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ブラタモリのまとめ

【ブラタモリ】長崎の歴史・地形が分かる旅行見どころのまとめ #1

2017/10/17

NHK番組のブラタモリで、長崎の歴史や地形を踏まえた穴場観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。この記事では、紹介地へのアクセスや関連情報を扱っています。

  • #1 2015年4月11日 長崎 〜"坂の町・長崎" の始まりとは?〜 長崎県長崎市
  • #2  2015年4月18日 長崎 〜長崎の近代化は海から?〜

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長崎とは?

  • 宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸に訪れたように、古くからの日中の接点は、対馬、壱岐、平戸でした。
  • 1571年に、長崎純景(ながさき すみかげ)が、一漁村だった長崎港を整備し開港しました。キリスト教アレルギーが強かったなか、イエズス会への協力姿勢を打ち出し、平戸などを逆転し代表的な貿易港に発展させました。
  • 徳川家の鎖国政策により、1634年に「出島」が作られました。
  • 鎖国がとけたあと、1859年に長崎は再度開港。坂の段々畑の土地を転用し外国人居留地が完成しました。なかでも石炭や造船の技術を持ち込んだ、武器商人トーマス・ブレーク・グラバーのグラバー邸が有名です。
  • その後、長崎では、石炭の採掘と造船業が発展。日本の近代化を支えました。

グラバー園への玄関口 石橋電停の謎/ブラタモリ長崎

  • 博多駅から石橋電停まで、約1時間半。
  • 長崎駅から石橋電停まで、約17分。

ブラタモリは、長崎電気軌道の石橋電停を訪ねます。グラバー園への玄関口として観光客が多く訪れる石橋電停。付近の道路には、不自然な盛り上がりがあり大型車は通行禁止となっています。なぜでしょうか?

この場所には、かつて川が流れ、大浦橋が存在したのです。戦後復興を急ぐなか川の上に道路をかぶせてしまいました。現在、川は暗渠(あんきょ)となっており、大浦橋(明治19年完成)がそのまま埋められています。信号脇に橋の欄干(=写真右下の1対の石柱)が残存します。

石橋電停には、大戦で被災した、長崎復興の痕跡が隠されていたのです。

グラバー園への道~相生地獄坂とドンドン坂~/ブラタモリ長崎

グラバー邸への主なアクセス方法

  • 地図:●印 相生坂経由(旧来のルート)
  • 地図:●印 スカイロード経由(傾斜型エレベーターを使用)

グラバー邸周辺の注目の坂

  • 地図:●印 ドンドン坂

石炭や造船の技術を持ち込んだ、武器商人トーマス・ブレーク・グラバーは、長崎発展の立役者です。グラバー邸へは、従来、相生坂の223段の階段を上がっていました。これは、あまりにも大変で「相生地獄坂」のニックネームも登場したほどです。

「相生地獄坂」解消のため、2002年に傾斜型エレベーターと垂直型エレベーターから成るスカイロードが建設されました(地図:印)。

※動画では1:00付近に相生地獄坂が登場。

ブラタモリは、もちろん相生地獄坂をチョイス。傾斜に沿って住宅がすきまなく建ち並んでいます。一方、江戸時代のこの場所の写真を見るとほとんどが段々畑。外国人居留地として、1859年の長崎開港後に開発されたのです。

長崎は坂が多いため、ゴミの収集は、タイヤつきのプラスチックのかごをヒモで引っ張って行っています。

地元の案内人がすすめる穴場が、「ドンドン坂」(地図:●印)。知名度は低いですが、洋館が立ち並ぶぜひ訪ねたいポイントです。街を見下ろす景色は、映画やCMでの採用も多くあります。

脇の水路は水がドンドン流れるよう、V字型になっている部分があります。これが名前の由来です。

かつての出島の痕跡を訪ねる/ブラタモリ長崎

ブラタモリは、長崎電気軌道(愛称は、長崎電鉄、電鉄、電車)の出島電停へ向かいます。出島はすでに埋め立てられその形は残っていません。正門前のアスファルトはかつての海岸線(岸壁)が分かるように色が変わっています。

  • 石橋電停から築町電停乗り換えで15分程度。築町降車時に運転士に請求して「のりかえ券」を入手すると、以降は無料となります。
  • 長崎駅から長崎電鉄で5分程度。

タモリさんは、遺跡発掘の最中に立ち会い、自ら古伊万里焼の断片を発見しました。古伊万里焼(伊万里焼)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって、陶工が来日したことがきっかけとなる佐賀県の焼き物です。古伊万里は、江戸時代製の焼き物を指します。

出典:楽天(古伊万里焼を再現、クリック可)

出島電停から徒歩10分の場所にある壇ノ浦公園の南には、船津の地名があります。ポルトガル船が着岸した船着き場と考えられ、かつての出島周辺の地形をイメージすることができます。

※出島付近は、資料館などが立ち並び、観光地として十分な魅力があります。

超穴場のねずみ島/ブラタモリ長崎

長崎で、かつての海水浴に人気があったのがねずみ島です(現:鼠島公園)。大井川を渡る参勤交代の苦労を表現するために、陸から島までみこしを担いで海を渡る大名行列が催されていました。現在ねずみ島は埋め立てられ陸続きになっています。ねずみ島の眺望は正面より側面が優れています。神の島公園や木鉢IC付近がおすすめです。

※大名行列は、現在市民プール(長崎市松山町2-2)で実施されています。

【後編】なぜ長崎は、国際港となり造船業が栄えたのか/ブラタモリ長崎

ブラタモリ後編は長崎港(出島ハーバー)からスタート。

  • 長崎駅から長崎電鉄で5分、大波止電停下車。

日本では、鎖国政策を経て、幕末に函館、横浜、長崎港が開港しました。江戸(東京)に近い横浜港がもっとも栄えましたが、長崎にも各国の船舶が停泊し横浜と競いました。なぜ長崎は世界中の船舶の支持を集めたのでしょうか?

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理由のひとつは、その地形にあります。周囲を山に囲まれたすり鉢型の港は、風がなぎ、帆船を停泊させるために望ましい場所でした。もうひとつは、蒸気船の燃料である石炭が豊富に産出されたことです。

長崎ではグラバー氏のバックアップもあり、造船業が栄えました。これは、太平洋戦争で、51回もの空襲を受け、原爆投下の地に選択されたことにもつながっています。1571年に当地の城主長崎純景がキリスト教に門戸を開いたことが長崎繁栄の原点でしたが、開戦後はその繁栄があだにあったという複雑な背景があります。

戦後日本の中心産業の変遷

  • 1945年頃~ 石炭(国の政策は石炭への選択と集中。炭鉱マンの給与は会社員の倍)
  • 1955年頃~ 造船・鉄鋼(造船は1956年に世界一)
  • 1980年頃~ 電化製品・自動車
  • 2000年頃~ IT産業など

原爆の被害を受けた長崎が、日本の戦後復興に多大な貢献をしたことが分かります。

世界遺産! 三菱ジャイアント・カンチレバークレーン/ブラタモリ長崎

ブラタモリは、長崎港からセーター船で小菅修船場跡へ向かいます。一般の場合は、新観光丸クルーズを利用します(小菅修船場跡には行かず、港内を1時間かけて1周します)。

世界遺産に指定されたのが、長崎港の三菱ジャイアント・カンチレバークレーン(1909年完成)です。ニュースでは、軍艦島がよく報道されていますが、世界的な注目は断然カンチレバークレーンとなっています。世界に11の同型がありますが、長崎のものは完成当時の技術が職人により伝えられ、現在でも稼働している点が貴重とされます。イギリスから輸入された国内初の電動式クレーンで、その屈強さは原爆にも耐えたほどです。金づちに形が似ていることから、通称ハンマーヘッド型。高さは62m。最大150トンまで吊り上げることができます。

※稼働中のため、間近で見学することはできません。近くから見たい場合、対岸の長崎水辺の森公園(出島近く)や新観光丸クルーズ船上からがおすすめです。このほか、グラバー園などからも、遠景に見ることができます。

ブラタモリは、チャータ船で、グラバー氏が計画した小菅修船所跡を訪ねました。日本初の蒸気機関による洋式ドックでです。

※JR長崎駅から長崎バス(戸町経由・野母半島方面)15分、小菅町下車、徒歩5分。問い合わせ095-829-1314 長崎市観光推進課。

(参考)「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界遺産登録が決まった場所のうち長崎エリアは下の8か所

  • 三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン … ブラタモリが訪問
  • 小菅修船場跡 … ブラタモリが訪問
  • 旧グラバー住宅 … ブラタモリが周辺を訪問(住宅の紹介はなし)
  • 三菱長崎造船所第三船渠
  • 三菱長崎造船所旧木型場
  • 三菱長崎造船所占勝閣
  • 高島炭坑 … ブラタモリは最後の炭鉱「池島炭鉱」を訪問
  • 端島炭坑

近年まで稼働していた最後の炭鉱・池島炭鉱(穴場)/ブラタモリ長崎

池島炭鉱は世界遺産ではありませんが、2001年まで稼働していた「最後の炭鉱」です。

  • アクセス:佐世保、瀬戸、神浦(こうのうら)の各港から船便。

最大8000人を誇った人口は、150人ほどに減りましたが、坑内めぐりのトロッコの運転(池島炭鉱さるく・2名から予約制)も開始され、観光地として再起を図っています。池島中央会館は宿泊可(自炊)。食堂は「かあちゃんの店」のみ。2015年の年間来場者数は7千人前後と見られ、首都圏の富岡製糸場がピーク時に1日で集めた程度の数で、穴場といえます。軍艦島と異なり順路がなく、自分のペースで自由行動が可能です。

長崎では、石炭が海中から産出するため、島は生産活動の拠点となります。池島の名の由来は、島に池があったこと。現在は海水が導入され港の一部になっています。ピーク時は60軒のマンションに約8千人が暮らしていました。余った石炭を燃やし発電を行い、発電に使った蒸気は各マンションに配管で送り暖房や湯沸かしに利用されていました。現在でも配管が残っています。

池島炭鉱の名所の1つが、通称8階建てアパートです。島全体が傾斜地のため、マンションは傾斜に沿って建設。海側に1階への入口があり、山側に5階への入口がある珍しい構造です。炭鉱稼働時の名残で、いまでも1日に5回ほど時報のサイレンが鳴り響いています。

住宅地から炭鉱へ降りていく道には「御安全に」と書かれたゲートがあります。立抗の入口にははるか海の向こうの別の島を見据える石像が。この石像が象徴する通り、地下の坑道は3キロ先のその島までつながっています。

ブラタモリは、8階建てアパートの近くの第二立坑に、エレベーターで入りました(非公開。ツアーで公開の場合あり)。地下坑はトロッコで移動します(非公開。ツアーで公開の場合あり)。作業は、ダイナマイトで石炭の一部を崩した後、ロードヘッダと呼ばれる切削チップが配列されたドラムを回転させるマシンを利用していました。場所によっては、手掘りを併用していました。

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