【ブラタモリ伊勢神宮】伊勢神宮の歴史・地形・散歩ルートまとめ #40 41 - トラベルジャーナ

【ブラタモリ伊勢神宮】伊勢神宮の歴史・地形・散歩ルートまとめ #40 41


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NHK番組のブラタモリ伊勢神宮編で、伊勢神宮の歴史・地形を踏まえた散歩ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ伊勢神宮編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

内容はもくじから。

ライターに外注するメディアとは異なり、旅行年50泊の専門家 (証明写真)が、すべての記事を担当しています。


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三重でブラタモリ概要
伊賀忍者・甲賀・信楽編(#158 159)武装農民がもととなった伊賀忍者。一方甲賀忍者は、政治的戦略で生き延びます。そして、タヌキだけでない信楽焼の魅力とは。
伊勢神宮(#40,#41)ブラタモリは、御師、式年遷宮、おかげまいりなど、秘密を探ります。
志摩(#39,#40,#41)イセエビ、あわび、かつお節、真珠などを育む、志摩海岸の秘密は?

ブラタモリ伊勢神宮が最高視聴率18.6%を達成!

2016年6月4日に放送された、ブラタモリ伊勢神宮編(前編)が、番組過去最高(放映当時)となる18.6%の視聴率を達成したことが分かりました。視聴率が、13%を超えたのは以下の回でした。

伊勢神宮へのアクセス

  •  近鉄・JR線伊勢市駅
  • ● 伊勢神宮外宮
  •  伊勢神宮内宮

名古屋から伊勢神宮(伊勢市駅)への交通は、近鉄線とJR線があります。本数、車両の良さから、近鉄特急を利用する人が大半です(伊勢神宮参拝切符が便利)。

伊勢神宮は、外宮(米や食べ物の神様)→内宮(日本人の総氏神である天照大御神を祀り)の順に参拝します。

  • 伊勢神宮外宮:近鉄、JR線から伊勢市駅から徒歩5分。
  • 伊勢神宮内宮:外宮よりバスで約10分。

なぜ人は伊勢をめざすのか?|ブラタモリ伊勢神宮

伊勢神宮には毎年800万人以上の人が訪れます。

平安末期から、貴族に布教を始めていた伊勢神宮。鎌倉時代には、庶民にも布教を開始します。江戸期には、農民にも信仰が広がり、東日本では、一生に一度は伊勢まいりと言われるようになりました。江戸末期には、日本人の6人に1人が参拝したとされます。

なぜ人は伊勢をめざすのでしょうか?

ブラタモリは宇治橋からスタートします。伊勢神宮(内宮)への玄関口、五十鈴川にかかる美しい橋です。

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宇治橋は、ほかの建物と同様、20年に1度渡し替えます 。20年で約1億人(年に約400万人)が渡るため、20cmの橋板が8cm以上も減るのです。

五十鈴川で手を清めるのが古くからの習わしです。宇治橋を渡って右にしばらく歩くと、川面に降りる階段があり、五十鈴川御手洗場と呼びます。
(五十鈴川の水をくみ上げた、手水舎で代用することもできます。)

ブラタモリでは、古式通り、五十鈴川御手洗場に立ち寄りました。境内でタモリさんは、皇學館大学の新入生と出会います。タモリさんは父親が皇学館大学を第1志望にし、家族に反対された逸話を披露します。

内宮の地形と御正殿|ブラタモリ伊勢神宮

ブラタモリ 伊勢神宮

出典:伊勢市観光協会

ブラタモリは、五十鈴川御手洗場を過ぎ、御正殿へ向かいます。タモリさんは、ゆるやかな坂道になっていることに気づきます。

ブラタモリ
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川を背負う上り坂といえば、どんな地形でしょうか?

背後に川がある上り坂といえば、河岸段丘です。御正殿が河岸段丘上に建てられたのは、地盤がしっかりし、水害に強いためです。

出典:伊勢神宮公式サイト

タモリさんは、御正殿に参拝します。

ブラタモリ
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江戸時代の絵図を見ると、1つで良いはずの御正殿が隣り合わせに2つ書かれています。なぜなのでしょうか?

これは1300年続く式年遷宮しきねんせんぐうと呼ばれ、御正殿その他の建て替えの行事を表わしています。神宝(しんぽう/かんだから)と呼ばれる宝物、調度品、装束類もすべて新調します。20年ごとに建て替えるのは、伊勢神宮が、ヒノキの素木を礎石なしにそのまま使うなど、独自の神明造(唯一神明造)を採用していることも背景にあります(詳細後述)。

(参考)後世に何らかの意図を伝える場合、通常は金属器など「壊れにくいもの」を選びます。しかし壊れにくいものもいつかは壊れ、判読が不明になってしまうものも。そのため最も確実に後世に意図を伝える媒体は、「壊れやすいもの」だという説があります。

式年遷宮には信仰を伝えるという狙い以外にも、20年おきに信仰と参拝の機運を盛り上げるという意図があります。次の式年遷宮は、17年後の2033年となります。

出典:伊勢神宮公式サイト

番組放映時、御正殿は見学することができなかったため、ブラタモリは似た建築である御稲御倉神みしねのみくらの構造を確認します(場所は上の地図の赤丸)。

茅ぶきの屋根をヒノキで支える、神明造です。しかし、タモリさんが、外から見える「棟持ち柱」をよく見ると屋根との間にすき間があり、直接屋根を支えていません。代わりに、横板をつなぎ合わせた壁が屋根を支えています。

ブラタモリ
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なぜ、柱でなく、壁で屋根を支えているのでしょうか?

この形状とすることで、屋根の重みにより壁のすきまをふさぐことができます。御稲御倉神は、米を貯蔵するため、すき間を埋めることが肝心だからです。 年数がたつと、徐々に屋根が重みで降りてきます。最後には飾りに過ぎなかった礎石のない柱が、実際に屋根を支えることとなり、これが建て替え(遷宮)のサインとなります。この構造も20年ごとの遷宮の背景にあります。

神明造は、もともと高床式倉庫の作りを発展させたものなのです。

ブラタモリ
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式年遷宮には、あわせて1万本のヒノキを使用します。どのように運ぶのでしょうか?

これらは五十鈴川水運で運びます(御木曳おきひきという行事に名残り)。なお、解体した材木は鳥居などに再利用します。

※境内の宇治橋鳥居(=入口の宇治橋手前)は、旧御正殿のリサイクルです。

外宮・山田の繁栄と御師(おんし)の役割|ブラタモリ伊勢神宮

  •  近鉄・JR線伊勢市駅
  • ● 伊勢神宮外宮
  •  伊勢神宮内宮
ブラタモリ
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外宮の門前町である山田は、大変栄え、内宮の門前町である宇治の8.4倍の規模を誇りました。これは、なぜなのでしょうか?

背景には、江戸時代、布教の役割に加え、旅行会社のような役目を果たした神職・御師おんしの存在があります。外宮の門前町には、611軒もの御師の拠点がありました。出雲の御師は「おし」と呼び、伊勢では「おんし」と呼ばれます。

参考 ブラタモリ出雲大社


宮川と伊勢講|ブラタモリ伊勢神宮

  •  宮川橋(右岸が「中川原」)
  •  筋向(ずじかい)橋
  • ● 旧御師・丸岡宗大夫邸

ブラタモリは、伊勢神宮の西を流れる宮川を訪ねます。江戸時代の参拝者は、現在は宮川橋がある宮川を、渡し船で渡りました。

  • JR宮川駅または山田上口駅から徒歩12分

地図上の右岸は中川原と呼ばれ、ここで御師の使いの者が大きな看板を手に、参拝客を待ちかまえました。

粘り強い布教の成果から、江戸時代には、東日本を中心に農民まで信仰が広がりました。全国に出向き、布教の役割を担ったのが御師おんしです。各地には参拝のための互助会である、伊勢講が誕生しました。

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多額の旅費は、個人ではまかなえなかったため、共同で旅費を積み立て、くじ引きで当たった人が、農閑期に伊勢へ参拝することができました。

また、おかげまいりと呼ばれる伊勢参拝のブームが、60年サイクルで起きました。この時期には、商家の奉公人や子息が勝手に出かけても、お守りやお札を持ち帰ればおとがめなしとされ、旅費が不足しても、道中で施しを受けられる慣習がありました。

これらは、抜け参りとも呼ばれ、一行は旅ができるのは神様のおかげという意味で「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌いながら伊勢神宮へ向かいました。この慣習は、社会で弱い立場の人のための、調整弁のような役割だったのかもしれません。

参考 おかげまいりは、1650年、1705年、1771年、1830年の各年。1830年には約500万人もが参拝したと考えられます。


参道・中川原を歩く|ブラタモリ伊勢神宮

タモリさんが御師の案内で参道(旧参道)を歩くと、筋向橋に着きました。

  • JR山田上口駅徒歩7分、近鉄宮町駅徒歩10分

この付近で、大阪と江戸からの参道が合流します、現在は暗渠(地下水路)になっている川を渡ります。この場所が、聖と俗の境とされていました。

外宮の門前町に611軒あった御師宅のうち、ただ1軒残るのが御師・丸岡宗大夫邸です。ブラタモリでは、邸宅の中も取材しました(一般非公開)。御師としては決して大規模ではなかったとのことですが、最大50人が宿泊できる部屋数を備え、まかないのためにの4人が同時に使えるまな板も保存されていました。

江戸時代の御師は、布教の道具としての「お札」 、伊勢名物「きざみめみみ」(めかぶを乾燥させたもの)、 「伊勢暦」(カレンダーの元祖)をプレゼントし、庶民の心をつかんでいきました。

現在の伊勢名物の代表格は赤福。中部地方では、独自のCMソングでもおなじみです。ええじゃないかは、1867年に四国、近畿、東海地方などで発生した、民衆が踊り狂う騒動で、伊勢へのおかげ参りと、似た要素があると言われています。

ここから、ブラタモリ伊勢神宮編後編です。


参拝旅行の拠点 御師宅(丸岡宗大夫邸)|ブラタモリ伊勢神宮

  •  宮川橋(江戸時代は渡し船。渡ると御師の使いが出迎える)
  •  筋向橋(俗から聖域に入る)
  • ● 旧御師・丸岡宗大夫邸

多数あった御師宅のうち、いまも残る丸岡宗大夫邸を、ブラタモリは訪ねます。

タモリさんは、古い伊勢参拝の道中記(参拝者の日記)が見せてもらいます。それによると17名の参拝者一行は、名勝・二見浦→御師宅(宿泊)→外宮(午前)→御神楽の奉納(午後)のスケジュールをこなしています。

一行は、高い費用を負担し御神楽おかぐら(神を祀るための音楽と踊り)として、倭舞やまとまい(奈良春日大社や伊勢神宮特有の神楽)を奉納しています。最上ランクのお神楽は、6時間を要する壮大なものでした。

途中に休憩があり、食事、酒、お菓子などが振る舞われます。御師宅での食事は、非常に豪華なものでした。煮物、なます(酢のもの)、刺身、汁物、貝、あわび、鯛などです。鯛は、当時普及していなかった醤油でなく、煎り酒で食べます。

タモリさん
タモリさん

鯛のような淡白な魚は、本来は炒り酒の方が、味が生きるのです。

煎り酒とは

  • 室町~江戸時代にかけて、刺身に添えられた調味料。
  • 純米酒に、糖分のない梅干し(現在はカツオ節、昆布も)を加え、濃く煮詰める。
  • 使い道は、刺身、卵かけごはん、焼き魚、野菜炒めの仕上げなど。
  • オリーブオイルと混ぜ、サラダ、カルパッチョにも。

道中記によると、5泊6日の伊勢参拝の費用は60両。現在の600万円から1000万円にあたります。資料によると、一行は、ある日古市を訪ねています。

ブラタモリ
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古市を訪ねた日は、夫婦以外の若手は、夕食の用意不要との記録があります。なぜなのでしょうか?


歓楽街・古市|ブラタモリ伊勢神宮

宇治山田駅の「宇治」は内宮の門前町、「山田」は外宮の門前町を指します。

2つの門前町を結ぶ場所が、古市です。遊郭が立ち並び、遊女1000人を抱える大歓楽街でした。男女ともに遊べるよう、芝居小屋や料理旅館もありました。

当時の料理旅館のなかで、麻吉旅館だけが現在も残っています。

ブラタモリでは、内部の見学をしています。斜面の5階建てで、景色が非常に良い旅館です。

麻吉旅館をじゃらんで見る


河崎 伊勢の食や暮らしを支えた商人の町|ブラタモリ伊勢神宮

  •  伊勢河崎商人館
  •  和具屋

ブラタモリ伊勢神宮後編では、外宮(近鉄、JR線伊勢市駅から徒歩5分)のすぐ北にある旧御師・丸岡宗大夫邸、次いで外宮の少し離れた東にあるかつての歓楽街・古市を訪ねました。

続いて、外宮からやや離れた北東にある、商人の町・河崎へ向かいます。

河崎は、全国各地から伊勢に至る、海運と陸運の中継地点です。

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タモリさんは、上の写真の伊勢河崎商人館付近の川辺から、川から引き込んだトロッコレールが残っている、和具屋付近の古い町並みを歩きました。

ブラタモリは、地元の富田さん宅を訪ねます。薪炭しんたん(燃料)、甘藷さつまいも、日用雑貨などを扱う、雑貨商店を営んでいました。富田さん宅では、細長い紙の束が見つかります。これは山田羽書と呼ばれる当時の地域通貨で、金銀への換金が可能でした。

山田羽書には、各御師の名前が記されています。信仰と御師の経済力が、貨幣の信用を裏書きする形です。高い通用力を背景に、地域通貨制度は桑名、名古屋にも波及しました。地域通貨の原点ともいえる存在です。

江戸時代に繁栄した外宮周辺のユニークなスポットを紹介したブラタモリは、続いて近代や戦後の伊勢神宮に焦点を当てます。

近代の伊勢神宮を支えた御幸道路|ブラタモリ伊勢神宮

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明治4年、伊勢参拝の要だった御師制度は、廃止されてしまいます。世襲の一族が、神道に利権を持つことを、明治政府が嫌ったためです。

しかし、明治43年、明治天皇参拝を機に御幸みゆき道路(現・国道23号)が整備され、伊勢参拝が再度活性化しました。

天皇が各地にお出かけになることを、古代から行幸・御幸(読み方は「みゆき」ほかさまざま)と呼びます。なお、御幸は天皇以外に用いる場合もあります。

近代の伊勢神宮を支えた宇治山田駅|ブラタモリ伊勢神宮

ブラタモリは、宇治山田駅に移動します。

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昭和6年、近鉄は特急の高速化にあわせ、社運を賭け、洋風建築の宇治山田駅舎を完成させました。外観は白い、テラコッタと呼ばれる陶器のタイルを利用しています。

内装にもこだわりがあり、駅だけを見学に来る人も多数ありました。国の登録有形文化財。

宇治山田駅
Wikipediaより

宇治山田駅の階上にあるホームの横に、バスのりばの跡があります。

かつては、鳥羽や賢島行きの観光バスが、坂を上がり横づけし、近鉄特急からすぐに乗り換えられる便宜が図られていました。バスは地上から上がってきたあと、専用の転車台で折り返していました。現在でも転車台は、そのまま残されています。バスの転車台は、大変珍しいものです。

ブラタモリ
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宇治山田駅ホーム端から見える、架線の鉄柱をよく観察すると、左側にも「八角形」の接続部品があります。なぜなのでしょうか?

これは、左方向(伊勢神宮内宮)に線路の増設を予定していたことを示唆しています。

賑わいを取り戻したおはらい町|ブラタモリ伊勢神宮

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国道23号伊勢街道(旧御幸道路)と並行し、伊勢神宮内宮への入口・宇治橋につながる通り、おはらい町です。

バスによる参拝客が素通りするようになり、30~40年前に客足が遠のいた時期がありました。日本一滞在時間が短い観光地と、揶揄されることもありました。

しかし、61回目の式年遷宮を期に、まちなみ保全事業として、江戸時代の建築様式に整えたところ、20万人だった観光客が、500万人にV字回復した歴史があります。

三重でブラタモリ概要
伊賀忍者・甲賀・信楽編(#158 159)武装農民がもととなった伊賀忍者。一方甲賀忍者は、政治的戦略で生き延びます。そして、タヌキだけでない信楽焼の魅力とは。
伊勢神宮(#40,#41)ブラタモリは、御師、式年遷宮、おかげまいりなど、秘密を探ります。
志摩(#39,#40,#41)イセエビ、あわび、かつお節、真珠などを育む、志摩海岸の秘密は?
愛知でブラタモリ内容
名古屋(#75,#76,#90)舌の付け根が名古屋城で舌の先が熱田神宮で、左に堀川?

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