登山道は大きく変わっていませんが、江戸時代の富士登山は、現在と大きく異なっていたようです。
当時の人々は、何を目指して山頂へ向かったのでしょうか?
タモリさんは、富士山頂へ向かう登山道で、富士塚を見学したことを思い出します。
都内に残る最古の富士塚が、鳩森八幡神社の千駄ヶ谷富士。
かつては全国に富士講と呼ばれる組織があり、共同でお金を積み立て、代表者が登頂をめざしました。江戸各地に富士山を模した富士塚が作られました。
いよいよ富士山頂へ!|ブラタモリ富士山
タモリさんは、酸素補給しながら、富士山頂に迫ります。山頂に近づくにつれ、多くの登山者が迎えてくれました。ロケ直前に70歳を迎えたタモリさんに、おめでとう!の声がかかります。
山頂手前には、鳥居があり、「講」の文字が見られます。12年に1度、現在も残る富士講により建て替えられています。
タモリさんは、山頂にある富士山浅間大社奥宮へ参拝します。
富士山浅間大社奥宮は、20キロ離れた麓(富士宮駅近く)にある、富士山本宮浅間大社と一体の1つの神社です。登頂のご褒美として、お神酒の進呈があり、お盆ほどの大きさがある、巨大な御朱印を白装束に押してもらいます。
奥宮を出たブラタモリは、火口に向かいます。直径700m、東京ドーム16杯分の巨大な火口は、写真に入りきらないほどです。
富士山では、8合目以上は浅間大社の所有、すなわち境内となります。なぜなのでしょうか?
富士山の登山者は火口に賽銭を投げますが、その火口の底の高度がちょうど8合目に合致しているからです。火口からは、江戸時代の古銭が発見されています。世界最大の賽銭箱とも言えるのです。
火口をよく観察すると、周囲をいくつかの峰が取り囲んでいます。これらは、観音、阿弥陀、釈迦などと名づけられ、仏様に模されています。古来の信仰では、8体の仏様に囲まれた火口の中心に大日如来が現れると考えられていました。
引用 日本のシンボル 憧れの富士登山⑤~世界遺産
現代の富士山でのご来光と言えば、日の出を拝むのが目的です。一方、江戸時代のご来光は、太陽を背にして大日如来が現前する奇跡を見ることが目的でした(ご来迎と呼ばれる)。この奇跡は、現代では、ブロッケン現象と名づけられています。
富士山最高地点 剣が峰
浅間神社奥宮から、お鉢巡りのルートをさらに登り、富士山の最高地点である剣ヶ峰に向かいます。
タモリさんは、手すりが欠かせない、急坂を登りきり……ついに、日本最高峰3776m地点に到達!
剣ヶ峰の富士山特別地域気象観測所には、台風の位置を一刻も早く測定する富士山レーダーが設置されていました。観測には、少しでも高度が高い方が有利だからです。
冷たい強風から機器を守るために、風が入り込まないように、潜水艦と同じ仕組みの密閉度の高いドアが使用されています。機器はすでに撤去されていますが、富士山レーダーを支えていた支柱が痕跡として残されています。
富士山レーダーは、10年前に役割を終えましたが、日本の気性予測技術は大幅に進化しました。富士山は独立峰のため、周囲に遮るものがなく、自然観測には最適の場所です。現在でも多くの研究者が測候所を利用しています。
測候所では、現在は雷の研究などがされています。雷の観測では、はるか岩手に落雷した様子も観測が可能です。高さが60キロ前後あり、宇宙に手をかけるような高度からの、落雷の全体像の観測(撮影)は、世界でも非常に珍しい研究です。米国では雷の研究は、航空機を飛ばさなければなりません。
😎大井川 (#225)トロッコで湖上駅へ | 😎静岡市 (#224)駿府城は今川の痕跡も | 😎伊東 (#208)なぜ人気温泉地に? |
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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