ブラタモリ敦賀編で、タモリさんが、北陸新幹線開業にわく敦賀を紹介します。このページでは、ブラタモリ敦賀編の内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。
敦賀とは?
日本海側の伝統ある都市・敦賀は、古くから交通の要所として栄えてきた港町です。
福井県には新幹線が初めて開通します。しかし、歴史を見ると、拓かれた「道」は、それだけではありません。タモリさんが、旅のお題「すべての道は敦賀に通ず?」を探ります。
タモリさん大興奮!運転士&車掌しか入れない新しい駅舎の詰所で見たものとは?|ブラタモリ敦賀
ブラタモリは、新幹線開業を待つ敦賀駅からスタート(現在も在来線が運行中です)。
タモリさんは、開業に向け準備中の新幹線のコンコースを訪ねます(一般非公開)。敦賀駅の2階コンコースの天井は北前船の帆を模しています。
最上階に北陸新幹線に使われるホームがあります。2階コンコースからは76段ものエスカレーターで昇ります(エレベーターもあり)。床は木目調タイルで、船の甲板をイメージしています。
ホームからは日本海を望みます。駅舎の高さは12階建てビルに相当する約37メートル! なぜ、北陸新幹線の敦賀駅は、高い場所に作られたのでしょうか?
ブラタモリは、ホームの先にある、運転手や車掌用のエリアを見学。窓から景色を見ると、山の中腹にトンネルが見えます。さらに、北陸自動車道、国道8号線が見えます。敦賀駅周辺には、在来線や複数の道路といった「道」が交差するため、高い位置に作ることになったのです。
北陸を代表する古社・気比神宮の大鳥居から分かる!敦賀に通じていた古代の道|ブラタモリ敦賀
ブラタモリは、敦賀駅から北へ1km。気比神宮(氣比神宮)を訪ねます。
アクセス 敦賀駅から徒歩15分
気比神宮は、北陸道の総鎮守とされており、地元では「けいさん」と呼ばれています。古代の日本では、北陸地方を北陸道と呼び、平城京・平安京から見て、敦賀は北陸道の入口。そこを守るのが、この神社です。
現在の大鳥居は1645年に建てられました(敦賀市)。しかし、江戸時代より前には、大鳥居は別の場所にありました。境内の北東にあったのです。敦賀には古来、もう1つの重要な道があったと考えられます。
かつての大鳥居の場所は、現在は廃校となった小学校のバックネットの手前辺り(地図)。鳥居は真北の港を向いていたのです。敦賀には、大陸から海を渡って訪ねてくる人を意識して建てられました。渤海の国からは、727年(奈良時代)から200年に渡り使者が派遣されました。
渤海使は、日本海側の様々な場所にたどり着きましたが、敦賀に海路で移動して、正式に上陸していました。
歩いてみれば確かに納得!古代の敦賀は大陸に開かれた日本海側の玄関口だった|ブラタモリ敦賀
ブラタモリは、敦賀の港を訪ねます。
水平線が見えず、敦賀半島や越前海岸に囲まれています。深く入り込んだ湾となっているのです。波も穏やかで、琵琶湖よりも静かだとも言われます(季節や場所による)。
タモリさんは、港のそばの道を歩きます。海がある北側は高く、南は低くなっています。この地形は、ブラタモリ新潟編やブラタモリ鎌倉編で登場した砂丘でしょうか?
タモリさんも砂丘を疑いましたが、これは浜堤。浜堤とは、海岸の砂が波によって打ち上げられてできた砂浜海岸に平行して連なる低い砂の高まりです。(砂丘は風によりできたものです)
ブラタモリ鎌倉編では、材木座海岸沿いの、そば処土手を訪ねています。土手という屋号は、旧由比ガ浜砂丘の名残りです。(ブラタモリ鎌倉編)
浜堤の内陸側は低い土地となり海の水が流れ込み、かつては入江のようになっていました。海外の船を沖に停泊させたまま、小舟をやりとりし、入国管理をしていたと考えられています。
タモリさんも見惚れた敦賀の職人技とは?|ブラタモリ敦賀
ブラタモリは、敦賀の職人(高正昆布)を訪ねます(地図)。
独特の香りが立つこの場所では、おぼろ昆布(昆布の表面をカンナで削って作られたもの)が作られていました。タモリさんは、デパートの実演で薄いおぼろ昆布を作る工程に見入っていたことを思い出します。
厚さはわずか0.01ミリ。敦賀湾や近海では昆布は取れません。敦賀で昆布が加工されているのは、北前船の航路だったからです。北前船も、敦賀に通じた道の1つなのです。
敦賀で昆布加工量が多いのは、北海道から大坂や京都へ運ぶよりも、敦賀で降ろした方が効率よく運べるという面がありました。敦賀が大坂(現在の大阪)や京都に近いことも、関係があります。
タモリさんは、敦賀の白い昆布をおにぎりに巻き試食しました。
疋田船川|ブラタモリ敦賀
幕末になると、外国船の脅威が増し、敦賀から京都・大坂を結ぶ道の需要が高まります。
ブラタモリは、疋田を訪ね、「右西京 東東京」と書かれた石碑(上の図の右下)を見学します。敦賀から疋田までは、約6.5キロ。疋田船川を経て、琵琶湖に出ることができました。疋田船川の水運は、両岸から船を大勢で引っ張ったため、人手がかかるという課題もありましたが、10年間使われました。
明治時代に入ると、疋田船川に平行し、金ヶ崎(敦賀港)から長浜まで鉄道が敷かれました。1882年(明治15年)、敦賀は日本海側で初めて鉄道が走った町となりました。(敦賀観光協会)
鉄道の柳ケ瀬トンネルは、今も道路トンネルとして現役です。
明治末、欧州を目指す人々のためのターミナルが敦賀に!|ブラタモリ敦賀
ブラタモリは、敦賀港そばにある、金ヶ崎停車場の跡を訪ねます。
1902年(明治35年)、敦賀とロシアのウラジオストクを結ぶ定期航路が開設され、東京とパリを結ぶ欧亜国際連絡列車の中継地として賑わいました。
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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