ブラタモリ北九州編で、タモリさんが、日本の要とも言える北九州市を紹介します。このページでは、ブラタモリ北九州編の、内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。【再放送・見逃し情報はこちら】
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福岡でブラタモリ | 内容 |
北九州市(#249、#250) | タモリさんが旅のお題「合体メガタウン!北九州市誕生の秘密とは?」を探ります。 |
関門海峡(#108) | 関門海峡はなぜ関門?(福岡県の門司も扱っています) |
太宰府天満宮(#SP ) | 太宰府天満宮は、政略に巻き込まれ、京都から大宰府に送られた菅原道真の霊を祀った神社です。テーマは、なぜ太宰府(天満宮)はありがたい?です。 |
博多・福岡(#17,#18) | 2000年の古い歴史がある博多の片隅に残る、知られざる「高低差」をテーマに、博多誕生の秘密をタモリさんが解き明かします。福岡では鉄道を探検。 |
- 北九州市とは?
- 北九州市は60年前、“世界でもまれな”合併によって誕生!|ブラタモリ北九州
- 堀から少し歩いただけでまたすぐに堀?どこまでも守りを意識した小倉城|ブラタモリ北九州
- 五街道の起点となる“九州の日本橋”があった?|ブラタモリ北九州
- 北九州は二つの国でできている?同じ町なのに話し言葉が異なるワケ|ブラタモリ北九州
- 筑前黒田藩の大事業は日本一の石炭積み出し港「若松」を生んだ?|ブラタモリ北九州
- 【後編】和風の家の一部はなぜか洋館!急速に発展した港湾都市に見られる洋館付加住宅とは?|ブラタモリ北九州
- 官営製鉄所が八幡に置かれた背景には、北九州ならではのスリリングな歴史物語が!|ブラタモリ北九州
- 優雅でモダンな近代建築!世界遺産・官営八幡製鉄所の旧本事務所|ブラタモリ北九州
- 北九州5市が合併した理由。カギは明治時代にできた路面電車?|ブラタモリ北九州
北九州市とは?
ブラタモリは北九州市へ。タモリさんの故郷である福岡市(博多編、福岡編)に続き、3回目の訪問です。
【ブラタモリ博多・福岡】タモリさんが故郷を巡る|ロケ地まとめ #17 18
北九州市は、関門海峡を隔てて本州に面し、九州の最北端に位置。東は周防灘、北は響灘を望みます。北九州工業地帯は、日本の4大工業地帯の1つです。
ブラタモリは、小倉駅から徒歩10分、NHK北九州放送局前からスタート。タモリさんは、北九州市の訪問歴はほとんどなし。「博多の人は、北九州は工業地帯と思っている。東京から見た川崎に同じ」とタモリさん。小倉城が見えてきます。
タモリさんが旅のお題「合体メガタウン!北九州市誕生の秘密とは?」を探ります。
北九州市は60年前、“世界でもまれな”合併によって誕生!|ブラタモリ北九州
北九州市は、1963年2月に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の5市が合併して誕生しました。九州初の政令指定都市であり、県庁所在地以外では、初の政令指定都市となりました。
吸収ではなく対等合併は、意見の調整がうまくいかない可能性もあり、世界でも珍しいケースでした。
堀から少し歩いただけでまたすぐに堀?どこまでも守りを意識した小倉城|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、小倉駅南西、徒歩15分の場所にある、小倉城跡を訪ねます。
小倉城が作られたのは、慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いのすぐ後。細川忠興は、徳川方につき武功から小倉城を与えられました。
当時は「唐造り」と呼ばれ、全国唯一の珍しいものでした。現在の城は、再建したものです。
ブラタモリは、小倉城の北西の端を訪ね、堀を離れさらに西へ向かいます。タモリさんは、駐輪場の陰に石垣を発見(地図)。堀のすぐそばに、また堀があったということです。
小倉城は、幾重もの堀を固めるなど、守りを意識した城でした。北は海、東は川となり、強固な守りが築かれました。
ブラタモリは、城の東側の城下町を訪ねます。商店街は町人まちの碁盤の目の名残りです。(地図、マツモトキヨシ 魚町銀天街店)
しかし、実際にはわずかに曲がっている場所があります。碁盤の目を意識しながらも、見通しを多少悪くし、守りも兼ねた設計です。
小倉には日本初がいくつかあります。競輪は小倉が発祥。北九州には、競馬、競輪、競艇3つがそろいます。そして、何とパンチパーマも小倉が発祥です。
ブラタモリは、商店街を抜け、常盤橋を目指します。
五街道の起点となる“九州の日本橋”があった?|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、小倉城に近い常盤橋(小倉北区)を訪ねます。
江戸時代、常盤橋は、小倉から九州各地にのびる諸街道の起点でした。長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つを「小倉の五街道」と呼びますが、そのすべてがこの橋につながっていました。(地図)
小倉は九州の玄関口、扇の要であり、多くの人が集まりました。そのことで、小倉城は堅固な守りが必要となったのです。
北九州は二つの国でできている?同じ町なのに話し言葉が異なるワケ|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、街道を進み、黒崎城跡を訪ねます(地図)。
小高い山に築かれた城郭でした。山上からは、小倉城跡がある、小倉の町を見渡すことができます。
北九州は、江戸時代に入ると、豊前の国と筑前の国の2つに分かれました。黒崎城と小倉城のあいだは、豊前国と筑前国の境目だったのです。戸畑区、小倉北区の境界を流れる境川は、境目の一部です。これも、小倉城の守りが堅い理由と考えられています。
豊前の国に35、筑前の国に15もの城がありましたが、1615年の一国一城令により多くの城が壊され、豊前が小倉城、筑前が福岡城となりました。
ブラタモリは、筑前国側の、若松区を目指します。
過去のブラタモリに登場した境川
浦安の境川(浦安市の前身である猫実村と堀江村の境)。かつては、多数の小舟が停留されており、ディズニーランドが来る前の浦安は、漁業の町だったことが分かります。
【ブラタモリ浦安編】浦安の歴史・地形・観光ルートまとめ #58
町田市と相模原市の境を流れる境川は、相模国・武蔵国の国境の川であり、町田市が誰が何と言おうと「東京都」であることを示しています。
筑前黒田藩の大事業は日本一の石炭積み出し港「若松」を生んだ?|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、遠賀郡水巻町の川沿い(車返しの切り通し跡、地図)を訪ねます。
川沿いには、掘った跡があります。500mに渡り山を切りとおす遠賀堀川の痕跡です。
遠賀川の洪水を、逃がすための人工の川でした。農業用水も兼ね2万石の増産につながりました。
遠賀川は、年貢米を、海沿いの若松にある倉庫へ運ぶ役割も果たしました。
ブラタモリは、遠賀郡水巻町の頃末小学校を訪ねます(地図)。校内の柵のなかには、岩盤が露出しています。なにか光るものがあり、これは、石炭の地層です。地下には、大きい厚い層が何十枚もあります。
遠賀川の地下に広がっていた筑豊炭田は、日本のおよそ半分の石炭を生産していました。遠賀川は、今度は、石炭を若松へ運ぶ役割も果たしました。
日本一の石炭積み出し港「若松」は、北九州市若松区にある港です。明治時代から大正時代にかけて、日本一の石炭積み出し港となりました。
ブラタモリは、若松の港(旧古河鉱業若松ビル付近)を訪ねます(地図)。若戸大橋を望みます。
【後編】和風の家の一部はなぜか洋館!急速に発展した港湾都市に見られる洋館付加住宅とは?|ブラタモリ北九州
タモリさんは、洞海湾にある若松の港(旧古河鉱業若松ビル付近、地図)を訪ねています。
タモリさんは、若松の古い絵図を見ます。洞海湾沿いにかつてあった若松の駅には、石炭を積んだ貨車が数多く並んでいます。明治の半ばには、筑豊炭田が石炭の半分を生産しました。
ブラタモリは、港の背後の高台にあるくきのうみ小学校周辺を訪ねます。若松港で稼いだ人が多く住んでいた地域です。手前は洋風、奥は和風の邸宅を見学します。塀も下は石垣、上は洋風のデザインです。(周辺地図)
若松、横浜、函館などの港湾都市には、このような洋館付加住宅が多くみられ、若松にはいまでも50軒近く残っています。若松では、庶民の家にも洋館付加住宅が広がったのが特徴です。日本一の石炭積出港としての繫栄の痕跡です。
周辺では、特殊なレンガ塀も発見しました(若松区修多羅1丁目9)。これは、鉱滓レンガと呼ばれ、鉄鉱石を製造する際の副産物です。
洋館付加住宅の1つ、旧安川邸は、数多くの石炭関連企業を創業し、工業都市北九州市の基礎を築いた安川敬一郎氏が明治45年に建てたものです(ブラタモリでは未紹介)。
現在は、若松から戸畑区移築された大座敷棟のほか、蔵、洋風本館棟などが残されています。
官営製鉄所が八幡に置かれた背景には、北九州ならではのスリリングな歴史物語が!|ブラタモリ北九州
官営八幡製鉄所は、日清戦争後、重工業の基礎となる鉄鋼の国産化を担うために作られました。
ブラタモリは、高塔山という高台を訪ねます(地図)。手前が若松、橋の向こうが戸畑。奥には門司があり、関門橋がうっすら見えます(写真)。このほか、八幡、小倉も見える場所です。
八幡は、筑前側にあり、田んぼが広がっていました。国営製鉄所の候補地は、筑豊炭田に近い、八幡と門司に絞られました、
なぜ官営製鉄所は、八幡に置かれたのでしょうか?
当初の検討では、八幡は絶望的とされました。筑豊炭田に近いものの、洞海湾は浅い干潟で、海運に不利と考えられたからです。しかし、最後の数日間で、門司を逆転。
有力者の安川敬一郎氏らは、筑前の出身者。渋沢栄一らの協力も得て、官営製鉄所は八幡に決まりました。
優雅でモダンな近代建築!世界遺産・官営八幡製鉄所の旧本事務所|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、官営八幡製鉄所の旧本事務所を訪ねます。
官営八幡製鐵所の旧本事務所は、1899年に建設されました。赤煉瓦造、屋根は日本瓦葺きとなっており、日本と西洋の建築様式を融合したデザインが特徴。中央にドームを配しています。
旧本事務所は、日本初の本格的な銑鋼一貫製鉄所(鉄鉱石、石炭、石灰石を主原料とし、高炉でまず銑鉄を作り、転炉で鋼鉄に変える方法)の確立をめざし、様々な経営戦略が練られ、重要な意思決定がなされた場所です。
旧本事務所は、2015年に世界文化遺産に登録されました。
ブラタモリは、日本に現存する最古の鉄骨建築物である「修繕工場」を見学します(一般非公開)。
当時は、工場を作るための鋼材(建材)や機械類をドイツから運搬していていました。鋼材は海で運ぶあいだに歪みを生ずることがあり、その修繕のために、真っ先にこの工場が必要だったのです。同時に鍛冶工場が作られました。工場を作るための工具(スパナやハンマー)が作られたのです。
八幡製鉄所の鉄は、国会議事堂、東京駅などの建築に活用されました。八幡の人口は急増し、大正6年に八幡市が誕生します。前後して、石炭積出港の若松は若松市に。その後豊前の側も発展し、門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市がそろいます。
北九州5市が合併した理由。カギは明治時代にできた路面電車?|ブラタモリ北九州
ブラタモリは、谷状の地形を下る坂を訪ねます。谷底には川が流れていましたが、現在は暗渠になっています。(八幡東区春の町3丁目4)
川の流れを追うと、道路に出ます。道路に沿った駐車場の先に川の跡を発見。道路は、川に盛り土をして作られていたのです。この傾斜をやわらげて川を渡した道路が、北九州の発展に関りがあるとはどういうことでしょうか?
道路は、路面電車の跡だったのです。若松市を除く、全域を結びました。
古地図を見ると工場が、電車道に沿うように建っています。これはなぜなのでしょうか?
実は路面電車の線から、電力の融通を受けていたのです。工場は、筑前だけでなく、豊前まで広がり、北九州工業地帯としてまとまりが出てきます。こうなると、工業地帯の真ん中に市の境があることは、様々な面でデメリットとなります。
このような背景があり、筑前と豊前の国境を超え、5市合併が現実化したのです。
ブラタモリは、製鐵所の高官の官舎があった町を訪ねます。石の柱が見えてきます。これより西、筑前国(従是西筑前国)の石碑があります(八幡東区高見2丁目2)。
福岡でブラタモリ | 内容 |
北九州市(#249、#250) | タモリさんが旅のお題「合体メガタウン!北九州市誕生の秘密とは?」を探ります。 |
関門海峡(#108) | 関門海峡はなぜ関門?(福岡県の門司も扱っています) |
太宰府天満宮(#SP ) | 太宰府天満宮は、政略に巻き込まれ、京都から大宰府に送られた菅原道真の霊を祀った神社です。テーマは、なぜ太宰府(天満宮)はありがたい?です。 |
博多・福岡(#17,#18) | 2000年の古い歴史がある博多の片隅に残る、知られざる「高低差」をテーマに、博多誕生の秘密をタモリさんが解き明かします。福岡では鉄道を探検。 |
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
コメントをどうぞ(情報ご提供、旅行相談など)
訂正いたしました。ご連絡ありがとうございます。
国境石が在る住所は
北九州市八幡東区高見二丁目2番4号
ですよ
訂正いたしました。ご連絡ありがとうございます。
>ブラタモリは、若松区の川沿い(車返しの切り通し跡、地図)を訪ねます。
と記事にありますが、番組でも言ってた通りあの場所は遠賀郡水巻町です。(若松区水巻町という地名ではありません)
もう少し下流に行けば北九州市ですが、それでも八幡西区(折尾)です。
頃末小学校も水巻町です。