【ブラタモリ日光東照宮 全ロケ地】参道の気づきにくい工夫から、唐門と眠り猫が暗示するものまで#25

とらべるじゃーな!
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NHK番組のブラタモリ日光東照宮編で、タモリさん日光東照宮の歴史・地形を紹介しました。このページでは、内容や全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。

記事へのリンク概要
現地取材 宇都宮(#112)宇都宮二荒山神社や宇都宮城址で、江戸との結びつきを探ります。穴場・カトリック松が峰教会や大谷石採掘場も登場。
那須(#110)石が転がる荒地だった那須は、どのようにしてリゾートに? 酪農、温泉、レジャー施設、別荘の4つがキーワードです。
現地取材 奥日光(#26)戦場ヶ原、竜頭の滝、中禅寺湖、華厳の滝と高度を落としてゆく、奥日光の地形をブラタモリが総なめ!
現地取材 当記事(#25)石段のトリック、石鳥居の材質、参道のひし形の石、珍しい鉄製の南蛮鉄灯籠など、類を見ない視点で日光東照宮を攻略。

日光東照宮へ|ブラタモリ日光

ブラタモリは、日光東照宮手前からスタート。

バスで訪ねる場合は、地図左手の日光二荒山神社にバス停があります。境内に入ってからは、一本道となり、眠り猫をめざします。眠り猫の先には、徳川家康墓所があります。

>>東武日光駅、JR日光駅からバスで大猷院・二荒山神社前(終点)下車。バスの側面表示は、大猷院・二荒山神社前でなく、世界遺産行きと書かれています。

日光東照宮 参道の見逃しがちな工夫とは?

ブラタモリは、日光東照宮の境内に入ります。五重塔へ向かう石鳥居手前の10段の石段は、登るごとに横幅が狭まっています。これは、なぜなのでしょうか?

これは敷地の広さの制約のなか、遠近法を用いて幽玄さ(奥行き)を演出するために取られた工夫だったのです。

石鳥居(一の鳥居)をよく見ると、日光では産出しない花崗岩でできています。

石鳥居は筑前藩主・黒田長政が、九州から海路や利根川、鹿沼街道を経て運び寄進したものだったのです。

五重塔(再建)の様子です。

ブラタモリでは紹介されませんでしたが、巨大な木の柱(心柱)が、礎石から浮いた形で設計されているのが特徴です。東日本大震災のさいも、損傷はありませんでした。

日光東照宮境内に入ると、大きく左に道が折れます。参道には、他の神社と異なり、ひし形の石が敷き詰められています。これは、なぜなのでしょうか?

ひし形の石は、参拝客を迷わせないような、矢印代わりだったと考えられています。

上神庫(かみじんご)と神厩舎(しんきゅうしゃ)

ブラタモリは、石畳の矢印に従って参道を進みます。すると右手に金色の上神庫が目に入ります。

これは別名御宝蔵(ごうほうぞう)と呼ばれる宝物殿で、象の彫刻があります。当時の日本に象を見たことがある人はおらず、下絵を担当した狩野探幽(かのうたんゆう)も想像で書いたと言われ、多少本物と異なっているのが興味深いところです。

地味な白木造りながら、上神庫と対照されその存在が際立つのが、左手の神厩舎(しんきゅうしゃ)

人の一生を表す猿の彫刻があり、特に教育論(または日光東照宮の基本理念)を示すと推定される、三猿が有名です。

東照宮とは?
東照宮とは、徳川家康を祀る神社で全国に複数あります。東照宮の原点は、徳川家康が晩年居城とした駿府城に近い「久能山東照宮」です。そして、徳川家康の遺言に基づき、後日改葬を行った先が「日光東照宮」です。徳川家康の改葬のさい、生前ゆかりが深かった川越のあるお寺を経由しています。そこにあるのが「仙波東照宮」です。
・久能山東照宮 …ブラタモリ三保松原
・仙波東照宮 …【ブラタモリ川越

マツコが「泊まりたい」と2度発言した宿(露天風呂がお目当て)

陽明門と灯篭(とうろう)

ブラタモリは、日光東照宮の中心である本社手前の、陽明門を訪ねます。

霊獣(神話や伝説の動物)や仙人賢人、子供たちなど500点以上もの彫刻が施されています。

また、あえて柱を逆さまにした「逆さ柱」があり、これは完成と同時に崩壊が始まるという古来からの考え方に基づいています。

その手間にある灯篭は、通常なら石造りですが、当時としては珍しい鉄製の南蛮鉄灯籠となっています。

鉄はポルトガルから輸入されたもので、伊達政宗が奉納しました。

日光東照宮 唐門と眠り猫が暗示するものは?

日光東照宮本社の正門が唐門です。

柔和な表情をした中国の伝説の皇帝・舜帝を、多くの人々が囲む彫刻の絵柄(舜帝朝見の儀)は、神の命を受け多くの人に慕われる徳川家康を暗示しています。

東西廻廊にある人気の彫刻・眠り猫は、眠っていますが、戦闘態勢の姿勢となっています。なぜなのしょうか?

これは、平和の時代にあっても、いつでも人々を守るために戦う決意を示し、徳川家康を暗示しています。

遺言に反した日光東照宮
徳川家康は遺言では、簡素な建築を指示していました。3代将軍徳川家光は、なぜ遺言に逆らい日光東照宮を豪華にしたのでしょうか? 
当時の豊富な資金力を背景に、全国へ徳川家康の威光を示すことにありました。

日光東照宮への参道

現在の日光駅(東武日光駅)から日光東照宮への道は、もともとは何もありませんでした。

日光東照宮を建てるさいに、宿場町として整備されましたが、段差が多い使い勝手が悪い道でした。現在、段差はならされていますが、その痕跡が民家の脇の低い石段などに一部見られます。

>>ブラタモリが訪ねたのは、下鉢石町バス停付近。参道のほか①漆塗りの工場(非公開)、②観音寺虚空蔵堂(かんのんじ こくうぞうどう、大杉神社と一体化)を訪ねています。

周辺の御幸町は、もとは日光東照宮の周辺にありましたが、俗の空気を持ち込ませないように移転させられました。日光東照宮への奉仕と引き換えに、税の特権が与えられました。

日光東照宮周辺には、寺社の修復も手がける、漆塗りの工場が残っています。日光東照宮の建材には、下地として漆が使われています。

タモリさんは、漆塗りの工場で、群馬県太田市の冠稲荷神社の修復の漆塗りを手伝い、「塗装協力 森田一義」と掲げられました。

栃木でブラタモリ内容
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