【ブラタモリ山形】タモリさんが山寺と染料、最上氏を探る|ロケ地と再放送#243

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ブラタモリ山形編で、タモリさんが、芭蕉も感嘆した山寺、美しい染料、キーパーソン最上義光を紹介します。このページでは、ブラタモリ山形編の、内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。【再放送・見逃し情報はこちら

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山形でブラタモリ内容
山形編(#243)タモリさんが、山寺、山形城などを訪ね、旅のお題「山形~山形は何度も生まれ変わる?~」を探ります。
😎現地取材 酒田編(#113)酒田は日本の中心だった? 北前船(北海道・東北⇔門司⇔大阪)の通り道であったことが、第1のヒントです。

山形市とは?|ブラタモリ山形

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山形市は、山形県の県庁所在地であり人口は約24万人。山形県の人口の約4分の1を占めています。

山形市は、樹氷と温泉で名高い蔵王や、古くは松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入(る)蝉の声」と詠んだ山寺などの観光地を有する、四方を山で囲まれた、自然豊かなまちです。

ブラタモリは、山形市の北の端のサクランボ園からスタート。野口アナは、入社後数年間、山形放送局に配属されていました。

タモリさんが、旅のお題「山形~山形は何度も生まれ変わる?~」を探ります。

タモリさんも納得!山寺を信仰の聖地にした奇岩誕生のワケ|ブラタモリ山形

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山寺は、東日本を旅してまわった松尾芭蕉が、特に感動を覚えた場所としても知られています。(地図

立石寺(通称山寺)は、天台宗の高僧円仁が建てた寺です。年間に70万人以上が訪ねます。比叡山延暦寺と深いつながりがあります(ブラタモリ比叡山)。

松尾芭蕉が、『おくのほそ道』のなかで、とくに感嘆を示した自然景観は、山寺のほか、日光(ブラタモリ日光)、那須殺生石、松島(次回ブラタモリ)、出羽三山、象潟の流れ山、那谷寺などです。

松尾芭蕉は、山寺に関しては、次のように記述しています。

「岩に巌を重て山とし、松柏年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
 閑さや岩にしみ入(る)蝉の声」

岩に岩を重ねて山となっており、松や柏などが樹齢を重ねて、土石も古びて苔が滑らかに覆っていて、岩山の上の幾つもの支院は全て扉を閉じていて、物音一つ聞こえない。断崖を巡り、岩をはうようにして、寺院を参詣すると、素晴らしい景観はひっそりと静まりかえって、心が澄みきってゆくのだけが感じられる。

 なんという静寂であろう。その静寂の中で、蝉の声だけが岩にしみこんでゆくように感じられる。

タモリさんは1015段の石段を登ります。閑さや、が実感できる場所です。多数の石碑や石塔が歴史を物語ります。

引用 山寺の廃すべり台 後編

昭和期には、山寺を下るすべり台がありました。

穴が開いた岩は火山活動(約800万年前)による凝灰岩。楕円形の穴が開いています。

凝灰岩 火山灰が積もってできた岩石

凝灰岩 火山灰が積もってできた岩石

楕円形の穴は、雲形浸食と名づけられ、この不思議な形は、奇跡を感じさせ、人々の信仰を集めてきました。

凝灰岩は、もともと様々な岩片(小石)を含んでいます。岩片が抜け落ち穴ができ、そこに雨が降ると、凝灰岩に含まれる成分が水に染み出し、穴の近くに結晶ができます。結晶は大きくなると剥がれ落ち、穴が大きくなります。

穴は大きくなると、隣とくっつきます。穴が、1mになるのに1000~1万年かかります。

奇岩などで人々の信仰が集まった場所に山寺ができ、街道も整備され、門前町は大きくなります。しかし、室町時代には、戦禍に巻き込まれ、山寺一帯は、衰退してしまいます。

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家康に味方し大躍進!最上義光がつくった大城郭・山形城|ブラタモリ山形

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江戸時代の山形を探るために、ブラタモリは、山形城(霞城公園)を訪ねます。(地図

場内には、お堀の横を走る、仙山線と新幹線をまたぐ橋があります。

桜の季節には、特に美しい光景となります。周囲を山々に囲まれた天然の要害を生かし、戦国時代に最上氏初代によって築城されました。

特に、戦国時代に第12代山形城主となった、最上義光よしあき(石碑)の活躍は著しく、伊達氏や上杉氏ら周辺の名だたる大名と争い、関が原の合戦後、徳川家康に戦功が認められ57万石の初代藩主となりました。 石高は、第5位。

1602年ごろの石高(徳川、豊臣を除く)

  • 1位 前田利家(ブラタモリ金沢)119.5万石
  • 2位 結城秀康 67.0万石
  • 3位 伊達政宗(ブラタモリ仙台)60.5万石
  • 4位 蒲生秀行(ブラタモリ会津)60.0万石 
  • 5位 最上義光 57.0万石
  • 6位 島津忠久 56.0万石
  • 7位 黒田長政 52.3万石
  • 8位 加藤清正、池田輝政、松平忠吉、小早川秀秋 52.0万石
正面から見ると、馬のお腹しか見えない?

最上義光は、山形城を整備し、新田開発や最上川の舟運整備など、数々の偉功が伝えられています。

ブラタモリは、本丸跡を見学(一般非公開)。現在も発掘調査中で、出土したものの1つは金箔瓦。最上氏の権勢がうかがえます。

当時は、最も外側の外郭線までをお城の範囲すると、①江戸城(2082ha、ブラタモリ江戸城)、②大坂城(豊臣、400~500ha、ブラタモリ大坂城)、③小田原城(348ha、ブラタモリ小田原)、④名古屋城(300~ha、ブラタモリ名古屋)に続き、第5位(235ha)。

江戸城の範囲

例えば、西側は、江戸城の最寄りである東京駅からかなり離れた、四ツ谷駅周辺です。

四ツ谷駅前には外堀の跡があります。

四ツ谷駅構内には、江戸城の最も外側を固めた、石垣の跡があります。

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山形城の範囲は、江戸城に及びませんが、第5位。

タモリさんは、NHK山形放送局の周辺など、山形城の城内だった場所を歩き、徒歩10分、東の端を訪ねます。上の写真は、外堀のカーブの痕跡です。(地図

本丸までは、約800mもあります!(南側は、徒歩10分以上、さらに長い距離があります)

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山形城には城下町を含め、3万人以上が暮らしていましたが、江戸時代末期(幕末)には、三の丸は、田んぼや畑に変わってしまいました。

もとの57万石(米の取れ高、江戸時代の経済は全てにおいて米が基本)は、幕末の水野忠弘の時代には、5万石に減っていました。

繁栄の礎を築いた最上氏は、お家騒動などが原因でほかの地(近江大森藩)へ転封。以降は外から来た大名の「左遷の場所」のようになり、代々領地(石高につながる)や家来の数は減少してゆきました。

藩主石高
最上義光57万石
最上家親57万石
最上家信(義俊)57万石
鳥居忠政22万石
鳥居忠恒22万石
保科正之20万石
幕府領
(結城)松平直基15万石
(奥平)松平忠弘15万石
奥平昌能9万石
奥平昌章9万石
堀田正仲10万石
(結城)松平直矩9万石
(奥平)松平忠弘10万石
(奥平)松平忠雅10万石
堀田正虎10万石
堀田正春10万石
堀田正亮10万石
(大給)松平乗佑6万石
幕府領
秋元涼朝6万石
秋元永朝6万石
秋元久朝6万石
秋元志朝6万石
水野忠精5万石
水野忠弘5万石

京都で大人気!江戸期の山形を生まれ変わらせた超高級な染料・紅花

引用 山十大屋 Facebook

ブラタモリは、パンドリーム おーや(地図)を経営する、佐藤利兵衛氏に話を聞きます。もとは、紅花を扱っていました。

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エチオピアが原産といわれる紅花は、6世紀ごろに日本に伝来。複数の色素を有し、黄色から紅色まで染めることができます。紅色色素はわずか1%ほどの高級品です。

シルクロードの行路にて日本までやってきたと伝えられる紅花。江戸時代、最上紅花は、全国紅花生産出荷量は6割以上。当時は山形では、染料は意外な用途で扱われていました。

山形では、殿様の力が特段に強くはなく、紅花商人は力をつけました。山形藩から、借金の用立てを要請されたことも1度ではありません。

しかし、より安い紅花や、新しい染料の登場により、紅花商人は衰退してしまいます。

銀座レンガ街を手掛けた明治の役人による東北随一の超モダンな都市計画とは|ブラタモリ山形

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山形には、東北随一の超モダンな都市計画の痕跡が残されています。

山形県旧県庁舎(地図)は、明治時代の初代県令・三島通庸の命により、あえて城内ではない位置に建設。江戸時代までの伝統にとらわれることなく、という意図がありました。

イギリス・ルネッサンス様式を基調とし、建物は、レンガ造りの3階建で、外壁は花崗岩、屋根は玄昌石を使用。内装は、リノリウムの床、漆喰装飾など。

大正時代初期の洋風建築の特徴を伝える、貴重な文化財です。また、時計塔は、札幌の時計台に次いで古いものです。

(旧)県庁舎以外にも建物が立ち、洋風の庁舎街は、全国から注目されました。サクランボも、明治の初代県令・三島通庸が導入したものです。現在山形県産のシェアは、約7割を占めます。

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山形でブラタモリ内容
山形編(#243)タモリさんが、山寺、山形城などを訪ね、旅のお題「山形~山形は何度も生まれ変わる?~」を探ります。
😎現地取材 酒田編(#113)酒田は日本の中心だった? 北前船(北海道・東北⇔門司⇔大阪)の通り道であったことが、第1のヒントです。

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