
ブラタモリ川崎大師編で、タモリさんが初詣人気も高い川崎大師を訪ねました。このページでは内容やロケ地をお伝えします(再放送・見逃し情報はこちら)。
速報版です。今後改訂を予定しています。
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川崎大師|ブラタモリ川崎大師

ブラタモリは川崎大師の参道からスタート。多くの人に声をかけられます。あめを切っている音がします。だるまが多数並ぶお店もあります。


大山門に到着します。その大きさに2人は驚きます。
神奈川県の川崎大師は日本有数の初詣スポット、そして関東厄除け三大師のひとつともされます(諸説あり)。令和2年には初詣期間に約300万人が訪ねました。

川崎大師は正式には大本山川崎大師平間寺(へいけんじ)。真言宗智山派の大本山で、平安時代末期の1128年に創建されました。

川崎大師の中心となるのが、境内の正面に堂々と建つ「大本堂」です。戦後1964年に再建。ブラタモリのテーマは、川崎大師人気の秘密とはです。
タモリさんは大本堂のなかで、説明を受けます。川崎大師はなぜこの地に建立されたのでしょうか。御本尊が深く関わるとは?
高いところに赤い幕がかかり、三角の切れ目の奥にご本尊。テレビカメラの撮影は禁じられています。本尊は大きなサイズではありませんが弘法大師が祀られます。大師は全国に多くありますが、弘法大師を祀るところは川崎大師くらい。
なぜ弘法大師が川崎大師本尊となったのでしょう?
タモリさんは、ちょっと夏目漱石に似た平間兼乗像を見学。川崎大師平間寺の名前の由来となります。尾張の国の武士でしたが無実の罪で追われ川崎で漁師となります。
平安末期、平間兼乗が当時の海の中(現在の地名は「夜光」)で発見したのが光るご本尊。当時平間の年齢は42歳。これをきっかけに厄除け大師となりました。
川崎大師の人気の秘密として、その存在を広めたのは誰だったのでしょう?
タモリさんは葵の御門がデザインされた机を見学。徳川家が関わっていたようです。キーマンとなったのは徳川家斉(大河ドラマ「べらぼう」に登場している)。家斉が参詣のさいに住職が亡くなり、将軍の厄を引き受けてくれたと考えられ、川崎大師は大いに格を上げ江戸で話題となりました。
境内の建物(ブラタモリでは未紹介)

福徳稲荷堂 川崎大師は昭和20年4月15日未明の空襲により大本堂をはじめ、ほとんど全てのお堂を焼失しましたが、その難を逃れた貴重なお堂が福徳稲荷堂です。

不動堂は1890年(明治23年)に創建され、現在の建物は1964年(昭和39年)に再建された御堂です。本尊には成田山新勝寺の御本尊である不動明王のご分躰が祀られています。

境内でもよく目立つのが、鮮やかな朱色の「八角五重塔」。1984年(昭和59年)に建立されたもので、鉄筋コンクリート造ながら木造建築の美しさを取り入れた荘厳な姿をしています。
「遍路大師(へんろだいし)」と呼ばれる弘法大師像は、四国八十八ヶ所霊場を歩いて巡礼する「お遍路」を象徴する姿を表したもの。

経蔵には、インドの釈迦如来像、中国の乾隆版大蔵経、韓国の天井画「双龍」、日本の仏画「飛天」が配置され、仏教がインドから中国、朝鮮半島を経て日本へ伝わった歴史を象徴しています。

道標は、1663年(寛文3年)、現在の六郷橋たもとにあたる川崎宿の渡し場近く、大師へ向かう道の入口に建てられたものと伝えられています。往時の参詣者は六郷川を渡り、この道標に従って川崎大師を目指しました。
Uターンする参道

本堂から外に出るとUターンしている謎の参道。江戸時代の参道もUターンしていました。
ブラタモリで紹介された、川崎大師のUターンする参道です😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) December 13, 2025
川崎大師駅から東(海の方)へ向かいUターンし、飴切りの音が響く仲見世通りを経て大山門に向かいます😎 pic.twitter.com/jFL46Pctb4
寺院は東側の海に向いて建てられましたが、参道は西からやってくるためUターンしているのです。西側には何があるのでしょうか?
大師道の道標が見つかります。道標があると言うことは分岐点になるはず。

タモリさんがY字に2つに分かれたもう1つの道を訪ねます。それは東海道でした。川崎宿が立地します。
東海道のすぐそばに川崎大師があったため、訪ねやすかったのです。
川崎宿は、日本橋を出て2つ目の宿。旅の厄除けとして多くの人が訪ねました。川崎大師へ参拝するための宿泊や休憩場所として、川崎宿が発展したのです。
川崎大師は、明治時代になると「あるもの」ができ人気が高まります。
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