【ブラタモリ京都祇園】全ルートを写真で紹介!~歴史・地形・穴場観光地~ #70


NHK番組のブラタモリ京都祇園編で、タモリさん推奨の京都祇園の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ京都祇園編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

首都圏から電車で行ける、本物志向のやま・自然・田舎・温泉に絞って紹介。年50泊 (証明写真)の現地取材のうえ、すべての記事を、1名で担当しています。


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ブラタモリ京都編のおさらい

(注)順に、順次現地取材版に書き換えます(現在1、3、4、5、6は書き換え済み)。ご関心のある記事は、上に説明があるはてなブックマークで保存可能です。

新しい順記事へのリンク概要
京都御所編(#142)天皇の住まいだった京都御所が、なぜ今の場所にできたのかを探ります。消えた天井川に大きな関わりが?
京都西陣編(#139)織物の町・西陣はどうできたをテーマに、西陣織特有の織り方から応仁の乱の実際までを探ります。
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

京都・祇園とは

祇園

ブラタモリは、祇園の中心、花見小路からスタートします。京都の祇園は、世界中の観光客が集まる人気の場所。舞妓さんが行き交う光景で、おなじみです。鴨川と八坂神社にはさまれた、日本一の花街(かがい)となります。

  • 京阪祇園四条駅…徒歩10分…花見小路
  • 京都駅🚌→30分→祇園…5分…花見小路
  • 銀閣寺🚌→20分→祇園…5分…花見小路
  • 清水寺…徒歩10分…清水道🚌→5分→祇園…5分…花見小路

ブラタモリ京都・祇園 前半のルート

  1. 花見小路へ(地図:印)。
  2. 花見小路を上りお茶屋を見学(地図:印)
  3. 仕出し屋を見学(地図:印)
  4. 一力亭を見学(地図:印)
  5. 八坂神社の西楼門を見学(地図:●印)
  6. 八坂神社の石碑を見学(地図:印)

花見小路|ブラタモリ京都・祇園

タモリさんは、祇園の中心、花見小路通りにやってきます。ブラタモリのテーマは、なぜ華やかな祇園が誕生したのか、です。

祇園独自の舞妓さん

タモリさんは、舞妓さん、芸妓さんとともに、花見小路通りを歩きます。

  • 舞妓 … 原則20歳前後まで、祇園独自の表現。だらりと帯を垂らす、子どもに模した着物。結い上げた自毛と、華やかなかんざし。
  • 芸妓 … ベテラン。京都以外では芸者と呼ぶ。かつらを使い、かんざしは少なめ。

若い舞妓さんは、髪を1度結い上げると、1週間は洗髪できません。ぬるま湯洗髪(湯シャン)のタモリさんは、俺も1週間洗わないよと応答しました。

お茶屋と置屋

ブラタモリは、お茶屋の許可証が掲げられた、お茶屋を訪ねます(地図:印)。

タモリさんは、生まれて初めてお茶屋に入ります。お座敷があり、酒や料理とともに、舞妓さんや芸妓さんの踊りを楽しむ場所です。しかし、舞妓・芸妓は、お茶屋に居場所があるわけではないのです。

舞妓さん、芸妓さんがふだん居る場所は、置屋と呼ばれます。

別の重要な場所

ブラタモリは別の重要な場所を訪ねます。ブラタモリ訪問時には、自転車が2台置いてありました(地図:印)。どんな場所なのでしょうか?

ここは、料理を作る仕出し屋です。

祇園の仕組みは、分業によって成り立っているのです。お茶屋ごとに、舞妓・芸妓を置き料理を振る舞う形とすると、お客の好みには対応できなくなります。分業により、制約なく、きめ細かな対応が可能になります。

祇園は、一見さんお断りで知られますが、なぜなのでしょうか?

一見さんお断りは、お客さんの個性を把握し、きめ細かいサービスを提供するためだったのです。



現在の祇園と四条通り|ブラタモリ京都・祇園

花見小路通りは、祇園を代表する、石畳にお茶屋が並ぶメインストリートです。しかし、ここが祇園の中心になったのは、明治時代のこと。祇園は、もともとどこにあったのでしょうか?

いまの祇園は、もともとは、建仁寺の敷地内だった場所にあります。廃仏棄釈により収容された土地を、払い下げられ、誕生したのがいまの花街です。

  1. 一力亭を見学(地図:印)
  2. 八坂神社の西楼門を見学(地図:●印)
  3. 八坂神社の石碑を見学(地図:印)

ブラタモリは、建仁寺(=地図左下)のかつての境内の外側に出てみます。

一力

一力の看板があります。一力は、明治以前から300年以上続くお茶屋で、歌舞伎・仮名手本忠臣蔵にも登場します。写真の花見小路側の出入り口は、あとから作られたもの。

現在はクルマが行きかう、花街の北側、四条通り沿いに出入り口が設けられていました(閉鎖済み)。明治期の祇園の中心は、現在の花街の北側、四条通り沿いにあったのです。

一力の前の花見小路には、石畳のつながり方が不自然な場所があります。建仁寺のかつての敷地と、その外側の境界です。


八坂神社へ:ブラタモリ京都・祇園

八坂神社

ブラタモリは、八坂神社に移動します。八坂神社は、段差の上の高い場所にあります。どのような地形なのでしょうか?

八坂神社は、東山(山地)と京都盆地の境の断層崖です。聖なる八坂神社と、俗なる四条通りの際が、この断層崖であるとも言えます。

八坂神社 西楼門の位置

八坂神社の西楼門を背に、四条通りを見ると、現在は通常の飲食店などが並んでいます。なぜ、花街は、八坂神社の参道である、この絶好の場所から、南側(花見小路通り周辺、かつての建仁寺の敷地内)へ移されたのでしょうか?

この写真で見ると、西楼門は左へ6m移動された。

「大正二年十一月、西門を改築なす」と八坂神社内の石碑(地図:印)にあります(取材時に発見できませんでした。写真お持ちの方はTwitterにてご提供いただけると助かります)。

西楼門は、東へ6m、北へ3メートル移動していたのです。1912年、京都市電が開通した際、道路が広がり、道の中央からずれたため、移築したのです。そして、市電が通ることによって、子供、女性からお年寄りまで四条通りを利用するようになり、大人の社交場である、お茶屋の営業は禁止されたのです。

八坂神社境内に入ると、タモリさんは、祇園社と刻まれた石碑を発見します。江戸時代までは、八坂神社は祇園社と呼ばれ、お寺と神社が合同していたのです。明治の廃仏棄釈により、仏教色が濃い、祇園の名前を捨てることとなったのです。

廃仏棄釈と清水寺
廃仏棄釈は、明治政府のもと、神仏習合を否定し、神道中心の新体制に作り変えようとした試みです。ブラタモリで扱われた、清水寺は、現在でも大規模な寺院ですが、以前はもっと多くの社殿を擁していました。
【ブラタモリ京都・清水寺】歴史・地形・観光ルートまとめ #69
また、ブラタモリ・川越編で取り上げられた、喜多院(徳川家康の死後、改葬の際に立ち寄った歴史的に重要な寺院)は、かつては仙波東照宮(神社)と一体化していました。
【ブラタモリ川越】歴史・地形・観光ルートまとめ #9

八坂神社の本殿

ブラタモリは、祇園社時代から残る、本殿に参拝します。神殿と拝殿を合体させ独自の建築は、祇園造と呼ばれます。

中村楼

タモリさんが、八坂神社で古い絵を見ると、赤いエプロンの女性が、豆腐を切るお店が描かれています。三味線の音に合わせ、豆腐を切るパフォーマンスは、大変人気があったようです。

タモリさんは、八坂神社境内の懐石料理店中村楼で、江戸時代からの名物料理、祇園豆腐を味わいます (取材時に時間がなく訪問できませんでした。写真お持ちの方はTwitterにてご提供いただけると助かります) 。香ばしい味噌の風味に、タモリさんは大満足でした。もともとは、料理店に、様々な要素を付け加え、発展した形がお茶屋だったのです。

祇園の名の由来は、かつては広大な敷地を持ち、門前に花街を形成した祇園社から来ていたのです。


江戸時代の祇園|ブラタモリ京都・祇園

大正元年の市電の開通で、祇園が、四条通から南の花見小路に移転したことがわかりました。では、もっと古い、江戸時代の祇園は、どこにあったのでしょう?

  • 大正以降の祇園 … 建仁寺周辺の花見小路通り沿い
  • 明治時代の祇園 … 四条通り
  • 江戸時代の祇園 … ?
鴨川

ブラタモリは鴨川に移動します(京阪・祇園四条駅周辺)。鴨川は、川幅が100m程度です。

(参考)写真の比叡山から大文字山にかけてのおわんのような地形の理由は、ブラタモリ銀閣・東山編で探求されています。

しかし、古地図を見ると、西は現在の河原町通りまで、河原が広がっていたのです。

1670年に、1等地である周辺の土地を生かすため、寛文新堤が作られ、鴨川の川幅は狭くなります。町は繁栄し、京阪・祇園四条駅付近(=写真では右側)や四条通りの北側に、新たな花街が広がったのです。

  • 江戸時代(寛文新堤以降)の祇園 … 現在の京阪・祇園四条駅付近の鴨川沿いが中心。四条通の北側にも展開。
  • 明治時代の祇園 … 四条通り
  • 大正以降の祇園 … 建仁寺周辺の花見小路通り沿い

(参考)鴨川の存在は、御所がいまの位置に定着したこととも深く関係しています。(ブラタモリ京都御所

江戸時代の祇園の痕跡

ブラタモリは、四条通りの北側に移動します(四条通りから、花見小路通りの1本西、細い道を上ります)。

飲み屋さんが広がる、互いにずれて入り組んだ道路付近の町並みは、花街が栄えていた場所です。いまは、庶民的な飲み屋街になっています。なぜ、互いにずれて入り組んだ町並みができたのでしょう?

これは、縄手通、大名屋敷を中心とした町の境界の土地に、お茶屋の家屋を詰め込んだ結果、区画がずれてしまったことによります。

以上、ブラタモリ祇園編が紹介した歴史・地形観光スポットをまとめました。

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ブラタモリ京都編のおさらい

(注)順に、順次現地取材版に書き換えます(現在1、3、4、5、6は書き換え済み)。ご関心のある記事は、上に説明があるはてなブックマークで保存可能です。

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京都御所編(#142)天皇の住まいだった京都御所が、なぜ今の場所にできたのかを探ります。消えた天井川に大きな関わりが?
京都西陣編(#139)織物の町・西陣はどうできたをテーマに、西陣織特有の織り方から応仁の乱の実際までを探ります。
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

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