
NHK番組のブラタモリ名古屋・大須で、タモリさんが大須を訪ねました。このページでは内容の要約やロケ地をお知らせします。
今回のブラタモリの舞台は、名古屋が誇る一大繁華街・大須です。8つの商店街に1200もの店がひしめき、年間およそ1500万人が訪れるという“元気すぎる商店街”には、いったいどんな地形・歴史の秘密が眠っているのでしょうか。

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【前編】大須 8商店街・1200店が集まる町のかたち

ブラタモリは名古屋城南2キロの大須商店街からスタート(fabchic ファブシックなどがある付近)。
まずは大須という街の基本構造から。大須観音につながる「仁王門通り」の商店街など、8商店街があります。タモリさんは、教会、うなぎ、メイド喫茶が並び立つ雑多さに注目。年間に1500万人が訪ねます。
運が良いとみられるのが、賑やかな大須名物ちんどん屋。今回のお題は、家康が生んだ大須、なぜ元気すぎる商店街に?です。
なぜこれほど狭いエリアに商店街が密集し、なでこれだけの店舗数を抱えるようになったのでしょうか?
大須観音はなぜ清須城と同時期に大須へ?

ブラタモリは大須観音を訪ねます。タモリさんは、直近で訪ねた平等院鳳凰堂とも似ているとの感想。
江戸時代の名古屋の城下町の図を見ます。名古屋城(外堀内)→南に商人地→南に寺町となり、大須観音は寺町の一角を占めます。(商人地はブラタモリ名古屋で訪問済み)
大須のルーツは、家康による名古屋築城とそれに伴う「清須越し」にあります。清須から寺社や町人ごと移転させたのです。

清須城は、洪水や水攻めのリスクがありました。まだ関ヶ原の戦いの10年後であり、家康は守りを考え台地の先端に城を移したのです。
一方大須観音の原点は、清須ではなく、岐阜羽島にありました。なぜ家康は大須観音を移転させたのでしょうか?
大須観音は家康はどうしても欲しかったという説もなくはないですが、本当の理由は本堂の裏で分かります。
タモリさんは、大須文庫を見学します。国宝4、重要文化財37を含む1万5000巻を収納。
家康は、当時天下人としての自覚から、歴史書の集積・管理を図っていました。元の大須観音は川に囲まれリスクがあったので移転させたのです。
タモリさんは、現存最古とされる『古事記』写本を見学。原本が消失した古事記のなかではもっとも正確で、国宝に指定されています。いつ写本されたのかが記されておらず、年代の特定には苦労がありました。江戸時代の尾張の藩士があることに気づいたのです。
写本には、本文外、紙と紙を張り合わせた部分がはがれ、「執筆賢瑜29歳」を意味する内容があり、年代が特定されたのです。賢瑜は、見えない部分に自分の痕跡を残していたのです。
さらに尾張藩の藩士は、さらに調査を進め、「秘蔵宝鑰」という仏教書に行きつきます。賢瑜27歳のサインがあり、こちらは1350年と確定しているため、古事記の写本年代が確定したのです。1万5000のうち賢瑜の写本はわずか4点でした。
タモリさん初の大須演芸場

ブラタモリは大須演芸場を訪ねます。現在は芸どころ名古屋、笑いの殿堂の看板が追加されています。
かつて楽屋にあった机の裏側が展示されています。駆け出しの頃に明石家さんまさんがかいた落書きがありました。ビートたけしさんも若い頃に出演。
タモリさんも舞台に上がります。演芸場での出演歴は意外にもなく、今回が初めて。タモリさんは、若い頃の北京放送のモノマネを披露しました。「ウケなかったなあの頃は」
タモリさんは江戸時代中期の大須観音周辺の絵図を確認。賑わう大須観音ですが、看板を建てた絵があります。ある人気者たちの名前が書かれていたのですが、当時人気があったのが歌舞伎。歌舞伎は、現在の歌や踊り、ライブ、アイドル的な要素を全て取り込んだ一大芸能でした。
かつて各寺院の境内には芝居小屋がありました。広い境内が芝居小屋として活用されたのです。このブームには仕掛け人がいました。
尾張藩主・徳川宗春の“仕掛け人”ぶり

江戸時代に大須を賑わいの街へと押し上げた立役者が徳川宗春。家康のひ孫の子どもが宗春。江戸の中期頃に宗春の姿が描かれていますが、独特な帽子に長いパイプを持っていました。
倹約令が主流だった徳川吉宗の時代にあえて派手な政策を打ち出した異色の藩主です。タモリさんが派手な衣装をまとって宗春を体感するという演出は、その人物像をわかりやすく伝える狙いがありました。
【後編】現代の大須を支える“仕掛け”

ブラタモリは引き続き大須の商店街を歩き、東仁王門通りの延長線上にある、東の端を訪ねます。後編では、大須観音を中心に発展した商店街が、東側(大須本通り、門前町通りより東)にも広がったのかを探ります。

看板など至る所に万松寺の文字が目に入り、万松寺ビルの1階には寺の参道を兼ねた商店街がありました。

参道を出ると、LEDビジョンがまぶしい珍しいお寺に到着。万松寺です。
電子決済の御守り販売機やお賽銭箱といった最新技術が導入。タモリさんは100円のお賽銭を電子決済で納めました。

ブラタモリは、寺の奥にある石塔を訪ねます。織田信秀の墓所がありました。屋根の家紋は徳川。元は別の場所にありましたが、尾張徳川家により移転しました。
古地図で大須で芝居が行われていた芝居小屋の場所を確認すると、西側に偏っていました。前編では、徳川宗春が中央(吉宗)の政策に反し、娯楽を奨励したことを扱いました。当時大須の東側の万松寺は、一般の人には開放されていませんでした。
大正元年に万松寺は、境内を開放。土地の一部を分譲したり、貸出ししたりして寺の経営を維持しました。昭和14年には、幕末の境内に比較し寺そのものの敷地は大きく減少していました。このように大須観音の東側も栄えます。
万松寺の広い敷地を生かし、戦前に帝国劇場、名古屋劇場、常盤花月ニュース、帝国館など4つの映画館が並び立っていました。大須全体では13の映画館が揃います(昭和14年の絵図による)。映画館は大須の町の発展に、どのようにつながるのでしょうか?
映画館の周りには、居酒屋、喫茶店などが誕生しました。芝居の町から映画の町に移り変わったのです。
新天地の「アメ横」

その後テレビ放送が始まり、特にカラーテレビが普及すると映画産業は斜陽化します。昭和14年の絵図で「新天地」と書かれた場所を訪ねます。

ブラタモリは新天地通りを訪ねます。戦前の写真を見ると、名古屋劇場、帝国劇場の建物が見えます。現在は現在の第1アメ横ビルなどとなっている場所に、電化製品の「ラジオセンターアメ横」がかつて誕生した際には非常な注目を集めました。秋葉原や上野から招いた店も含まれていました。

半世紀にわたり街を見守ってきた電器店の店主が登場。タモリさんとマニアックな真空管談義を交わします。タモリさんは、ポップアップアンテナのラジオや、8ミリシネカメラを見学します。
グルメストリートと鶏の丸焼き
ブラタモリは東仁王門通りに移動します。「ナポリ」(ピザ)、「イスタンブール」(トルコ料理)、タイ料理、ケバブ、ベトナム料理のバインミーなど世界の料理が揃います。大須の現在の魅力の1つは、世界の料理の食べ歩きです。

ブラタモリは外国料理店として最古参のブラジル料理店「オッソブラジル(ブラジル食堂)」(1995年開業)を訪ねます。

タモリさんは名物という鶏の丸焼きを試食します。大須が持つ多国籍・多文化な顔を象徴する体験でした。ブラジル料理店の建物は、かつては電器店だった場所です。
前編は「家康・宗春による町づくりの歴史、芝居」、後編は「映画、万松寺やラジオセンターにおける再開発、多文化の共存」という構成で、大須の過去と現在を対比的に描きました。
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😎過去回ロケ地 完全収録

- 名古屋大須 45 46
- 安土近江八幡 44
- 福岡柳川 43
- 平安神宮 42
- 平等院鳳凰堂 41
- 熊本城 40
- 成城 38 39
- 犬山城 37
- 江戸城本丸 35 36
- 皇居 34
- 桶狭間 32 33
- 赤羽 31
- 琵琶湖 30
- 川崎大師 28 29
- 近江八幡 27
- 安土城 26
- 二条城 25
- 蔵王 23 24
- 上高地 21 22
- 神楽坂 20
- 三十三間堂 17
- 東大 17 18
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- 伊勢神宮への旅 1 2 3 4 5
- 特番 東海道五十七次(京街道)
- 前シリーズ最終回 指宿
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