
NHK番組のブラタモリ京都・伏見編で、タモリさんが豊臣秀吉や巨椋池の痕跡を探りました。このページでは、ブラタモリ京都伏見編のロケ地やルートを紹介します。
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京都でブラタモリ | 内容 |
NEW 大原(#207) | タモリさんが、壇ノ浦の戦いで生き残った平徳子(建礼門院)が隠居し、いまは山里が広がる「大原」の魅力を探ります。 |
現地取材 鴨川(#206) | テーマは、川をたどれば京都がわかる? 貴船神社、上賀茂神社、高瀬川をめぐります。 |
現地取材比叡山編(#143 144) | 比叡山は、日本の仏教の母。最澄はどのような教えを説いていたのでしょうか? |
現地取材京都御所編(#142) | 天皇の住まいだった京都御所が、なぜ今の場所にできたのかを探ります。消えた天井川に大きな関わりが? |
京都西陣編(#139) | 織物の町・西陣はどうできたをテーマに、西陣織特有の織り方から応仁の乱の実際までを探ります。 |
現地取材宇治編(#103) | 日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。 |
現地取材銀閣寺・東山編(#102) | 将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか? |
現地取材京都祇園編(#70) | 舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。 |
現地取材清水寺(#69) | 清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。 |
現地取材伏見編(#37) | 外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。 |
現地取材嵐山編(#36) | 風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。 |
現地取材南禅寺・御土居・新京極(#パイロット版) | 京都の郊外にある盛り土である御土居。応仁の乱で荒廃した京都の再興をめざした、豊臣秀吉の思いが見られます。 |
京都・伏見とは?|伏見稲荷神社


ブラタモリは、伏見稲荷大社(地図)からスタート。千本鳥居で知られる、伏見稲荷大社は、外国人が選ぶ観光地第1位に選ばれたこともあります。

人気のある千本鳥居は、全国の人が奉納したものです。
千本鳥居(伏見稲荷大社)⛩ pic.twitter.com/znhL7wFjHo
— 個人ブログ運営@とらべるじゃーな! (@travel_jarna) October 24, 2021

伏見区は、京都盆地の南東。京都の東に横たわる、東山連峰の最南端にあたります。
ブラタモリのテーマは、「伏見は日本の首都だった?」です。
安土桃山時代(1575年~1603年)の「安土」は、滋賀県近江八幡市の地名で安土城があり、信長の時代を示します。
一方「桃山」は秀吉の時代を表します。そして、桃山は伏見のことを指しています。秀吉といえば、大坂のイメージですが、大坂は住まいであり、伏見が政治の中心、すなわち日本の首都でした。
伏見=桃山=豊臣秀吉の政治の中心地(首都)
伏見城跡|ブラタモリ京都・伏見


ブラタモリは、伏見城跡を訪ねます。もともと伏見城は、江戸時代に徳川幕府により壊されてしまったはずですが、なぜ今も伏見城があるのでしょうか?

現在の「伏見城」は、遊園地(伏見桃山城キャッスルランド)のシンボルとして再建されたものだったです。
遊園地が閉園して13年(初回放送年2016年を基準に)たち、現在の「伏見城」の内部は、安全上、立ち入りができなくなっています。許可を得たタモリさんが、暗い階段を登り、屋上から景色を見ると、伏見城がこの場所にある理由が分かります。
京都タワーなど京都盆地全体、40キロ先の大坂、さらに奈良までを見渡すことができました。当時は、大坂城も見えたと推測できます。

本来の伏見城本丸は、現在は明治天皇陵になっています。

一方、再建された「伏見城」は、伏見城・御花畑山荘だった場所に建てられています。すると、再建された「伏見城」の北東には、堀があったはずです。
現在のテニスコートや隣接したグラウンド(地図では桃山町大蔵の文字)が、巨大な堀の底の部分にあたります。堀は最大で幅150m、深さ15mとされ、江戸城桜田濠に匹敵します。

自然の地形を利用することなく、人力で作った直線の堀は、秀吉が天下人としての権勢を誇ったことを示しています。しかも、1年以内に完成させたと思われます。
伏見では、直線を見れば秀吉と思えがキーワードです。
1594年、豊臣秀吉は、伏見城(指月伏見城)に入城します。しかし、地震で倒壊してしまい、新たな伏見城(木幡山伏見城、再建された「伏見城」の近く)が建設されます。豊臣秀吉が2つの伏見城を居城としたのは、4年間にとどまり、1598年に死去します。
ページは後半に続きます。
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斜面に造られた伏見城の城下町|ブラタモリ京都・伏見

豊臣秀吉が伏見城を建設する前、伏見は、低湿地と斜面からなる土地でした。そのため城下町は斜面に造成されました。
ブラタモリが最初に斜面(坂道)を見上げたのは、スーパーのハッピーテラダ伏見店付近です(地図)。ここでは、斜面の様子と、晴れていれば見える伏見城の位置を、おおまかに確認しています。
ブラタモリが斜面(坂道)を見上げた2カ所目は、上の写真、下の地図の青いマーカー付近です。ここでは、斜面がでこぼこしていることを確認しています。横に通した道があることが、推測できます。
- ●や●地点から、伏見城のある丹波橋駅方向を見ると、登り坂となっています(上の写真)。安土桃山時代以前には、後方の低湿地から斜面が続いていました。
- 斜面を横切る直線の道(地図■■■)が現在でも残っています。路面のうねりは、秀吉がでこぼこした斜面に、無理にでもまっすぐな道を作ったことを示しています。これは、京都の碁盤の目に倣ったとも、権勢を示すためとも言われます。
斜面を横切る直線の道をブラタモリは、駅から遠い方から、1つ1つ確認します。
上の写真は1本目。ここでは、直線がずっと続くことから、タモリさんは、直線を見れば秀吉と思えのキーワードを確認しています。
上の写真は2本目。朝日理容店(地図)を右(南)へ進みます。ここでは、タモリさんは路面のうねりを発見します。秀吉がでこぼこした斜面に、無理にでもまっすぐな道を作った痕跡です。
電柱でわかる痕跡


桃山高校の北(川勝書店付近、地図)には、「桃11」と書かれた電柱標識があります。この地区が桃山と呼ばれていたことが分かります。電柱の名前には、古い歴史が残っていることがあるのです。

さらに付近には、斜面に造成された敷地があります。斜面に建物を作るとき、写真の石垣のように、平らな土地を造成します。

石垣が高いということは、敷地が相当広いということ。なぜ広い敷地が作られたのでしょうか?
これは大名屋敷の痕跡です! 付近には「桃山町正宗」など、大名にちなんだ住所が名づけられています。かつては、全国の大名が、ここに揃っていたのです。
住所に残る大名屋敷の痕跡
- 桃山町金森出雲
- 桃山長岡越中東町
- 桃山羽柴長吉西町
- 桃山町永井久太郎
- 桃山筒井伊賀西町
- 桃山井伊掃部東町
- 桃山町正宗
- 桃山福島太夫南町
- 桃山町島津
- 桃山町板倉周防
- 桃山町松平筑前
- 桃山水野左近東町
- 桃山町本多上野
- 桃山町三河
- 桃山町伊賀
- 桃山町丹後
伏見城下町のようかん


伏見は、江戸時代に、練りようかんが発祥した場所です(総本家駿河屋)。寒天とあんこを丁寧に1時間ほど混ぜて、型に流し込み、手作業で切って作ります。
秀吉が絶賛したのは、蒸しようかんでしたが、日持ちがしないため、練りようかんが開発されました。練りようかんが生まれたのは、伏見だったのです。

周辺には、魔よけとして、道教の神様である鍾馗を飾る家が目につきます。江戸時代末期からの近畿地方の風習で、京都にはその名残があります。
伏見城の南側|ブラタモリ京都・伏見

伏見城から見て、南にあたる宇治川のさらに南には、周囲より約5m高くなっている盛り土のような部分があります。これは、なぜなのでしょうか?
ブラタモリが歩いたのはヒカリハイツ北側一帯、向島駅から奈良街道たどり、観月橋駅をめざします。
タモリさんが許可を得て入った、写真の駐車場の向こうは、大きな段差となっています。

この5mもの段差は、昭和初期まで存在した、巨椋池(地図左下)を渡る、太閤堤の跡です。

かつて、5mもの盛り土は約4キロの長さを持っていました。
太閤堤を渡すことで、奈良から京都への物流が伏見を通るようにし、宇治川・淀川をつなぐ土木工事でできた伏見・大阪間の水運とあいまって、伏見の活性化を図りました。
秀吉の最初の城・指月伏見城は、その存在が謎に包まれていましたが、2015年に金箔瓦が発掘され、初めてその姿が見えてきました。出土があったのは、奈良線桃山駅南側の近畿財務局桃山合同宿舎第15棟付近です(地図)。
南に宇治川と巨椋池を望む、絶景であったと考えられます(撮影場所に立ち入りはできません)。「さらしなや をしまの月も よそならん ただふしみ江の 秋の夕暮れ」(月が美しいという信州の更科、松島の雄島より落ちる場所と言えるだろうか? ただただ伏見の巨椋池の、秋の夕暮れの月は素晴らしいものだ)。
酒どころ伏見と伏見神社の関係は?|ブラタモリ京都・伏見(本放送のみ、セレクションではカット)


京都伏見は、酒どころとして知られます。知名度が高いものだけでも、黄桜、月桂冠、松竹梅があります。
酒どころには、必ず良い水があります。伏見は江戸時代には、伏水と書かれたこともある名水の郷です。なぜ、伏見には、良い水が湧くのでしょうか?

伏見の水の秘密は、桃山断層(地図のピンク色)です。京都盆地の地表の多くは、風化した砂利による地層に覆われているため、保水能力が低く木々も育ちません。

しかし、伏見稲荷大社付近では、地下の伏流水が断層にぶつかり、地上にしみ出すため、湧き水や森を形成しています。

(注)藤森神社、御香宮神社も同様です。

ブラタモリでは、日本最大級の無橋脚トラス構造の鉄橋である、近鉄京都線 澱川橋梁(地図)も見学しています。
京都でブラタモリ | 内容 |
NEW 大原(#207) | タモリさんが、壇ノ浦の戦いで生き残った平徳子(建礼門院)が隠居し、いまは山里が広がる「大原」の魅力を探ります。 |
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現地取材宇治編(#103) | 日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。 |
現地取材銀閣寺・東山編(#102) | 将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか? |
現地取材京都祇園編(#70) | 舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。 |
現地取材清水寺(#69) | 清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。 |
現地取材伏見編(#37) | 外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。 |
現地取材嵐山編(#36) | 風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。 |
現地取材南禅寺・御土居・新京極(#パイロット版) | 京都の郊外にある盛り土である御土居。応仁の乱で荒廃した京都の再興をめざした、豊臣秀吉の思いが見られます。 |
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※昨夜は佐渡金山編でした(https://t.co/ckB9BxZnSw) pic.twitter.com/K7f2H6yfbp
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日本列島が、動くこの時期この番組の制作意義は、大変大切なものが、在ると思います。