NHK番組のブラタモリ豊洲(市場)編で、豊洲の地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ豊洲市場編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。

- 4/10 ブラタモリ東京駅(アンコール)
- 最新 ブラタモリ仙台編(アンコール)
- 前回 ブラタモリ伊勢神宮(アンコール)(放送中止)
東京でブラタモリ | 内容 |
現地取材 白金(#137) | 江戸時代には、茶畑と別が広がるのどかな場所でした。高級住宅地の4条件が揃ったのはなぜ? |
現地取材 豊洲(#121) | 防波堤の痕跡から豊洲は海沿いの場所。戦後、日本が開発できる貴重な場所となりました。 |
現地取材 田園調布(#96) | 畑が広がる田園調布はどのように高級住宅街に? 放射線状の道には意外な目的地がありました。 |
現地取材 吉祥寺(#94) | 駅前に斜めの道はなぜ? ブラタモリは、井の頭公園の水の流れを確かめつつ過去を探ります。 |
現地取材 目黒(#57) | 目黒は江戸のリゾートだった? ブラタモリは目黒飴などをヒントに、歴史や地形を探ります。 |
現地取材 高尾山(#47) | 高尾山は、左右で森の明るさが違うようです? これがブラタモリ高尾山編の最大の謎です。 |
伊豆大島(#164 #165 #166) | 伊豆大島のアンコと椿、噴火の歴史を3回に渡り取り上げました。#165は、コロナ後ロケ復活の第1号。 |
現地取材 東京駅(#SP) | 東京駅前に江戸城の石垣が? タモリさんは来訪記念にタイルを張って帰りました。 |
東京駅周辺(丸の内・皇居・桜田門)(#SP) | 今は丸の内に本社を構えるのがステータスですが、江戸期は大名屋敷がステータスでした。 |
豊洲の絶景:ブラタモリ豊洲(市場)

ブラタモリは豊洲市場の北側にある運河沿いの豊洲ぐるり公園からスタート。お台場のフジテレビ、レインボーブリッジ(=写真)、東京タワーが見えます。
- アクセス:市場前駅から徒歩5分。豊洲市場の北側にあたる。

建設中のオリンピック選手村がある晴海(写真)、東京スカイツリーなど、東京の名所をぐるっと見渡せる絶好のポイントです。
ブラタモリ豊洲市場編のテーマは、東京サポーターは豊洲にやってくる、です。
ブラタモリの冒頭で登場した絶景は、次の記事で紹介しています。夜景も絶景!
豊洲の地形:ブラタモリ豊洲(市場)

築地市場が移転したことで話題の豊洲市場を、ブラタモリは簡単に紹介。豊洲市場は、日曜日は原則お休みです。
- 関連記事:【豊洲市場の飲食店】待ち時間とおすすめランキング(現地調査11日間)(姉妹サイト)

新しいインスタ映えスポットとして、DMMチームラボ プラネッツ TOKYOが紹介されました。
豊洲の地形の成り立ち
ブラタモリは、豊洲の地形の成り立ちを探ります。豊洲は、東京を支える重要なものが集まる場所。これは、どういうことでしょうか?

タモリさんは、水陸両用バスで豊洲の町を回ります。昭和3年の東京湾の海図を見ると、まだ周辺は海です。昭和7年に埋立地として豊洲の一部が完成します。当時、お台場はまだ海の中の台場(砲台)でした。
※加工元の地図の出典は不明
東京旧防波堤

豊洲市場の南にある運河に水陸両用バスで出ると、東京港旧防波堤が見えてきます。

中洲のように見えますが、防波堤の名残りです。戦後に植林がされました。野面石の谷積みが、頑丈な構造をもたらしています。
- アクセス:豊洲市場から徒歩5分。ゆりかもめの線路沿いへ南へ歩く。
豊洲の成り立ち:ブラタモリ豊洲(市場)
昭和22年、米軍が作成した地図を見ると、東京の下町は戦火で大半が失われており、海沿いは、ほとんどの場所を米軍が接収していました。豊洲は、埠頭がなく、船が着岸できないため接収されず、日本が自由に使うことができる、貴重な場所でした。そして、埠頭が新たに造成されました。
埠頭の痕跡
ブラタモリは、古い埠頭を訪ねます。
- アクセス:豊洲駅から豊洲西小学校へ向かう(徒歩5分)。豊洲西小学校と昭和大学江東豊洲病院の間の、自由通路を抜ける。

都が力を入れて整備している場所で、ほとんど使われていませんが、風光明媚な場所です。

ロープを巻きつける杭などが、残存しています。戦後の東京を支えた港の名残です。この港には、どのようなものが、運ばれてきたのでしょうか?
- アクセス:豊洲駅から徒歩7分、豊洲西小学校そば。
東京復興のためのエネルギー基地
豊洲には石炭置き場ができ、昭和30年ごろから、石炭火力発電所が稼働。局地火力発電所と呼ばれ、東京の16万世帯分の電力を発電していました。その後、石炭から生成できるコークス(中華鍋を溶かすほどの高温になる)を用いた、鉄鋼工場も完成しました。
その後、鉄道も敷かれ、45両の貨物列車が走り、東京のみならず全国の復興が進んでいきます。現在は、廃線になりましたが、鉄道橋は今も残っています。
豊洲駅周辺に残る坂:ブラタモリ豊洲

豊洲駅周辺には、埋立地にも関わらず、坂道があります。
- アクセス:豊洲駅駅前。ゆりかもめ高架橋の伸びる方向。

ゆりかもめの高架の下を進むと、古い塀のようなものがあります。これは何のためにあるのでしょうか?
- アクセス:坂道を過ぎ、豊洲ふ頭前交差点付近。
これは防潮堤の痕跡です。豊洲はもともと、住宅地と工業地帯を防潮堤で分けていました。坂道は、昭和30年台の伊勢湾台風などの襲来を教訓に、防潮堤の機能を維持しつつ、防潮堤をまたぐ道路を敷設した際にできたものです。豊洲駅付近は、住宅地と工業地帯のキワに当たる場所だったのです。
- 豊洲駅付近:もともと住宅地だった。
- ゆりかもめの走る、市場前駅を含むエリア:もともとは工業地帯だった。
その後の東京の発展で、工業地帯は住宅に姿を変えてゆきます。
Y字路
ブラタモリは、豊洲駅そばの吉野家付近で、Y字型の路地を発見します。

吉野家の左手に路地があります。路地は途中、不自然に斜め左に折れます。

路地を出たところです。公園と都営住宅があり、昭和の景色が残されています。スムーズに駅前に出られるまっすぐな道でなく、なぜY字の道路が作られたのでしょうか?
豊洲に長く住む人によると、Y字路を含む一角には、地元商店街により、小さなデパートを作る構想があったのです。
結果的には、構想は実現しませんでした。その後、商店街の仲間で土地を分け合うときに、単純な区割りよりもY字型にした方が路面店が作りやすいことから、独自の形状に開発されました。Y字型の道は、東京では珍しく、貴重な遺産です。
オリンピック村:ブラタモリ豊洲(市場)

ブラタモリは、晴海に建設中のオリンピック村(一般非公開)から、豊洲と豊洲市場の全景を見学します。

ブラタモリ豊洲編は、夜景の豊洲で幕を閉じます。
ブラタモリで何度も登場した運河沿いの風景や夜景は、次の記事で紹介しています。
豊洲市場の寿司・海鮮店は、次のランキングで10店を紹介しています。
- 関連記事:【豊洲市場の飲食店】待ち時間とおすすめランキング(現地調査11日間)(姉妹サイト)
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