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【ブラタモリ道後温泉】タモリ推奨の道後温泉の歴史・地形・観光ルートまとめ #30

2018/01/24


NHK番組のブラタモリ道後温泉編で、タモリさん推奨の道後温泉の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ道後温泉編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

道後温泉は、松山駅や松山城の東に位置しています。

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道後温泉本館:ブラタモリ道後温泉

道後温泉

ブラタモリは、道後温泉のシンボル、道後温泉本館を訪ねます。

明治27年、源泉に建てられた公衆浴場は、現在でも利用することができます。泉質は、アルカリ性単純温泉です。道後温泉本館は、1階に風呂場があり、2階には休憩場があります。屋上(一般非公開)には、温泉が沸いたことを知らせる鐘が備えられています。

ブラタモリ道後温泉編のテーマは、道後100万人のお湯はどうできたです。道後温泉は、明治時代に、本館だけで年100万人が入浴した記録があります。縄文期に開湯したとも言われ、日本書記によると、道後温泉に「飛鳥時代の天皇」が訪ねたとあり、聖徳太子が訪ねた可能性もあります。


湯築城と城下町:ブラタモリ道後温泉

ブラタモリは、道後温泉駅のすぐ南東にある道後公園を訪ねます。保存されている石造りの湯釜は、奈良時代に作られたと言われています。湯釜は、湯の量や温度を調整する装置で、明治の中頃まで、この場所で使用されていました。奈良時代には建物があったと思われます。

江戸時代の以前の松山の中心地は、どこだったのでしょうか? 湯釜の近くには堀の跡があります。これは松山城より古い、湯築城の跡となります。

ブラタモリは、道後公園の東にある石手寺を訪ねます。四国八十八カ所霊場の五一番です。

石手寺

石手寺の仁王門は、国宝。石手寺に保存されている制札(せいさつ、木の掲示板のこと)には、毎月5の倍数の日には石手温泉をお坊さんが優先して利用できる、と書かれています。制札は城主の命令を記したもので、温泉を湯築城主が直接管理していたことを示します。

湯築城の城下町の絵図(戦国時代のもの)を見ると、60以上もの塔頭(たっちゅう、僧が暮らす家)が立ち並びます。全国から参上した修行者向けに、旅籠(はたご)を兼ねていたのかもしれません。

道後温泉はどこから沸いた?:ブラタモリ道後温泉

道後本館

ブラタモリは、道後温泉本館南側すぐの、松山市道後温泉冠山事務所第二分湯場を訪ねます。付近には、断層が見られます。断層の割れ目は、雨水が地層に入り込む場所だったと推定されます。

断層の割れ目は、地下で表土から荷重を受けていた地層が、表土の流出により盛り上がることで生成されます。ちょうど漬物石を取り除いたときに、たくあんなどがグーンと盛り上がってくる様子に似ています。道後温泉周辺には火山がないため、地熱で温められた温泉になります。

 道後温泉本館  山地 ■■■ 谷間の地形

道後温泉本館は、その北東から南東へ至る谷間の、中心線の真上にあります。この谷間は直線であるため、川によるものではなく、断層だと考えられます。しかし、断層があることは未確認のため、推定断層ということになります。

推定断層に生じた割れ目が、温泉の出口となっていたと考えられます。

道後温泉本館付近には、傾斜地と谷間の際(きわ)があり、そこから温泉が沸いていることが確認できます。

地形に恵まれ温泉が湧いた道後温泉は、どのように100万人の湯に成長したのでしょうか? 明治時代の町長伊佐庭如矢氏は、莫大な費用をかけ道後温泉本館を整備しました。設計と建築は、松山城を担当する大工が仕上げ、20億円以上とも言われる費用がかかっています。

道後温泉周辺の家には、永代温泉が使用できる優待券が残っています。これは、江戸時代、寄付金と引き換えに住民に配布されたものです。

鉄道の跡:ブラタモリ道後温泉

 曲線を描いた道路 ■■■ 廃線跡  線路に沿って斜めになった建物

●   付近以外の線路の場所について、完全な正確性はありません。

ブラタモリは、伊予鉄城南線の南町駅付近を訪ねます。周辺には、曲線を描いた道路があります。これは道後温泉まで敷かれていた鉄道の廃線跡です。

曲線を描いた道路は途中で途切れますが、その先に線路の上に建っていた建物が残っています。大正15年に廃線になった跡を先祖が買い、当初は畑、ついで宅地として使用しました。明治時代の町長伊佐庭如矢氏は、道後温泉を盛り立てるために鉄道の敷設も行っていたのです。


(まとめ)ブラタモリ道後温泉 歴史・地形・観光ルートまとめ #30

  • 道後温泉は、3000年前の縄文期から存在した可能性もある。
  • 道後温泉が湧いた理由は推定断層。その痕跡は、道後温泉本館付近の傾斜に見られる。
  • 戦国時代には松山城より古い湯築城が建てられ、全国の湯治客を迎え入れていた可能性がある。
  • 明治時代に町長により道後温泉本館が建てられ鉄道が敷かれたことで大きく飛躍した。
夏に備えて

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