NHK番組のブラタモリ関門海峡編で、タモリさん推奨の下関・門司の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されます。この記事では、ブラタモリ関門海峡・下関編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。
ブラタモリ関門海峡・下関、前編の放送は、西日本の豪雨の関係で、7月14日の放映に変更されました。
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□□内容を先にお伝えします!□□
関門海峡とは
関門海峡は、本州と九州の間にある海峡です。津軽海峡や瀬戸内海に比べ、早い段階で橋やトンネルが開通したのは、幅が狭いところで700mに過ぎないことが背景です。
豊臣秀吉を苦しめた死の瀬:ブラタモリ関門海峡(下関)
ブラタモリは、巌流島からスタート。舟島神社付近からは、左に下関、右に門司が見えます。ブラタモリのテーマは、関門海峡はなぜ関門?
- アクセス:下関(唐戸)または門司港から巌流島連絡船で約10分
巌流島は、佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘で知られています。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘を記念する像は、島の東に立っており、ブラタモリが訪ねた舟島神社から数百メートル離れています。
関門海峡の名前の由来は、下関と門司を結ぶことから。距離は狭いものの、流れは大変急で、船舶にとって、文字通り海の関門というべき場所でした。
- ジブラルタル海峡 14キロ 1日200隻が航行
- マラッカ海峡 37キロ 1日300隻が航行
- 関門海峡 0.7キロ 1日500隻が航行
関門海峡を多数の船が航行する理由は、その立地です。アジアやロシア南部から横浜港などへ向かうには、非常に好都合なルートなのです。
ブラタモリは、海上保安庁のチャーター船で巌流島を出航し、おおむね図のようなルートで関門橋を見学します。
関門海峡の1つ目の関門は、その狭さです。大型船になるほど急な舵取りは難しく、通過が難しい場所になっています。
関門海峡の2つ目の関門は、潮の流れの速さです。日本海や瀬戸内海から見て、流域が急に狭くなるため、海流が速くなり、船舶が流されやすくなります。
関門海峡には、500隻もの船が安全に通過するために工夫があります。導灯の2つの灯りです。離れて設置された導灯が1つに見えるように進むと、安全な通り道となります。導灯は関門海峡内に5組もあり、この数は世界一です。
写真は、関門海峡海上交通センター(〒800-0064 福岡県北九州市門司区松原2丁目10−11)近くの大瀬戸第2号導灯。手前が後灯、奥が前灯です。
※さらに国道199号を10分歩くと、手向山公園の斜面に大瀬戸第1号導灯(前灯)が見えます。
関門海峡の3つ目の関門は、浅瀬が多いことです。大型船は、船底が海底にこすることもあるほどで、定期的に浚渫(しゅんせつ)が行われています。
下関側:ブラタモリ関門海峡(下関)
ブラタモリは、関門海峡の下関側にある火の山展望台を訪ねます。
- アクセス:JR下関駅からバス15分、火の山ロープウエイバス停下車。ロープウェイで山頂へ。その後、徒歩。
関門海峡の両側には高い山があります。2つの山はどのような関係なのでしょうか?
タモリさんは、岩石の様子が分かる露頭(一般非公開)に近づきます。石を割って新鮮な面を見ると、もともとは泥岩だったものと気づきます。ブラタモリ京都東山の回に登場した、フォルンフェルスです、
- 地下から上がってきたマグマと接触すると泥岩は変性し、硬いホルンフェルスを形成します。
- マグマはゆっくり冷えて花崗岩となり、それをホルンフェスが包み込む形になります。
- 侵食により硬いホルンフェルスの上方が破れると、柔らかい花崗岩は一気に侵食を受けます。
【ブラタモリ京都銀閣寺・東山】タモリ推奨の銀閣寺・東山の歴史・地形・観光ルートまとめ #102
ブラタモリは関見台公園(下関市長府外浦町1)の南東の海岸に移動します。
- アクセス:JR下関駅からバス20分。市立美術館前バス停下車。
花崗岩が風化し真砂となり、ボロボロになったものが見つかります。関門海峡は、花崗岩が風化し真砂化した部分に水が入ってできた地形だったのです。
下関名物ふぐの唐戸市場:ブラタモリ関門海峡
ブラタモリは、唐戸市場、続けてすぐ裏の亀山八幡宮を訪ねます。
- 下関駅から唐戸までバスで約10分。
ブラタモリは、ふぐの取扱量日本一の、唐戸市場を訪ねます。伊藤博文が山口県のみに認めたフグの解禁以来、今年で130年です。
市場のそばにある関門海峡の守り神、亀山八幡宮の鳥居には、野球をしていた人が誤ってぶつけてしまった野球ボールが挟まっています。ゲン担ぎとして必勝祈願した下関商業高校が、昭和38年の甲子園で春・夏連覇を達成したことなどから、野球の神社としても知られています。
本堂を背にすると、海の向こうの門司が見えます。この場所は、関所だったのです。江戸時代、江戸と各地を結ぶ、西廻り航路の重要な通過点であり、多数の船舶が関門海峡を通過していました
ブラタモリ関門海峡は、次回(門司編)に続きます。
ブラタモリ関門海峡(門司)編
ブラタモリは、関門海峡の九州側、門司を訪ねます。テーマは引き続き、関門海峡はなぜ関門、です。
門司港レトロと呼ばれる場所には、古い洋風建築建物が多数残されています。写真は旧税関です。
国際友好記念図書館も、ブラタモリの映像に写っています。平成7年に整備された門司港レトロには、移築されたものと、もともとこの場所にあったものがあります。
門司港は焼きカレーが名物です。
旧大阪商船のレンガには、東京駅と同じ覆輪目地が残されています。
門司の発展:ブラタモリ関門海峡(門司)
門司は、塩田地帯にありましたが、筑豊炭田(全国の石炭の半分を産出)に近いことから、計画的に開発されました。石炭を扱う港として発展し、大手銀行、商社、新聞社などが進出しました。その結果、大正14年には、それまでの下関海峡から、関門海峡に名前が変わりました。
ブラタモリは、門司港駅を訪ねます。現在の駅舎は大正時代のものです。
門司港駅のそば、門司港駅前交差点の付近には、坂道があります。なぜ坂道があるのでしょうか? 坂の頂上に行くと、橋の跡のような雰囲気が感じられます。
ブラタモリが許可を得て地下に入ると、門司港駅と門司港の連絡線乗り場をつなぐ地下道の跡がありました。関門橋ができる前、連絡船が1日最大53往復も運転されていました。当時の映像を見ると、貨車ごと船に載せて運搬しています。門司側にも、下関側にも線路が来ているため、効率の良い方法でした。