
NHK番組のブラタモリ熊本城復興SP(2026年)で、タモリさんが熊本地震からの復興が進む熊本城を紹介しました。このページでは内容の要約やロケ地をお知らせします。
アイキャッチ写真は、フォロワー様のご提供です。
| 熊本でブラタモリ | 内容 |
| 熊本城復興SP(#新39) | |
| 島原・天草(#160) | 潜伏キリシタンと島原・天草一揆。林田アナ卒業の言葉。 |
| 阿蘇(#138) | 阿蘇は世界のお役立ち火山 |
| 熊本城(#34,#35) | 熊本城は“やりすぎ城”? |

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異例の2度目となる熊本城
ブラタモリ熊本城は、前シリーズ(2016年3月19日)に続き異例の2回目の放映です。放映の約1か月後の4月14日、16日に熊本地震が起き期せずして貴重な記録となった回です。
番組公式
熊本地震の直前に訪れてから10年――タモリさんが、再び熊本城へ。10年前、番組で行った場所は今はどうなっているのか?膨大な石垣の積み直しや発掘調査の中で、次々と明らかになった新発見とは?先人の知恵と工夫を受け継ぎながら、復興の現場で奮闘する人々の思い、最前線から見えてきた熊本城の現在に迫ります。
10年前、番組で行った場所は今はどうなっているのか?

ブラタモリは、熊本城が見えるNHK熊本からスタート。

タモリさんの熊本城への印象は「守りの固い城」。2016年のブラタモリは、勇猛果敢なイメージの加藤清正が、実は神経質で心配性だったのではないかと見立て「熊本城はやり過ぎ城」のテーマで放映されました。
【ブラタモリ熊本城/水の国熊本 全ロケ地】タモリさんが震災前の熊本城を訪ねた回#34 35

2016年のブラタモリは南から熊本城に入りましたが、現在は復元工事のため通行できません。石垣にはガラス棒が取り付けられています。石が微妙に動いていることの判断に使われていますが、カラスがいたずらをするという悩みもあります。
2016年のブラタモリでは、かつての熊本城には66棟もの櫓・櫓門(※数は諸説あり)が立ち並んだことが紹介されました。櫓とは、もとは武器庫(矢倉)の意味ですが、見張り台を兼ねることが多かった軍事施設です。
(参考)櫓・櫓門の数が多い徳川の「西の要塞」姫路城でも現存で31棟。松山城は現存21棟。また、徳川軍を2度退けた真田の上田城でも9棟(仙石氏再建時)に留まります。
城に近づくと広場を組み合わせたクランク(曲がり角)が多数。枡形(ますがた)と呼ばれ、侵入者は3方向から銃や弓矢で狙われることとなります。6連続の曲がり角(舛形)は全国の城でも非常に珍しいものです。
ブラタモリは報道で有名になった「奇跡の一本石垣」を訪ねます(飯田丸五階櫓、復元工事中)。10年間で奇跡の一本石垣を含むすべての石垣を解体し復元しました。鉄骨のアームを差し込む前例のない復元工事の成果です。

ブラタモリは特別見学通路を訪ねます。10年前にはなかったルートです。

平時に武将が熊本城を訪ねると、立ち並ぶ櫓・櫓門、6つもの枡形、高い石垣などに度肝を抜かれたうえ、本丸に招かれたとしても、地下通路が正規の入口の1つとなります。
狭い地下を通された武将は、もしここを攻めたとしたら何か仕掛けがあるのではないか?と想像するはずでです。
大天守の石垣台と小天守の石垣台のあいだを抜けるこの「闇り(くらがり)通路」も2016年のブラタモリでは重点的に紹介されました。現在は外から見ることができますが、立ち入りはできません。

タモリさんは天守を訪ねます。2016年に紹介された空中に出っ張っているお手洗い「空中セッチン」は、リフォームされていました(見学はできるようですが、立ち入りはできません)。

タモリさんは、2016年に見た「石門」をVTRで確認します。高さ10mの石垣にトンネル状の通路が作られ、脱出口(抜け穴)となっているようだと放映しましたが、新たな事実が判明しました。この通路はどのような目的で作られたのでしょうか?
発掘調査により、石門は見えている部分の倍の高さ(約1.6m)であることがわかりました。抜け穴としてはゆとりがありすぎ、単なる通路だったようです。また下の部分から江戸時代の排水溝が見つかりました。
石門は、排水溝を兼ねた通路だったのです。石垣の内部にたまった水を排出し、城を長く維持管理するためのものでした。

2016年のブラタモリでは、城を出て白川沿いを訪ねています。加藤清正が蛇行した川の流れを真っすぐにし洪水を減らし、3つに分断された町を1つにつないだことを紹介しました。

ブラタモリは、城の南側の備前掘を訪ねます。備前掘には崩落した石垣が溜まっていたため、水を抜いて調査したところ、川底の土の色に大きなちがいがありました。黒っぽい土は河川の堆積物であり、白川のかつての流路が現在の「備前堀」の南の一部であることが分かりました。白川と備前堀はつながっていたのです。
白川は城の近くを流れ、城づくりの資材を運ぶ水運に使用されていました。城が完成したあとは、川は適切な距離に遠ざけられました(慶長15~17/1610~1612年頃)。

ブラタモリは城内に戻り「二様の石垣」を訪ねます。加藤清正が作った石垣を、息子の加藤忠広の石垣が覆うような形です。
加藤清正の熊本城の象徴とも言える「武者返し」。登れそうだと錯覚させて転落を招いたり、時間を取らせたりする心理的なトラップです。武者返しは熊本地震では、ほかの石垣に比べ地震への強さを見せました。
石垣の技術は、書面(江戸時代の「石垣秘伝之書」)によって代々伝えられています。「ノリソリ割方之事」の章では、ノリ(石垣の斜辺)の傾きを決めるのは三角形の底辺であることを示し、ソリ(反り)つける技術を示しています。石垣は何度も修理が繰り返されてきたのです。
熊本地震の被害で積み直す必要がある石の数は最大10万個にも及びます。
ブラタモリは城の南側にある作業現場で、石垣の解体作業を見学します。それぞれの石には目印のテープ(H568-126など。Hは本丸)が貼られています。小さな石にも番号が振られています(例えばH568-マ127-3。マは間詰石)。ほかにも黄色、茶色のちがいもあり、大きく変形を受けていない石には黄色が貼られています。
続いて地震の際の石垣への影響を模型で確認し、石垣の積み直しの作業を見学します。石垣は、内から土、栗石、築石の3層構造になっています。タモリさんは、栗石(ぐりいし)に応援のメッセージ「石はおもしろい!」を記します。
【ブラタモリ熊本城/水の国熊本 全ロケ地】タモリさんが震災前の熊本城を訪ねた回#34 35

2016年のブラタモリでは紹介は少なかった宇土櫓(うとやぐら)が、詳しく紹介されました。
宇土櫓は、約400年前の築城当時の姿を保ち3重5階地下1階の造りは一般的な天守に匹敵するため「第三の天守」とも呼ばれます。
櫓ながら現存天守と比べても、姫路城、松本城、松江城、伊予松山城の天守に次ぐともされる異例の規模の櫓です(※天守、櫓を同一に比較する基準はないため諸説あり)。熊本地震では櫓本体は倒壊を免れましたが、万全を期すために1度解体して修復工事を進めています。
2016年のロケ地
【ブラタモリ熊本城/水の国熊本 全ロケ地】タモリさんが震災前の熊本城を訪ねた回#34 35
| 熊本でブラタモリ | 内容 |
| 熊本城復興SP(#新39) | |
| 島原・天草(#160) | 潜伏キリシタンと島原・天草一揆。林田アナ卒業の言葉。 |
| 阿蘇(#138) | 阿蘇は世界のお役立ち火山 |
| 熊本城(#34,#35) | 熊本城は“やりすぎ城”? |


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