【ブラタモリ伊賀忍者・甲賀・信楽編】全内容・ルートを写真でまとめと要約!~再放送と歴史・地質地形~ #158 159 - トラベルジャーナ

【ブラタモリ伊賀忍者・甲賀・信楽編】全内容・ルートを写真でまとめと要約!~再放送と歴史・地質地形~ #158 159


NHK番組のブラタモリ伊賀忍者、甲賀・信楽編で、伊賀・甲賀の歴史や地質・地形を紹介します!

とらべるじゃーな!
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この記事では、ブラタモリ伊賀忍者、甲賀・信楽編の全内容・ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します! 再放送予定も掲載。

  • NHK公式サイト
  • 放送日:2月29日、3月7日
  • 完成版(正確性に配慮していますが、研究やレポートのさいはご注意ください)

(注)再放送は、翌火曜日の23時55分から(休止の場合あり)。

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三重・滋賀でブラタモリ

記事へのリンク概要
伊賀忍者・甲賀・信楽編(#158 159)今回
伊勢神宮(#40,#41)ブラタモリは、御師、式年遷宮、おかげまいりなど、秘密を探ります。
志摩(#39,#40,#41)イセエビ、あわび、かつお節、真珠などを育む、志摩海岸の秘密は?
記事へのリンク概要
伊賀忍者・甲賀・信楽編(#158 159)今回
現地取材 比叡山編(#143 144)比叡山は、日本の仏教の母。最澄はどのような教えを説いていたのでしょうか?
彦根編(#93)徳川家康は、なぜ彦根に城を建てたのでしょう。西には琵琶湖、東には? そして北側の住宅地を探ると。

(注)比叡山は、滋賀県と京都府にまたがります。

前回:三陸リアス、三陸の鉄道

伊賀上野城|ブラタモリ伊賀

ブラタモリは、伊賀上野城からスタート。三重県北西部に位置する伊賀市は、忍者の里として知られています。日本一、二と記された、高い石垣にも特徴のある城です。

なぜ伊賀は、忍者の里になったのでしょうか? 三重大学国際忍者研究センターの山田雄司教授(著作下記)の案内で、ブラタモリは、伊賀流忍者博物館を訪ねます。博物館で、タモリさんは、忍者の持つさまざまな技のデモンレーションを見学します。

  • 伊賀上野城、伊賀流忍者博物館へのアクセス … 伊賀鉄道上野市駅から徒歩8分

伊賀の川東地区の土塁 |ブラタモリ伊賀

ブラタモリは、伊賀上野城の東にある川東地区で、多数の土塁を見つけます。

  • アクセス … JR関西線新堂駅から南へ

伊賀全体で、650の土塁が残っています。その土塁で囲まれた館は、山沿い(山のふもと、へり)に分布しています。なぜなのでしょうか?

これらの館は農家の跡。伊賀忍者は、中世に武装した農民だったのです。高い場所に登り敵情を偵察するために、かぎなわが利用されていました。なぜ武装が必要だったのでしょうか?(山のへりに農家が集中していたことがヒントです)

武装の背景には、農民同士の限られた土地の奪い合いがあたのです。 伊賀は一見平地ですが、川の流れが複雑で、氾濫が頻繁にあったのです。そのため、農業を営みやすい山のヘリは、大変貴重な場所でした。

※鎌倉時代の荘園に対する反抗勢力である悪党に起源を求める説など、諸説があるようですが、三重大学国際忍者研究センターの監修を受けていると思われます。

服部川|ブラタモリ伊賀

写真は、ブラタモリ比叡山編のスタート地点となった琵琶湖岸付近。

現地取材 【ブラタモリ・比叡山】全ルートを写真で紹介!|歴史・地質・地形・穴場|修行とおみくじ#143 144

ブラタモリは、川東地区の南を流れる、服部川を訪ねます。河原には貝の化石がたくさん見つかります。これは、イガタニシ(絶滅)の化石です。なぜ淡水に住む、イガタニシの化石が見つかるのでしょうか?

360万年前、現在の位置に移動する前の、琵琶湖のもとになる湖があったのです。伊賀盆地にあった湖は、現在の琵琶湖付近の断層のはたらきによる地盤沈下により、水の大半が現在の琵琶湖に移動しました。


日朝山弥勒寺と山伏

ブラタモリは、日朝山弥勒寺を訪ねます。日朝山弥勒寺は、山で厳しい修行を行う修験道しゅげんどうの拠点として知られます。修験道の開祖である役行者えんのぎょうじゃの木像(写真)が祀られています。修験道の実践者が山伏。山伏こそが、忍者の原点でした。

伊賀忍者が、山伏から学んだ特殊能力は、土地の形状を把握し、情報を集めることや、野草、火を扱う知識などでした。

  • 日朝山弥勒寺へのアクセス:近鉄名張駅から、伊賀上野駅前行きバス、田原下車徒歩8分(地図)。

織田軍との闘い

中世には、武装した農民というローカルな存在だった伊賀忍者は、戦国時代には、その活動範囲を広げます。全国に名をとどろかせた、伊賀忍者と織田軍との戦いとは、どのようなものだったのでしょうか?

天正伊賀の乱(1578~79年、1581年)がそれに当たります。天下統一をめざす織田軍が、伊賀を2度にわたって攻略した戦いです。いがみ合いをやめて一致団結し、柏原城に本陣を構えた伊賀軍に対し、織田軍の筒井順慶は30倍の兵を構えます。

  • 伊賀軍 … 1600の軍勢
  • 織田軍 … 50000の軍勢 

30倍の織田軍に、伊賀軍は善戦します。まず、柏原場周辺の泥田に誘い込み、織田軍を撹乱しました。

ブラタモリは、柏原城の本丸跡を訪ねます(地図)。柏原城に立てこもった伊賀軍は、空堀に敵を誘い込み、上から石や木を落とすなどの攻撃を加え、抵抗しました。この善戦は広く知れ渡り、伊賀忍者は、各所から、参戦の依頼を受けることになりました。


生き残りをかけて

ブラタモリは、伊賀上野城の城下町を訪ねます。忍町の地名がありました(地図)。江戸時代初期、城づくりの名手として伊賀上野入りした藤堂高虎は、城下町に忍者を住まわせ、豊臣家の大坂城ににらみを利かせました。

関連:ブラタモリ大坂城

しかし、大坂夏の陣が終わり豊臣家が滅び平和の世になると、伊賀忍者は兵力としての需要が減り、窮地に追い込まれます。生き残りをかけ、最後に打った手とは、どのようなものだったのでしょうか?

『万川集海』

『万川集海』( まんせんしゅうかい、ばんせんしゅうかい)は、伊賀忍者の秘術書です。伊賀忍者は、需要がなくなった時期に、自らの秘術をPRするために、『万川集海』を編纂した面があると考えられます。

ブラタモリでは、水蜘蛛を紹介しました。用途までは書かれておらず、両足を2つの水蜘蛛に乗せて水面を歩くという誤解もありましたが、実際には1つの水蜘蛛を浮き輪がわりにする用途でした。

伊賀忍者は、肝心なところを書き残さないことで、むしろ想像を掻き立てられる存在になり、現在の世界的なNINJA人気につながったと言えます。


東の甲賀エリア|ブラタモリ甲賀・信楽

ブラタモリは、滋賀県甲賀市の油日神社からスタート(地図)。連続テレビ小説『スカーレット』で注目される信楽(甲賀市の西側)と、忍びの里甲賀で知られる東側(甲賀・土山・水口・甲南)に分けて、2つの里を攻略します。

1つめのテーマは、歴史は甲賀で動いた、です。甲賀武士は、普段は農業をしていた武士です。油日神社の拝殿の前に集まって、甲賀武士はどのような打ち合わせをしていたのでしょうか?

甲賀の城跡

戦国時代、近江の国の南端にあった甲賀は、南側に伊賀と接していました。ブラタモリは神社の西20分の山の尾根を訪ねます。土塁に囲まれた城跡です。甲賀には同様の城が200以上あります。

伊賀の農民同士、山城を作って互いに争いが絶えなかったように、甲賀でも争いがありました。甲賀の城は、攻撃用に石を落とす切れ込みがなく、堀が1周分しかありません。どのような点が異なっていたのでしょうか?

これは、甲賀が城の改修をあまり行わなかったためです。この背景には、甲賀は織田信長につき、織田信長に敗れた伊賀と異なり、城の守りがそれほど必要でなかったのです。


3つのできごとと甲賀|ブラタモリ甲賀・信楽

3つのできごとが、甲賀の歴史上、重要な位置を占めました。

できごと1 まがりの陣 … 9代将軍足利義尚が、勢力を増す南近江の佐々木六角を討伐した戦い。攻められた六角は、甲賀地区に逃げ込みます。甲賀武士は六角を守り抜き、室町幕府の権威は失墜し、戦国時代が加速に向かいます。

できごと2 天正伊賀の乱 … 甲賀武士は織田信長に加勢し、伊賀を攻め滅ぼし、織田の勢力が増します。

できごと3 神君伊賀越え … 京都で織田の死を知った徳川家康は、明智軍から逃亡します。そのとき、甲賀武士が逃亡を助けました。

甲賀武士は、時代の節目の選択で、日本の歴史を動かしてきました。甲賀は、立地から、戦乱に巻き込まれやすく、生き残るための情報力や知恵がついたのです。油日神社の拝殿の前に集まって、甲賀武士はこの選択を話し合っていたのです。

甲賀武士の逆風|ブラタモリ甲賀・信楽

ブラタモリは甲賀の中心地を訪ねます(水口中部コミュニティセンター付近|地図)。旧東海道の表示が見えます。

三叉路に出会います(地図)。16世紀の終わりに、3本の道から成る町ができました。豊臣秀吉が関係しています。どのようないきさつだったのでしょうか?

徳川との戦を甲賀武士に妨害された豊臣秀吉は、不信感を抱き、甲賀制圧に乗り出します。そのとき、もともと1本だった農村の道に、両側から2本の道を足したのは、なぜだったのでしょう?

豊臣秀吉の城下町

ブラタモリは水口本町郵便局付近(地図)を訪ねます。すぐそばに見える低い山が関係しています。古地図に、その山は、古城山と書かれています。

豊臣秀吉は、もといた農民に加え、商人や甲賀武士を住まわせ城下町を作ったのです。甲賀武士からは、武士の身分をはく奪し、話し合いを禁止しました。弱体化が進み、甲賀武士の時代は終わりを迎えました。

ブラタモリは、古城山を訪ねます。展望台から比叡山、京都、甲賀の町が見えます。城下町の1人1人の動きが見え、のちに東海道になる道も、見渡すことができます。この場所は、京都に入るための要所となるだけでなく、豊臣勢力と、東の徳川勢力の接点でもありました。

甲賀を押さえた豊臣は小田原の北条氏を討伐し、天下取りへ動いてゆきます。

御壺置所

ブラタモリは、ふたたび旧東海道を訪ねます(地図)。現在、肉の山村の駐車場となっている場所は、古地図には、御壺置所と書かれています。お茶壺道中は、茶壷を載せ行進することで、大名の権勢を知らしめるもの。途中、茶壷をひとやすみさせた場所が、御壺置所です。

「ずいずい ずっころばしごまみそ ずいちゃつぼに おわれてトッピンシャンぬけたら ドンドコショ」の童謡『ずいずいずっころばし』は、ごま味噌をあえていたところ、外をお茶壺道中が通りかかり、慌てて戸を閉めた様子を歌っています。

信楽焼

なぜ信楽焼は、日本を代表する焼き物になったのでしょうか?

ブラタモリは、信楽の中心地を訪ねます。たぬきの置物が無数にあり、5mの巨大なたぬきも見られます。

タヌキの焼き物は、江戸時代、庶民の妖怪話をもとに日本各地でつくられ始め、現在は縁起物として定着しています。人気を得たきっかけは、昭和26年に昭和天皇を、たぬきの焼き物を並べて歓迎し、昭和天皇によろこばれたことがきっかけです。千利休や岡本太郎も信楽焼を評価しています。理由は、その変幻自在な性質にあります。

さまざまな用途

信楽焼の火鉢ひばちは、生産量日本一となったこともあります。手りゅう弾や地雷にも用いられました。このほか、大正時代から昭和初期に使われた、汽車土瓶(お茶を売るときの容器)に用いられました。時代に合わせてさまざまなものが作られてきました。

大きさに自在性

信楽焼は、バスタブが作れるほど、大きさに自在性があり、岡本太郎の太陽の塔の裏側の黒い太陽や、国会議事堂、システィーナ礼拝堂にも用いられました。千利休も飾り気のなさから、信楽焼を重用しました。

自然が生み出す模様や色

信楽焼の白い粒のように浮かぶ模様は、蟹の目と呼ばれます。また、自然釉しぜんゆうと呼ばれる、まるで釉薬をかけたような模様や、火色(スカーレット)も信楽焼の特徴です。


信楽焼の土

変幻自在の信楽焼を生みだしたのは、まずは土です。ブラタモリは、かつて粘土を採掘していた現場を訪ねます。粘土を手に取ると、石英長石が含まれます。

信楽焼を作るときには、石英と長石を含んだまま、粘土を使います。石英と長石はとけるとガラス質になり、自然釉ができます。また、長石がガラス状の粒になり、蟹の目となります。さらに、石英と長石は、粘土をまるで石垣のように支え、大きな焼き物の強度につながります。

信楽の粘土は、もともと花崗岩でした。風化すると、石英と長石が残ります。火色は、花崗岩の鉄分の量が絶妙だからこそ、実現したのです。

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伊勢神宮(#40,#41)ブラタモリは、御師、式年遷宮、おかげまいりなど、秘密を探ります。
志摩(#39,#40,#41)イセエビ、あわび、かつお節、真珠などを育む、志摩海岸の秘密は?
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現地取材 比叡山編(#143 144)比叡山は、日本の仏教の母。最澄はどのような教えを説いていたのでしょうか?
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