【ブラタモリ徳島の阿波踊り編 全ロケ地】横一列と激しさ、特異な阿波踊りはどう生まれた? #128

とらべるじゃーな!
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ブラタモリ「徳島の阿波踊り編」が訪ねた福島。このページでは、ブラタリ徳島(阿波踊り)編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。

徳島でブラタモリ内容
鳴門(#129)タモリさんが鳴門のうずしおや撫養街道を歩きます。
阿波踊り(#128)輪になって踊る全国の盆踊りと異なり、横一列の行列と踊りの激しが特徴の阿波踊り。誕生の秘密を探ります。
淡路島(#184、185)(淡路島は兵庫県に属します)

徳島市内|ブラタモリ阿波踊り

徳島駅

徳島市は人口約26万人の徳島県の県庁所在地です。 ブラタモリは徳島市の川沿い(両国橋付近)からスタート。徳島県を以って全都道府県を制覇しました。

阿波踊り

阿波踊りには例年4日間で120万人を超える人が訪ねます。ブラタモリのテーマは、なぜ阿波踊りは生まれたか?です。

ブラタモリは、阿波踊り会館を訪ねます。内部には劇場があり、毎日阿波踊りを見ることができます。阿波踊りにはどんな特徴があるのでしょうか?

輪になって踊る普通の盆踊りと異なり「横一列」の行列が特徴。「踊りの激しさ」も特徴です。阿波踊りは見せる踊りと言えます。

徳島駅南の両国橋

ブラタモリは、徳島の水路を船で進みます。徳島を象徴する眉山(びざん)が見えます。水路には分かれ道が多く、三叉路(さんさろ)まであります。

  • (赤色) …両国橋から乗船。赤いラインの方向へ進みます。
  • (青色) …2つに枝分かれした川を見ます。
  • (黄色) …三叉路(さんさろ)の橋を見て、3つの枝分かれを確認します。
  • (緑色) …少し先に2つの枝分かれを確認します。
  • (黒色) …ほぼ1周し、島の地形を感じます。

江戸時代の地図です。

徳島の城下町は、日本三大暴れ川である吉野川河口の島々に作られていたのです。そのため武家地だけでほとんどの土地が埋まり、町人の住む場所は12%だけ。とても狭いという欠点がありました。

引用 御城下絵図 – 徳島大学附属図書館

江戸時代、夏には盆踊りが企画されましたが、広場がなく、狭い道を練り歩く形が生まれました。ブラタモリは江戸時代と同じ幅の道を訪ねます(写真、地図はこちら)。これが阿波踊りの原点です。

阿波踊りの発展

ブラタモリは、新町橋を訪ねます。

>>舟乗り場や上で紹介の狭い道からすぐ(地図

江戸時代には町ごとに盆踊りがありましたが、風紀上、隣町への乗り入れは禁止。そのため橋の上が、お互いに踊りを競い合う場所になりました。橋の上は遠くから見通しが良く、格好の舞台となり阿波踊りの盛り上がりにつなががりました。

阿波踊りは400年前に生まれました。派手な衣装などとにかくお金がかかるのですが、徳島にはお金持ちがいました。どのような人だったのでしょう?

江戸時代の吉野川は、台風の影響でたびたび洪水を起こしていました。収穫期に洪水で流されてしまう稲の代わりに、徳島の人たちは着物などを染める藍(あい)を作り財を成したのです。

藍商人
うだつの町並み

ブラタモリは、藍商人の末裔を訪ねます(場所は非公開)。現在も藍の加工を行っています。

植物である藍を収穫し発酵させると、黒色の土に似た外見になり染料のようなアンモニア臭がします。

布を何度も染めると濃い紺色となり、その色は長く色あせません。徳島の藍は質が良く、コメの倍の値段で売れ徳島の財政を潤しました。

引用 日本遺産ポータルサイト

ブラタモリは、藍商人の持っていた家屋を訪ねます。家屋は屈強な石垣の上に立っています。なぜなのでしょうか?

>>石井駅から北へ徒歩35分(地図

吉野川が氾濫した際に洪水の水流を両方に切り分けて流し、藍を守るための構造でした。この洪水はデメリットばかりではありません。藍は1回の収穫までに土の栄養をほとんど吸い取る性質がありますが、洪水で新しい土が運ばれ同じ場所で藍を育てることができました。

こうして徳島の藍商人は、長者番付の常連になったのです。

花街

この徳島の藍商人は、金銭だけでなく、音楽の面でも阿波踊りに影響を与えていました。どういうことでしょうか?

引用 アメブロ 54ビジョン

ブラタモリは、徳島の花街だった場所にある100年以上続く料亭しまだを訪ねます(地図)。

徳島の藍商人は、芸者を呼んでの宴席を好みました。

当時の盆踊りの歌は現在の阿波踊りの音楽とは異なるものでした。藍商人は、行商の販路だった熊本の民謡を参考に、賑やかでしっとりた曲調に変え、大阪で流行りの歌詞を載せました。

藍産業の衰退

いつしか化学染料の台頭で藍染料は売れなくなりました。そのとき徳島は、阿波踊りを名物に観光での立て直しを図りました。

昭和の中ごろまで、阿波踊りは今のように洗練されたものではありませんでした。1983年、地元の踊り手の四宮賀代さんが、指先の動きやダイナミックな脚の動きを工夫し、シャープな形の傘を被り、新しい阿波踊りを考案します。これは所属の「虹」以外の連にも広がり、現在の華やかな阿波踊りの形ができました。

(参考)徳島城

徳島城は吉野川河口域の中州にある、標高約60mの渭山(=城山)に築かれ、居館や庭園はふもとに置かれました。明治維新後の廃城や空襲により、ほとんどの建物が消失しましたが鷲之門が再建されました。徳島駅裏手すぐ。

徳島でブラタモリ内容
鳴門(#129)タモリさんが鳴門のうずしおや撫養街道を歩きます。
阿波踊り(#128)輪になって踊る全国の盆踊りと異なり、横一列の行列と踊りの激しが特徴の阿波踊り。誕生の秘密を探ります。
淡路島(#184、185)(淡路島は兵庫県に属します)

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