ブラタモリ木曽三川編で、タモリさんが、木曽三川の絶景や治水の歴史紹介します。このページでは、ブラタモリ木曽三川編の、内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。【再放送・見逃し情報はこちら】
下のリンクで「ブラタモリ」の体験視聴をご案内中です(「どうする家康」は初回から視聴OK)。
😎マークは、現地取材済みです。
愛知でブラタモリ | 内容 |
😎現地取材 名古屋(#75,#76,#90) | 舌の付け根が名古屋城で舌の先が熱田神宮で、左に堀川? |
木曽三川とは?|ブラタモリ木曽三川
木曽三川は、伊勢湾に流れ込む広大な3つの川の総称です。
西から順に揖斐川、長良川、木曽川を指します。揖斐川は121km、長良川は166km、木曽川は229kmの長さを誇ります。
ブラタモリは、木曽三川公園の展望台からスタート(地図)。
国営木曽三川公園は、2005年に開園。東海3県にまたがる、総面積約1200ヘクタールの広大な国営公園です。
13か所の公園を持ちますが、その1つである、木曽三川公園センターのエリアは、西から揖斐川、長良川、木曽川の3つの川が合流する場所に位置しています。
タモリさんは展望台から、上流側を見学。西(写真左)から揖斐川、長良川、木曽川の3つの川が見えます。
揖斐川と長良川は岐阜県北部、木曽川は木曽山脈(長野県)に発しますが、この付近で接近し、伊勢湾に注ぎます。木曽三川は、日本有数の大河川であり、流域は洪水被害に悩まされてきた歴史があります。
タモリさんが、旅のお題「暴れ川vs.人間 激闘の歴史とは?」を探ります。
ブラタモリと暴れ川
ブラタモリ大井川編では、暴れ川の1つ大井川の氾濫に備え、船の先端のような形状で、洪水をしのぐ舟形屋敷が紹介されました。
困難を極めた江戸時代の治水工事・驚きの全容とは|ブラタモリ木曽三川
ブラタモリは、国営木曽三川公園の展望台の河口側に見える、長細い松並木に降り立ちます。
松並木の西(写真右)に揖斐川、東(左)に長良川が流れます。
木曽三川は、西から、揖斐川(低)、長良川(中)、木曽川(高)の順に、徐々に水位が高くなってゆきます。かつては、長良川・木曽川は合流し、水流の一部は揖斐川にも流れ込んでおり、三重県側の揖斐川流域が、洪水の大きな被害を受けました。
そのため、揖斐川と長良川の「仕分け」(現在の松並木)が必要だったのです。
すぐそばの治水神社には、薩摩藩の家紋が見られます。ここで江戸時代、揖斐川と長良川を仕分ける宝暦治水の事業が進められました。
12年間の工事を経て、1764年に完成しました。宝暦治水は、徳川幕府の命により、薩摩藩が中心となって行われました。薩摩藩にとって、巨額の予算を支出する無理難題が続く工事であり、多くの犠牲を払いました。
なぜ、3本の暴れ川である木曽三川は、この地に合流したのでしょうか?
タモリさん絶賛!山寺の庭で隆起した海底の痕跡を発見|ブラタモリ木曽三川
ブラタモリは、養老山地のふもとに位置する、岐阜県の行基寺を訪ねます。(地図)
行基寺は、岐阜県南西部の海津市にある、浄土宗の寺院です。「月見寺」「隠れ城」とも呼ばれます。徳川家康の親族である、美濃高須藩藩主・松平氏の菩提寺ともなっています。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース
ブラタモリは、石垣に一体化した、自然の岩盤を見学します。人工と自然を一体化させた、素晴らしい趣向です。滝や苔の庭も美しい場所で、タモリさんは大感激。
自然の岩盤は、堆積岩(泥岩、砂岩など)です。海底に堆積したものですが、斜めになっていることから、何らかの大きな力は加わったことが分かります。養老山地は、海底の堆積岩が隆起したものだったのです。
(参考)行基寺では、筋が細かいのが泥岩、大きめの露出が砂岩。
行基寺は、高台に位置し、濃尾平野の景色の美しさでも知られます。眼下は揖斐川です。
はるか先は、名古屋市街。濃尾平野は、東(名古屋の方向)に行くほど高くなっているようです。カギになるのは養老断層です。
隆起した部分が養老山地、沈降した部分が濃尾平野となりました。そのため、濃尾平野は東の標高が高く、同時に西から、揖斐川(低)、長良川(中)、木曽川(高)の順に、徐々に水位が高くなってゆくのです。
千代保稲荷神社、集落ごと堤防で囲んだ「輪中」|ブラタモリ木曽三川
ブラタモリは、千代保稲荷神社(地図)を訪ね、名物の串カツを試食します。
千代保稲荷神社は、おちょぼさんとして親しまれています。
ブラタモリは、神社の裏手に回ります。裏手は、標高が高くなっており、緩やかな坂を登り詰めると、微高地の頂上に達します。
標高はわずか8mですが、地元では須脇山と呼ばれています。空き地の地質を見ると、砂地でした。
戦国時代までは、そばを木曽川が流れており、強風により、川のそばに砂丘ができました(自然堤防という地形の上に、さらに砂が積もった)。この河畔砂丘と呼ばれる小高い土地に人々が住み、周囲で米作りを始めました。
日本に3つしかない河畔砂丘
砂丘形成のためには多量の砂の供給が必要となるため、大河川沿いにできやすい。また、一定期間、特定の方向から風が吹き続ける必要がある。
木曽川のほか、旧利根川(東遷以前)、北上川の流域に見られる。旧利根川流域では、羽生市から越谷市にかけて多く見られ、なかでも志多見砂丘は最大規模。
ブラタモリは、平田公園(地図)を訪ねます。すべり台に登ると、周囲に堤防の痕跡が見られます。
集落の周囲は堤防で囲われ、輪中と呼ばれる、円形の場所を形成しています。見えている堤防の痕跡はほんの一部であり、1つの輪中は非常に大規模なものでした。
木曽三川流域には、同様の輪中が約80ありました。
背景には、江戸時代の人口急増と、コメの需要の高まりがありました。洪水の危険はあっても、山から流れ込む大河川がもたらす栄養分で、土壌は肥沃。多くの収穫が見込まれ、京都や近江の豪農を中心に、多くの人がが米づくりに挑みました。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース
輪中の敵は内にあり?雨水の排水術|ブラタモリ木曽三川
ブラタモリは、新田開発で活躍した豪農の邸宅だった場所(早川家)を訪ねます(地図)。
隣接して、私的な神社(荷席稲荷神社)が設置されているほどの規模です。母屋は高さをかさ上げされていますが、米蔵は石垣によりさらに高さを増されています。
タモリさんが米蔵に入ると、小作人から集めた米を貯蔵する場所は、さらに高い場所に作られていました。近くには、洪水のさいの、小作人の避難場所も作られていました。
ブラタモリは、早川家から南へ約5キロ、輪中の内部を流れる大江川を訪ねます。なぜ、輪中の内部に川があるのでしょうか?
これは、農業用水ではなく、余分な水の排水路だったのです。雨天になると、輪中のなかにも雨が降り注ぎ水が増え過ぎ、稲が育たなくなります。この「たまり水」の排水が必要でした。
タモリさんは、屋内に保存されている、木製の排水設備(門樋)を見学します。門樋は、江戸時代から明治時代に使用され、片方にしか開かない観音開きにより、排水口からの逆流を防ぎました。
しかし、年々輪中を囲む川の底に土砂が積もり、水位が上がると、門樋がずっと閉まったままになり、輪中が水浸しになる場合がありました。
人々は、水浸しになってしまった場所に土を盛ってうねを作り、堀田と呼ばれる仕組みを作り上げました。木曽三川の下流を中心に広まりました。例え面積が半減しても、米を作りたいという熱意の表れです。
現在では、強力な排水機場が設けられ、5秒で25mプールにあたる水を排水できる能力を持っています。
米どころ新潟の排水機場
ブラタモリ新潟編では、信濃川東岸にある排水機場をタモリさんが訪ねています。
木曽三川のど真ん中に泊まれる、海津温泉とは?
😎マークは、現地取材済みです。
愛知でブラタモリ | 内容 |
😎現地取材 名古屋(#75,#76,#90) | 舌の付け根が名古屋城で舌の先が熱田神宮で、左に堀川? |
😎見逃した方はこちらから
ブラタモリ日本の温泉 | ブラタモリ過去の放送回一覧 | タモリさん、オールナイトニッポンSP |
坂タモリ出版 推奨の坂は?(第8位で紹介) | 史上最大の反響「ブラタモリフォッサマグナ」 | ブラタモリ公式サイト |
ブラタモリ「奇跡の編集力」 | ブラタモリ書籍一覧 | タモリさんが監修!カレーうどん千吉 |
😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
コメントをどうぞ(情報ご提供、旅行相談など)