
NHK番組のブラタモリ松山編で、タモリさんが松山の四国最大の都市になった歴史が分かるスポットを紹介しました。
このページでは、ブラタモリ松山編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。
愛媛でブラタモリ | 内容 |
宇和島(#257) | |
しまなみ海道(#173) | 瀬戸内しまなみ海道の島々をめぐりながら村上海賊が活躍した理由をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす! |
道後温泉(#30) | 松山にあり、ジブリの舞台ともなった道後温泉。火山のないこの地で、どのように沸き、どのように発展したのでしょうか? |
松山(#29) | 広大な湿地帯に過ぎなかった松山。わずか400年でどのように四国最大、人口約50万人のまちになったのでしょうか? |
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松山城を中心とした松山市はどのように四国一の町に?|ブラタモリ松山


松山市は人口約50万人を誇る四国最大の都市です。しかし、松山城ができる前は、広大な湿地帯に過ぎませんでした。
どのようにして、わずか400年でどのように四国最大の都市になったのでしょうか?

ブラタモリは、松山城からスタートします。松山城は山上にあるため、ロープウェイかリフトで登ります。(松山城公式サイト)

江戸時代の天守閣が残存する、貴重な城です。戦国武将・加藤嘉明が築城しました。
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江戸時代までに建てられ、現在まで残っている天守は12城。このうち、姫路城、彦根城、松本城、松江城、犬山城の5城が国宝に指定。ほかに、天守が残っている城は、弘前城、丸岡城(福井)、犬山城、備中松山城(岡山)、丸亀城、伊予松山城(愛媛)。

加藤嘉明は、三河で、松平元康(徳川家康)の家臣の長男として生まれましたが、その年に三河一向一揆が勃発。父は、本多正信、夏目吉信らと一向一揆側に加勢し、流浪の身となりました。
その後、若くして豊臣秀吉に仕え勇名をはせた戦国武将です。秀吉の死後、徳川につき関ヶ原の戦いでは石田三成本隊と交戦。戦後、伊予松山に20万石を与えられました。
ブラタモリは、松山城の北東すぐにある東雲公園に向かいます。道路と住宅のあいだに、2mほどの高低差があります。これはなぜなのでしょうか?
道路の線形は、古地図にある土塁の線形と一致します。公園は、堀を埋めた跡だったのです。

ブラタモリは、松山城の東にある松山東高校を訪ねます(一般非公開)。松山中学時代には、正岡子規が明治16年まで在籍。明治28年には、夏目漱石が教諭として着任した歴史を持ちます。
正岡子規
江戸期に遊びとなっていた俳諧を、自然や人物を日常のことばで描写(写生)する俳句として再生。
・柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
・赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり
松山東高校には、松山城を大きく囲む土塁である、砂土手の痕跡が残っています。随所に見られる土塁の痕跡は、扇状地にある松山城周辺を、東側から押し寄せる洪水から守るために作られていたのです。
● 松山城 ● 松山東高校 ● 石手川の岩堰
松山が城下町がとして発展した理由のひとつは、加藤嘉明の主導で、大敵であった洪水を克服できたことです。松山城の東を流れる石手川も、深い関係があります。
ブラタモリは、松山城の東を流れる石手川を訪ねます。石手川には、渓谷のように見える場所があり、小さな滝もあります。これは、洪水の克服とどのように関係しているのでしょうか?
石手川の岩堰は、200mに渡り川底の岩盤を人力で削り、川の流れを変更した痕跡です。
この工事により、松山城付近に流れ込んでいた水流を、南に逃がしたとされています。付近では、工事に使われたノミが、出土しています。
松山市駅付近


ブラタモリは、伊予鉄道の松山市駅を訪ねます。JR松山駅の東にあり、市駅の通称で親しまれています。
松山城の南に位置し、現在は銀天街(地図■■■)はじめ商業の中心地ですが、江戸期には伊予絣などを扱う問屋街でした。
銀天街の入口にある伊予銀行湊町支店はじめ、至る所に内陸部にも関わらず、湊町の文字が見えます。
これは、松山城南の武家屋敷を商圏とし、水運による荷揚げを行っていた痕跡です。銀天街の南側に沿う中の川(地図■■■)は、江戸時代と川幅が変わっていません。両岸から引っ張る形で、荷物を運ぶ小舟を通していました。
【鯛メシ専門・鯛やが閉店】港町三津(三津浜港)


ブラタモリは、松山の港町である三津へ向かいます。
伊予鉄道の港山駅から三津浜港へ向かうには、渡し舟を利用する必要があります。

これは、市道の一部のため、無料で乗船できます。
- ● 伊予鉄道港山駅
- ● 渡し舟の船着き場
- ● 籠置石がある鯛メシ専門・鯛や(2025年3月10日に閉店)
- ■■■ 奥行きの深い町家
- ● 三津浜小学校

三津浜港周辺には、江戸時代から残る民家があります。森直樹さん宅もその1つで、一般公開を兼ねて鯛メシ専門鯛屋を営んでいます(地図●)。

鯛メシ専門鯛屋の庭には、籠置石が残っています。
これは殿様が来訪した際に、籠を置く石で、由緒正しい家であることを示します。殿様は庶民と句会を開くような、親しみやすい存在だったと伝えられます。
鯛メシ専門鯛屋には、三津~大阪(天保山)の海図も保存されています。これは参勤交代のルートと考えられ、庶民が、敬愛する殿様の現在地を確認していたのかしれません。
(2025年3月10日に閉店)

三津浜港周辺には、奥行きの非常に深い家がいくつかあります(地図■■■)。町屋として建てられた建物です。ブラタモリが紹介したのは、遠藤味噌醤油醸造所です。
ブラタモリは、三津浜小学校内を訪ねます(一般非公開)。校内には、お茶屋井戸の石碑があります。非常に広いこの小学校は、江戸時代のお茶屋の跡をそのまま利用しています(地図●)。
マツコが「泊まりたい」と2度発言した宿(露天風呂がお目当て)
線路の直交


ブラタモリは、大手町駅を訪ねます。
松山城西側の大手町駅付近には、全国的にも珍しい線路の直交があります。

鉢合わせになった場合、郊外電車が優先と定められています。
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しまなみ海道(#173) | 瀬戸内しまなみ海道の島々をめぐりながら村上海賊が活躍した理由をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす! |
道後温泉(#30) | 松山にあり、ジブリの舞台ともなった道後温泉。火山のないこの地で、どのように沸き、どのように発展したのでしょうか? |
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- 新ブラタモリ 伊勢神宮への旅
- 特番 東海道五十七次(京街道)
- 最終回 指宿
- 3/2 正倉院
- 2/3 鎌倉
- 1/13 黒部峡谷
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