【ブラタモリ成田山新勝寺 全ロケ地】|新春Sp

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NHK番組のブラタモリで、成田山新勝寺の歴史や地形を踏まえた観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録としてぜひご利用ください。

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成田山新勝寺とは|ブラタモリ成田山新勝寺

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ブラタモリは、成田山新勝寺の本堂前からスタートします。

2017年1月2日放送(2022年再放送)のブラタモリは「鶴瓶の家族に乾杯」とコラボした初詣スペシャル。

成田山新勝寺は、千葉県成田市にある初詣客数日本一のお寺です。通称成田山または成田不動。JR成田駅、または京成成田駅から徒歩10分の便利な場所にあります。

タモリさんと鶴瓶さんは、成田山新勝寺で護摩木ごまきの祈祷を受けます。平将門の霊を鎮めるために、天皇の命を受け平安時代に護摩木の祈祷が始まったと伝えられます。

なぜ成田山新勝寺は初詣客日本一の寺なのか

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ブラタモリ成田山新勝寺のテーマは、なぜ成田山新勝寺は初詣客日本一の寺なのかです。

成田山新勝寺の初詣の参拝者数は300万人(三が日)にものぼり寺院では1位。神社を含むと以下のようになります(2016年)。

  • 1位 明治神宮 317万人
  • 2位 成田山新勝寺 309万人
  • 3位 川崎大師 307万人

成田山新勝寺の大本堂はいつ建てられたのでしょうか?

  •  現本堂
  •  1つ前の本堂(釈迦堂)1858年再建
  •  2つ前の本堂(光明堂)1701年再建
  •  3つ前の本堂(薬師堂=閉扉中)1655年再建
成田山新勝寺  釈迦堂

1つ前の本堂は現在の本堂に向かって左斜め方向にあります。現在の名称は「釈迦堂」です。

成田山新勝寺  釈迦堂

説明板です。

成田山新勝寺  光明堂

2つ前の本堂も、現在の本堂の背後に残っています。

名称は「光明堂」。1701年に再建されました。見上げると「奉納、魚市場」と書かれています。これは日本橋魚河岸の奉納を意味しています。このほか落語家の奉納も多く、成田山新勝寺は江戸の人々からの信仰が厚かったことがわかります。

ブラタモリ
ブラタモリ

江戸時代、信仰を広めるためにどのような工夫がされたのでしょうか?

ブラタモリのために特別公開された神輿のような箱の中には、成田山の本尊である「不動明王」が入っています。移動ができるのです。

出開帳でがいちょうとして江戸へ出向きました。移動中にも江戸の庶民はこの神輿を担げばご利益があると信じ多くの人が殺到しました。12名ほどで担いでも大変な重さですが3日かけて江戸に運びました。

公開は主に深川永代寺(現・門前仲町駅近く)に仮設した小屋で行いました。出開帳は11回ほど行われ、1回の開帳で2000両(現在の約2億円)程度の収入があったとされます。現本堂より2つ前の本堂(光明堂)の建設は、わずか1回で稼ぎだしました。

3つ前の本堂・薬師堂

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ブラタモリは、3つ前の本堂に移動します。門前町に移動しており、名称は薬師堂です。

大きさは小さめ。成田山は、昔は小さなお寺の1つに過ぎなかったのです。

薬師堂 成田山新勝寺

江戸時代、この3つ前の本堂は初代市川團十郎のひいきで人気に火がつきました。

初代市川團十郎の父親は、現在の成田市の出身。子宝に恵まれなかった市川團十郎は、成田山新勝寺に祈願を行いました。その結果、二代目團十郎となる男の子を授かったのです。團十郎が成田山不動明王を演じた縁もあり、屋号を成田屋としました。

市川團十郎の存在と出開帳が、小さなお寺を日本有数のお寺に押し上げたのです。

成田山新勝寺への信仰心を高める 参道の坂道と階段

谷と台地の高低差に、成田山新勝寺が多くの人を集めてきた秘密があります。どういうことでしょうか? 移設された3つ前の本堂である薬師堂付近から、現在の境内へ向かう参道を見た風景です。表参道から参拝すると一旦坂道を下ることになります。

ブラタモリ 成田山 うなぎ屋

タモリさんは薬師堂から境内に戻る途中、門前町で、うなぎ・天ぷらの近江屋の古い建物が気になります。もとは旅籠近江屋だった建物です。門前町には150店以上のお店があり、うなぎを扱う店はうち約60店もあります。

成田山新勝寺

そして境内に入ると再度階段を上ることになります。仁王門はわざと現在の本堂が見えにくいように設計されています。

成田山新勝寺

最後の階段も大変急なため、本堂は見えません。

この起伏に富み、たどり着くまでの道のりと時間を感じさせることで、成田山新勝寺はより神秘的に見えたのです。最後の階段を上りきって初めて、本堂を目にすることができます。

成田の地形図を見ると、台地に谷が入り込んだ地形でした。参道は谷を降りてもう1度上がるように設置されました。

初詣と鉄道の深い関係(成田線・京成電鉄)

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そもそも初詣はいつ始まったのでしょうか? 鎌倉時代ぐらいではないかという鶴瓶さんに対し、タモリさんは交通が発達したあとではないかと答えます。

ブラタモリは、JR成田駅へ移動します。JR成田線はYの字を左に倒したような支線を持つ構造です。

国鉄成田線の前身である成田鉄道は、西の我孫子と佐倉、東の松岸(銚子の手前)から成田へ向かう現在の成田線と同じ線形を持っていました。この鉄道の最大株主は成田山新勝寺であり、成田鉄道は参拝輸送を目的に寺院主導で整備された側面が強かったのです。

京成成田駅

国鉄成田線のライバルとなる京成電鉄が開通すると、成田山新勝寺はさらに発展します。京成電鉄は東京と成田空港を結ぶイメージもありますが、本来は東京と成田山を結ぶという意味です。

当初、京成電鉄は国鉄を出し抜くために、東京から成田山新勝寺近くの新駅を結ぶプランを持っていました。路面電車の成田電気軌道の軌道を買収し、成田山新勝寺近くまで乗り入れるプランです。成田電気軌道は、当時門前の不動尊駅までの路線を持っていました。

成田 路面電車

もともと成田電気軌道は、不動尊駅まで参道付近を通るルートを計画していました。しかし参道商店街の反対にあり山ぎわにトンネルを引くルートを余儀なくされました。廃線跡は「電車道」(上の地図の中央)として、地図にも残っています。土を盛った土手は今も残り道路になっています。

1925年、京成電鉄は成田電気軌道を買収し自社線との接続を目指します。しかし、人通りがなくなってしまう参道商店街の反対で断念。

1930年、京成成田駅を現在の場所に開業しました。その後戦時体制の1944年、成田電気軌道は国に不要不急線と指定され廃線となりました。その結果現在の京成成田駅(または成田駅)から、参道を歩く形が定着しています。

京成電鉄と国鉄の競争は激しく、そのことも成田山新勝寺の発展に貢献しました。

四国のこんぴらさんでは、4つの鉄道会社(国鉄を含む)が参詣客を奪い合いました。そのことは、下のページにあります(題字はクリックできます)。

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