
ブラタモリ能登半島編で、タモリさんが、白米千枚田など能登の魅力を探りました。また輪島編では、輪島塗の魅力を深掘りしました。このページでは、ブラタモリ能登半島編・輪島塗編のルート(ロケ地、撮影場所)、内容、関連情報をくわしくご紹介します。【再放送・見逃し情報はこちら】
・輪島編は後半に掲載します。
石川でブラタモリ | 内容 |
能登(#209) | なぜ能登の風景は人の心を打つのか? 白米千枚田などを訪ねます。 |
金沢(#3,#4) | 金沢城は石垣がみどころ。三代前田利常の石垣は、関が原の戦いが終わり、芸術的でカラフル。 |
【棚田・塩田・漁港…】
— NHK広報 (@NHK_PR) July 15, 2022
「白米千枚田」
「揚浜式塩田」
「定置網漁」
絶景を支える人々の営みの秘密を解き明かします。今週の #ブラタモリ は『能登半島〜なぜ能登の風景は人の心を打つのか?〜』です。
16(土)夜7:30[総合]https://t.co/5WJxUjdqEp
▼今回も素敵な旅のようで▼ pic.twitter.com/uRfhD7QCzw
【 #ブラタモリ のキーワード】
— NHK広報 (@NHK_PR) July 22, 2022
「謎の土」
「塗りだけで133工程」
「沈金」
「珪藻土」
「天然の良港」
「地質の奇跡」
タモリさん&野口葵衣アナ、今週は輪島へまいります。
「輪島〜輪島塗はなぜ日本を代表する伝統工芸になった?〜」です。
23(土)夜7:30[総合]https://t.co/gMPqztacNp pic.twitter.com/4SFoDGrtxG
- 世界農業遺産に指定された能登半島
- 絶景!白米千枚田に大小1004枚の田んぼが並ぶ理由とは?|ブラタモリ能登半島
- 人の力で行う塩づくり“揚浜式塩田”はなぜ能登で行われた?|ブラタモリ能登半島
- 平地が少なく山がちな能登の地形はどうできた?|ブラタモリ能登半島
- いま世界の心を打つ“サステナブル”な漁法…能登の内浦で行われる定置網漁の謎を探る|ブラタモリ能登半島
- 縄文時代から続く“海の恵みへの感謝”の秘密とは?|ブラタモリ能登半島
- 🥇【輪島編はこちらから】輪島塗のキャッチフレーズ「堅牢優美」の秘密|ブラタモリ輪島塗
- “塗り”だけで133工程!塗師の工房を訪ねる|ブラタモリ輪島塗
- 輪島塗の堅牢さの秘密“地の粉”の正体は能登半島でとれる珪藻土!?|ブラタモリ輪島塗
- 沈金の人間国宝が生み出す優美な作品の数々|ブラタモリ輪島塗
- 輪島に天然の良港ができた地質の奇跡!|ブラタモリ輪島塗
- 全国に広まったきっかけ・總持寺のスゴいシステムとは|ブラタモリ輪島塗
世界農業遺産に指定された能登半島


ブラタモリは、日本海側最大の半島、能登半島を訪ねます。
ブラタモリは、輪島市の白米千枚田からスタート。1つ1つの田が小粒なのが特徴。年間60万人が訪ねる景色です。(地図)
- 関東周辺の棚田(新潟県) 星峠の棚田を訪ね、記録しました
能登半島の沿岸は、外浦、内浦に分かれます。白米千枚田は、外浦にあたります。
棚田、塩田、漁港の風景が特徴の能登は、日本に11(2022年7月現在)しかない世界農業遺産に選ばれています。
日本の農業遺産
- 能登の里山里海(石川県、2011年6月)
- トキと共生する佐渡の里山(新潟県、2011年6月、ブラタモリ佐渡)
- クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環(大分県、2013年5月)
- 静岡の茶草場農法(静岡県、2013年5月)
- 阿蘇の草原の維持と持続的農業(熊本県、2013年5月、ブラタモリ阿蘇)
- 清流長良川の鮎(岐阜県、2015年12月)
- みなべ・田辺の梅システム(和歌山県、2015年12月)
- 高千穂郷・椎葉山の山間地農林業複合システム(宮崎県、2015年12月)
- 持続可能な水田農業を支える「大崎耕土」の伝統的水管理システム(宮城県、2017年11月)
- 静岡水わさびの伝統栽培(静岡県、2018年3月、ブラタモリ天城越え)
- にし阿波の傾斜地農耕システム(徳島県、2018年3月)
ブラタモリ能登半島編の旅のお題は、「なぜ能登の風景は人の心を打つのか?」です。
石川でブラタモリ | 内容 |
能登(#209) | なぜ能登の風景は人の心を打つのか? 白米千枚田などを訪ねます。 |
金沢(#3,#4) | 金沢城は石垣がみどころ。三代前田利常の石垣は、関が原の戦いが終わり、芸術的でカラフル。 |
絶景!白米千枚田に大小1004枚の田んぼが並ぶ理由とは?|ブラタモリ能登半島


輪島市の海沿いに広がる、白米千枚田には、大小1004枚の田んぼが並びます。なぜこのような景色が誕生したのでしょうか?
白米千枚田を歩くタモリさんは、バリ島の畑の風景にも似ているとの感想です。

バリ島 ジャティルイ ライステラス

多くの人が感じるのは、大きな田と小さな田が、幾何学模様のように並ぶ風景。傾斜に合わせて、最大限の面積を確保したことが、この光景を生みました。

タモリさんは、2カ所ある木に囲まれた場所(写真右上)に注目します。ブラタモリフォッサマグナで扱ったように、棚田は、地滑りの跡にできます。木立は、地滑りが進まないように、水を抜いている場所でした。
棚田が地滑りの産物であることは、ブラタモリフォッサマグナで扱いました!😎#ブラタモリ #能登 #白米千枚田https://t.co/JZ0kq5HcIn
— ブラタモリ (@buratamori2018) July 16, 2022
タモリさんは、白米千枚田2番目に小さな棚田(苗4株分、ご飯2杯分)を発見します。小さな棚田が多く、あぜ道が多いのはなぜなのでしょうか?
これは、数多くのあぜ道が、地滑りを止めているという役割(土留めの役割)を持っているからです。
田に決して向いていない、地滑りする斜面でコメ作りを続けてきたのは、山がちな能登半島には、土地が少ないことによります。

人の力で行う塩づくり“揚浜式塩田”はなぜ能登で行われた?|ブラタモリ能登半島


ブラタモリは、能登半島北部の珠洲市を訪ねます。
能登半島では、海面より高い場所にある塩田に海水を運ぶ、揚浜式塩田が、日本で唯一、現在も残っています。なぜなのでしょうか?
- 揚浜式塩田 …満潮面より高い海岸に塩田を作り、海水を人力で運び塩田にまき、太陽熱で水分を蒸発させる。昭和28年頃にほぼ行われなくなる。
- 入浜式塩田 …遠浅海岸の満潮水位以下の場所に堤防を築き、その内側に塩田を作ったもの。⇒ブラタモリさぬきうどんで紹介

ブラタモリは、塩の資料館を訪ねます。(地図)
あいにくの大雨で、「塩汲み」の実演は、VTRでの紹介となりました。75kgの海水を280往復して海水を運びます(1回の塩づくり)。
このあと、砂に海水をまく「塩撒き」などを経て、濃度の高い海水を作ります。
タモリさんは、水分を蒸発させる「釜炊き」を見学します。14時間前に仕込んだ釜は、水分が残り少なくなっていました。14時間炊き続けるための、薪にも秘密があります。
1回に必要な量は、想像以上に多く、およそ4トンの薪を消費します。(土地の広い海外では、海水を地上に長期間放置するだけですが、日本では、大きなエネルギーを消費して、塩を作ることで生き抜いてきました)
塩の価格の下落により、揚浜式塩田は、ほとんど廃業を余儀なくされました。しかし、戦時中の軍需により、1軒だけ、揚浜式塩田が生き残りました。現在でも、伝統的な製法の塩を味わってもらいたいと、揚浜式塩田は守られています。
ブラタモリと塩田

香川県の入浜式塩田(再現)。タモリさんは、塩を砂につけるため海水をまく「浜飼い」の作業に挑戦しています。(ブラタモリさぬきうどん)
塩田の大まかな歴史
藻塩焼き(古代)→揚浜式塩田(平安~江戸)→入浜式塩田(江戸~昭和28年頃)→流下式塩田(昭和28年頃~昭和47年頃)→イオン膜(昭和47年頃~)
(公益財団法人 塩事業センター)
平地が少なく山がちな能登の地形はどうできた?|ブラタモリ能登半島


平地が少なく山がちな能登の地形は、どのようにできたのでしょうか?
ブラタモリは、断崖絶壁(能登の親不知、接吻トンネル、地図)を訪ねます。トンネルの完成前は、崖の下を歩いて渡っていました。
能登の親不知は、断層の1つです。海のなかにも、海岸線と平行に、断層が多数あります。
- 能登の親不知の名前のもととなった、本家の親不知は、ブラタモリ糸魚川編で紹介されました。

これらの断層は、2500万年前、ユーラシア大陸から日本列島が切り離されたことに関係します。大陸から引き離される境目は薄くなり、ひびが入りました(上の図の赤っぽい楕円の辺り)。これが、能登半島の外浦の、海岸や沖合にある断層です。
断層が入った地形が、南から押されたことで、陸地が盛り上がり、上の断崖絶壁(能登の親不知、接吻トンネル、地図)ができました。
ユーラシア大陸から日本列島が切り離されたことは、ブラタモリ日本の構造線で紹介されました!😎#ブラタモリ #能登の親不知https://t.co/NP1EcCnDwz
— ブラタモリ (@buratamori2018) July 16, 2022
山がちで海辺が少ない半島

山がちな半島として、最近のブラタモリでは伊豆半島が紹介されました。南洋の海底火山が、フィリピン海プレートの働きで北上し、本州に衝突し伊豆半島となったものです。
(ブラタモリ伊東)
いま世界の心を打つ“サステナブル”な漁法…能登の内浦で行われる定置網漁の謎を探る|ブラタモリ能登半島


ブラタモリは、波並・大敷網組合を訪ねます(地図)。写真は、大きな定置網の倉庫。能登半島の内浦では、魚を追いかけず、網を張って待つ定置網漁業が行われています。
ブラタモリ富山編で扱ったように、富山湾は、陸地からすぐ、非常に深い深度に達するのが特徴です(最大深度1200m)。そのため、多種多様な魚が回遊してきます。

定置網は、通りかかった魚しか獲らず、約7割の魚を逃がし、小さな魚は必ず外へ逃げます。そのため、獲りつくさない、持続可能な漁として、世界的に注目され、79か国の人が視察に訪ねています。

定置網漁は、日が昇らない時間に出港しますが、漁場はすぐそこ。勤務時間が一定で、漁師にとってもサステナブル(持続可能)と言えそうです。

魚が集まる落とし網を、ある程度の高さまで引き揚げると、網で魚をすくい、船に積み込みます。
縄文時代から続く“海の恵みへの感謝”の秘密とは?|ブラタモリ能登半島


ブラタモリは、真脇遺跡を訪ねます(地図)。北陸特有の縄文時代の柱を再現しています。柱の用途は、現在研究中で未解明です。
真脇遺跡は、約4000年間、漁をしながら、人が定住していたことが分かっています。
ブラタモリは、真脇遺跡のそばにある、縄文館を訪ねます。マグロ、サメ類、エイ類、サバ、カツオ類などに並び、クジラやイルカの骨も出土しています。
イルカの骨は、286頭分が出土しました。真脇遺跡の縄文人は、とくにイルカから恩恵を受けていたと考えられます。イルカの骨とともに、彫刻が施された柱状の木材が出土しています。アイヌの鯨送りでも柱状の木材が使われていたことから、似た儀式があったと予想されています。

2000年の歴史を持つ須須神社では、イルカを獲らなくなった今も、神様の乗り物、神様の使いとして崇められています。(地図)
「なぜ能登の風景は人の心を打つのか?」 人の手で長く続いてきた棚田と塩田、日本列島の成り立ちがうかがえる海の景色、海の幸への感謝の心が、取り上げられました。
ページは、輪島編の内容に続きます。
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タモリさんの名言|オールナイトニッポン放送55時間スペシャル
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- ブラタモリ史上、最大の反響「ブラタモリフォッサマグナ」
- ブラタモリ日本の温泉スペシャル
- ブラタモリ「奇跡の編集力」を知る|プレゼン、商談に生かす
- 【2023年度版】ブラタモリ紹介・初詣の神社・お寺19選
- タモリさんが監修!カレーうどん千吉に行ってきました
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週末のブラタモリは、島根県の石見銀山!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) September 1, 2022
鳥取砂丘→境港・米子→松江→出雲大社→石見銀山の順で、ロケ地巡りができそうです!
※昨夜は佐渡金山編でした(https://t.co/ckB9BxZnSw) pic.twitter.com/K7f2H6yfbp
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🥇【輪島編はこちらから】輪島塗のキャッチフレーズ「堅牢優美」の秘密|ブラタモリ輪島塗


ブラタモリは、能登半島の輪島市を訪ねます。日本海に面した町です。


15世紀に始まった輪島塗は、実用品としての丈夫さと、芸術品としての優美さを兼ね備えた漆器として、長く人気を保ってきました。
輪島塗は、有田焼(ブラタモリ有田編)、西陣織(ブラタモリ西陣編)を押さえ、地域名がつく工芸品の認知度1位。ブラタモリのテーマは、輪島塗はなぜ日本を代表する伝統工芸になったのかです。

ブラタモリは、輪島工房長屋を訪ねます(地図)。タモリさんは、年代物の輪島塗を見学します。輪島塗が全国に広がったのは、江戸から明治時代にかけてです。
このほか、沈金という技法を使った、大きな輪島塗の盃を見学。その価値は、400万円!
輪島塗は、丈夫で芸術品としての価値も高い、堅牢優美がキャッチフレーズです。
“塗り”だけで133工程!塗師の工房を訪ねる|ブラタモリ輪島塗

ブラタモリは、輪島塗塗師屋大崎庄右ェ門(大崎漆器店)を訪ねます。タモリさんは、ナショナルの赤いラジカセも気になりますが、まずは、堅牢優美の堅牢の理由を探ります。丈夫な秘密は、ずばり塗りの作業工程にあります。
タモリさんは、布着せを見学。木地を、麻布で補強し、弱い部分を補強します。

輪島塗の工程は「木地づくり」「髹漆(塗り)」「装飾」の3つの段階がさらに細分化され、“塗り”だけで133工程を数えます!

ブラタモリは、133工程を抜粋して見学。徐々に木の色が、漆の赤い色になってゆきます。タモリさんは、第1工程の器の薄さに注目。輪島塗の堅牢さは、木の厚さから来るものではなかったのです!
漆は、通常泥などをまぜて塗りつけますが、輪島塗はある別の物を混ぜます。

漆には、灰色の練り物を混ぜます。練り物の原料は黒い砂のようなもの。地の粉と呼びます。
輪島塗の堅牢さの秘密“地の粉”の正体は能登半島でとれる珪藻土!?|ブラタモリ輪島塗

ブラタモリは、輪島塗塗師屋大崎庄右ェ門(大崎漆器店)から1キロ、通称じのこ山(輪島市内の小峰山)を訪ねます。原料の土は、通常の茶色。焼くことで、黒くなります。
タモリさんは、泥岩の1種であることに気づきますが、とても軽いのが特徴。

正体は珪藻土でした。日本が大陸と一部が陸続きの時代に、現在の日本海に、珪藻が溜まり込んだものです。
珪藻土は、漆と混ざることで非常に強固になり、輪島塗の堅牢さを支えていたのです。
沈金の人間国宝が生み出す優美な作品の数々|ブラタモリ輪島塗


タモリさんは、漆芸技術研修所を訪ねます。漆塗りの技術を、少人数制で学ぶ場所です(公式サイト)。
沈金の人間国宝が生み出した、優美な作品の数々を見学します。砂ボチと呼ばれる、点描画のような技法が用いられています。
輪島に天然の良港ができた地質の奇跡!|ブラタモリ輪島塗

ブラタモリは、輪島崎町を訪ねます(地図)。
断崖絶壁が続く日本海に、港ができたことが、北前船が寄港につながっています。なぜ、輪島に港ができたのでしょうか?
(北前船は、ブラタモリ山形・酒田編で紹介されています)
左右で波の荒さが全く違います。この岩場が、良港をもたらしたようです。
この岩は、貝殻と砂が一体化した石灰質砂岩。非常に固いのが特徴ですが、貝殻が集まるなど、特別な条件が必要で、周辺でも輪島にしかない岩石です。
幸運に恵まれ、天然の良港ができたおかげで、北前船が寄港し、輪島塗を全国に運んでゆきました。
全国に広まったきっかけ・總持寺のスゴいシステムとは|ブラタモリ輪島塗


ブラタモリは、大本山總持寺祖院を訪ねます。

タモリさんは、美しい境内の景色を堪能し、大祖堂を訪ねます。
内部には、輪島塗が数多く飾られていました。タモリさんは、住職の名簿を確認します。すると、住職になった日付が似通い、同じ日が多く見られます。總持寺は、住職が次々に変わる仕組みを取っており、全国の5万人が住職に名を連ねました。
この数多くの住職が、輪島塗を手にし、全国に広がってゆきました。住職が、輪島塗のインフルエンサーだったのです。
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週末のブラタモリは、島根県の石見銀山!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) September 1, 2022
鳥取砂丘→境港・米子→松江→出雲大社→石見銀山の順で、ロケ地巡りができそうです!
※昨夜は佐渡金山編でした(https://t.co/ckB9BxZnSw) pic.twitter.com/K7f2H6yfbp
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